巳の四つ 普通ノ私立探偵
しぃんと辺りに静寂が灯る。
得意げな美桜の顔と、ソティスと夜長のポカンとした顔のコントラストが面白いな、と皐月は思った。特に話は聞いていない。
そしてアルトは話し合いに飽きたのか、猫と一緒に、その辺に生えていたエノコログサで遊んでいた。
「ええと、つまり?」
最初に静寂を破ったのは夜長だった。
理解が追いついていない、という顔つきだ。
そんな顔を見て、美桜はわざとらしい大きな溜息をつき、すぐに人を小馬鹿にするような顔をする。
「探偵でしたら、そのくらい推理したらどうですかー?」
「うわうっざ」
「えっもしかして夜長分からないのか?!」
「皐月くん煽りの加担しないで?大丈夫、気更来くんが言わんとしてる事は分かるから」
「では何が分からないのです?」
美桜はキョトンとした顔で夜長に質問する。
「いや、君が何をどうやるのか見当もつかないというか。そもそも猫殺しは罪になるのかい?」
「は????にゃるんだが?????罪も罪で大罪にゃんだが??????」
夜長の疑問に、ソティスが凄い形相で食いついてくる。
そんな白猫に夜長は「うるさい」と目で訴えるように睨みつけ、ソティスも負けじと睨み返す。
また空気が張り詰める…と思った最中に、美桜の拍手が鳴り響く。それにより、緊張しかけた空気と意識が美桜に向く。
「はいはい、落ち着いてくださいねソティス。そして夜長さん、ソティスの言う通りこれは立派に罪になります。探偵ならちゃんと法律は学んでくださいね?」
「…ごもっともな意見だね。反省してるよ」
はは、と目を伏せ夜長は苦笑する。
「というか法律知らなくても探偵ってなれるんですね?」
「いや、たまたま知らなかったってだけだよ。それに僕はたまに怪異事件を解決している程度の、普通の私立探偵だよ?そこまで詳しく法律やらなくても大丈夫だったんだよ」
「…もしかしてですが、夜長さんって探偵業やる時に役所に届出とか出してない感じです?」
訝しげな表情で美桜はそう尋ねる。
というのも、探偵業を自分から始める時は法律に基づき役所に届出を出さなくてはならないのだ。元々ある探偵事務所にバイトなどで入る場合は特にこれといった条件や資格は必要ないが、自主的に新たに始める場合は許可がいる。
「…いや、僕のいる探偵事務所は実は伯父から譲り受けたものなんだ。二人が来る前は叔父さんの手伝いをしてたんだ」
「ああ、そうだったんですね」
「そうだったのか!」
「あっアルトさんも知らなかったんですね」
「いやアルトだけじゃないぞ、僕も」
「でしょうね。心読むまでもなく予想はついてました」
茶番の空気が流れる。
会話に入れないソティスは静かに後ろ足で顔をかいていた。
「で、それでどうするんだい?本当に法を使って怖がらせる事はできるのかい?」
「というか、さっきから謎だったんだけど、猫は死んでもその個体のまま生き返るんだろ?その殺された子も実は生きてるんじゃないの?なんでそんなに怒ってるんだ?」
夜長の問いに被せるように、アルトはソティスに尋ねる。
ソティスはその問いを聞いて凄い形相で、しかし淡々とした口調でこう答えた。
「それは、頭と胴があれば、の話にゃ」
それだけ言うと、白猫は黙ってしまった。
「!それって…」
「…むごい」
白猫の一言で全てを察した夜長とアルトは、苦虫を噛み潰したような顔で、絞り出すようにそう言った。
「…喩え野良だとしても、生き物は生き物です。それはその辺にいる小供を無差別に面白がってなんの感情も無しに殺すのとなんら変わりません。…ですので、罰が必要です。二度と、こんな事をしないように」
言いながら、美桜はおもむろに歩き出した。
方向は夕顔町の方だ。
突然歩き出した美桜を、三人と一匹は慌てて追う。ちなみにソティスは大勢の猫たちにその場で待機するように言いつけた。
「犯人は夕顔町の人間ですか?」
「え?ああ、まあそうにゃけど…」
「犯行時間は?」
「…15時くらいだと推測してるにゃ」
「では、犯行現場は?」
「恐らくさっきの神社か海岸の方にゃ。でも胴が見つかったのが神社だから、そっちの方が可能性あるにゃ」
「犯人たちの行動パターンは?」
「平日は学校に行った後にゲームセンターやコンビニなんかにたむろしてるにゃ。部活はしてにゃいっぽいにゃ。あ、三人組の中学生でこの三人は大体いつも一緒にいるにゃ」
「ふむ。では最後の質問ですが、ソティス。貴女は人間に化ける事ができますか?」
「…できにゃくはにゃいけど…どうしてにゃ?」
ソティスの疑問には答えず、美桜はピタリと足を止め、こちらに振り返った。
「——上出来です。これで、舞台は整いました。明日またここに来ましょう。その時にまた詳しくお話します」
にっこりと笑い、少年は足早に坂を下っていった。
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ある日の昼下がり。
三人の少年が、くだらないことを話しながら歩いていた。
「そういやさあ、この前のアレ面白かったなー」
「ああ、あの猫?」
「猫よりその後の小学生の乱入の方が草生えたわ。なんだったん?まだ頬痛いんだけど」
