未の四つ 血ト地ノ色
「え、震さん?!」
「な、なんで警察の人がここに……」
驚きと困惑を隠せない高校生の二人とは裏腹に、月夜は一人にこやかに「あら〜、警部さんじゃない。こんなところでどうしたのかしら〜?」と近く。
「ああいえ。今の私はそういった公的なものではありませんので。警部、というのはよしてください」
いつもの調子を崩さず、震はそう告げる。顔は穏やかで笑顔は絶やさず、しかしどこか背筋の凍るような空気は健在であり、彼が居るだけで謎の緊張感が走る。
「……ええと、警部でないならなんなのですか…?」
「というか警察辞めたんですか?」
「あらあら、もしかしておサボりかしら〜?悪い人ね〜」
「『けいぶ』ってなんですか?」
「ははは、賑やかな事で。ただの仕事帰りですよ。当直上がりですので、この時間になっているだけです」
「当直はよく分かりませんが、こんな早く帰っていいんですか?事件、起こってましたよね?」
「ああ、あれは桐月くんが受け持ってくれました。私としては、まだ業務を行いたかったのですが、「いいから帰ってくれ」と追い返されてしまいましてね」
美桜の耳には同時に「ここまでなかなか家に帰れず残業続きであった」という情報が流れ着く。桐月が気を利かせて震を帰したのだろう。しかしこの震立夏という人物、あまりにもピンピンしている。疲労感など全く感じさせず、あまりにもいつも通りに振る舞っている。本当にこれが家に帰れなかったほど徹夜をしていた人間なのか?いや徹夜をしたとは明言していないが。
それはともかく。
「ええと、なんでここに?」
「ああ、そうですね。私、当直上がりの時は海に来るのです。海辺を歩くのが趣味なんですよ」
「はへー……なんか意外です。てっきり直帰するのかと」
「おい葉月、美桜。お前らこの人と知り合いなのか?あと事件ってなんだ」
「ああえっと……」
「失礼、申し遅れました。私、震立夏と申します。事件というのは二時間ほど前に起きた殺人事件……と思しき事件の事ですね」
「思しき?」
「はい。詳しい事は言えませんが、被害者が刺された瞬間消えたとかで、『被害者の居ない事件』になりかけているのです。なにか知っている事がありましたら……、っと。今の私は警官ではありませんから、このような事を聞くのは無粋でした」
「ほえー、そんな事件が。初めて聞いたな」
「『ひがいしゃ』というのは消えるものなんですか?」
「基本消えないわ、真城ちゃん。普通は刺された肉体が残るの。だから、この事件は変なのよ」
「そうなんですね!では、何故消えてしまったのでしょう?」
真城の声に、しん、と静寂が訪れる。この場で事件を知った玉翔と末原はともかく、全員何と言ったらいいか考えているようだ。
そんな中に一石投じたのは、何か思いついたらしい美桜だった。
「……そうだ、震警部。貴方はどうお考えですか、この事件。どう処理が下されるとお考えでしょうか」
いつも以上に真面目な顔と声で、少年は男に問いを投げる。探偵事務所で夜長と話していた、この事件の行末について、彼はずっと引っかかっていた。確かに人が死んだというのに、また有耶無耶にするんだろうか。殺人ゴースト事件のように。小泉京子さんのように。ヘッドホンを外した今の彼に容赦はない。嘘をついたり誤魔化したりしようものなら――などと凄んでいると、警部は随分とあっさり、言葉を口にした。
「勿論、ちゃんと事件が解決すればいいと考えていますよ。集団幻覚やら行方不明者扱いやら……そんな結末はごめんですね」
至極当然、といった口調で、堂々と言う彼の心に、曇りなどありはせず。美桜の耳に届くのは真実だけ。……この人はこの人なりの正義があるのだろう。もしかするとこの人は思っている以上に誠実な人物なのかもしれない。それにしては胡散臭いというか、何か腹に持ってそうというか……そんな雰囲気が否めないが。
美桜はもう少しだけ、その心の奥に足を踏み入れてみたくなってしまった。その笑顔と正義の裏に何があるのか、興味が湧いた。……しかし、踏み込む前に震が口を開く。
