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居間にあるでかい仏壇

 6畳の居間にでかくて立派な仏壇が鎮座している。僕の家は葬式仏教なので一応仏壇がある。それからもちろん神棚もあるし小さなクリスマスツリーもある。だが僕は無宗教で神様も仏様も幽霊も妖怪も信じていない。それはキリストや仏陀の教えを拒否しているわけではなく、水木しげるの漫画が嫌いでもなく、ただ信じていないのだ。断片的にキリストや仏陀の言っていることに接していると「ふむ、なかなかいいことを言いよるのぉ」と感心したりする。だけど無宗教で無神論者である。

 ではいったいお前は何を信じているのか? と聞かれると少々困ってしまう。人生50年以上生きて今思っていることは、「基本的に何も信じていない」ということである。これが半世紀も生きた人間の到達点だといえば何か寂しいという気もしないではない。「何も信じていない人間」というと、なにか世界に絶望した今にも自殺しそうな人! と言う風に思われるかもしれない。しかし本人はいたって脳天気でヘラヘラ生きている。もっとも小説を書いているときとか、その構想を考えているときは結構シリアスになると自負しているのだけども。

 

 ところで最近の日本社会の風潮として「信じるものがないとダメ!」とか「夢を諦めてはダメ!」とか「自立しないとダメ!」とかやたらポジティブなフレーズが溢れている。だけど本当にそうなのだろうか? 僕が思うには結構いいかげんでダラダラ生きている人が世の中ほとんどではないのか? もちろん仕事とか子育てとか介護とか勉強とか家事を、きちっとやっている人は多いけどそれ以外では適当にやってると思う。人間起きている間中ずっとはそつなくできないし、またいつもいつも前向きな思考というのはかえって怖い。


 さてでかい仏壇の話にもどる。こいつは義母が買ったもので高さが175センチくらいある。もちろん1人では動かせない重さだ。僕は愛媛の山奥に住んでいるので、南海大地震が起きた時は、この仏壇は凶器と化す。そう思うと恐怖だ。それにこれが6畳の間にあると結構スペースをとるし、そして変に威圧的でエラそうに感じる。そのため僕は「なんだ、コノヤロー!(猪木風)」とキレそうになってしまいます。

 このデカ仏壇は数年前購入したので、まだまだほかすわけにはいかない。つくりも頑丈で表面には防腐剤がはいっていそうな黒い塗料が塗ってあるので、すぐには痛まない。(いったい仏壇って、どう痛むのだ?)人が住んでいる環境にあったら、1000年くらいはもってしまうのではないかと心配もする? 仏壇職人の技術恐るべし! である。ほんとでかい仏壇ほど処分に困るものはない。こんなことを書くと信心深い人からひんしゅくを買いそうだが、僕はそういう人間なのだ。

 

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