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2章:最後のチャンス

 週が変わり、僕はいつもの生活に戻っていた。


 顔はまだ若干腫れており左目に眼帯を付けているが、失明や視力低下の心配はないらしい。口元が切れてしまったため食事がうまくとれないのが辛いけれど、一週間もすれば治るだろう。


 知り合いやアルバイト先には会うたびに理由を尋ねられ、都度「酔っ払いに絡まれた」とごまかした。


 今のところ、皮木からインタビューの連絡は入っていない。向野さんの電話も鳴っていないそうだ。


 そもそも今は、僕らに取材している余裕なんてないはずだ。




 あの日、僕は向野さんのマンションで傷の手当てを受けてから、家路についた。ベッドに入ったのは明け方だったから、午後まで泥のように眠る……と思いきや、就寝の一時間後には電話で叩き起こされた。


 スマホの画面に表示されていた名前は、小原愛理。前の晩の出来事を聴取されるかと身構えたが、内容を聞いて寝床から飛び跳ねた。




『皮木が斑目を暴行する動画が出回っている』




 送られてきた動画サイトのURLをパソコンで開くと、リアリィ本社の駐車スペースで斑目を足蹴にする皮木や、満身創痍の僕が映っていた。遠くからズーム撮影しているらしく僕や斑目の声は入っていないが、興奮した皮木の、過激な主張はしっかりと収められている。顔も、知り合いであれば特定できるレベルの鮮明さだ。本人の姿や声だけならまだしも、社名が載ったプレート看板もばっちり映っているので、言い逃れは難しいだろう。


 動画投稿から二時間も経っていないにもかかわらず再生数は万単位に突入しており、SNSでも拡散され炎上の様相を呈している。


 電話の最後には「これほど月曜日が憂鬱と思ったことはないわ」と嘆いていた。


 そんな小原さんと、放課後に直接会うことになっている。言われるまですっかり忘れていたが、取材のアルバイト代を受け取るためだ。無償でも構わなかったが、結果的に僕に怪我を負わせてしまったことへの、会社としての口止め料も兼ねているらしい。あえての手渡しなのは、オフィスから離れる理由が欲しかったからか。今ごろ社内は電話の嵐に違いない。


 場所は駅前の居酒屋……の隣にあるオープンカフェだった。僕が到着すると、既に小原さんがエアコンの効いた店内でアイスコーヒーを嗜んでいた。向かいの椅子に座り、同じものをオーダーする。


「麗央を守ってくれてありがとね」


 第一声は何が来るかあれこれ予想していたが、答えはいとことしての感謝だった。勝手に斑目の先回りをしたことを咎めるつもりはないみたいだ。


「守ったというよりただの肉壁でしたけどね」

「充分よ。充分すぎるわ。あの子には味方が必要だもの」


 目の前に置かれたアイスコーヒーをぐいっと流し込む。喉がキィン、と冷える感覚が気持ちいい。


「あとこれ、バイト代ね」


 中身を確認するまでもなく、分厚い。こんなお金を生活費としてチマチマ使っていたらバチが当たりそうだ。今度向野さんをお高めの焼肉屋にでも招待してみようか。


「それにしても、こんな昼間に会社を空けちゃって大丈夫なんですか?」

「うふふ」


 含みのある笑いだ。


「電話は鳴り止まないし、ホームページはダウンするし、編集長は上の人から呼び出されてずっと会議室から出てこないし、てんてこ舞いよ。アイドルの熱愛スキャンダルをスクープした時だって、ここまでクレームは来なかったわ」


 思い出した。かつて僕が応援していたアイドルの合コンスキャンダルを報じたのは週刊リアリィだった。担当ライターは小原さんだったのか。


「どういう着地をするかはもはや予想できないわね。編集長が斑目を背後から竹刀で叩くところから始まって、犯罪被害者を冒涜する発言もばっちり聞き取れちゃうんだもの。キミたちの顔が映っていなかったのは不幸中の幸いよ」

「……斑目は、この後どうなったんでしょうか」

「今のところ自首したって話は聞いてないわ。わたしもメールを送ってみたけれど、返事は来ていない。事態を静観して、ここぞというタイミングで皮木の暴行を受けた被害者として名乗り出るつもりなのかもね。結果的に斑目にとっては、皮木を殺すより効果的な復讐になるかもしれないわね」


 自業自得、因果応報といえばそれまでだが、これじゃあいじめのターゲットが変わっただけにしか思えないのは僕だけだろうか。


「編集長のやり方に疑問を持っているスタッフは少なからずいたけれど、今回の件で退職者がかなり出るのは間違いないわね。それどころか、週刊リアリィの存続自体が危ういかも。当然の帰結かしら。正直、わたしもそろそろフリーになろうかなって思ってたしね」


 小原さんのグラスのコーヒーはとっくになくなっており、茶色い水が底に溜まっていた。


「さて、もっとキミとお話したいけれど、そろそろ帰ろうかしら。さすがに直帰はまずいしね」


 二人分のドリンク代が記された伝票を握り、小原さんが立ち上がる。おそらく、この人と会うことはもうないだろう。


 だから、これが最後のチャンスだ。




「……ひとつだけ、気になることがあって」

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