「――君たちは、14年前に起こった災厄を知っていますか?」
全員の口から出たのは、「へ?」という間抜けな音。美桜と月夜は(なんでまた)(今日はその話が多いわね)と心の中で困惑を示す。
「いや、知らないが」
「何の話ですか?」
「14年前は2歳ですね僕」
「僕も〜」
「14年前に何かあったのですか?」
「ふむ。学校では教えない話なのでしょうかね。ともかく。この街は君たちが小さい頃、一つの大きな炎に包まれたのです」
そうして、震は語り出した。
大体は夜長と皐月が語った事と一致していた。……勿論、犯人が吸血鬼である、なんて事は語られなかった、いや知らないようだが。
「……大きな犠牲が出ました。多くの人が失われました。それでも、君たちが立って、歩いて、普通に過ごす事ができる。そのくらいには復興しました。……思えば、少し復興が早いような気もしますね。そういえば建物はあまり壊れませんでした」
「……え、そんな事起こりえますか?」
「火災というのは建物も壊すものなんですか?」
「ええ。通常であれば、人だけでなく建物も燃えてなくなるのです。あの炎は人ばかり殺して、……あれは、意思のあるような炎でした……」
何かに気づいたかのように俯いてしまった震を見て、美桜はぱんと手を叩く。彼の耳には『何か掴んだ気がするが、これは本筋からズレている』といった旨の言葉が届いていた。
拍手の音にハッとした震は頭を振り、こほんと一つ咳払いをすると、改めて何も知らない少年少女たちに向き直る。
「失礼、何でもありません。本来、話したいのはそのような事ではないのです」
「そうなのですか?」
「そもそもなんでそんな話になったんだよ?」
「確かに突拍子が無さすぎるわね〜」
「……年寄りは若者に昔話をしてしまいたくなってしまうものなのですよ」
「…………」
美桜は分かっていた。これは自分の問い故に触発させた事なのだと。この男の原点、その正義の発露――それを、語りたくなったのだろう。自分が何故“いい加減な判決”を許せないのか。その説得力を持たせるために。
なんとなく会話が終わってしまいそうな空気を感じ、美桜は震に続きを促す。その腹の中、何を隠し何を持つのか。気になるのだ。心の中の、その奥に仕舞われた記憶を勝手に深掘るよりも、口から語られるなら、その方が都合がいい。
「震さん、続きをお願いします」
「美桜あんたなんでそんなに気になってんだ?もしかして歴史オタク?いや14年前なんて歴史オタク的には歴が浅そうだけど」
「なんでもいいじゃないですか。気になるんですよ。この街の過去。真城ちゃんもそう思いますよねー?」
「はい、私も気になります!14年前でしたら私も生まれてると思いますし、何か私についてわかるかもしれません」
「……?いや、真城ちゃんの記憶喪失とはあまり関係がないんじゃあ……14年前ですよ?」
「そうなんでしょうか?それでも私は知りたいのです。気になりますので!」
「ははは。なんとも賑やかな事で。大丈夫ですよ、促されずとも語りますとも。14年前の事件――通称『火の鳥事件』と呼ばれるソレは、多大な被害を催した。私はその時、この事件を担当する刑事だったのです」
「あら、そうだったのね」
「……もしかして、事件は未解決だから、集団幻覚扱いや行方不明扱いなどのあやふやな結末が許せない、とかですか?」
震の言葉を先取りし、美桜は自分の推測を口にする。しかし、震はそのままの顔で眉を顰め、目の前の少年を見据える。その視線に、美桜は背中がぞわりとする感覚を覚える。
「…………おや。美桜さん、何故事件は未解決だと思ったのですか?」
緊張感が張り詰める。
なにか、地雷を踏んでしまったらしい。汗が額を伝う。
――地雷は踏んだ時ではなく、足を離した瞬間に爆発するらしい。そんなどうでもいい情報が頭を掠めていく。嗚呼、どうやって、なんて声を出せばいいんだろう。
美桜はただ「……え」と裏返った呼吸にも似た小さなものをこぼすしかなかった。
