2章:愚弄
美鈴から「あなたの子を産んだ」と電話で聞かされた時、ボクは仙台に戻って就職していた。別れてから半年のことだった。
ケンカ別れだったから、連絡が来たことにも産むと決めたことにもたいそう驚いた。そういえば、彼女は付き合う前から頑固な性格だった。向こうは一人で育てると言ったが、娘と聞かされればなおのこと放っておくわけにはいかない。口座を聞き出し、毎月給料の半分を振り込んだ。実家から勘当され、頼れる者がいない中でたった一人、娘を育てるのはどれだけ大変だったろうか。
養育費のお礼のつもりか、いつも月末になると赤ん坊の写真を数枚送ってくれた。名前は美波というらしい。目元が母親そっくりだった。毎月お気に入りの一枚を手帳に挟み、お守り代わりに持ち歩くのがボクの習慣になった。何度か一緒に暮らそうと美鈴に提案したが、断固として拒否された。曰く、これくらいの距離感が丁度いいらしい。
だが今思えば、無理にでも東京の家に押しかけるべきだったのだ。
写真の中の美波が高校の制服を着始めてからは、手紙のやり取りもするようになっていた。娘が吹奏楽部に入ったこと、サックスの先輩に憧れていること、学年テストで上位十番に食い込んだこと……。
娘がすくすく育っていくのとは対照的に、母親は体調を崩すことが増えていった。養育費の引き落としが遅いと、手紙には決まって「入院していた」と書いてあるのだ。
美波は高校卒業後、地元の建設会社に事務職として入社した。仕事は順調そうではあったが、二十歳を目前にして美鈴の体内に大きな腫瘍が見つかった。手術が成功しても、その後の生活で介助が必要になるらしい。美波は仕事を辞め、社長の口利きで飲食店に転職することになった。勤務時間が短い割に、給料は割と良いという。
このころにはお互い性格が昔に比べ丸くなっていることを実感していたし、美鈴と美波を支えるためにも一緒に暮らすべきだという想いが強くなっていた。今度は断られても引き下がるつもりはなかった。せめて近所に引っ越せば、掃除や料理の手伝いくらいはしてやれる。会社にも転勤願いを出し、本社で欠員が出たら東京に異動できるよう準備を進めていた。
しかしある日、唐突に事件は起きた。
電話の向こうで号泣する美鈴から、すべてを聞かされた。
美波が紹介されたのは飲食店ではなく、実際に訪れてみたらキャバクラだったこと。しかも裏では性的なサービスも行っているということ。この店を紹介した社長が、訪れるたびに美波に行為を迫っていたということ。
さらに葬儀の三か月後、美鈴も自ら命を絶った。
後追い自殺という声が多かったが、真の原因は別にある。週刊誌が面白半分で書いた、無責任な記事の数々だ。
美波は風俗だとはじめから知っていた?
違法店で働いている方が悪い?
大金を得るにはリスクが伴う?
ふざけるな!
風俗店が悪だというつもりは毛頭ない。
だが、死者をどこまで愚弄するつもりだ。
織北区キャバ嬢殺害事件は多くのテレビや週刊誌で取り上げられていたが、中でもとある記者は明らかに美波たちを貶める書き方をしていた。家に無許可で何度も突撃していたのも、この男だ。
ボクはこいつを抹殺することを最終目標とした。
計画は今のところ順調だ。彼女たちもうまい具合に騙されているに違いない。
湊文六の墓は徹底的に荒らした。他に入っている遺骨がなかったのは幸いだった。あのくそ野郎の骨は、粉々に砕いてから餌に混ぜて野犬に食わせてやった。
もうすぐすべてが終わる。
さあ、目的地に到着だ。
この時間帯、警備員はとっくに帰っている。ボクが押し入って警報が鳴ったところで、到着までに十分は要するだろう。あの男をいたぶるには充分だ。
「……美波。こんな父親で、ごめんな」
引き返すつもりはない。だからせめて、心からの謝罪を口にしておこう。
「謝っても、殺めても、誰も救われませんよ」
女の声に、辺りを見回す。
美鈴や美波の亡霊でないことは明らかだ。
「誰だっ!」
駐車場から、ふたつの人影が現れる。
「君たちは……リアリィの……」
昨日……いや、日付が変わって一昨日に見知ったばかりの青年たち。
少女の方が一歩前に出て、ボクに宣言した。
「ここから先には行かせません」




