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王太子殿下、許されたいなら3回まわってワンと言ってくださいな。

作者: 鈴木日万利


 私が王宮を追われてから、2年の月日が経った。


 国の北部にある女子修道院は大陸で最も戒律(かいりつ)が厳しく、生半可な覚悟では敷地を(また)げない。信仰深い者か、それか訳あって俗世にいられない者しかいなかった。

 私は、そのうち後者――王宮から追われ、貴族社会にいられなくなって家族から勘当された者――だった。

 2年前までは公爵令嬢として大層な家名のついた名で呼ばれていたが、今ではシスター・シンシアと呼ばれている。


 厳しいと言われる戒律も私が受けてきた王宮でのお妃教育に比べれば、なんてことなかった。

 むしろ次期王妃の座を狙っている女性たちからの妬みや嫌みに(さら)されない分、修道院での生活の方が心安らかに過ごすことができた。

 簡単に言えば、私は修道院の生活が気に入っていた。人生の中で初めて得た平穏な暮らしだった。


 しかし、その安息の暮らしを乱す人が現れた。


「シスター・シンシア、また、あの方がいらしているみたいよ」


 私と一番近い年齢――それでも10くらいは歳上の――先輩のシスター・テレサがその人の訪問を伝えてきた。私はため息をつく。


「嫌だわ。私は会うつもりがないと再三お伝えしているのに」


「もう1か月になるものね。この調子では、貴女に会うまでここを離れないと思うわ」


 シスター・テレサはくすくすと笑いながら言った。

 私としては全く笑い事ではない。


「もう、婚約者でもなんでもないから会えないというのに。どうしたら諦めてくれるのかしら」


「さあ。それよりも、修道院長が折れる方が早いかもしれないわ」


「まさか!」


 なんてこと。修道院において皆を導く立場である修道院長の言葉は絶対である。修道院長のお願いとなれば断ることができない。

 私はあの人に二度と、会いたくないのに。


「あの厳格な修道院長が折れるなんて考えられないわ」


 というよりも、考えたくない。


「でも、相手はマルニウス王太子殿下よ。この国で2番目に偉い方だもの。折れたとしても仕方がないわ」


 落ち込む私にシスター・テレサは慰めるようにして言った。



 結局はシスター・テレサの言う通りになった。

 修道院長が折れてマルニウス王太子と面会することになった。本来は私のような若いシスターは家族以外と面会することは許されていない。


 だけど、相手が王太子で、それも1ヶ月間もしつこく貢物を持ってきていたとなれば話は別だ。


 私は嫌々ながら自分を修道院行きにした原因と再会する事になった。

 面会室の扉を開けて中に入るなり、その人――王太子マルニウスは頭を下げてきた。


「シンシア、申し訳なかった!おぞましい企みに嵌められて、婚約者である君を一方的に断罪した私が悪かった。私の婚約者は君しか考えられない。

 だから、どうか、王宮に戻ってきてくれないか」


 2年ぶりに会うマルニウスは変わっていた。艶のある腰まであった自慢の長い金髪がバッサリと切られ、白くて細い襟足が見える。

 何か心境の変化があったのかもしれない。


 だからといってマルニウスとその恋人のアリアが私にしたことを考えると、許すことはできないし、何より王宮に戻るなどあり得ない話だった。


 どうやって帰ってもらおうかと腕を組んで黙っていると、マルニウスは頭を下げたまま、チラリとこちらに目線だけを向けてきた。


 頭を下げた姿勢が辛いのか、潤んで揺れている。その瞳には『もう顔を上げていいよね?』と書いてあった。


 どうやら、もう音を上げたらしい。ちょっと格好つけてみせても早々に弱音を上げる所は変わっていないみたいだった。


 私は仕方なしに声をかけた。


「王太子殿下、顔をあげてくださいな」


 マルニウスは顔を上げて、こちらを見つめた。

 ダイヤモンドのように澄んだ瞳に見つめられて私はうっと怯んだ。


 2年ぶりに見るその顔は、少しやつれていたけれど相変わらず幻想的なまでに美しかった。


 昔からマルニウスの顔には弱い自覚があった。美しい顔でにこりと微笑まれると呆れ果てるような頼みでも引き受けてしまっていた。例えそれが法に触れるギリギリの事でも、王太子の願いであれば持てる権力と財力を使って叶えていた。甘やかした結果が裏切られて追放されたのだけれども。