張り詰めた空気は全員感じ取っているのか、誰も何も言えなかった。屋外なのにこんなに狭く感じるなど、初めてだ。
この空気を最初に破ったのは、紛れもない震だった。
「……まあいいでしょう。この事件は解決しています。……私が、解決しました」
震は目を閉じ、それまで淡く湛えていた笑みを失くし、無を顔に浮かべる。
「…………ですが、私はその結果に満足していない」
「……満足していない?」
「ええ。犯人の男は捕まりました。ですが、私は彼が犯人だと思えないのです」
「それは、……何故?」
美桜の質問には答えず、震は語る。
「……犯人だという男は夜長旭という男。彼は街中に火を放ったと証言し、証拠の物品も提出しました」
「夜長、って……」
「……叔父と同じ名前ね。夜長月斗の弟、私と月飛の父の弟の……」
「ほう、では君が月夜さんですか。ふむ、言われてみれば月飛くんとかなり似ていますね。ああ、いえ失礼。あまり女性の顔をまじまじと見るものではありませんね」
「いいのよ〜、別に。気にしてないわ。と、そういえば名乗ってなかったわね!私は穂含月夜というの。よろしくお願いするわね、警部さん」
「ええ、よろしくお願い致します。旭くんから話は聞いていますよ」
「旭、くん?」
「……ああそうだ。そうでした。貴方、その犯人の夜長旭とは知り合いですよね。最初依頼料の話をしていた時も「旭くんに似ていたのでつい」と、そう仰られていましたね。もしかして、「犯人だと思えない」というのは、そこに理由があるんですか?」
美桜は鋭い視線を震に向ける。震は相変わらず表情を変えず、ただ睨んでくる少年の目を見つめ返す。
そして、いつものにこやかな顔を――胡散臭い、その顔を見せる。
「――旭くんは、私の友達です。同じ警察学校で学び、警察になり、そして彼は目の負傷を言い訳に警察を辞めた。元より警察に向いてなかった彼が探偵に転向したのは頷けましたが、……私にはわからなかった。何故、此度の事件の犯人を庇ったのか」
表情は変わっていない。口調も淡々として、特別な感情などは感じられない。本当にそう思っているのか?と疑えるほど、表面上のものでは彼を測れない。
それでも真城は聞き逃さなかった。彼が「庇った」と言った時、どこか声が震えている事を。たったわずかな感情の揺れを。しかしそれは、彼女以外の誰も気づいていないらしかった。
「庇ったのですか?何故、そう思ったのですか?貴方が捕まえたのですよね」
「…………」
「そうですね、それに納得したのだから突き出したんですよね。あ、いや、警察だから証拠を出されたら納得せざるを得ないのか」
「そうなのですか?ですがこの人は納得できていないんですよね?」
「ま、納得できるまで突き詰める真城にゃ分からんだろ、大人の世界ってやつは。僕も詳しく知らんけど」
「そうね〜、私はしないけど、大人は納得できてなくても飲み込まなきゃいけない時があるのよ〜、私はしないけど」
「……勿論、私も納得できていませんので、ちゃんと突き詰めようとしたのですよ。ですが、穴もなく完璧と言わざるを得ない、そんな証拠を出されては……手も足も出ず」
「諦めてしまったんですか?そのよながあさひさん?が犯人ではないと、思っていたのに?」
真城の無辜で悪意なき問いに、震はついに表情を変えた。ギリ、と歯を食いしばるような、そんな音が聞こえたと思えば、すぐにまた元の表情にもどった。
「……諦めてなど、いませんよ。ただ、あの場では、……旭くんを出すしかなかった。自分はまだ新米で、「待って欲しい」など、言える立場では無かったのです。今でも私は、かの事件について調べています。……ですが、首尾はあまりよろしくない」
「それほど、夜長旭さんが出した証拠が強固、というわけですか。……では、やはり。この事件は根本的には解決していないんですね」
「…………そうなりますね。私の中ではまだ、終わってはいないのです」
