36話 幕間2 白煙の消えたあと
「なにか紐のようなものでサリュ王子の左足の付け根で縛ってください。血が止まらないのです」
「わかりました」
ラウルは自分の剣につけている下緒を手早く解き、サリュの左足に巻き付ける。
「鼠径部……えっと、もう少し上で。本当に足の付け根辺りに」
「ここですか?」
「そうです。そこでグッと」
ラウルも手を血で汚しながらも的確に止血のための処置を行う。
そのおかげだろう。シトエンが押さえている傷からの出血が大分減ってきた。
(……だけど、この出血量……。はやく次の処置を)
シトエンはさらにラウルに指示する。
「ありがとうございます。あと、照明を……。とにかくたんさん明かりを持ってきてくださいませんか?」
「灯り? 蝋燭とかカンテラですか?」
「なんでもいいです。この程度の明るさではサリュ王子の傷が見えないんです。的確に血管を圧迫したいので」
「ならば投光器……あれなら反射鏡があるから明るい! 持ってきます!」
ラウルはよろけながらも立ち上がり、駆けだす。
「レオニアス王太子、お願いがあります」
「もちろんだ。なんだ」
茫然自失としていたレオニアスも気持ちを切り替えたらしい。まだ顔色は悪いが、いつも執務室で采配を振るう彼が戻ってきていた。
「宮廷医師団を緊急で呼び出してください。処置を手伝っていただきたいんです」
「わかった」
走り出す夫を見送り、ユリアが前のめりにシトエンに尋ねる。
「わたくしはなにをすれば⁉」
「ユリア様は厨房に行き、熾った炭と火箸を持って来てくれませんか?」
「……炭? 火箸?」
首をかしげるユリアに、シトエンは依頼した。
「熱した火箸で血止めを行います。先端がとがっている鉄の棒のようなものがあれば火箸でなくてもかまいません。あと、厨房のみんなに沸かした湯を大量に持ってきてほしいと伝えてください。タオルも」
「わかりましたわ!」
ユリアはスカート部分をむんずとつかんでヒールを鳴らしながら出入り口に向かう。
入れ違いに入ってくる気配に、シトエンは顔を上げた。
「護衛の騎士をたくさん呼んできたよ! え……サリュ王子⁉」
後半は悲鳴になっていた。
ロゼだ。
足音も荒く近づき、真っ青になってサリュの腕を掴んで揺する。
「サリュ王子……っ! どうしたの⁉ 血が……!」
「シトエン妃、あなた、お怪我は⁉」
続いて足早に近づいてきたのはモネだ。シトエンのすぐ側に片膝つくと、顔を覗き込んでくる。
「血まみれですがどこかに傷が……」
「わたしは大丈夫です、怪我はありません。いまからサリュ王子の傷の処置に入りたいと思いますので……手伝っていただけますか?」
「もちろんです。……ロゼ、ほら。そこを離れて」
とめどなく涙を流しながらサリュの手を握り続けているロゼを立たせようとするが、激しく首を横に振って言うことを聞かない。「ロゼ」。モネが呼びかけた声は、荒々しい足音に消えた。
「シトエン妃! 大丈夫ですか⁉」
真っ先に近づいてきたのは、数日前に意見交換会で熱心にシトエンに質問をした青年医師だ。その後ろからはゼイゼイと呼吸も絶え絶えに小太りの医師が続く。
「本日の王宮待機は我々ふたりです! 他の者についてはレオニアス王太子殿下の呼びかけで招集をかけている最中です!」
言いながらも手早く青年医師は診療鞄を開く。
「なにをすればいいですか? 指示をください」
「それではここに。わたしの代わりにガーゼで傷を圧迫してくださいますか?」
青年医師は鞄のなかからありったけの綿布を取り上げ、シトエンの側で跪いた。
「傷はここです。そうです。わたしが手を離したらすぐに圧迫を」
青年医師は頷き、合図でシトエンと圧迫を交代する。
シトエンが立ち上がると、小太りの医師がタオルを差し出す。礼を言って受け取り、血を拭いながらモネを見た。
「モネさん。いまから傷の処置をします。いまは意識がありませんが……。痛みで目を醒ます場合があります。ですので処置の間、サリュ王子を押さえておいていただいていいですか?」
