30話 幕間1 宰相
◇◇◇◇
手引きされ、宰相が連れていかれたのは、王城からほど近くにある空き家だった。
いや厳密には小屋なのだろう。
朽ちかけた様子に宰相は顔をしかめる。
案内の男は外で待機するつもりのようだ。ランタンの火を消して、無言のまま顎で中を示す。宰相は頭からフードを被ったまま、倒れて意味をなさない戸を踏んで中に入る。
真っ暗だ。
ここにも灯りと呼べるものはない。たぶん窓枠であったところから入る月明かりだけが光源だった。
「すまんな、わざわざ来てもらって」
薄暗がりから声がし、月光の中に男が入ってきた。
清掃人と呼ばれる暗殺集団の‶頭領〟だ。
一見、商人のような服を着ている。
年は40代前半。いや、もう少し若いかもしれない。正確な年齢を宰相は知らない。
興味もない。
彫りが深い顔は整っており、ルミナスにいてもタニアにいても。どこにいてもなぜか『異国風』に見える顔立ちをしていた。
木綿のシャツに麻のベスト。革ベルトには巾着がぶら下げられていて、腰にはいつも横笛を挿している。
「待ち合わせ場所の変更はやめてもらいたい」
苦々し気に吐き捨てる。
本来であればティドロス王宮のどこかに男の仲間を忍び込ませ、情報を交換する予定だった。
「悪い、悪い」
頭領はあっけらかんと笑った。
「さすがティドロスというか……なかなか仲間が王宮に入り込めなくてな。あんたに出てきてもらう方が早かった」
頭領は窓枠らしきものに少しだけ腰を掛けた。
ぎしり、と小屋全体が軋み、崩れるのではないかと宰相はひやりとしたが本人はまったく意に介していない。
「まあ、安心してくれ。いま、ふたりほど侵入に成功した。最終日までに間に合ってやれやれだ」
「なにがやれやれだ! 何度失敗したと思っている!」
失敗続きだというのに、頭領の緊迫感のなさに苛立ちが爆発した。
予定のすべてを教えてやったというのに、襲撃はすべて未遂で終わった上に、ルミナス王国が関与していることを示す証拠を残した。
馬車での襲撃など、順列まで教えてやったのにこのざまだ。
宰相は怒気をにじませた声で叱責するが、頭領はへらへらと笑ったまま。
この男の真意が時々読めない。舌打ちし、宰相は一歩踏み込んだ。
「もうあとはないぞ。あの王子、竜紋の影響を受け始めている」
潜めた声に、ようやく頭領は笑みを消した。
フードの奥にある宰相の顔を射抜くような視線を向ける。
「ということは……あの竜紋を持つ娘、本物か」
「間違いない。医療知識に特化した記憶はシトエンしかないようだが……ほかの記憶を共有されれば厄介だ」
宰相は奥歯を噛み締める。
竜紋を持つ者。
その秘密にふれたのは、自分が敬愛するノイエ王がカラバン連合王国の代表になったときだった。
きっかけは本当に偶然だった。
タニアにいる友人が「お前に話したいことがある」というので休暇を兼ねて会いに行ったのだ。
秘されたタニア史に憑りつかれたような男で、とうとう妻子を放り出してタニア王国に住み込み、情報収集をしている一風変わった男だった。
『竜紋を授けられた者の意味がわかったぞ』
久しぶりの挨拶もそこそこに、友人は目を輝かせて語った。
それは、前世の記憶がある者にのみ与えられるのだ、と。
宰相は当初、うさんくさく思いながら友人の話を聞いていた。
竜紋とは、奇妙なタニア王国独自の風習。それ以外にあり得ない、と。
だが友人は熱く語る。
では、お前に問う。古代タニア王国に突如現れた数々の技術はどこからきたのだ、と。
いきなり現れた堅牢な棚田。
災害にも崩れることのない灌漑設備。
正確で狂うことのない暦。
鉱物資源を余すことなく有効活用する技術。
それらの知識は。
いったいどこからきたのか。
誰がもたらしたのか。
『タニア王国創国に深く関わる黒竜が、タニア王国発展のためにその魂を別世界から運びこんでいるのだ』
友人は熱心に語り、そして続けた。
『もし竜紋を持つ者とルミナス王家との縁組が叶えば……その知識を我が国に役立てるやもしれんぞ』
もちろん宰相とてすべてをうのみにするわけにはいかない。
友人宅を辞し、自分でも調べてみた。
だがさすがすべてが秘匿されているだけある。ほぼ何もわからない。だんだんと友人の言っていたことがでたらめだったのではないかと思っていた時。
友人が、タニア王国の貴人を連れて来た。
『あなたの友人に根負けしましてね。まあ……私の命は病のために残り僅か。絶対に秘密にしてくれるというのなら、少しだけお話しましょう』
その貴人は苦笑いして、自分のふくらはぎにある竜紋を宰相に見せてくれた。
『あなたの前世の知識は何なのですか?』
丁重に礼を尽くして宰相が問うと、貴人はおだやかに笑った。
『それを語ったところであなたは信じないでしょう。というより、理解できない』
『どういうことです?』
眉根を寄せる宰相の目の前で、貴人は持っていた扇子を落として見せた。
『いま、なぜ扇子は落ちましたか?』
『それは……あなたさまが手を離したからで……』
