第六章
ディミトリス・カファロが長々しい挨拶をしている間、アラストルは大きな欠伸をして周囲を見渡した。
特に怪しいと思われる者はいない。だが、自分からいかにも「怪しい人です」なんて格好をして暗殺するような間抜けが相手な楽な仕事ではないだろう。むしろ、そんな仕事を担当してみたい好奇心が刺激される。
「女殺し屋、か……」
玻璃以外にもそんな奴がいるのかと考える。
もちろん、存在自体は知っている。この国では殺しや誘拐が収入のほとんどを占めていることは知識として知ってはいるが、女殺し屋の存在自体、アラストルとしては好ましいものではない。むしろ、ナルチーゾに居た頃は絶滅危惧種かなにか程度にしか思っていなかった。しかし現実はどうだろう。玻璃という実物が居た。玻璃でも生業にできるのだ。両手両足の指では足りないほど存在するのだろう。
しばらくぼんやりと大聖堂を見ていると、存在するはずがないと思っていた本当に妙な女が大聖堂から出てきたので思わず目を疑う。
「マジかよ……」
猛獣使いの衣装を着た女。
だが、祭りの期間だ。ここには芸人も居る。猛獣使いが居てもおかしくはない。
よく注意して女を見るが、装い以外に怪しい点を挙げられない。
不審人物と言えば不審人物だが、外見だけで疑ってしまうのはいかがなものか。女でおかしな服装をしているだけだ。まだ容疑者と決まったわけではない。アラストルは思わず葛藤してしまった。
そのときだった。
一瞬なにかが煌めいたように見えたと思うと風を切るようにカファロを目掛けたナイフが飛んできた。
とっさに弾き飛ばすが、ナイフが飛んできた方向を見ても誰も居ない。
殺気すらない。
「何処だ!」
半円を描くようにナイフが飛んできた方向を見るが、それらしい人物は居ない。魔力は感じない。相手は純粋に技術を磨いた殺し屋だ。
「何をしてる! 早く犯人を捕まえんか!」
慌てふためく巨体が先程までふんぞり返っていた人物だと思うと滑稽だ。
「黙れ!」
カファロを怒鳴りつけ、アラストルは周りを見渡す。気配は見当たらない。
再びナイフが飛んできた。
「見えた」
弾き飛ばすと、その方角には赤毛の女が見えた。
どこかで見たような赤毛だ。裕福には見えない地味な装いで赤毛以外の特徴が全く覚えられない。服の色、柄もありふれていると言うよりは印象に残らない。ただ、髪の赤だけが強烈な印象で、その赤を慌てて追う。
しかし、突然消えた。一瞬視線が逸れてしまったのだろう。その瞬間に見失ってしまった。
「逃げられたか……」
追うことを諦めて、広場に戻る。特徴が髪以外覚えられていないのだ。髪を隠されてしまえば見つけられない。
「おい、赤毛の女を見なかったか?」
念のためカファロにそう問いかけるが、彼は返事をしない。
「逃げられた……」
「この役立たずが!」
カファロが怒鳴る。震えながら怒鳴りつける姿は憐れにさえ思えた。
「命があるだけマシだと思え。俺がいなきゃお前、死んでたぞ」
女が投げたと思われるナイフを拾い上げる。
どこかで見た……。細身で滑らかな作り。特に目立った装飾があるわけではないが覚えがある。
アラストルは記憶を辿った。
『アラストル・マングスタね? その命、頂戴』
脳内に響いたのは、はじめて聞いた玻璃の声。
「あの時の……」
注意深く見ればどことなく上品に思えるその品は、玻璃が持っていたそれと同じだ。そう、家の中でも時々同じ物を持っている。
「そういやあいつ、いっつも服の中に隠し持ってたな……」
果物を放り投げれば玻璃は自分のナイフで皮を剥いていた。
「まさか……」
急激に嫌な予感がする。
あの女は、たぶんそうだ。
「おい、お前、この後の用事は?」
カファロに声を掛ける。護衛任務を早く終わらせたい。
「ふん、帰宅するだけだ」
