末の一つ 血ト地ノ色
——此処は、加賀瀬尾市。
日本のどこかに存在している、都市の名前。夕顔町と鶏鳴町と呼ばれる二つの町が、合併により一つになった姿。
二つの町は、どちらとも妖怪の伝説の残る町。
鶏鳴町には吸血鬼の伝説が。
夕顔町には猫の伝説が。
吸血鬼。
それは、人の姿をした怪物。人の血を求める妖怪。
人の血を飲むことは食事であり、彼らの血を飲ます事は仲間を増やす行為である。
また、不死であるが故、弱点も多く持つ。流水、聖水、そして銀。十字架が苦手な者も居るようだが、ここは個体差があるらしい。日光に関しては、概ね克服済みのようだ(苦手ではあるらしい)。また、ニンニクが弱点であるというのは、人間がニンニクを嫌うのとあまり大差がないらしい。
この町には、多くの吸血鬼が存在しており、そしてだんだんとその数を減らしていった。
——それは何故か?
答えは簡単。
吸血鬼を恐れた人間が、殺していったからだ。
紅に咲き誇る月と〜菊の章〜
『黄昏時ノ探偵』
末の刻 血ト地ノ色
震の口から告げられた、不可解な事件。刺されたはずの被害者が、一瞬で消えたという事件。
この市で生きている限り、いつかは起こると思っていたが今まで起こりえなかったこの事件。
これは、殺妖事件だ。それも、吸血鬼が被害者の。
夜長は、そう推理する。
同じ事を考えているのは、なにも夜長だけではなかった。
「…震警部。その犯人は、十字架にナイフがくっついたような、変なマークのペンダントかバッヂか何かを、所持してませんでしたか?」
——皐月だ。
彼はいつにもまして、真剣な眼差しをしている。
「ふむ。どうでしたかな」
「確認はすぐ取れますか?」
「そうですね、桐月くんに連絡すれば、すぐ確認はできるでしょう。…ですが、何をそんなに急いでいるのです?その犯人に、何か思い当たる節が?」
「…いえ、ただ気になっただけです」
「……まあ、そういうことにしておきましょう。さて、ではそろそろ私はお暇させてもらいますね。またなにかありましたら連絡させていただきます」
「もう何もない事を祈るよ。君の顔は二度と見たくないんでね」
「はっはっはっ、これは手厳しい。ですが、私も月飛くんと同意見ですね。何事も無いのが一番ですから」
「…早く帰ってくれないかい」
「そうですね。では、失礼します」
ばたん、とドアが閉まる。一つ大きな嵐が去ったかのように、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「はぁぁぁぁ……やっと解放された…」
「あらあら、大丈夫?アルトちゃん。地面にへたり込んじゃって」
「だってあの空気!テスト中にも、先生に怒られてる時にも感じないぞ?!そう言う月夜はなんで平気なんだよ!!」
「うーん…私も平気って訳じゃないけど……ところで月飛、あの人警察の人よね?仲良いの?」
「いやアレ見てなんで仲良いってなるのさ…」
「ほら、言うじゃない?喧嘩するほど仲が良いって」
夜長は姉の言葉に反論しようと思ったが、面倒くさくなってやめた。その代わり否定するかのように、彼は頭を掻いた。
「まあそれは何か事情があると思いますから置いとくとして。皐月さん、先程の質問はなんだったんですか?」
アルトと同時に床にへたり込んでいた美桜が、あぐらを組みながらそう口にした。皐月は額に汗を浮かべてバツが悪そうに目を逸らす。
静かに美桜がヘッドホンへ手を伸ばすと、「わ、わかった!話すからそれ外さないで!!」と慌て出す。
「わかりました。そこまで慌てるなら能力には頼らない事とします。で、何故あのような質問を?犯人と知り合いなのですか?警部さんはまだ犯人の名前も口にしていないのに」
「確かにそうねぇ。でも犯人と知り合いだったとしても、犯行を知ってるのはおかしいわ。連絡を受けていた様子はなかったし」
