2章:大外れ
「いいですよ、何かな?」
斑目は、公園で遊んでいる子どもに構ってあげるような微笑みを浮かべる。
向野さんがゆっくり口を開く。一体、何を訊くつもりなんだ。
「BUって何ですか?」
数瞬の間が生まれた。
僕は額に手を当てる。この時、他の二人も同じことを考えていただろう。
斑目が口を開きかけたが、すかさず僕が割り込む。
「BUはヨニクロと同じくらい有名なファストファッションのアパレル店ですよ。激安かつ洗練されたデザインで、中高生から大人にまで人気のブランドです。……ちなみにヨニクロくらいは知ってますよね?」
「聞いたことはあると思うのですが、正直ピンと来ていませんね……」
「だったらその服はどこで調達してるんですか」
「着る人に合わせた服を提案してくれる通販サービスがあるんですよ。一人で暮らすようになってからは、お恥ずかしながらプロに任せっきりなんです。無知ですみません」
プロが選んだという割には、デニム地のキャミソールワンピースは小柄な向野さんにあまり似合っていない気がする。それとも僕のセンスが悪いのか。
以前、メディアに疎いという話は聞いたことがあるが、ファッションも同様なのか。無人島か天岩戸の中で暮らしているわけでもあるまいし、ポンコツなのは推理だけにしてくれ。
僕以外の二人が向野さんを見つめる瞳に浮かんでいるのは、微笑ましさでも呆れでもなく「こいつマジか」という色だ。ここで斑目に疑心が芽生え、身分証明を求められてしまったら目も当てられない。なりゆきとはいえ記者アシスタントとカメラマンの役を引き受けた以上、取材の邪魔にだけはなってはいけない。僕はカメラを片手で構えながら、空いた手をおずおずと挙げる。
「ぼ、僕からも質問いいでしょうか」
「……いいですよ」
斑目の双眸は研ぎ澄まされている。僕のことも向野さんと同類なのか、見極めようとしているのだろうか。ご想像通り、こっちは普通の大学生だ、くそう。
「先ほど、お店には一度下見に行ったとおっしゃいましたよね。やはり本当に、あなたは林野氏を襲撃することが目的だった」
「ええ、嘘はついていません」
「しかしその場合、ひとつ疑問が生じます。そこまで恨んでいるのなら、自宅を突き止めるとか帰り道で一人になったところを狙うとか、やりやすい場所はいくらでもあったはずです。それなのになぜ、繁華街のど真ん中にあるキャバクラ店で犯行に及んだのか。それは、店内で事件を起こすことに意味があったからではないでしょうか」
「意味、とは?」
相変わらず斑目の目つきは鋭いままだ。しかし、それが示しているのは疑いではなく警戒。
「あなたは直接的ではなく間接的に、あの店に因縁があるのでは? 具体的に言えば、恨みです。たとえば知人が過去に『ユーフォリア』で酷い目に遭ったとか。つまり目的は、林野氏へのお礼参りだった」
シャッターを切る音と同時に、僕は口を閉ざす。あくまで撮影の傍ら、というポーズを崩さない。カメラで顔を隠すことで、不安を読み取られることを防ぐ意味もあった。
「緩急、だね。お嬢さんがあえて的を外した発言をして場の空気を緩めたところで、君が鋭く切り込んでくる。なるほど、ここが敵地だということをボクも忘れかけていたよ」
「当たっていたという認識でよろしいでしょうか」
「ここでノーコメントなんて言ったら興ざめだもんね。うん、正解だ」
斑目は一人で納得したようにうんうんと頷いている。最初に顔を合わせた時のにこやかさを取り戻していた。
犯行動機を突き止めることに成功した。
一瞬安堵しかけたものの、すぐに気を引き締める。到達地点はまだ半分だ。斑目は二日後に新たな事件を起こそうとしている。その相手が誰なのかを突き止めなければミッションクリアとは言えない。
小原さんも緩みかけた口元を引き締め、斑目に向き直る。
「では、話の角度を変えましょうか。あなたが次に狙っているという人物は、林野氏と関係のある人物ですか?」
「関係があるとも、無関係とも」
「つまり、直接的な知り合いではないものの、二人には共通点がある」
「さすがは記者さんだ。ビンゴです」
「その辺は過去の『因縁』が絡んでいそうですね」
「僕の口から語るより、ご自身で調べた方が確実じゃないですか? あなたがたは他人の秘密をほじくり回すプロなんですから」
斑目の笑顔にはどこか余裕がある。つまり彼にとってまだ想定の範囲を脱していないということだ。隠し玉を持っているのか、あるいは自分が捕まらない確証でもあるのか。言う通り、まずは林野氏及び『ユーフォリア』の過去を探るべきだろう。さすればおのずと次に結びつく。
「わかりました!」
勢いよく挙手をしたのは、ちんちくりん探偵だ。再び場が無音になる。
制する者がいないのを発言の許可と捉えたのか、向野さんは目を爛々とさせて語り始める。
「真相がわかってしまったんです! くだんのキャバクラ店があったのは歓楽街のど真ん中。その街は昔、飲食街だったのです。斑目さんのご両親は一昔前、森の都・仙台から都会に引っ越してきて、飲食店を営んでいた。場所柄、洋食屋か居酒屋といったところでしょう。経営は順調とはいかずとも、息子・社さんと三人で暮らしていくには充分だった。等身大の幸せを家族みんなで噛みしめていたんです。しかし平穏は長くは続かなかった。区が主体の駅前再開発です。計画には区役所だけでなく裏社会の人間も関わっていた。そう、暴力団の末端構成員だった林野氏です。彼は斑目家が店の移転になかなか応じないことに業を煮やし、不法な手段を用いて半ば強制的に街から家族を追い出した。行き場を失った社さんのご両親が選んだのは、事故にみせかけた自殺。多額の生命保険を息子に遺すことで、親の務めを果たそうとしたのでしょう。残念ながら社さんに残ったのはお金ではなく、林野氏への憎しみでした。遺産をボクシングジムの会費に当て、屈強な身体を手に入れた社さんはついに復讐を実行に移しました。相手は自分より遥かに身体能力の劣る年下の男……ん、年下?」
己の推理の矛盾に気づいた向野さんを横に、僕は嘆息した。
「つまり斑目さん一家は、当時生まれているかもわからない林野氏に怖気づいて店を明け渡したということですか」
またしても会議室が無音に包まれた。その気まずさは、第一志望の大学に落ちたことを両親に報告した時の比ではない。小原さんのこめかみにもうっすら汗が光っている。
向野さんがちらと顔を上げる。
斑目はまるで赤ん坊をあやすような微笑みを浮かべ、軽やかに答えた。
「へへ、大外れ」