 そんなマルニウスの美しい顔は、やつれて線が細くなって、今にも儚くなりそうな雰囲気を漂わせていた。ますます私の好きな顔になっている。


 だからと言って、こんなことで簡単に許すわけにはいかない。


 しかし、図々しいマルニウスは私が怯んだ隙を見逃さなかった。その綺麗な顔を美しく歪ませて期待を込めた声でマルニウスは図々しくも口を開いた。


「シンシア……。私を許してくれるよな?」


「……誤解があるようですわ。私はただの修道女のシスター・シンシアです。王太子殿下に謝罪される謂れはございません。どうぞお帰りください」


 私は扉を指して、お帰りを願った。もうすでに私は俗世と縁を切った身。王族のことなど知らないのです。


 しかし、理解の悪いマルニウスは私の腕を掴んだ。


「待ってくれ、シンシア。婚約者の顔を忘れたのか。()()()()()マルニウスだ」


 頭が悪い上に自惚れでもある。私は現実を教えるためにマルニウスの手を強く払い除けた。


「その汚い手で触れないでくださる?」


 縋るような目をしてくる王太子に追い討ちをかける。私はもう、今までのようにマルニウスを甘やかすつもりはなかった。容赦なく()()()()()つもりだった。


「私があなたの婚約者だったのは2年も前のこと。それもあなた自身が婚約を破棄なさったではありませんか。

 今の私は一介の修道女。あなたとは関係ありません。

 さっさと出て行って一生私の目の前に現れないでくださいな」


 私が厳しく言うと、マルニウスは叩かれた手を撫でてシクシクと泣き出した。


「だってだって、私にはシンシアしかいないんだ。


 シンシアがいなくなってから、王宮は変わってしまった。

 父上は病に臥せって姿を全く見せなくなった。

 かわいい恋人だったアリアは私の婚約者になってから、わがまま放題で城を3つも建てさせた。それに、あちこち旅行に行っては放蕩三昧。貴重な絹織物や宝石を買い占めては一瞬で飽きて投げ捨てる。


 アリアだけでなくて、アリアの父親である伯爵までも豪勢な夜会を開催しては同じように散財している。


 もう国庫は底をつきそうだ。


 それにアリアは私の事を顔だけの男と馬鹿にして、今では外国の大使にうつつを抜かしている」


 そこまで一気に捲し立てると、王太子は乱れた呼吸を整えるために息を吸い込んだ。


「私は、アリアにとって、ただの金蔓(かねづる)で、気まぐれに自慢できるアクセサリーなんだ……!」


 溜まっていたものを吐き出すようにして、オイオイと本格的に泣き崩れた。


 王太子のその様子を、今更気が付いたのかと私は呆れ見ていた。


 ほら見てみなさい、私が散々忠告した通りになったでしょうとスッキリした気持ちと、この人はただ泣きにきただけなのかしら? とモヤモヤした気持ちが半分半分だった。


 だけど……私個人の考えはともかくとして、神は悲嘆に暮れる者を見捨てたりはしない。だから、修道女としてここにいる私は、泣いているマルニウスを置いていく訳にはいかなかった。


 仕方がないので、泣き終わるまで静かに椅子に座って待つ。


 あーあ、縫い物でも持ってくればよかったわ。


 しばらく放っておけば、諦めたようにマルニウスは泣くのをやめた。


「お願いだから、私と一緒に、王宮に戻ってくれないか」


「なぜです? 私には戻る理由がありません」


「だって、君はどんなに厳しい事を言っても、必ず助けてくれるだろう?」


 目を輝かせてマルニウスはこちらを見つめてくる。

 光石のような瞳には濁りが一切なかった。


 もう!

