第一話 神殿騎士と勇者
ここは皇帝都市ラグナデナンにある冒険者組合のロビー。
町の人からは人足斡旋場や地下直通エレベータなどと好き放題呼ばれているが、まあ概ね間違いではない。
アウトロー紛いの冒険者たちが日々仕事を求め、あるいはダンジョンに向かう仲間を求める施設である。
神殿騎士にしてベテラン冒険者であるこの私、レティシア・モンフィスがいても本当なら何の支障もない場所だ。
冷めきったコップに向かって、小さくため息をつく。
窓から見える空は黒く、バケツをひっくり返したような雨が降っていた。
いかに高価なガラス窓を使っていてもこの木造の組合所は薄暗い。
しかし、そんな薄暗さを吹き飛ばすかのように、離れたテーブルには男女混ざった何人もの冒険者が集まり、わいわいと賑やかに騒いでいた。
装備と顔つきを見るに、たぶん新人。夢と希望と野心に溢れてきらきらと眩しい。
頬杖をつき、空いた右手でマドラーをひとかきする。
冒険者組合の広いロビー、その端っこにあるテーブルに私たちは腰を下ろしていた。
あえての端っこである。
できる限り他の人たちに話を聞かれたくなかった。相変わらず何も言わなくても、こういう配慮をしてくれるのが彼の良い所だ。
対面には、私が在籍している冒険者パーティーのリーダーが座っていた。
最近顔を見ていなかったせいか、妙な懐かしさを覚える。
たぶん三週間ぶりくらいだろうか。うん、多分それくらいだ。そもそも私がこうして外を出歩けるようになったのがそれくらいだから。まず間違いない。
彼のことをちょっとだけ紹介しよう。
ラグナデナンを拠点とする冒険者たちで、この男を知らない人はいない。
それこそ組合に入っていないモグリだって彼のことを知っているだろう。
ラグナデナン最強の冒険者にしてダンジョンを踏破する者。
人は彼を勇者と呼ぶ。
そんな彼の名前は……いや、別にいいや。どうせもう彼の名前を気にすることなどないのだから。
「やあ、レティ。久しぶり。心配したよ」
固い声音。
そんなこと、一切思っていないくせに。
「なんとかね」
左手をひらひらする仕草は、精一杯の強がりに見えたことだろう。
「で、何の用?」
私と勇者との周りが水を打ったように静かになった。
息を吸う音。
そして吐く音。
「単刀直入に言う。パーティーから抜けてくれないか?」
この前の仕事でしくじった。
仕事というのはつまり冒険者の仕事で、冒険者といえばダンジョンに潜る者のことをラグナデナンでは指す。
そして私は勇者パーティーの一員であり、たった今、そのパーティーリーダーからクビを宣告されたみたいだ。
離れているとはいっても同じ屋根の下だ。ひよっこ新米冒険者たちも、険呑とした空気と耳で拾ってしまった会話の断片に、気まずそうにしている。
水を差すような形になって、ちと申し訳なく思う。
勇者はまっすぐ私のことを見る。おかげでとても居心地が悪く、身じろぎしてもその視線からは逃れられない。
「レティ、キミはもう俺たちのパーティーについていけない。ましてやダンジョンの下層で戦える能力も、最早ないんだ。その左腕とキミにかけられた弱体化の呪い。無理してキミを連れていっても俺たちに利益はない。むしろ全滅の引き金になるかもしれない。だから、パーティーから抜けてくれ……いや、クビだ」
静寂が、組合所を支配した。
そして、
私はというと――特大のため息をついた。苦笑すら浮かんでしまう。
「……あのねえ。パーティーから追放しようとする方が泣きそうな顔をしてどうするのよ」
私の指摘に勇者はあからさまに動揺する。
本人も気づいていなかったらしい。
赤くなった目を、あっちこっちにぐるんぐるんと向けてから、
「そ、それは……だって……」
消え入りそうな声で言う。
情けない。ほんとうにあんたは勇者なのかと小一時間どころかずっと、ずーっと問い詰めたくなる。
けど、その様がおかしくておかしくて、ついつい目じりに溜まった涙を拭う。
それから私は左腕の袖をぐいとまくり上げ、革手袋も外した。
肘から先、露わになった翡翠色の義手が鮮やかで眩しい。
嫌がらせもかねて、およそ人のそれではない球体関節をこれでもかと見せつけてやる。
勇者が一瞬視線を逸らそうとし、堪えた。よしよし、私が見込んだ男なだけある。
「すまん」
「だからクビにするほうが謝ってどうすんのよ」
これじゃあどっちがクビにする側なのかわからなくなってしまう。
まったく。
神殿騎士は修道士としての信仰と、騎士としての名誉にしたがって行動する。
その結果がこの左腕だ。神殿騎士の矜持にかけて、守りたい人を守った代償がこの翡翠色の義手なのだ。
とはいえ、これだけじゃないのだから始末は悪いんだけど。
「私は、うん、腹は括ってるわ。だからこそ喜んで腕を捨てたし、甘んじて呪いも受けたんだから」
「せめて弱体化の呪いは……どうにかならないのか?」
浮かべた笑顔は、いったいどんな風に彼の目には映ったのだろうか。私は首を横に振る。
「なくなった腕は……しゃーない。なんとでもなるわ。でも、呪いはここではどうしようもない。ラグナデナンにいる司祭連中じゃどうにもならない」
解呪しようにも全く歯が立たなかった。それほど強力な呪いなのだ。
おもむろに顔を上げた。さんざん見た組合所の景色が不思議なことにいつもと違う。
こんなに天井が高かったっけ?
こんなに薄暗かったっけ?
こんなに――滲んで見えたっけ?
椅子を引く音がした。
勇者が顔をくしゃくしゃにしながら肩を震わせている。
だから似合わない表情を浮かべないでって。そう言ったら「お前もな」と返された。もうっ。
「……レティ」
幾度となく耳にした優しい声。
「なに?」
だから私もいつもの調子で訊く。
「達者でな」
「うん、じゃあね」
窓を見た。
未だに雨は降り続いている。
何か良からぬことが起こるとき、いつも決まって天気が悪い。
かといって、天気が良いからステキなことが起こる、というわけでもない。
でも、雲の切れ間から僅かに光が見えた。
くすくすと、耳元に甘い笑い声。
『ねぇ、神殿騎士の矜持ってほんとう?』
私は……困ったように肩をすくめた。
さて、どうだろう?
矜持なんてそんな堅苦しいものなんかじゃなくて、
もしかしたら、
もしかしたら――恋だったのかもしれない。
なんてね。
こうして私、レティシア・モンフィスは勇者パーティーをクビになり、一匹オオカミのアウトローになったのであった。
同時に、弱体化の呪いを解くための短いようで長い旅が、始まりを告げた瞬間でもあった。




