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第五話 巨人の指

 迷宮都市ラグナデナンを離れ、数日が過ぎた。

 教会都市レーレンまでの道のりはまだまだ遠く、もっと南下しないといけない。

 急いでも仕方がないので、小高い丘の上に荷物を下ろして私は小休憩をとっていた。

 適当な石の上に座り、羊の皮でできた水筒を傾ける。


 ふと見上げると空は厚い雲に覆われ、一面の灰色である。


 一方、見下ろすと鬱蒼とした森が広がっている。まるで毛羽だった毛布みたい。

 ただ、その毛布の中にいるのは虱なんかじゃなく、獣や魔物といったあまり笑えない生き物たちだろうけど。


 ではその中間はというと、岩肌の柱のように細い崖がいくつも曇天へと向かって高く高く伸びていた。

 ラグナデナンへ行く道中と今とで見るのは二回目だけど、何度見ても不思議な地形である。


『変わった風景じゃのう』


 心地よい楽器の音色のような声がした。

 自称アークデーモンで、たぶん私の幻覚と幻聴であるアーニャが物珍しそうに崖を見ていた。

 褐色の肌に黒く長い髪、赤い目を持つ艶麗な彼女はそのつま先が地面より僅かに浮いており、しかも少々透けている。

 あと私と真逆なつるぺたお子様ランチな体型だ。

 もう一度言うけど私と真逆な体型だ。


 OK?


『見栄を張るのはお勧めせんぞ。して、あれは何というやつじゃ?』


 アーニャはまばらに立ち並ぶ柱のような崖のうち一つを指差した。

 えーっとたしか……。


「巨人の指ってここらでは呼ばれてるらしいわ。たしか、観光スポットらしい。うん」

『巨人の指?なぜ巨人で指なんじゃ?』


 形の良い眉を寄せアーニャは首を傾げる。その仕草は女の私が見ても可愛げがある。男性諸君ならなおさら永遠に見ていられると思う。

 もっとも私の左腕を斬り飛ばし、レベルドレインで弱体化させた仇敵を自称する幻覚なんか、可愛げがあろうがなかろうがさっさと消し去りたいのだが。


 私は改めて周囲に視線を向ける。

 よし、誰もいない。これなら長々と話したところで誰も奇異の目で見ることはないだろう。

 アーニャの姿は私にしか見えず、その声も私にしか聞こえない。

 だから他人からしてみれば、私が延々と独り言を話しているようにしか見えないのだ。

 さすがにヤバい人とは思われたくない。


 私は崖に向かって指をさす。


「あの崖、こっから見ると五つあるのがわかる?」


 素直にアーニャはこくりと頷く。


「その崖一つ一つを指になぞらえてね、地中深くにいる巨人が手を伸ばしているかのように見えるからよ。指は地面を抜けたけど、手のひらより下は埋まったまま、って感じでね。だから巨人の指」


 太陽を望んだ巨人は結局、陽の光を見ることはありませんでした。


 巨人の指の由来を私に説明してくれた人は、こう締めくくった。

 さっき思い出した遠い過去の記憶だ。


『ほぅ。地中から伸ばした指かや。たしかに見えなくもない。ふふ。人間とはどうして面白い事を考えるのう』


 アーニャはくすくすと笑う。

 彼女は一見して十も半ばくらいの少女で、黙っていれば年相応のあどけなさがある。


 ふーん。ちょっと可愛らしいとこもあるじゃない。

 案外こういう話が好きなのかもしれない。


 そう思った矢先、ルビーのように赤い目をにゅうと細くした。


『貧弱な肉体のくせに想像力だけはいっちょ前じゃ。しかし、こと魔術となると想像力が働かん。幾人も挑んで来たが、皆が皆わっちの足元にも及ばんかった。よくわからん生き物じゃ』