「わかりました」
「ロゼちゃん」
シトエンが呼びかけると、ロゼは涙で濡れた顔のままびくりと身体を震わせた。
「そこを離れて」と言われると思っているのだろう。お尻をぺたりと床につき、サリュの手を握ったまま怯えたようにシトエンを見上げる。
「ロゼちゃんにもお願いしたいの。脈はわかる? 測ったことある?」
腰を屈め、そっとロゼに尋ねる。
「脈? 手首の?」
ぐすんと鼻をすすってロゼが言う。シトエンは励ますように頷いた。
「サリュ王子の脈をみていて。もし脈が弱くなったり、不定期になったら教えてね」
「わ、わかった」
ロゼは片手で涙を拭うと、真剣に自分が握るサリュの脈を探りはじめた。
「投光器、準備出来ます!」
ラウルが騎士数人と共に室内に入る。手に手に反射鏡がついたライトのような装置を持っていた。彼らだけではなく、他にもカンテラやオイルランプを抱えて騎士たちが大挙してやってくる。
「できるだけ傷を明るくしたいので……」
シトエンが指示をして照明の設置をしている間に、侍従官を従えたユリアが厨房から湯と火箸、火鉢を持って来る。
「そこの庭でいま湯をどんどん沸かしているの。足りなくなったらいつでも言ってちょうだい」
ふう、とユリアが額に浮かんだ汗を拭いながら言う。シトエンは礼を言うと、早速金盥に満たされた沸騰済みの水で手を洗った。
「これで……なにをなさるので?」
小太りの医師が訝し気に問う。青年医師も同じような表情だ。
彼らが見ていたのは、炭が熾る火鉢だ。シトエンは彼らを交互に見た。
「傷を塞ぎます」
「ならば油では?」
青年医師が言う。
「いいえ。熱した油は使用しません。もっとピンポイントにします」
この時代、大出血が起これば熱っした油を傷に注いでふさぐことが正しいとされた。
実際血はとまるが、今度は火傷によってショック症状を起こしたり、火傷による感染症のために大半が死亡した。
傷を縫ってもいいのだが、なによりこの出血量だ。もっと早く止血したい。
(本来ならレーザーメスで処置するのだけど……)
シトエンは火鉢に刺された火箸を手に取り、その太さに顔を歪める。
「こちらはどうかしら。それより先端が細いわ」
戸惑っている表情に気づき、ユリアが調理で使用する金串を差し出す。だがこれでもまだ充分とはいえない。手に持った感じも若干不安定だ。
(でも……火箸よりは)
とにかく出血を止めなくては。意を決したとき、ロゼが「あ!」と声を上げた。
「お姉ちゃん! あたしのナイフ!」
素早くモネが駆け寄り、ロゼの革ベルトに取り付けられたホルダーを外す。
「シトエン妃。これはどうですか?」
モネが差し出したのは、ナイフのような握りがついていたが、剣部分が錐のように極端に細い。アイスピックよりもさらに鋭利だ。レイピアの短刀版のようにも見えた。
「接近戦でプロテクターの隙間に突き刺す武器なのですが……」
「これを使用しましょう」
シトエンが頷くと、小太りの医師が消毒液を手渡してくれる。
「準備をします。合図をしたらガーゼを外して衣類を破り、傷を洗浄してくださいますか? 出血箇所を確認後、わたしが素早く焼きます」
青年医師と小太りの医師は緊張した面持ちで頷く。
「火鉢をサリュ王子の側に。このナイフと……念のため金串も熱してもらえますか?」
「わかりました」
侍従官たちが手早く準備をする。
シトエンはサリュを見た。
彼の持つ騎士団の団員たちは手に手に明かりを掲げて立っている。
口々に励ましの声をかけ続けており、涙声のものもあったり、いたわるような優しい声もある。
そのいずれもが彼への祈りのように思えた。
(明かりは十分)
サリュの傷口を押さえている青年医師の側に座ると、シトエンは目を閉じたままのサリュの顔を覗き込んだ。
「サリュ王子。わたしだけではなくみんながあなたを呼んでいます。早く戻ってきてくださいね」
声掛けのあと、そっと彼の頬に口づけを落とす。
そのあと毅然と身体を起こし、「処置を始めます」と宣言した。