「まああまり落胆する事でもないだろ。だってさっき、「意思のある炎」とか「人だけを殺してた」とか、そういう埒外な事に気づいたんだから」
「そうね〜、普通あり得ないものね。じゃあ犯人はあり得ない炎を使うような者って事になるのかしら」
「そんなの能力者じゃないと無理ですよ!……ってそうか能力者!犯人は能力者なのかもです!」
「……能力者って、何言ってんだ美桜。んなもん居ないだろ」
「…………そ、そう、ですよね……」
わいわいと盛り上がる少年少女たちに、震はまた、にこりと笑う。その一瞬の顔は、どこか憑き物が落ちたかのようだった。しかし、すぐまたいつもの貼り付けたような冷たい空気を纏う笑みに戻ってしまった。
「そうですね。やはり、君たちとお話できて良かったかもしれません。能力者、ですか……ええ、そんな埒外の存在、居もしないとされる存在も、捜査の範疇に入れるべきかもしれませんね。全て、疑ってかかりましょう」
「えー、オッサン能力者とか信じるタチなのー?」
「いえ、先ほどまでは全くそうは思いませんでした。ですが、この世はどうやら炎に意思が宿り、被害者が刺された瞬間消えるような、出鱈目な世界のようですので。信じて疑うのも手だと思ったのです」
「……震さんは、そういう人、なんですね」
「ところで『のうりょくしゃ』ってなんですか?」
――波風が、彼らの頬を撫ぜる。
穏やかな夕暮れが、海の公園を包んでいる。
震立夏という男は、軽薄な人間に思えていた。腹の中の見えないうちは、何を考えているか分からず常に謎の圧が付きまとう人だと、そう思っていた。違うのだ。分かりづらいだけで、受け持った事件に対して真摯な人なのだ。だから今回の事件も有耶無耶にしたくないし、14年前の事件もちゃんと終わらせたい、そう考えている。それは未だ無実の罪で刑務所にいる友人を助けたいから、それだけではないのだろう。
美桜は、この人への興味の終わりを、好奇心を、そう締め括った。
§
「……ふむ」
速水は考えるように顎をさする。意図を探るような視線に、皐月の背に冷たいものが伝う。
そうしてしばらく後に、速水は答えを口にした。刺すような目線を、皐月に向けながら。
「――目星は、ついている」
だから、後は殺すだけだ。その視線は、そう語っているような気がした。
「……でしたら、何故」
「おっと皐月くん。質問は先ほどのものだけだ。私はその質問には答えない」
にこ、と笑う。相変わらず、ひどく圧のある恐ろしい笑顔だ。
「だがまあ、成績優秀な皐月くんの事だ。それにも答えてあげよう」
「………………」
「私は彼女を殺さないのではなく、殺せないのだよ」
どういう意味かは、君で考えなよ。そう言って、速水は席を立ち、部屋から出て行ってしまった。どちらに、と聞く前に「便所だよ、便所〜」と後ろ手にひらりと手を振って、振り返らずに扉が閉まる。
……速水蔵光、なんて恐ろしい男だ。吸血鬼ハンター協会などという胡乱な組織を纏めているだけある。
しかし、どういう事だ。殺せない?彼女――穂含月夜に、殺せない要素などないはず。確かに桁違いの再生能力は持っているが、そんなもの発動させる前に殺せるだろう。彼女は確かに今まで神出鬼没で、捕捉するのが難しかったが、今はそうではない。夜長共々誅するのは難しくないだろう。そもそも雪待桔梗の報告と違う。彼とは結託して速水及び協会の動向を監視牽制していて、それで今回事を起こしたのは速水の行動に異常があったからだ。現に雪待は瞬きで『頼んだ』と伝えてきた。では、穂含月夜を殺す準備が整ったのではないのなら、何故――
立ち竦んで煩悶とする皐月を、速水は少し開いたドアの外から覗いている。殺せないのは、君が居るからだろう。そう速水は心の中で毒づく。吸血鬼の姉弟を守るボディーガード。目ざとい速水が気づいていないわけがなかった。皐月裕は、こちらの動きを監視するスパイなのだ、と。
桁違いの破壊能力を持つ弟に、事象を反転して確定事項に変える能力者。それらに囲まれた今、穂含月夜だけを狙う事は難しい。……では、どうするか?