 訂正。

 ちっとも可愛くない。

 ほんとよくしゃべる幻覚だ。やっぱりさっさと呪い除去(リムーブ・カース)しなくちゃ。

 私はアーニャに見えない位置でぐっと拳を握る。


 さて、そろそろかな。


 水筒をバックパックに仕舞い、傍らに置いた編笠を被りなおす。鹿革のケープを羽織っているので傍から見たら神殿騎士には見えないだろう。

 まあ盾に描かれた灰十字でわかるけど。


「ほら、おしゃべりはお終い。もう行くわよ。あと当分はおしゃべりもやめてね」


 途端にアーニャは不服そうに唇を尖らせる。


『しゃべるなとは心外じゃな。わっちは飲み食いも何もできん。となるとしゃべることだけが暇つぶしじゃ。敬虔な神の使徒がそんな非道なことをして良いのかえ?』

「あんたはデーモンなんでしょ?なら問題ないわ。私は異教徒にも邪教徒にも救いの手を差し伸べないから」

『むう。そう言われると何も言えんな』


 そう言ってアーニャはしょげたように背中を丸めた。

 しかし、その仕草は実に芝居がかっている。このまま素直に黙りはしないだろう。


『そうじゃなあ……』


 思った通りアーニャはまだ口を閉じる気はなさそうだ。

 私の周りをぷかぷかと風の流れに身を任せるように浮かびながら、


『代わりといっちゃあなんじゃが、そんな娘っ子がなぜ冒険者となって、わっちらデーモンと戦っているのか。またいつか聞かせてくりゃれ』


 ニヤリと口の端を吊り上げた。浮かべた笑みは実にデーモンらしい邪悪なものであった。


『南北の異教徒と戦わない理由を含めてな』


 …………。


 このメスガキめ、うすうす勘付いているな。いや、私が生み出した幻覚なら知っていて当然の話か。

 私はあえて返事をせず、立ち上がった。

 顔色一つ変えなかったのも修道士としての修行の賜物に違いない。

 ほんとうに良くしゃべる幻覚だ。

 特に今日は良くしゃべる。


『なに、今宵は満月じゃ。今のうちにしゃべるだけしゃべっておこうと思ってな』


 はっはーん。なるほどねー。


 納得はしないけど理解はした。

 こいつらデーモンは、理由は不明だが満月の夜だけ魔法が弱くなる。さんざん「人間は愚かだねえ」とか煽っておきながら弱点が致命的すぎる。

 ちなみにそれはレベルドレインも例外ではないらしい。

 なのでアーニャもまだ昼だというのに、あんまり調子がよろしくないようだ。


 いやーデーモンも負けず劣らず愚かだねえ。


「なら今のうちから静かにしても問題なくない?」


 私は素っ気なくそう言い返すと、さっさと丘を下り始めた。

 背中でアーニャが、べーっ!と舌を出しているがもちろん無視しつつ。


『ん。無視できない輩が来たでありんす』


 反射的に足が止まった。


 え。それってどういう――


 振り返り、アーニャの視線の先を追う。

 するとガサガサと茂みを掻き分けて近寄って来る音。

 私は音のする方向を向き、とっさに腰からメイスを抜いた。そして義手に縛り付けた盾を構える。

 普通の人は道以外のところから出てこない。そもそも人ですらないのかもしれない。


 はっはっはっと息遣いが聞こえ、獣臭い匂いがした。


『ほぅ、珍しい犬っころじゃな』


 アーニャが物珍しそうにつぶやいた。


 茂みの向こうから二足歩行する犬が三匹ほど出てきた。

 各々手には粗末なこん棒を握っており、敵意を剥き出しにして私のことを威嚇している。

 もちろん犬は後ろ脚で歩いたりしないし、こん棒なんて持ったりしない。


「コボルトよ。わりとポピュラーな魔物ね」


 この魔物たちをアーニャが犬と呼んだのも無理はない。コボルトの見た目はまんま二足歩行する犬である。ちょっと体格は人型に寄っているけど。

 ダンジョン者ではない駆け出しの冒険者が初めに受けるお仕事といえば、畑を荒らすコボルト駆除か草むしりの二強である。

 まあ要するに雑魚中の雑魚だ。

 しかし、森からそう離れていないとはいえ、道もあるのにこんなところに出てくるのは珍しい。

 魔物なんて邪悪な生き物が、何考えて行動しているなんて知りたくもないけどね。


 息遣いの荒いコボルトたちは私が武器を抜いているにも関わらず、森に帰る気はなさそうだ。ワンワンと咆え、やる気満々なようである。

 よろしい。ならば善良な神殿騎士として、こういう邪悪な奴らを駆除するのも責務である。

 いくらレベルドレインを受けて弱体化しているとはいえ、コボルトに後れを取るような鍛え方はしていない。


『わっちは荒事には参加できんからのう。せいぜい頑張るが良い』


 アーニャがふわりと上空へ避難するのと同時に、一番手前のコボルトがこん棒を振り上げて襲い掛かってきた。

 こん棒といっても太い枝を整えただけの粗末なものだ。

 私は盾で易々と受け流すと、頭にメイスを叩き込んだ。ばっくりと頭が裂け、血が噴き出した。


 このメイスには特殊なスキルがあり、殴った相手の平衡感覚を一瞬だけ奪うことができる。

 コボルトは足を絡ませて仰向けに倒れた。

 とどめにもう一回殴りつけて沈黙させる。


 うーん。身体の動きが思ったより重い。メイスを振るにも盾でガードするにも、常に遅延が起こっているような違和感がある。

 だが、これくらいの相手にはさすがに苦戦しない。


 さらに残る二匹のコボルトが殴りかかって来る。うち一匹が握りこぶしほどの石を投げつけてきた。

 私は避けず、顎を引いて編笠で投石を弾く。

 そのまま強引にコボルトの間合に入ると、こん棒を振り下ろされる前に盾で殴りつけた。

 それだけでコボルトはたたらを踏み、無防備な姿をさらす。

 あとはさっきと同じようにメイスで小突くだけ。


 あっという間に死骸が三つ出来上がった。


『むぅ。面白みに欠ける戦闘じゃったのう』


 全てが終わってから、アーニャは何食わぬ顔でふわりと私の隣に降り立った。

 コボルトの死骸をつま先でつつき、つまらなさそうにアーニャは欠伸をする。

 邪悪な魔物とはいえ、命のやり取りをした後にその言い方はどうかと思う。


『ほぅ、冒険者がデーモンに命の尊さを説くか』


 アーニャはくつくつくつと喉を鳴らす。赤く怪しい輝きを放つ瞳が細くなる。


『わっちは寛大じゃからの。失言は聞き流しんす』


 失言?私の一体どこに失言が?


 納得がいかず、胸にもやもやとしたものが残る。

 黙してそれ以上語らないアーニャのことを睨みながら、私はメイスについた血を拭うのであった。

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