「つまりなんだ皐月!!共犯なのか!??!?」
「違うわ!!!まず弁明させてくれ!!僕はただ犯人に心当たりがあるだけだ!!共犯ではない!!」
有る事無い事推測する彼女たちに、皐月は声を張り上げて否定する。その声に驚き、三人は黙り込んだ。
皐月は一旦深呼吸をする。こほんと咳払いをしてから、推理を口にする。
「……まず、この事件は端的に言えば『死体が消えた』事件だろう?人間は殺せば死体が残る。では何故消えたか。それは、ホトケが人間ではなかったからだ。…そう僕は推理する」
「人間じゃないと死体が消えるのか?え、それってつまりなんだ?」
「吸血鬼、だよ。椿紅くん」
言いながら、夜長は応接間の奥にある所長室の机に向かう。机の引き出しを開けて、資料らしき紙の束を取り出した。
「吸血鬼か!たしかに刺したら砂になるな!」
「…灰ではなく?」
「どっちでも同じだろ!でもだったら消えるっていうのはちょっと違くないか?だって殺したら粉舞う訳だろ?」
「砂なのか灰なのか粉なのか…」
「確かにねぇ〜。でもこう…アレじゃない?なんかのアニメだかゲームだかで英雄…みたいなの?が死んじゃった時、キラキラ〜ってなんか光舞って、その間にカッコいいセリフとか言って消えてくやつあるじゃない?それと同じだと思ったんじゃないかしら」
「…それ、アレですよね?和訳すると『悲しい運命』って読む英単語のゲームですよね?直接名はなんとなく伏せますが」
「たぶんそうだと思うわ。だから、徐々に灰になって飛んでいく人を見て、消えると表現するのも、あんまり間違ってないんじゃないかしら」
「そうかぁ…?」
「そんな事より皐月さんの件がまだ済んでないです。被害者が吸血鬼である、という事は確定っぽいですが、それと震警部に言っていた質問内容が結びつきませんし、共犯説は消えてないですからね?」
「…今から説明しようと思ったんだけどな」
子供のように口をとんがらせる皐月だが、その額には汗が浮かんでいる。ホトケが吸血鬼であるという事だけで、上手く誤魔化せたと思ったらしい。
そのタイミングで、所長室から夜長が資料を持って戻ってくる。皐月は助かったとばかりに目を輝かせた。
「皐月くんの言っていたのはこういう事さ」
夜長は持ってきた資料をめくり、美桜たちに見せる。そこには先程皐月の言っていた『変なマーク』が載っており、そしてそれについての説明もちゃんと書かれていた。
「『鶏鳴町2丁目の何処かにある、吸血鬼ハンター協会のシンボルマーク』…ですか。こんなものがあるなんて知らなかったです」
「私もだ!吸血鬼ハンターって私以外にも居るんだな!道理で吸血鬼が少ないわけだ!」
「そこなの…?」
「そこだろ。だって吸血鬼少ないと困るし」
「困るの…???」
「もしかしなくても戦闘狂ですか?」
「そういうわけじゃないが、とにかく困るんだ!」
「そ、そうですか…」
「…とりあえず話を戻そうか。皐月くんの言っていたマークはこれであっているかい?」
「ああ。このマークだ。協会に所属する者は、これをあしらった物を所持する義務がある。……しかし隠密行動をするはずの彼らが、何故こんな大っぴらに……」
不可解だと言いたげに、皐月はシンボルを見ながら黙り込む。その様子に不信感を抱いたのは、なにも美桜だけではなかった。
「なあ皐月。お前もしかして、これに所属してるのか?」
「ぅえっ?!なんで?!?!」
「いや、詳しいなーって」
「確かにおかしいですよね。義務化されてる、なんて書いてませんし。いやに真面目ですし。そういうこともあるか、と流しかけましたが、私もアルトさんと同意見です。皐月さん、何か隠してますよね?」
「…………あっ」
ああぁ〜〜と情けない声を出しながら、皐月が完全にやらかしたと言いたげにうずくまる。それを見た夜長が「何してんの皐月くん……」と肩をすくめ皐月の近くへと歩み寄り、肩を叩く。
