29話 修道士がひとりもいなくなった
「それに、ここで情けない姿を見せている場合ではありません。これ以上、妻にがっかりされたくないので」
領主は冗談めかして笑ったが、その顔には何とも言えない寂しさというか。しんどさのようなものが混じっていた。
「そんなことはない。アンナは領主のことを想っている」
飲んだくれたアンナ。
あいつの言動は、「夫、嫌い!」という感じではなかった。
むしろ、シトエンのことばかりを口にする夫に焦っている感じではなかったか?
ただ、領主は慰めだと思っているのだろう。苦く笑って頭を掻いた。
「いえ、もうきっと見限られています。会話らしいものさえありませんしね」
「いや、そんなことは……」
「ええ、きっとアンナ夫人も領主殿のことがお好きですよ?」
シトエンも口添えてくれたが、領主はあきらめたように笑った。
「気を遣っていただかなくても……」
「その、アンナ夫人はずっとサリュ王子との昔のお話をされているではないですか」
がふっ!!!!
シトエンが急にそんなことを言いだすから、思わず変な息が漏れた。
「あ、あれは……! シトエン妃もお気を悪くされましたよね⁉」
領主が慌てるが、シトエンもそれ以上に慌てて首を横に振る。
「違います、違います! 思うにあれは……その、領主殿に聞かせたかったのではないですか?」
「私に?」
領主が目を丸くする。
俺だって、ん?となった。
てっきりシトエンと俺に嫌がらせのために言っていたのだと思っていたが……。
「領主殿にやきもちを妬いてもらいたかったのでは? 私は昔こんな素敵な男性から恋文をもらったことがあるのよ、って」
す、素敵かどうかはわからんが!!!! いやでもシトエンに素敵って言ってもらったのは嬉しいのだが!!!!
いや、落ち着け俺。
浮かれている場合じゃない。シトエン説を検討してみようじゃないか。
「最近はもう会話も減ったし、贈り物も減ったと言っていたな?」
「ええ……まあ」
「じゃあ、アンナ夫人は夫からの愛情がなくなったと思って落ち込んでいるんじゃないか? あるいは焦っている、とか。だから、俺との話を持ち出して、『ほらほら、あなたの妻はこんなにモテるのよ』と暗にほのめかしている、とか?」
俺が言うと、シトエンがうんうんとうなずいた。
「ではないですか? 本当にわたしに対する悪意であれば、わたしの知らないところでサリュ王子を誘惑して……それで、そこを見せつけるような気もしますが」
こわ……っ。女、こわ……。
「だから、アンナ夫人が望んでいるのは、領主殿の愛情だと思いますよ?」
「そう……でしょうか」
領主がつぶやくように言う。ちょっとだけ信じ始めた感じの表情だ。
シトエンは「それに」と続けた。
「贈られたというプレゼントですが……。本当に嫌な人からのものなら、その場で受け取りを拒否されるのでは?」
「あ……。しそう」
つい言葉が出てしまって、慌てて口を閉じる。だが領主はムッとすることもなく、無言で何度もうなずいた。
「そうです。彼女ならきっとそう。突っ返すような気がします」
「苦手なものであっても、大好きな人からのものだから言い出せなかったのだとしたら……。それは好意があるということではないでしょうか?」
なるほどなぁ。だけど……。実は結構苦手なものだったもんだから、おそるおそる言い出してみたら、領主のほうが予想外のダメージを受けた、と。
で。
互いになんか距離を測りかねてオロオロしている、ということか。
「俺は女心なんてまったくわからんが、シトエンの言う通りかもしれんぞ?」
そう言うと、領主も神妙な顔で首を縦に振る。
「一度アンナ夫人と話し合ってはいかがですか? きっと彼女も領主殿からのお声掛けを待っているような気がします」
「それがいい。本当に手放したくないんなら、自分の傷なんて恐れるな。どんどん行け、どんどん」
言ってから笑ってみせた。
「なんてったって、俺なんて見合い全敗だったからな! それに比べたら領主なんて!」
「なんと、そうだったんですか」
ようやく領主が笑う。
「おうよ! シトエンに会うまで何度断られたか! しまいには俺の副官が『団長が結婚するまでぼくもしません』とか言い出すから、焦る焦る。早く結婚しないと、副官がじじぃになると真剣に悩んだもんだ」
言ってて悲しくなってきたが、この場が和むのならいいか。
そんなことを思っていると、いつの間にかシトエンが俺の顔を見上げていた。
「なに?」
「いえ。じゃあわたしは運がよかったんだなぁ、と思って」
「運がいい?」
「ええ。だって次のお見合いでサリュ王子の心を射止める人が現れたのかもしれないでしょう? その前にサリュ王子と出会えてよかった」
俺の運がいいんです―――――――――!!!!!!
シトエンと結婚できるなんて、俺一人!!!!!
そのひとりに選ばれた幸運んんんんんんんんんんん!!!!!
それを俺は、毎日ひとりで噛み締めています――――――――!!!!
「じゃあ、一度アンナと話し合ってみます」
俺が幸せに打ち震えていると、領主がきっぱりした口調で言った。
「おう、それが大事だ!」
「頑張ってください!」
シトエンもこぶしを丸めて応援した時、ドアノックが鳴る。
「モネです」
「ロゼでーす」
ラウルが手回ししてくれたらしい。
「入れ」
声をかけると、扉が開いて、男装姿のふたりが入ってきた。
それだけじゃない。
「あれ? グランデ先生」
シトエンが目を丸くする。
ロゼの後ろからおずおずと顔をのぞかせたのは、のっぽの青年医師だ。今日は非番だったんじゃなかったか?
「なんかねー、このお医者さん、シトエンさまに聞きたいことがあるんだって。領主館の前でウロウロしてたから連れて来た」
お前なぁ。気軽になんでも連れてくるんじゃないぞ。
「あの、マーロウ先生の代わりに来たのですが。よろしいですか? え、帰りましょうか?」
俺の気配に感じるものがあったのか、グランデはきょどりはじめた。
「少しの間なら……。サリュ王子、いいですか?」
「まあ、この場ですぐに済むのなら……」
「その……修道士がひとりもいなくなったのですが。こちらで研修かなにかを? あるいはシトエン様のお手伝いをされている、とか?」
グランデは心底不思議だとばかりに尋ねるのだが。
俺とシトエンは硬直した。
すぐに脳裏に浮かんだのはジル修道士。
シトエンのことを知りすぎている上に、領に来たタイミングが良すぎる。
やはりやつらか……?




