2章:探偵の目
斑目はえびす顔を崩さない。小原さんの表情も固まったままだ。
見た目と発言のギャップに、別の誰かがアテレコしたのではと疑いたくなった。
「それは……犯罪予告と受け取ってよろしいですか」
口を開いたのは、それまで空気のような存在だった向野さんだ。水晶玉のような瞳に浮かんでいるのは、悪に対する憤りである。
ただのお飾りアシスタントから、探偵の顔つきになっている。
「構いませんよ」
二人が目を合わせている。その中心では見えない火花が散っていた。
「なら、お帰りいただくのはしばらく後になりそうですよね。小原さん?」
「え、ええ。そうね」
向野さんの一変した雰囲気に、小原さんも押されているようだった。
「つまり戦というのは、私たちと斑目さんとの真剣勝負ということですね?」
「その通りです」
斑目はどこか嬉しそうだ。紙コップを両手で包み、舌なめずりをした。
「斑目さんは、事件の裏側を正直に話す。もちろん隠さなければならない部分は答えないでしょうけれど。引き出した情報を踏まえ私たちは、あなたがなぜお店を襲ったのかを突き止める。ちなみに答えを当てられたら、自首なさるのでしょうか?」
「しろと言うのならそうします」
「それを聞いて安心しました」
向野さんは好戦的な目をしていた。
モチベーションは最高潮。
しかし、このまま話の主導権を握らせておくわけにはいかない。あくまで今日の立場は編集アシスタントなのだから。
それは向野さんもわきまえているようで、小原さんに「では、お願いします」と伝え、すんなり引き下がった。
予想だにしない展開に、小原さんは盛大にため息をついた。それでもすぐに顔を引き締め、記者・小原愛理に戻る。
「……ではまず、我々に連絡をいただいた時のメールの内容も踏まえて、事件の概要を振り返りますね。こちらの認識が間違っていないかご確認ください」
「どうぞ。へへ」
事件が起きたのは五日前の夜十一時ごろ。場所は都内某所のキャバクラ店・ユーフォリア。覆面の男が営業中の店に押し入り、エントランスの近くを歩いていた店長の林野歩氏(四十)の右頬を素手で殴った。倒れた林野に対し、覆面の男は馬乗りになってさらに十発ほど拳を浴びせる。
ここでようやくボーイが闖入者の存在に気づき、「何をしている」と叫んだ。覆面の男は声に反応してすぐに立ち上がり、右足で林野の股間を力任せに踏みつけて逃走。
林野は鼻骨と右の頬骨の骨折、さらに睾丸破裂の重傷。店は現在休業を余儀なくされているという。
ボーイや客の目撃情報を統合すると、覆面の男は中肉中背で、服装は黒のダウンジャケットにベージュのズボン、白いスニーカー。顔はほとんど隠れていたものの、かすかに露出していた皮膚は衰えており、推定年齢は四十代後半から六十代とみられる。
「……以上がわたしの知っている事件のあらましです。相違ありませんか?」
「はい、問題ありません。へへ」
恥ずかしそうに、どこか誇らしげに、斑目は笑った。
概要だけ聞けば、ありふれた騒動のように思える。珍しさも特異性も感じられない、年間数百、数千とあるいざこざのひとつ。だが加害者や被害者にとっては一生忘れることのできない大事件なのだ。
「林野氏を狙ったのは意図的ですか? それとも、殴るのは誰でも良かった?」
いよいよ、小原さんが踏み込む。
斑目は考え込んでいる様子だった。返答の詳細ではなく、分類に迷っているようだ。
「うーん、まぁ、いいかな。うん。答えます。ボクは最初から林野を狙っていました」
「林野氏は毎日店に顔を出しているわけじゃないですよね? 近くでもう一店舗、店長を兼任しているとか。ご存知でしたか?」
「確かガールズバーでしたっけ。女の子がアニメのコスプレとかしてる」
「その日、ユーフォリアに林野氏がいることを知っていたんですね?」
「ですね。先月、客として一度下見をしているんです。その際、女の子に彼の出勤日を訊きました。出入り口の脇にスタッフルームがあるのでそこを襲撃するつもりでしたが、扉を開けたら目の前にいたのでラッキーでしたよ」
「武器を持っていかなかったのはなぜですか? ナイフとか催涙スプレーとか、素人でも扱える道具は用意できたでしょう?」
「こう見えて昔、アマチュアボクシングやってたんですよ。フェザー級で最高二位っていう微妙な記録ですけどね。今でも趣味で、週二でジムに通ってますよ。下手に武器を使うよりこっちの方がやりやすいんです。へへ」
確かに、斑目の手の皮は分厚いように見える。人を素手で殴ったら怪我をしそうなものだが、彼の両手は傷ひとつ付いていない。殴り方のコツでもあるのだろうか。
「殺すことが目的ではなかった?」
「……そうですね。死んだらそこで終わり、加害者側の自己満足です。しかし生きてさえいればそこで終わらない。あの男はずっと後遺症に苦しむことになる。なんせ男としての機能を失ったのですからね」
だが、先ほど斑目は二日後に人を殺すと明言した。恨みの大きさの差か、あるいは別の狙いがあるのか。
「ちなみにその黒のダウンジャケット。犯行当日に着用していたものですか?」
「ええ。服はあまり持ってないんですよ。ボク、小さいころから寒がりなんです。なのに公園とかで遊んでると、すぐ上着を破いちゃうから母によく怒られました」
斑目は湯気の立ったコーヒーを口先ですすり、はにかんだ。
ジャケットに林野氏の返り血が付着していないか、カメラをズームして確認したが、袖口にはシミも汚れも付いていない。
「その割に服は綺麗ですね。鼻血でも飛び散っていないかと思いましたが」
小原さんも僕と同じことを考えていたらしい。
「次の日にはクリーニングに出しましたからね」
「ちなみにそれ、BUのジャケットですよね。下のパンツもですか?」
「あ、わかります? やっぱり女性は服に鋭いなぁ」
「覆面の男と同一の上着を着ていたとしても、同じ服は世の中に何万点と出回っているでしょうね。つまりあなたが犯人であるという決定的な証拠にはならない」
「あれ、もしかして偽者だと思われてます?」
「あくまで可能性のひとつですよ」
これでは取材というより取り調べだ。犯罪を未然に防げるか否かが自身にかかっているというプレッシャーからか、小原さんの口調は重く、厳しい。こんなもの記事にできるのだろうか。
「あの、私からも質問いいですか」
張りつめた空気の中、向野さんが挙手をする。
なんだろう、嫌な予感がする。