こんなところに長居できるかとふんぞり返る姿に一発くらい蹴りを入れても許されないかと考えてしまうが一応は依頼人なので耐える。
「とっとと帰るぞ!」
強引にカファロを馬車に引きずり込む。
「なにをする! この無礼者!」
「死にたいのか? 俺の予測が当たっていれば、あの女、相当強ぇぞ……」
「なに?」
殺気も巧く殺していた。むしろ、殺意という物を持たないのかもしれない。
相当殺しに慣れている人物だ。ただ、作業としてこなせるほど。
「お前、もう家から出るな。そして家に誰も入れるな。死にたくないなら、の話だがな」
それでも家を爆破なんてされれば意味がない。気休めにしかならないと言うことはあえて言わないでおいた。
依頼人を相当怒らせたらしく、当初の契約よりも大分減った報酬を持ち帰ることになった。家に戻ると玻璃の姿が見えない。
「玻璃!」
慌てて探すと長椅子の上ですぅすぅと静かな寝息を立てている姿を見つけた。
「脅かすなよ……」
どうやら杞憂で終わったらしい。
玻璃があの場に居るかもしれないと思ったのはただの思い過ごしだった
アラストルは自分に言い聞かせる。
玻璃のナイフがあったからといって玻璃とは限らない。
玻璃は一度眠ればなかなか目を覚まさないことをこの数日で学んでいる。話を聞くのは目が覚めてからにしようと、とりあえずコーヒーの準備をするため、棚に近づいた。それがいけなかったのだろう。
「……んっ……誰!」
目を覚ました玻璃にいきなりナイフを突きつけられた。的確に、急所を狙って。
「……アラストルだったんだ……」
驚いたように元々丸い目をまん丸に見開きナイフを下ろす玻璃。
「なぜ殺さない?」
「え?」
「お前のマスターに俺を殺すように言われてるだろ?」
玻璃にナイフを突きつけられた瞬間、アラストルは失望した。
この数日間でだいぶ玻璃と信頼関係ができていたのではないかと僅かながら期待していた。それなのに、的確に急所を狙った。つまり、玻璃にとって、アラストルは安全な存在ではないのだろう。
「……みんなそう言うのね……死にたいなら、殺してあげるけど? 一宿一飯の恩は忘れないわ」
そう言って玻璃は視線を逸らす。既にナイフはどこかに消えていた。まるで手品のように突然現れ突然消えるナイフは彼女が本当によく訓練されているのだと感じさせる。
溜息を吐きながら足元に落ちていた広告を拾い上げ、その裏を見つめる玻璃の瞳はいつもより大きく揺れているように見える。
「こんなもの……何の意味もないわ」
動揺、しているのだろうか。
「何を描いたんだ?」
答えはたぶん、予想出来ていたのに、アラストルは問いかけた。
「……シルバ」
静かに答える彼女から紙を取り上げる。
「これは……」
その紙に描かれていたのは髪の短いアラストルだった。
アラストルの髪は既に膝の裏ほどの長さになっているが、絵の中で微笑んでいる人物は肩までの長さの髪を綺麗に切りそろえていた。毛艶ばかりは比較できないが、まるで旅に出る前のアラストルそのものに見える。
「暇だったから」
そう、静かに響いた玻璃の声に、目の前が滲む。
ーやっぱりアラストルはシルバに似てるー
玻璃の言葉が脳内に反響した。
玻璃が自分を殺せないのは、大切な存在と似ているせいだ。
玻璃が無理をしていることも、彼女が悩み抜いていることもこの一枚から伝わってくる。
このシルバという男は玻璃にとって相当特別な男だったのだろう。絵の中の彼はとても優しい瞳をしている。これが家族愛なのか、それとも他の特別な感情なのか。玻璃自身も気付かない特別な想いがあったはずだ。
「玻璃、すまない……」
なぜそう零れたのかはアラストル自身にも理解できない。
けれども自分の瞳から涙が溢れ出たことははっきりと感じられる。
その様子を、玻璃はなにが起こっているのかわからないと、ただただ困惑した様子で見つめていた。