答えは簡単。孤立させるのだ。彼らが探偵であり、人外の者に味方をするというのなら、罪も無く日陰で生きる人外を殺して回ろう。吸血鬼を全て殺すのだ。それはこの協会の代表理事としてすべき事でもある。そうすれば、あの探偵たちは動かざるを得なくなるはずだ。それを実現する為、速水はとある協力者と手を組んだ。
大きく体制を変える事を、わざと誰かに聞かれるよう発言した甲斐があった。……速水はそうほくそ笑む。皐月裕と雪待桔梗は裏切り者で間違いない。だが、処断するのはまだ待ってやろう。やるならば、そうだ、公開処刑がいい。私の独断ではなく、他のメンバーたちに『裏切り者』であると見せつけてから、あの首を斬るとしよう。それならばさっさと事を起こし彼の化けの皮を剥がすべきだ。
――さあ、盤上を荒そう。
正義面した、人外共を、全て滅ぼすのだ。この地は人間のものだ。超常的な者どもは、全て無に還れ。在るべき場所へ消えるがいい。
――その先に、何が待つともつゆ知らず。
§
「お、こんなところに居た」
夕暮れ時の海の公園。広い芝生の真ん中で、談笑をする人集りが一つ。それに目がけて夕陽を受けていっとう輝く金の髪の少女が歩いていく。
「おいミオ、月夜。探したぞ」
「あら〜、お迎えが来ちゃったわねぇ」
「おや、もうこんな時間でしたか。皆さん帰りましょうか」
「ってなんでサツの優男が一緒に居るんだよ」
「ああ、まあそれは成り行きというか。なんか海くるの趣味なんですって」
「ほーん、意外。ってそんな事はいいや。とっとと帰ろう、二人とも」
「え、アルトさん本当に二人のお迎えに来ただけなんですか?」
「なんだ末原、居たのか。相変わらず影薄いな。……む、他にも二人いるな」
「はい!夜宵真城といいます!たぶん」
「卯月玉翔。ま、気が向いたら仲良くしてくれ」
「……あー、お前ら知ってるぞ。うちの学校の……1-2でいつも馬鹿やってるっていう『さんばか』だろ」
「なんですかそのグループ名?!初めて聞きましたけど?!」
「えーいいじゃないですか三馬鹿。めちゃくちゃわかりやすいです」
「いやいやいや!よくないですって!あと分かりやすいってなんですか美桜さんそう思ってたんですか?」
「そうだぞ葉月ー、僕らいつも部活と称して色んな馬鹿やってきただろー。なら三馬鹿で問題ないじゃん」
「お前はそれでいいの????」
「ところで『さんばか』ってなんですか?」
「三人の馬鹿って意味だぞ、白いの」
「なるほど!では『馬鹿』とはどういう意味ですか?」
「お前の事だぞ、白いの」
「え?」
「アルトさん?????」
「あとコイツのこと」
「アルトさん???????」
「そうなんですね!?私と末原くんはばか、……と」
「ましろん待って」
「あとあっちのメカクレ白いのも忘れちゃダメだぞ」
「なるほど、卯月くんもばか、……と」
「止まってましろん頼む」
「ははは愉快」
「玉翔お前笑ってないで止めろ、メモしちゃったら明日も明後日も僕らはましろんに『馬鹿』と認識される」
「馬鹿の意味もよく分かってないんだから大丈夫だろ」
「それもそうだな。……ってなるかァ!!!」
「おーおーうるさいぞ末ばか。もう17時過ぎてるんだからとっとと帰ってねんねしな」
「末ばかってなんですか?!?!」
「末永く馬鹿で居ろって事じゃね?」
「そうだぞー」
「テキトー言ってんじゃねぇですよ!!!」
「わはは、なんです末原くんツッコミ芸人なんですか?私の知る末原くんより更に磨きがかかってますねぇ」
「僕の周りボケしか居ないんですよォ!!そりゃこうもなりますってェ!!」
少年少女たちの愉快なやりとりは、震のぱんぱん、という拍手に鎮まっていく。
「歓談はそこまでに致しましょう。事件もあった事ですし、暗くなる前に帰りましょう」
「えー、もっと遊びたいんですけどー」
「おやおや。私は警察ですよ。補導をするのがお仕事の人間に、そんな事を言ってもいいのですか?」
「……ちっ」
「あはは。玉翔くん、諦めて帰りましょう。遊ぶのなんて、幾らでもできるんですから」
「そうですよ卯月くん!今日の『私』はこれまでですけど、明日も明後日も、私は居るんです。また遊んでください!」
「おうおう非行がしたくなるお年頃なのは分からんくもないが、さすがにこの場では帰ろうぜ玉翔くぅん?」
「…………そうだな。……帰るか」
そうして、夕陽を背に、少年少女たちは帰っていく。いつもより多くの人、いつもと違う顔ぶれ。初めて会った人、初めて話した人。そんな奇妙な、しかし楽しい賑やかで華やかな一期一会は終わっていく。
少しの名残惜しさを添えて、陽は沈んでいく。
