13話 ブランベルト領の不安
その後すぐに俺とシトエンは、医師のグランデとマーロウを連れて長兄の執務室に移動した。
「夜分にすまんな」
執務机で事務処理をしていた長兄は一瞬手を止め、「しばらく待て」と言ってからサラサラとなにごとか書き付けた。
その書類をくるくると巻きつけると、控えていた侍従官が筒を差し出した。そこに長兄が書類をおさめる。筒を使っているってことは重要書類なのかもしれん。というか遅くまで仕事してるんだなぁ、長兄。
「さて。概要を説明しよう」
侍従官が筒を持って退室するのを見計らい、長兄は俺達4人を一瞥した。
なんとなく皆が無言で一歩ずつ執務机に近づく。長兄はそれを待って口を開いた。
「王都の近領ブランベルト領でのことだ。領民たちが同じような症状の病で苦しんでいる」
「ブランベルトって……。目と鼻の先じゃないですか」
王都の真東だ。グランデとマーロウも眉をひそめている。
「同じような症状とおっしゃいましたが、具体的にはどのような?」
シトエンが静かに尋ねる。
「嘔吐下痢、腹痛、あとは時折錯乱する者もいるとか。すでに数名の死者も出ている」
頭をよぎったのは、シーン伯爵領での感染症騒ぎ。
あれも腹を下すのではなかったか? そこから倦怠感が続き、肌が青黒くなってむくんで死ぬとか。
「シーン伯爵領での脚気騒ぎも、発端は下痢というか、食中毒でしたね」
俺と同じことを考えたのか、グランデがシトエンに話しかける。シトエンはうなずいた。
「下痢嘔吐がきっかけとなって、体内の必須栄養素が奪われてしまい、結果的に脚気心を引き起こしていました。ですが、シーン伯爵領でのことは、あくまで特徴的な食生活が前提でのことです」
そう。ミラ皇国からの亡命者が対象の病だったのだ。
「ブランベルト領でも、なにか特徴的な食生活があるのでしょうか?」
シトエンが尋ねる。長兄はきっぱりと首を横に振った。
「ない。今回病が発生した地区は鉱山地区だ。領民は代々鉱山夫。開発権を持つブランベルト領主に雇われている関係で、勝手な移動や転出は認められていない」
「引っ越しもできないんですか?」
シトエンがこそっと尋ねてきた。その顔は驚いているようだ。うなずき、俺も小声で説明する。
「鉱山開発の技術なんかが流出したら大変だろう? だから囲い込みだ。そのぶん、給料はいい」
「なるほど。確かに技術は宝ですよね。タニアの鉱物資源採掘の方法も秘匿中のものがあると聞いています」
そうそう。シトエンの母国であるタニア王国は鉱物資源で潤う国だからな。
「この集団発生した病が伝染病である場合、王都に近い関係もあり早急に手を打たねばならん」
長兄の言葉に、誰もが背筋を伸ばす。
「……領を封鎖、ということですか」
となれば逃げだす領民も出てくる。そこを押し戻したりなんだりしていたら、自国民同士の争いになりそうだな……。
「最悪の事態になれば、王都を封鎖だ」
淡々と長兄が言う。
……仕方のないことではある。
王都は王族が住んでいる、というより国家運営のかなめだ。ここが災害や病で打撃を受けたら、他国侵入をゆるすきっかけになってしまう。
だが。
それを自国民がどう思うかは別だ。
『王族だけが助かろうとしている』
そんな噂が流れれば、病じゃなく、今度は暴徒民が王都を襲うだろう。
誰もが最悪のシナリオを想定して押し黙る中、マーロウが挙手をした。
「鉱山夫たちが中心になって病が発生しているのであれば、発掘中になにかこう……ガス的なものが発生したのでは? 感染症ではないのではないでしょうか」
マーロウが額の汗をハンカチでふきふき尋ねる。
「患者は鉱山夫だけではない。その家族も含めてだ」
長兄が言う。俺も首を傾げた。
「ガスを吸うと、咳が出るとか意識を失うというのは聞いたことがあるが……下痢とかあんのか?」
誰にともなく尋ねると、シトエンが教えてくれた。
「確かに毒性ガスを吸い込むと気管支や肺にダメージを受けますが、先ほど王太子殿下は精神錯乱ともおっしゃいました。脳にもダメージを受けますし、視覚野に影響が出る場合もあります。もちろん吐き気からくる腹痛というものも含まれるので……。一概に『毒性ガスだから腹痛はない』とも言い切れません。でも主訴として多いのは、やはり呼吸器系ではないでしょうか」
