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3章:透明な血

 工場にいた全員が息をのむ音が聞こえた。自由の身になった金髪少年も、僕と目を合わせようとしない。


「誘拐も何も、お前たち四人は自らの意志でこの廃工場に集まったんだ。渦の正体は自殺サイトの管理人ってところか」

「……何を言っているのかわからないよ、兄さん」


 一度目のビデオ通話で、収は僕のベッドを収納した場所や、父さんが飲みに誘いたがっていることを教えてくれた。


 冷静に思い返せばあれば遺言そのものじゃないか。


「その肩の怪我だって、偽物だろ?」


 僕は金髪少年の右肩に今も刺さったままのナイフを強引に引き抜いた。シャツの裏で、血のりのパックがかすかに浮き上がっている。刃の先端を指で押すと、簡単に内側に引っ込んだ。


「演技で失禁までするとは恐れ入ったよ」


 金髪少年は舌打ちをして俯いた。


「他の二人も一撃目はダミーだったんだ。いくら自殺とはいえ、怪我したまま何時間も過ごすのはさすがにね」


 計画がうまくいったとして、彼らの遺体はどうなるのか。証拠を隠滅した上で放り出すのか、あるいは人目につかないようこの辺りにひっそりと埋葬するのか。


「兄さんの言う通り集団自殺だとして、どうしてこんな回りくどいやり方にするのさ。練炭とか電車に飛び込むとか、方法はいくらでもあるじゃないか」

「僕たちに恨みを残すため」

「……っ!」


 収の黒目が大きく揺れる。


「この計画の肝は、憎んでいる相手……カメラの向こうにいる僕たち視聴者に、自分を殺させるという事実だ。視聴者は、渦を通して間接的に家族を殺めてしまった罪悪感や、もし世間にばれたら罪には問われずとも糾弾されるかもしれないリスクから、進んで警察に通報することはない。だからこそ、渦のこれまでの犯行が露呈することはなかったんだ」

「……そんな都合よく、いくのかな」


 収の言い分はもっともだ。この計画の成否は、人の感情に大きく左右される。


 僕は自分の本心と真正面から向き合った。


 観測し、束ねて、言葉にする。


「平気だよ。だって視聴者たちも……僕も、収のことを憎んでいたから」


 収がはっとして、顔を上げる。表情にいつもの穏やかさはない。




 眉間の皺を寄せ、唇を噛みしめている。露わになったのは激しい憎悪だ。


「兄さんは……俺を見捨ててあの檻に閉じ込めた」

「僕は褒められて、認められて、肯定される収がずっと羨ましかった。同じ家族なのに、どうして僕だけこんなに虐げられるんだろうって。それに収ならうまく両親とやっていけると思ったんだ」

「嘘だ。自分は家にいる権利がないなんて大義名分をかざして、本当は自由を手に入れるために家から逃げたんだ」

「僕に居場所がなかったことと、収への期待は別の話だよ。母さんの欲求には上限がない。子どもを通して、自分が送れなかった人生を歩ませようとしているだけだから」

「俺は兄さんの分まで期待を背負わされて、第一志望の大学に入ってからも全くと言っていいほど自由がなかった。家に帰れば就職や将来の話ばかりされ、大学のことなんてちっとも訊かれない。サークルだって何度も辞めさせられそうになった。最後の矜持をもって拒否したら、とうとう実力行使に出たよ」


 収がズボンの左裾を上げ、包帯を見せつける。


「昨日、階段から落ちて捻挫したって教えたよね」

「……まさか」


 想像し、悪寒が走る。


「ああ、母さんに突き落とされたんだ。あの人はわざとじゃないって言い訳していたけれど、俺にはもう信じられないんだよ。だけど家を出ることは認められない。勝手に一人暮らしをしたら退学させるって言うから。


 兄さんがもっとうまくやっていれば、俺は自由でいられたのに。大学受験に失敗したのだって、わざとだろう? 俺を生贄にするために。どうせ就職したって恋人ができたって、この束縛は続くんだ。だったら望み通り犠牲になってやろうと思ったんだ。そして根付くのさ。兄さんが楽しんだり喜んだりするたびにそのポジティブな感情を養分にして、アンタの心の奥深くに、怨嗟の念で生き続けるんだよ!」


 僕は進学を機に、地獄から脱出した。しかし弟は、今なお地獄の底にいる。無限に続く苦しみから逃れられないと悟った者が起こす行動は、一人でも多く、同じ場所へ引きずり込むことだ。


「……僕は心から、あの人たちに認められたかった。収と並び立つためにも」

「……俺と?」

「お前は自慢の弟で、兄弟で比べられるたびに自分が哀れになった。勉強でもスポーツでもコミュニケーションでも、何ひとつ勝てる要素はなかった。そのうち、挑むことすら恐れ多くなって、ちっぽけな自尊心を優先するようになっていたんだ。僕も結局、両親と同じことを収にしていた。僕は収を自慢の弟でいさせ続けるために、本気で戦うことから逃げていた」




 だから、ごめん。




 僕は深々と頭を下げて謝罪した。




「……何だよ、それ。謝ったモン勝ちかよ」


 収の声は震えている。怒り、嫉妬、恨み、様々な色がぐちゃぐちゃに混ざっている。


「………こっちだって知ってるんだよ。俺を守ろうとしていてくれたことくらい。兄さんのことはムカついてたし見下してたけど……」


「でも、心から嫌いにはなれなかったんですよね?」


 僕たちは同時に、声の主を見た。


「他の視聴者も同様です。彼らはみな、拘束された家族のことを憎みながらも愛していた。だからこそ間接的な殺害を悔やみ、それぞれ咎を一人で背負い、これまで事件は表面化しなかったのです」


 向野さんは静かに、説教のような嫌味たらしさもなく、こうあってほしいという願望のような口調で語り続ける。


「自殺志願者たちの心にあったのが憎悪だけだったなら、あるいは死を選ばなかったのかもしれません。理解してほしい人、そばにいてほしい人、愛してほしい人と心を通わせられなかったからこそ、間違った方法で心に棲みつこうとしてしまった。ただ、妥協した手段を選んだところで決して相手に根付いたりはしません。届いたとしても表面的なもので、時が経てば根っこは抜けてしまうでしょう」

「……だったら、今さらどうすれば」

「今さらなんてことはないでしょう。あなたも束さんも、こうして生きているんです。だったら道は明白ではないですか」


 さぁ、と向野さんが手を伸ばす。収は迷うようにしばらく見つめていたが、やがておずおずと握った。半日前の自分と重なる。


向野さんの手を支えに収はゆっくりと立ち上がり、僕の正面に立つ。




「…………俺の方こそ、ごめんなさい」




 床に一粒の滴が落ちる。




 それは痛みと後悔を孕んだ、心から流れる透明な血だったのかもしれない。

次回、最終回。

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