「こうなったらもう隠し通すの難しいと思うんだ、僕」
「僕もそー思う……」
「……言っちゃっていいかい?」
「頼んだ夜長……」
これはなかなか精神的ショックが強そうだな……と落ち込む皐月の頭をポンと撫で叩き、夜長は美桜や他のみんなへ向き直る。
「お察しの通り、皐月くんはその『吸血鬼ハンター協会』に所属しているよ。ただ、今回の犯人とは関係はない」
「それは別に、我々がそばに居たのですし共犯が無理な事は分かります。なので気にしていませんが……何故協会の人間が助手なんです?夜長さんって吸血鬼ですよね?」
「月飛、大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、その辺もちゃんと説明するよ。まあそんなに構えるほどの話でもないし、一つ紅茶でも淹れてのんびり語ろうと思うよ」
「ほーん。なら私に任せろ、ココア淹れてくる!」
「まだ何も言ってないよー?まあいいや。ほら、みんな応接間のソファにでも座ってよ。皐月くんも立って立って。君のことなんだから、君の口からも何か喋らせるからね」
「ええ……鬼畜……」
そうして(ココアを淹れに行ったアルト以外)全員が応接間のソファに座る。この状況で依頼人が来たらどうするのだろうか、とアルトは少し思ったが、気にせず湯を沸かしココアを作る。
「さて、それじゃあ話そうか。皐月くんの秘密を」
「よーし、ココア完成!たぁんと飲めよな!」
「あら〜、ありがとうアルトちゃん!あったかいわ〜」
「毎度思うんですけど、なんでココアなんです?」
「え、美味しいからだけど」
「僕は紅茶って言ったけどねー?」
「また今度な!」
「その今度はいつ来るんだい……?」
「…………あぁ……なるほど……」
全部アルトさんの気分かー、と美桜はココアを口に含みつつ納得する。
そんなこんなで全員にココアが行き渡り、皐月の話が再開されたのだった。
「単刀直入に言おう。皐月くんは、二重スパイなんだ。元から僕の味方だよ」
「えっ!?なんだそれ!カッコ良すぎるぞ、皐月!」
「そ、そうだろ……二重スパイなんだぞ……」
「いつもの威勢がありませんね……よっぽど重傷と見ました」
「うるさいよ美桜くん……」
「それで二重スパイってなんだ!どーゆーことだ!?どの辺が味方なんだ!?」
「元々僕の助手として着いてきてくれたんだ、皐月くんは。……うん、そうだな。まずは僕たちの出会いから語るべきかな」
夜長は、こく、とマグカップに入ったココアを飲む。そうして一呼吸おいたのち、語り始めた。
「僕と皐月くんは、小学校時代の友達なんだ。所謂幼馴染……ってやつだね」
「へえ!そんなに長い付き合いなんですね」
「あら、そうだったの?お姉ちゃんなのに知らなかったわ〜」
「まあ姉さんと僕は違う家に住んでいたし、クラスもほとんど被らなかったんだから、知らないのも無理ないよ」
「そうね〜、五年生の時だったかしら?それくらいよね〜同じクラスになったのって」
「そうだね。その時は皐月くんは同じクラスじゃなかったし、皐月くんの事を知らなくても無理ないよ」
「そうなのね〜、知らぬ間に月飛に友達が出来て、お姉ちゃん嬉しいわ!」
そういうのやめてよ、と呆れながら言いつつ、夜長は少し嬉しそうに笑う。対する皐月は、表情は暗いままどこか複雑そうに俯いている。何故そんな顔をしているのか、美桜には何も分からなかったが、ヘッドホンを外す事はしなかった。
「それで、皐月くんが協会に所属している理由なんだけど……、皐月くん。ここからは少し踏み込んだ事を話す。なるべく簡潔に喋るけど、止めて欲しかったら言っておくれよ」
「……ああ。わかった」
「何を話すんだ?」
「…………」
皐月は覚悟を決めた顔で、夜長に頷く。