次第に「僕はこっちだから」「私はこちらなので」とばらばらに散り散りになっていく集団は、遂に駅の近くでそのほとんどを失った。同じ家に住む美桜達はともかくとして、最後に彼らから離れたのは震だった。
彼は大人として、警察として「くれぐれも、夜道は気をつけてお帰りください」との言葉を残して去っていく。彼は鶏鳴町に帰るべき場所がある美桜達とは違い、夕顔町に家を持つ。それ故に最後まで補導できなかった事を、少しばかり悔やんでいるようだった。
しかしそこは月夜が受け持った。「私、こう見えてもこの三人の中では大人なのよ〜」とのほほんと喋る彼女に、震は「ははは」と笑って信用したのだ。
そんなこんなで、彼らは三人になったのだ。
三人になったあたりで美桜はヘッドホンを着けた。不用意に人の心を読んでしまうのは、意図して無くとも疲れるものだからだ。能力の事を話していない人達と別れたので、そろそろいいか、と装着した。
陽の落ち切らない、夕闇の中で、不意にアルトが口を開く。
「……なあ月夜。私、あの後、読んだよ」
美桜はアルトが何を口にしたかすぐに察して、ギョっとした。なんでいきなり地雷踏みに行ったこの子。
しかし月夜の反応は、思ったよりも静かなものだった。
「………………そう」
「夜長は何も感じないみたいだった。あ、ミオは読んでないから分からんか」
「…………いえ、実はなんとなく分かっているんです。だからこそ、追いかけました」
「……やっぱり、読んでたのね、私の心」
「はい。……すみません、不躾だとは思ってますが、あの時は気になってしまいまして」
「…………そうね。貴方はそういう子よね。私にあんなこと言われて、それでもヘッドホンを外せる……そういう図太いところ、嫌いじゃないわよ」
静かな道を歩いている。ぽつぽつと咲き始めた街頭の光に、三人は照らされる。
夕闇に静まり返った街は、彼ら以外誰も居ないかのように、小さな世界を作り出す。
「そういえばミオは月夜の何を読んだんだ?」
「……アルトちゃんも、よく本人の前でそういった質問ができるわね。尊敬するわ」
「おう、もっと尊敬していいぞ!」
「褒め言葉じゃないのだけど……まあいいわ」
「……あの時聞いたのは、「人が死ぬ。巻き込みたくはない」でしたね。ああ、聞いたのは出ていくほんのちょっと前でしたので、あの一瞬、なにか思い出してそう思ったんですよね?なんとなく一瞬、月夜さんの小さな姿が見えたような、そんな気もしますし」
「お前の能力って映像も見れるのか、すごいな」
「…………私は少し鳥肌が立ったけどね」
闇の割合が大きくなっていく。人もまばらで、閑散とした道を三人は歩いていく。事務所まで、あと少しだ。
「ええ、そうね。アルトちゃんは読んだなら分かると思うけど、私……と月飛は人造人げ、いえ人造吸血鬼なの。私は、その事実が耐えられなかった」
「……正確には、二人が産まれる過程で亡くなった犠牲者が、だろ」
「犠牲者、ですか……科学には犠牲がつきもの、とはよく言いますが、……確かに、それで産まれた完成品にとっては許せない事かもしれませんね」
「……それが、大義ある何かであったのなら、私は、……許したかは、分からないけど。それでも、多めに見る事はあったかもしれない。だけど、そんなものはなかった。あったのは、ただの好奇心だけ」
「好奇心だけ?多くの犠牲を払って、それだけの理由で、お二人を?」
「……な、びっくりだろ。作りたかったから作った、みたいな感じだったぞ」
こつ、こつ。石畳の道を、三人の靴音が鳴らす。もうすぐ、見えてくる。あの角を、曲がれば。
「だから私は――」
見えた。喫茶店だ。その上にある小さな家。あれが、彼らの日常の象徴である、夜長探偵事務所だ。
「――母を、殺したの」
静寂が一つ。
喫茶店の横にある階段を登って、事務所はもう目の前だ。事務所の中は明るく、暖かい色が漏れている。かた、と扉が開いて、中から茶髪の少年然とした男が顔を出す。
「おや。みんな一緒だったの」
「お、夜長。どしたー?」
「ん〜?みんないつ帰ってくるかなーって。それで外出たらみんな居たからちょっとびっくりしちゃった」
「あはは、なんか集結しちゃいまして」
「ただいま〜、月飛!おうち入れて〜」
「はいはい、みんなお帰り。皐月くんもう帰ってるから、さくっとご飯にしようか」
「お!今日はどんな限界メシが出てくるんだ!?」
「別に限界メシではなくないかい?!」
「資金ギリギリ限界メシって事では」
「紛らわしいなぁ!!」
四人が小さな家へと入っていく。
こうして、慌ただしい一日は終わっていく。また、明日が始まる。暗い昨日も、変えられない歴史も、全て置いて朝日は登る。
――また、今日が始まる。
「ごめんください、夜長探偵、いらっしゃいますか?」
また、扉が開かれる。




