3章:守るべきもの
ランプ、イチボ、カイノミ、ハチノス、サンカク、ミスジ。
シマチョウ、マルチョウ、ミノ、ザブトン、ヒレ、テール。
レバー、タン、バラ、ハラミ、ロース、カルビ。
僕は焼肉が大好きだ。
焼肉はシンプルでいい。
肉を焼く、ただそれだけ。食事中は難しいことを考えなくていい。
でも、美味しく食べるために思考を巡らせるのも楽しいんだ。レモン汁も良し、塩コショウも良し、ポン酢も良し、塩ダレも味噌ダレも甘口ダレも辛口ダレも良し。薬味にネギ、ニンニク、豆板醤、胡麻を使うのも良し。サンチュもサムギョプサルも即席焼肉丼もまた良し。
ゆえに今日という日を、僕はとても楽しみにしていた。
今夜は都内の超高級焼肉店『水山園』で向野さんと食事の約束をしている。水山園といえば、政治家や芸能人が御用達とテレビでしばしば取り上げられており、予約は半年先まで埋まっているのが当たり前。肉一枚で千円、盛り合わせで五千円、コースは一番下でも万単位だ。
一介の大学生である僕がどうしてこの店に行けるのかといえば、過日に週刊リアリィの記者・小原愛理からもらったアルバイト代を懐に忍ばせているからだ。
取材の手伝い賃&怪我の治療費&会社からの口止め料として押し付けられた大量の万札をいつまでも手元に置いておく気にはなれず、かといってお金のかかる趣味も持っていないので、前々から気になっていた水山園に思い切って電話をしてみたのである。
通常であれば年内の予約は難しかったが、僕が問い合わせる直前にキャンセルが入ったため、奇跡的に一か月後に高級焼肉を堪能できることになったのだ。向野さんへのお誘いは事後となってしまったが、即答でOKしてくれた。
斑目の事件では向野さんに肉体的・頭脳的にお世話になったからご馳走するつもりだったものの、断固として拒否されたので今日は割り勘になりそうだ。やはり彼女も今回のバイト代はあぶく銭という考えなのだろうか。
そもそも、向野さんの生活費はどこから捻出されているのだろう。普通のアルバイトはすぐにクビになってしまうらしいから、働く以外の方法でまとまったお金を調達していると推察できる。僕と同じように奨学金か、あるいは両親からの仕送りか。
そういえば向野さんの口から親の話を聞いたことがない。フレンドリーでよく笑顔を見せる彼女が家庭環境に不和を抱えているとは思えないが、それは僕の勝手な期待だろうか。もっとも僕だって、進んで他人に我が家の事情を話したりはしないが。
『キミが本当に守るべきなのはキミ自身よ』
オープンカフェで小原さんから言われた言葉が頭をよぎる。
僕はいつだって自分自身を第一に考えているつもりだ。自らの心を守るために家族と物理的に距離を取り、人付き合いも浅く狭く必要最小限に、落伍者とはいえ将来のために勉強もそれなりに継続し、何より分不相応な出来事には首を突っ込まない……つもりだった。
それなのに向野さんと出会ってから、僕のコンパスは少しずつ向きを変えているようだ。方向音痴の僕には針がどこを指しているのかさっぱりだが。
今は七月の上旬。梅雨はまだ明けておらず、毎日じめじめとした空気が肌を纏っている。それでも今日は、久しぶりに晴れやかな気持ちになれそうだ。
少なくとも家の玄関を出るまではそう思っていた。