慎重にシトエンは言葉を選ぶ。
「ガスの可能性は少ない、ということでしょうか」
グランデが顎をつまみながら言う。
「現地に行ってみないとわかりませんが、家族も患者に含まれているのであれば、採掘中のガス事故ではなさそうですよね……」
シトエンがつぶやくように言う。長兄がそんなシトエンに視線を向けた。
「シトエン。直感でいい。この事態、どう見る」
「……その、患者さんを実際に見ていないので何とも言えませんが」
シトエンはしっかりとそこを前置きしてから眉を下げた。
「家族にも患者がいるということろに危うさを感じます。鉱山夫の誰かがなんらかの感染症にり患し、それが鉱山夫全体に広がった。そして、それが家族にまで広がったのなら……」
「領全体に広がるのも時間の問題、か?」
長兄の言葉に、ぞわりと鳥肌が立つ。
「その……家族は一番に感染しやすいのです。どうしても患者の排せつ物や呼気をあびるので……。もし、そういった経路で病が広がっているのであれば、これは感染症でしょう。どこかで手を打つ必要があると思います」
シトエンは言ってから、長兄をまっすぐに見る。
「ですが、どんな感染症でも……たとえば、健康な大人であればただの風邪とよばれるものでも、乳幼児や高齢者が感染すれば重大な結果を引き起こすことがあります。死ぬことだってあるでしょう。ですから、一概に『感染症だから最大級の警戒を』というのとはまた違います。ですから、ここで重要なのはその病は、『どのような症状を引き起こすもの』で『どこから発生したのか』が大事なのではないでしょうか」
「なるほど。ではシトエンは、発生源はブランベルトではないかもしれない、と?」
「患者第一号がどのように発症したかが大切です」
ふむ、と長兄は執務椅子に深く腰掛けた。
「どのような症状を引き起こすか、というのは、では下痢嘔吐、錯乱ということでしょうか?」
マーロウの問いに、シトエンはわずかに首をかしげて見せた。
「それも実際にみてみないと……。初期症状なのか、それとも末期症状なのか。今の段階ではなんとも申し上げにくいですね」
「その調査を、グランデとマーロウに依頼しようと思っているのだ」
長兄が告げた瞬間、ふたりの医者は若干宙に浮くぐらい驚いた。
「は……はあ⁉ え、我らですか⁉」
「ふたり⁉ ふたりで⁉」
オロオロする医者ふたりを、長兄は冷ややかに見つめた。
「宮廷侍医団に所属しているのだからそれなりの見識や技術があるのではないのか? サリュの傷も手当したろう」
「それはシトエン妃あってこそです!」
「そうです! あ、あの! シトエン妃はご一緒してくださらないのですか⁉」
すがるような眼でシトエンを見るから、俺がずいっと一歩出て背中にかばう。
さすがにふたりは顔を青ざめさせたまま、退いた。……けど、怖がらせすぎたかもしれん。カタカタと震えながらくっつきあっている。
「シトエンを王城から出すつもりはない。そうですよね、王太子」
「そうだな」
俺と長兄の言葉に、ふたりの医者は深くうなだれてしまった。
「あ、あの……。すみません、わたしがお役にたてず……」
俺の背後から顔だけ出して、シトエンが言う。
「「そんなことはない」」
俺と長兄の声がそろう。なんかほっとした。話の流れ的に、「シトエン、現地に行ってくれ」と言われるのかと思ったが、長兄もそこのところは理解してくれているようだ。
シトエンも俺たちの意見を汲んでくれたのだろう。「行きます!」とは言わなかった。
「現地から情報をください。わたしにわかることでしたらなんでもお答えしますので」
医者ふたりは泣きださんばかりの顔でがくがくとうなずいた。
「心配するな。ブランベルト領の領主には最大限の支援をするように伝えておく。お前達にはわたしの代理でもある旨を書いた綸旨もつけてやろう。とにかく、先遣隊として、現地でなにが起こっているのかつぶさに記録し、報告をするのだ」
こうして。
丸っこい医師とひょろ長い医師という、ふたりの先遣隊がブランベルト領の鉱山へと派遣された。




