寅の四つ 百八十二通目ノ恋
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暁啓くん。
小夜です。
元気ですか?私は元気です。
あなたが私の手紙に返事をくれなくなって、もう半年になりますね。
そう考えると、この手紙は182枚目ということになるのでしょうか。
もし私を忘れてしまっていても、これだけは覚えてて欲しいです。
私は、
あなたの事を愛しています。
あなたが返事をくれなくても、私はあなたへ手紙を書き続けます。
それが私の、生きる意味だから。
雨月小夜
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「…なるほどね」
それだけ呟いて、探偵は黙り込んでしまった。
「えっ夜長にはわかるのか?私にはさっぱりなんだけど」
「はいはい、夜長の推理の邪魔しないでね」
というコントに見向きもせず、夜長は推理を固めていた。
しかし、
「…小夜さん」
探偵の推理を待たず、少年は生き霊の少女に話しかけていた。
「……はい」
初めて口を開いた少女の声は、透き通っていて。
振り返ったその顔に、その瞳に、光が宿る。
「今まで忘れててごめん。これから会いに行くよ」
そんな力強い少年の声に、少女は一瞬驚いた後、頬を赤らめそっぽを向きつつ、「……はい、…待って…ます」と、小さく呟いた。
そして少年は手紙を探偵からかっぱらい、外へ駆け出して行った。
「—い、おい——が!」
順々に繋ぐ、パズルのような、そんな思考にノイズが入る。…パズルはもうほとんど完成形だ。ならそのノイズに応えても——
「おい夜長!!起きろ!!」
ぐわんぐわんと左右に揺さぶられる。
思考が霧散して消えかける。
「ちょ、アルト!やめ、やめなさい!そんなことしたら折角揃えたピースが全部バラバラに——」
「そんな事はどーでもいい!早く走らないと、晩春に追いつけなくなるぞ!」
「ふぁ?!」
急速に進む事態に、探偵の頭はちょっと付いて行けてなかった。
「えっ何?!どうしたの?!ドユコト?!」
「分からないけど走り出したんだ!追いかけるぞ夜長!ちなみに皐月はもう行った!尾行ってヤツだ!」
「皐月くん優秀かよ」
そういいながら、ドタバタとアパートを出て行った。
その部屋には、生き霊の少女だけが残された。
「——小夜さんッ!!」
ガラッと引戸を開く。
そこは、白い空間——市内の病院だった。
少年はガランとした病室を抜け、窓の見える、奥のベッドへと進んで行った。
「小夜さん…」
カーテンを開き、少年は、顔色の悪い、やつれた少女の顔を見た。
少女は、ただすやすやと眠っているだけだった。
その側に、彼は座る。
「…ごめんなさい。貴女を忘れるつもりは無かったんです。でも、ちょっと…ショックが大きかったみたいで。」
少年は少女の顔を見ながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「手紙…読みました。こんなにたくさん。…ありがとう。君は律儀な人だね。…でももういいよ。
返事を返さない人なんかに、手紙なんて。僕はもう——」
ガラッと扉が開く。
そこには息を切らした探偵と金髪の助手が居た。
しかし。
2人が奥の病室に辿り着く前に。
「——最期に。
本当にありがとう。僕も…大好きでした。
こう言ったら突き放してるように聞こえるかもだけど…
“僕”以外に、生きる意味を見つけて欲しい。
——嗚呼きっと——これが——
僕の——心残り、だったんだ。」
そうして。
少年は、夕闇に——消えていった。
「……皐月くん」
「…夜長」
先に病室に居たその助手に、探偵は話しかけた。
ちなみに書くのを省いたが、皐月は晩春とほとんど同じタイミングで此処に辿り着いていた。
「ん?アレ?晩春はどこに?」
カーテンの中を覗いて、アルトはそう呟いた。
その呟きに、2人は、
「………へ?」
「………は?」
と、間抜けな声を出した。ついでになんとも言えない顔をして。
「なんだその顔…」
思わずアルトはそう呟いた。
「アルトは気づいてなかったんだね…」
「まあそーだろーとは思ってはいたが…」
やれやれ、という呆れムードが漂う。
「えっ待ってなんで私馬鹿にされてる空気流れてんの?」
「いや別に馬鹿にはしてないけど…」