彼の何かしらトラウマに関わる話なのか?と美桜は予測する。彼の能力についての話になった時、何か慌てていた、というか、穂含月夜と何かあった事が分かる反応をしていたが……果たして。美桜は心が読めはするが、(その場で鮮明に思い出したなら別だが)そういった奥深くにある記憶に関わる部分は、美桜が深く意識して能力を使わない限り、読み取る事はできない。あの場で「そこまで深くは聞き取らない」と言っていたのは、真実であったのだ。
「……君たちは、14年前にこの街で起こった災害を知っているかな」
「…………」
「あー、なんとなーく聞いた事はありますね。まあ2歳の時の話な上に、被害が大幅に出た地域から離れてたので、記憶は朧げですが」
「ふーん、そんなモノがあったのか。初耳」
「まあ椿紅くんはここらの生まれじゃないものね」
「あ、そうだったんですね。てことはもしや転入生とかなんですか?」
「そうだな!去年こっちに来たんだけど、なんか知らんがすっごいザワザワしてた覚えがある」
「まあ、高校生の転入って珍しいですもんね」
高校生が楽しげに転入生トークに花を咲かせる中、穂含月夜はただ黙って、しかしどこかそわそわとした困った、もしくは苦しそうな顔をしていた。
「……姉さん、大丈夫?どうしたの」
「ええと……その。月飛は、その災害を知っている、のよね……?」
「……うん」
「どうしよう、私、月飛と同い年なのに、その話知らないわ……!」
「…………」
焦る月夜に、一同は一斉に静かになる。
「その当時別の場所に居たとかではなく?」
「というか夜長と同い年なのか!?全然そうに見えないんだけど!夜長ちっちゃ!」
「その話今関係なくない??あと別に双子でも成長速度とか違うとこあるからね?」
「え!双子なのか夜長お前!!」
「今の話でわからなかった?!同い年だからね僕と姉さん!まあ2ヶ月離れて生まれたから厳密に双子と言えるか分かんないけど」
「いやあのどうでもいいですって今その部分は!!月夜さん、大丈夫ですか?すみませんこの人たちすぐ脱線するので……」
「おいミオ!私たちがおかしいって言うのか!?」
「おかしくないですし私も驚きましたけど!そっちは本題じゃないでしょう?!」
「まあまあ、落ち着いて美桜ちゃん。アルトちゃんも。大丈夫だから、ね?それで、お話の続きだけれど……その時は流石に加賀瀬尾に居たわ。だから、大規模な災害があったなら、私も知ってないとおかしいのだけど……」
月夜は目を伏せ困った顔で黙り込む。しかしどう頑張っても覚えはないらしく、「分からないものはわからないわ。月飛、続きをお願い」と弟に続きを促した。
「……そうだね。今は皐月くんの話だものね。それで、その災害の事だけれど……起こした犯人が『とある吸血鬼である』事が分かったんだ」
「ええ!?さ、災害に犯人が存在するんですか?!それなんて陰謀論?!」
「それで、僕も姉さんも吸血鬼だろう?だからより狙われやすくなってね……牽制と偵察を兼ねて、皐月くんには吸血鬼ハンターの根城に行ってもらってるんだ」
「……ええと。それまでも狙われてたんですよね?なのに学校に……?」
「うーん……説明が難しいんだけどね」
「――あの団体は普段、吸血鬼が人間を害さない限り手を出さないんだ。だから、あの時ばかりは動いた」
突然皐月がよく通る声で夜長の言葉を遮り、立ち上がった。彼はそのまま別の部屋に消えていき、いつも(教師時)とは違う色のジャケットを持って現れた。
どこか思い詰めているような顔に、美桜はヘッドホンをバレないよう少しズラし、その真意を測ろうとする。恐らくあれは協会へ行く時に着ていく用なのだろう。であるのなら、先ほど警察に言われた『被害者が消えた事件』を確かめに行くのだろう、と見当がつく。しかしそれだけでここまでの顔をするだろうか。まるで戦場で仲間を失った、ソイツの分だけやらなくてはならない、と覚悟を決めた戦士のような顔。この話は、まだきっと、なにか重大な出来事が絡んでいる――そう美桜には感じるのだ。
