2章:仕事
「お疲れさーん」
うつ伏せで悶える斑目の背後に立っていたのは、週刊リアリィの編集長であり、今回の事件の元凶とも呼べる人物、皮木想太だった。茶色い丸眼鏡の奥の瞳は愉悦の色を帯びていた。右手で握った竹刀の弦を肩に当て、歪んだ笑みを浮かべている。
「馬鹿な……もう出てきたのか……ぐあっ!」
うずくまる斑目の背中を蹴り飛ばし、さらに頭を踏みつける皮木。空いた手でスマホを取り出し、足の下をパシャパシャと撮影する。
「非常階段でタバコ吸ってたらお前らが見えたからさ。来ちゃった。やっぱり俺が狙いだったんだな、斑目」
「やっぱり……?」
僕の疑問符に、皮木は得意げな表情で説明を始めた。
「知ってたか? 取材してたあの会議室、もう一個ボイレコがあったんだぜ。俺が椅子の裏に張り付けておいたやつだ。内容を聴いてみて、俺を殺すつもりだってことはなんとなく気づいたよ。今日は尾田美波の命日だしな」
皮木は執拗に、斑目の背中を竹刀で叩き続ける。
「ボクシングが得意なんだってな? 俺も学生のころは剣道で全国大会に行ったんだぜ? 今は筋トレの一環で素振りするくらいだけどよ。少年が気を引いてくれたおかげで、綺麗にメーン! って入ったな、ははは」
「もう止めてください! これ以上やったら斑目が……」
ギロ、と効果音の聞こえてきそうな鋭い目つきで、皮木が僕を睨みつける。
「おいおい、子どもが甘っちょろいこと言ってんじゃねえよ。これは仕事なんだよ。雑誌が売れなかったら、従業員は路頭に迷うんだぜ。お前に責任とれんの?」
「そういう話じゃなくて……」
「そういう話なんだよ。俺はそういう話しかしていない。コイツの計画とか、尾田美波が殺されたとか、母親が自殺したとか、どーでもいい。俺は自己実現でも社会貢献でもなく、金のために働いてる。俺はただ、仕事をしているだけだ。死にたいやつは勝手に死ね。復讐もご自由にどうぞ。俺はその全部を利用して金に換えるだけだ」
皮木の主張は大人として、社会人として、責任ある立場として、間違っていないのかもしれない。奨学金やアルバイトで生活をしている僕には想像できない苦労も抱えているのだろう。
でも、嫌いだ。
「お前の考えていることなんて大体わかるぜ? 俺がもっと他人に寄り添える人間だったら、今回の事件は起きることもなかったって言いたいんだろ? だが俺からすれば、事件が起きてくれてありがとうって感じよ。おかげでこうして大スクープの瞬間に立ち会えたんだからな!」
全身の血が沸騰するような感覚だった。赤い感情は動脈から声帯に伝わり、声になる。
「あんた、いい加減に……!」
「もういいよ、大丈夫」
僕を止めたのは、皮木にいまだ踏みつけられたままの斑目だった。
「怒ってくれてありがとう。大人になっても、どうかその気持ちは忘れないでくれ。あと、痛い目に遭わせてすまなかったね、へへ」
感謝と謝罪。もう状況が好転することはないと悟ったのだろう。
敗北宣言と受け取ったのか、皮木は今日一番の下卑た笑みを作った。
「俺はこれからコイツにインタビューするから、とりあえずもう帰れよ。心配しなくても、これ以上痛めつけたりしねえからさ。こっちが犯罪者になっちまう。近いうちお前らにもインタビューかけるから、連絡したらオフィスに来いよ。小遣いくらいは払ってやる」
ふざけるな、と喉から出かかったところで、後ろから向野さんに袖を引っ張られる。
「私たちの目的は達成しました。今日はもう撤収しましょう。束さんも早く手当てを……」
僕は全身ボロボロだった。シャツには血が点在している。顔はヒリヒリするし、視界もなんだか狭い。瞼が腫れているのかもしれない。忘れかけていた痛みが徐々に実感を伴って全身を駆け巡る。
斑目を見下ろすと、「行け」と両目で訴えていた。
「……失礼します」
よろよろと、向野さんの肩を借りながら敷地を後にする。
こんな幕切れを迎えてしまうなんて、情けない。
やっぱり僕は弱いままだ。
「そんなことはありませんよ」
心の声が漏れていたらしい。向野さんは前を向いたまま、凛としている。
「あなたが語る言葉には一切の嘘がありません。あなたの瞳には曇りがありません。あなたの決意も、あなたの覚悟も、あなたの信念も、すべて本物です。
だからどうか、ご自身を恥じないでください。私に手出しはさせないと宣言した束さんはとても……とても、カッコよかったです」
こんな時に言うべきなのは、「ありがとう」か、「そんなことないよ」か。
答えを持ち合わせていない僕は、無言のまま向野さんの肩をぎゅっと強く握った。