「いや絶対嘘でしょ、そのため息何?」
ふぅ、と一息吐いて、夜長は話し始めた。
「…と、まあ茶番はこの辺で。
よく分かってないアルトちゃんの為に、タネ明かしをしようか。
まず、晩春暁啓について。
彼は幽霊さ。初めに出会った時から。」
「…はぁ?!」
「まあアレだね。要は自分が死んだ、という事にすら気づかないくらいショックな死に方をしたんだろう。」
「えっでもちゃんと物持ててたし、扉も開けて入ってたぞ?」
「そりゃあね。自分が死んでる事に気付けてないんだから、自分は生きていると思い込むしかなかった。
…思い込みの力は強い。とりわけ、透明な記憶の塊でしかない幽霊——殻の無い魂は。外からの同情も、内からの決めつけも。まっさらであるが為に、引っ張られ——いや、染まりやすい。
…まあ幽霊じゃなくても思い込みで病になったりするし、人間はそういうものなのかもね。」
「ふぅん、そういうものなのか。あ、じゃあ末原と友達っていうのは?」
「そこは本人に聞いたらどうかな…?同じ学校でしょ…」
「んー、じゃあ晩春がこの女のことを忘れていたのは?」
そう言ってアルトは少女——雨月小夜を指差す。
「この女って…あと指差さない。
まあそれについては…彼の死因が何処までショッキングで、且つ何処まで一瞬なのかを調べないと分からない…かな。そこまでは推理しかねるよ。判断材料が少ないからね。ただ一つ言えるのは、自殺ではない、という事…くらいかな。どれだけショッキングで一瞬だったとしても、自分で死んでるからね。投身自殺はどうかは知らないけど…」
夜長は、あとは半年前ってことかな?と付け足して笑う。
ふわっ、と窓から風が入ってくる。
外はさっきより赤らんで、そのうち夜が降りてきそうだ。
「さて、そろそろ帰ろうか。依頼も達成した事だし…」
そう言って、夜長は眠る少女を後にしようとする。
「ところで夜長。今回のこの事件、依頼料はどうするんだ?」
「いきなり生々しい事言わないでくれるかな、皐月くん」
唐突なお金の話に、夜長は冷たい視線を皐月に向ける。
「1人の幽霊と生き霊を救ったんだ。彼が悔いなく成仏して、彼女がこれから元気に過ごせるのなら、お代なんていらないさ」
そう言って優しい笑顔を浮かべる。と思えば、すぐに悪戯めいた、子供っぽい笑みを見せて、
「そーやってお金にケチケチしてるとモテないぞっ」
と皐月にアドバイスした。
「何言ってんだ、僕は生徒にもてもてなんだぞ?」
「でぇーたぁー!夜長夜長、コイツ見栄張ってるぞ〜私は知ってるんだ!」
「はぁ?見栄じゃないんですがぁ?」
「はいはい、喧嘩なら事務所帰ってからね〜〜」
そう言って、探偵御一行は病室を後にした。
「——晩春くん。君の想いは、きっと彼女に、届いてるよ」
ちら、と窓を見る。
もうほとんど青と黒で塗りつぶされつつある空に、1人の少年が笑っている——ような、気がした。
——そうして、今回の依頼は、幕を下ろしたのだった。
——後日。
「小夜!もう大丈夫なの?!」
「……お母さん」
ある光さす病室に、ある親子が居た。
ああ良かった!と泣きつく親と、どこか惚けたような娘。
娘は、どこか遠くを見つめてるように見える。
「…どうしたの?小夜」
様子のおかしい娘を見かねて、親はそう尋ねた。
「……ううん、なんでもない」
その手には、一通の手紙。
愛しい人へ——もう居ない人へ送ったはずの、手紙。
ちょうど彼が亡くなってから半年が経った時に送った手紙。
「ねえお母さん。こんな事言うの、おかしいとは思うんだけど。」
「私、暁啓くんに、会ったの——」
「…なぁ夜長。お前はいつになったら裕福になるんだ?」
「それは僕が知りたいね」
事務所員の生活スペースとして設けている部屋に、3人の探偵は居た。
目の前に置かれたバナナ。
「これだけが昼食とかあり得ないだろ…」
そう言いつつ、アルトはバナナを頬張る。
「ぷぷっ…バナナの共喰い…」
「皐月お前は殺されたいのか?」
キッとアルトは皐月を睨みつけるが、口を動かすのはやめなかった。
「…探偵稼業は儲からないな、夜長」
「公務員(教師)の君に言われたくないよ…」
もぐもぐと、質素な昼食の時間が流れていく。
「っあ〜〜も〜〜〜〜!!
空から大金降って来ないかなぁ〜〜〜〜?!」
——そんな声が、夜長探偵事務所中に響き渡った。
さあ、今日が始まる。