 このバカ王子は、本当に自惚れ屋で、騙されやすくて、底無しのお人好しで、人を信じやすくて、都合の良いことばかり覚えていて、……顔がいいんだから。


「わかりましたわ」


 マルニウスは顔を明るくした。単純な人だ。私が条件も無しに許すと思っているのかしら。そんなに期待されるとこの後の反応を想像してゾクゾクしちゃうわ。


「シンシア、ありが……」


「ただし、条件があります。


 王太子殿下、許されたいのなら、3回まわってワンと言ってくださいな」


 私はにっこりと笑って見せた。

 王太子マルニウスはポカンとして口を開けていた。


「いや、シンシア。それは一体どういう事なんだ?」


「だから、申し上げましたでしょう。

 私に許されたいなら、3回まわってワンと鳴いてください。

 そうしたら、一緒に王宮に戻って差し上げますわ」


 ほら、簡単でしょう? ともう一度微笑んでみせると、マルニウスはジワジワと顔を赤くして怒り出した。


「なんだと! 君は、この私を侮辱するのか。

 3回まわってワンと吠えるなんて、そんな犬みたいな真似誰が――」


「あら、いいのよ。私は別にあなたがどうなろうと興味はありませんから」


「シンシアっ! なんて冷徹な!」


「まあひどい。私に無実の罪を負わせて王宮を追放したあなたを許そうとしているのに、そんな事を言うの?」


 そして、わざとらしく泣き真似をしてみせる。


「くっ!」


 人の良いマルニウスはそれ以上反論できないようだった。多少の罪悪感はあるらしい。だが、犬の真似をすることはプライドが許さないみたいで苦悶(くもん)の表情を浮かべている。

 真っ白で滑らかな肌の眉間にシワを寄せて、薄く赤い口を強く締めて言葉を飲み込んだ。唯一の抵抗として透き通った青い瞳で懸命にこちらを睨みつけていた。


 ああ、美しいこの顔が屈辱に歪むのをみられるなんて、なんて素敵なんでしょう。


 背筋を興奮が駆け抜ける。

 婚約者時代に我慢に我慢を重ねていた分だけ、私はその様子をみて途方もなく(たの)しんでいた。


「私は気が長いので陽が落ちるまでは、待ってて差し上げますわ」


 そう言って、椅子に座りマルニウスの顔を眺めていた。

 それから、意外にもマルニウスは相当に粘った。眉根を寄せながら立ったり座ったり。ある時は私に別の条件にしてくれないか聞いてみたり。


 もちろん私は条件を変えるつもりはない。

 私は修道院の生活を気に入っており、わざわざ王宮に戻る必要などないのだから。


 いよいよ窓の外が夕日に染まりだした。

 それでも微動(びどう)だにしないマルニウスをチラリと見てから私はあくびをした。


 もうそろそろ、タイムリミットかしら。


 しかし、その時、歴史が動いた。


 1回、2回、3回……それから


「……わん」


 最後はか細く歯切れが悪かったが、たしかに聞こえた。


「ごめんなさい。今あくびをしていたものだから、見逃しちゃったわ。もう一度やってくださる?」


 マルニウスはショックを受けた様子で、顔を蒼くした。


「こ、こんな屈辱的なことをもう一度やれというのか……」


 弱々しく抗議するも抵抗する気力はなさそうだった。


「いいじゃない。1回すれば2回も3回も変わらないでしょう。ほら、どうぞ」


 私が期待を込めて座りなおし、さっさとやってと目で合図すると、マルニウスは渋々ながらも動いた。


 1回、2回、3回


「……ワン」


 先ほどよりは大きな犬の鳴き声が聞こえた。

 国で一番美しく、王宮で大切にかしずかれているマルニウスが両手を胸の前に行儀よく揃えて、細かく足踏みしながらくるくると回る姿は、予想より遥かに滑稽(こっけい)で間抜けで、可愛らしかった。


 マルニウスは指示通り3回まわり終わった後に、律儀に犬の鳴きまねをした。芸を終えた犬そっくりに顎を逸らして歯切れ良く鳴いてみせた。気持ちよく鳴いた後で、ハッと自分が今したことを思い返し、恥ずかしそうに(うつむ)いている。 


 人に命令すれば、それこそお城を建てることもできるのに、私に(すが)ってプライドを捨てて犬の真似をする事しかできない哀れな姿に、私は胸の内では笑いが止まらなかった。

 

 なんて無様な姿!


 だせど、実際には口の端で薄く笑うのに留めて、冷たい声を投げかけた。もちろん、マルニウスの精神に追い討ちをかけるためだ。


「まあ、よくもそんな、犬の真似なんてできますわね。

 知性だけでなく人としてのプライドも捨ててしまったのかしら?」


「き、君が言ったんだろう!」


「君って、『誰』のことですの?」


「シンシアが」


「様」


「シンシア様がおっしゃいました」


「よろしい。では、あなたの忠犬ぶりに免じて王宮に行って差し上げましょう」


 それからしばらくして、王太子が王宮に連れてきた修道女は病に伏していた王様を北の修道院に伝わる秘薬であっという間に回復させた。王太子の婚約者だったマリアとその父親である伯爵は、王様に毒を盛った罪で追放された。

 王様を救った聖女として崇められた修道女に王太子は一生の間、頭が上がらなかった。


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[一言] うわぁ……この王子様がストレスで痩せ細ったりして醜くなったらこの女王様は躊躇わずに見捨てるかなぁ。
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