『そう。手を離したため、重力にひかれて扇子は落ちたのだ。もし重力がなければどうなる? あるいは、重力のない世界がこの空の上にあると私が言ったら?』
宰相はぽかんと貴人の顔を見つめた。
『我々は、言葉は万能だと思いすぎている。だが、言葉では通じ合えぬこともあるのです。それが文化だったり最低限の知識だったりする。だからねぇ、あなたのご友人にも常々言っているのですが』
貴人はやっぱり困ったように笑った。
『竜紋を持つ者を手に入れたからといって、その知識を活用できるかどうかは別ですよ。それには条件が必要だ。……失礼ながら、ルミナスにそのような寛容さがあるとは思えない』
む、とした宰相に、貴人は自ら扇子を取り上げながら呟くように言った。
『例えば……竜紋を持つ者の中には、特殊な者もいてね。自分の記憶を誰かに注ぎ込んで共有できることもある』
『どういうことですか?』
『百聞は一見にしかず、というではありませんか。私の生きていた世界を見れば、私の言っている意味がわかることある、ということです』
貴人はわずかに首を横に傾げる。
『ごくまれに、そんな竜紋を持つ者が現れます。もし、ルミナス王国に縁づく方がそういう方なら……』
あなたがた、せいぜい大事になさい。
そう言った貴人は最後まで『このことは他言無用ですよ』と念押しをした。
その後すぐに病のために他界したという。
(貴人が言っていることが本当だったとしたら……)
ルミナス王国は素晴らしい技術的知識を得るかもしれない。
宰相はすぐに竜紋を持つ娘の獲得に走った。
もし年頃の娘がいるのであれば、他国に流出することを防がなければ。
敬愛するルミナス国ノイエ王には竜紋の真の意味は伝えず、「タニア王国との縁組があれば承諾してもよろしいか」と上申していた。ノイエからの返事は「諾」。
すぐに宰相はあらゆる伝手とカネを使って手に入れた。
竜紋を持ち、タニア王の覚えもめでたく賢く、見目麗しいシトエン・バリモアという娘を。
「シトエンは本物だったのだ……」
宰相は拳を握りしめた。肩が細かく震える。怒りと悔しさのために。
それなのにあの愚かな王太子と中身のない娘が放り出してしまった。
「それでどうするね?」
まるで明日の食事内容を聞くような声がさらに腹立だしく、宰相はギリと睨みつけた。
「消すしかないだろう! 我が国のものにならなければ、誰のものにもならぬようにせねばならぬ。いまはまだ、あの王子……戸惑うばかりで気づいてはおらぬようだ」
そう。
あの王子は確かに竜紋の影響を受けている。なんらかの記憶にひっぱられたことがあるようだ。
だがその原因には気づいていない。そもそもティドロス王家は竜紋の真の秘密をまだ知らない。
縁組の際、タニア王国もシトエン自身も竜紋についてなにも語らなかったのだろう。
「ティドロス王家が秘密を手に入れる前に、シトエンを殺さねば」
ただでさえ大国なのだ。このうえ特殊技術まで手に入れられてはたまらない。
「ついでに巻き添えをくった形でもなんでもいい。あの見るだけでイライラするメイルも消してしまえ」
宰相は吐き捨てる。名前を言うだけで忌々しい。なぜ賢明なノイエ王までが王太子の婚約者として認めようとしているのか。あんな娘を王家に迎え入れれば崩壊が始まってしまう。
唐突に頭領が弾けるように笑いだすから奥歯を噛み締めて睨みつける。
「はいはい、悪かったよ。あんたよっぽどメイルが嫌いなんだなぁ。いい子だぞ、あれは。天真爛漫だ」
「黙れ!」
「あ、そうだ。明日の襲撃だが」
頭領はあっさりと話題を変える。窓枠から腰を上げ、腕を組んで斜交いに宰相を見た。
「舞踏会終了後、仲間が隙をうかがって始末する。そのとき、ひょっとしたら煙球を使うかもしれん。なぁに、身体に害はない。だが視界は悪くなるから気をつけてくれ」
ふん、と鼻を鳴らして背を向けようとした宰相だが、ぴたりと足を止めて頭を振り返る。
「お前にひとつ尋ねたい」
「なんでもどうぞ」
「馬車での襲撃だ」
へらへらと笑う頭領の顔を見据えて宰相は言う。
襲撃は二台目。
そう伝えていた。
本来であればサリュとシトエンが乗っている馬車。
メイルが余計なことを言ったために乗っているメンバーは変わったが、シトエンが二台目に乗っていることに変わりはなかった。
本来、馬車は二台目だけ襲撃されるはずだった。
「なぜ三台目も狙った」
「なんか乗っているメンバーが違ったみたいだったからさ。すまんすまん。間違えたんだ」
ひょいと肩を竦め、口をへの字に曲げて見せる。
「仕方ないじゃないか。乗車直前に予定が変わったんだしさ」
「戦棍を落としたのもわざとではあるまいな」
宰相はじっくりと見つめる。
陽気に笑うこの罪悪感などかけらもない男。嘘をついているかどうか。
ひょっとして。
自分を裏切ろうとしているのではないか、と。
「本当だって。悪かった、このとおりだ」
頭領は握った右こぶしを左胸に当て、ぺこりと頭を下げて見せる。
宰相はしばらくじっとその姿を見ていたが。
「今度こそ成功させろ」
宰相はそれだけ言って足早に小屋を出て行った。