「皐月くん、行くのかい」
「うん、ちょっとね。さっき震警部が言ってた事を確かめに行ってくる」
「そうかい。気をつけてね」
それだけ言って、会話は終わった。
美桜は皐月が事務所から出ていくまでずっとバレない程度に彼を注視し聞き耳を立てていたが、それだけの時間では深く聞き入る事はできず、大した成果は得られなかった。消化不良の顔をしながら、ヘッドホンを元の位置に戻す。
「行っちゃったな」
「行っちゃったわね〜」
「……そういえば、今回の事件ってどう処理するんですかね」
「あー……うーん。どうなんだろ。世間的には吸血鬼やその他妖怪は隠された存在で、居ないと考えている人の方が圧倒的に多いからね……被害者が吸血鬼だと僕が言ったところで、警察も世間も信じてくれないだろうね」
「でも目撃者は居るじゃないですか。服を着ていたのなら服も残っているでしょうし。「この町の誰々さんは吸血鬼でした」という事実と証拠は十二分にあるわけで……」
「それでもたぶん大々的な調査は行われないんじゃないかな。服や目撃者は居ても、遺体は残ってないから罪に問いにくいし。もしかすると集団幻覚として片付けられてしまうかもだ。刺したっていう皐月くんの同僚もうやむやになって釈放は十分あり得るね」
「ええー?正義の警察がそんなんでいいんですか?!」
「って言っても遺体が無いし……見てない人や妖怪を信じていない人にとっては説明しにくいでしょ?そもそもこの街に吸血鬼が居るっていうのは昔の話だ。今の人たちは吸血鬼がもしかしたら隣に居るかもなんて、信じないんだよ」
「……そんなの、人によりません?というか昔の話なら、それこそ昔からこの街に住んでる人なら信じてくれそうですけど……」
「おいおいミオ、さっきの皐月の話で分かんないか?」
美桜と夜長の議論に口を挟んだのは、まさかのアルトだった。彼女はとても得意げな顔をして美桜の顔を覗き込んでいる。
ちなみに月夜はにこにこしながら三人の会話を聞いている。
「吸血鬼ハンター協会が何故あるのかを!!」
「えっアルトさん分かってるんですか?!」
「えっあの椿紅くんが?!?!」
「いや、分からんけど」
「なんだ、期待して損した」
「でもこの街でしかあんな協会も神社も見た事ないぞ」
「神社?この街の神社って……もしかして紅月神社ですか?なにか変なところありましたっけ……」
「ん、あそこ多分吸血鬼居る」
「え。な、なんで」
「あー……じゃあその辺も教えようか。この街の歴史――鶏鳴町と、吸血鬼の歴史を」
そう言うと、夜長はまた所長室に入り、一冊のファイルを手に取りながら戻ってくる。
そこには『鶏鳴町』とだけ書かれていた。
§
「どうも」
男は小さく会釈をする。
窓の向こうには、男と同じジャケットと同じピンバッチを付けた、真面目そうな男が座っている。
「面会に来ました。雪待桔梗先輩」
真面目そうな男は、何も言わない。ただガラスの向こうの男が、面会用の椅子に座るのを見ているだけだ。
「今回の行動、あれは一体なんだったのですか?先輩らしくない。何か、考えがあってのことだったのですか?」
男は答えない。
彼は後ろに控える警察官をチラと横目に見たが、しかしやはり沈黙を突き通す。したのは数回の瞬きだけだ。
暫くガラスの向こうも沈黙していたが、やがて目を閉じ一つ大きなため息を――わざとらしく――して、立ち上がる。
「分かりました。もういいです。僕は帰りますね」
ガラスの向こうに軽く会釈をして、男――皐月は席を立ち、面会室の扉は閉ざされた。
雪待桔梗と呼ばれた男は、目を深く閉じ祈りのように何かを呟く。そして警官に促されるまま部屋を後にした。
後には静寂だけが残った。