「まあ返り討ちにしたからどうでもいいべ。で、今日はどーすんよ」
「今日もゲーセンでいいんじゃね?」
「だなー」
などと話しながら少年たちは夕顔町を歩く。
目的地はこの市のランドマークたるデパートのゲームセンターだ。
その途中、路地の近く。
彼らの前に見慣れない遊び相手が現れた。
——「ところで彼らに動機はあるんでしょうか?」
——昨日と同じ、寂れた猫だらけの神社前で、少年は猫に問う。
——「そうにゃー、推測で申し訳にゃいけど、たぶん…」
その猫は少年たちを一瞥すると、突然一人の少年のスネ目掛けて噛み付いた。
「イッテェ!?!てめぇ何しやがる!!」
そして華麗に素早く彼らから離れると、クルリと踵を返して近くの路地へ入っていった。逃げるように——いや、誘うように。
ちなみに、猫に本気でスネを齧られるのは無茶苦茶痛い。
猫を追って、少年たちは路地を走る。
前方の猫を見失わぬように、3人は常に目を光らせ走る。
しかし、一本道ではない路地へ誘導されていたのか、途中の曲がり角へ猫は消えてしまった。
——「相手が一瞬間でも見失えばこちらの勝ちです」
「しめた!あそこは袋小路!!」
「もう逃げ場はねぇ!!」
「クソネコォ!!覚悟しろよォ!!」
怒声を上げて、猫の通ったはずの角を曲がる。
しかし、そこには。
「ここに猫は居ません。彼女はもう上に逃げましたから」
黒と赤の浴衣を着た、10歳くらいの小さな少女しか、居なかった。
——「どうしてここでソティスなのにゃ?普通に探偵さんたちでもいいんじゃにゃいのかにゃ?」
——「今回問われるのは動物愛護に関する法律ですが、貴女が出る事でまた別の法が動くかもしれませんからね」
——「…ごしゅじんって意外と腹黒いよにゃ」
——「小賢しいと言って欲しいですね」
——「どっちもどっちだと思うんだけど…」
——美桜の悪い顔に、夜長は思わずため息をつく。
「アレは私の飼い猫です。何をしようとしていたのですか?」
凛とした、厳格な、そして荘厳な物言いに、3人は少し怯むが、相手は小さな少女。
何も怖がる事なんてないだろう、そう3人は思い直した。
「いやいや、ただちょっと遊ぼうかなってね」
「別に怒ったから一発殴らせてくれとは思ってないからね〜」
「オイなんでそれ言う(小声)」
3人の少年は先程までの荒々しい口調から一転、猫撫で声で少女に弁解する。
少女は目を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「つまり、私の猫と一方的な遊びをしたかったのですね」
何も言えなくなったのか、3人は黙り込んでしまった。
少女は目を開き、射抜くように3人の目を見つめる。
そして、ふぅ、と一つ息をつき、少女はゆっくりと凛とした口調でこう言い放った。
「『愛護動物』を殺したり傷つけたりする行為は、立派な犯罪です。しかも、誰かの…私の所有物であるため、器物損壊・動物傷害罪にも問われ、貴方たちの罪は重いです!」
——「ちなみにこれどんくらい重いんだい?」
——「2年以下の懲役または200万円以下の罰金の刑、及び、3年以下の懲役または30万円以下の罰金…が、課せられますね」
——「うわぁ」
——「2年以下の方が動物愛護法・野良の場合で、3年以下の方が器物損壊にあたります」
——「もうこれだけで怖い」
——「しかしこれでは止まらないでしょう。ここでの宣言は意味をなしません。なぜなら——」
「なーに言ってんだ、俺たちはまだお前の猫ちゃんになーんにもしてないんだぜ?」
「だから罪には問われなーい!」
「つーかそれ脅し?脅しにしてはパンチが足りねぇなぁ」
何か気が変わったのか、3人はヘラヘラニヤニヤしながら少女へにじり寄る。
(やはりごしゅじんの言う通りににゃったか!)
額に汗を浮かべ、少女は後ずさる。
(そもそもこの台詞は猫に何かされた後の方が効くにゃ。ごしゅじんにゃんでここで言わせたにゃ?!)
焦りが少女の顔に浮かぶ。
背後には壁。前には男達。
あと数歩。
「な、何をする気ですか?こんな年端もいかぬ少女相手に暴力ですか?」
焦りを悟られぬように、少女はキッと3人を睨みつける。
少女的にはガンを飛ばしたつもりだったのだが、3人には効果は無く、歩みを止める事なく進んでくる。
「そうだなぁ、何も言わないなら痛くはしないかな〜」
——あと約5歩。
「おおっと、防犯ブザーなんて鳴らしてみろ?一瞬でボコすからな?」
——あと約4歩。
「はん、できるもんならやってみなさいよ!寄ってたかって猫殴り殺して楽しんでいる程度の中学生3人なんて敵じゃないわ!」
——あと約3歩。
「へーよく吠えたじゃん。じゃあその猫のようにならないように黙ってヤラレろ?」
——あと約2歩。
(もう限界にゃ…!)
——あと約1歩。
「ほーら捕まえた!」
袋小路。
少女は男たちに腕を掴まれる。
「にゃっやめろ!」
「へー可愛いねー?にゃっだって」
少女の腕力では男たちを振り切れず、抵抗は意味をなさなかった。
「とりあえずジッとしてもらうか!」
「だな!」
「ちゃんと捕まえてろよー」
「ここから憧れのアーンな展開が巻き起こるんだな!?」
「バレなきゃ問題ないからな!俺の愛読書にも書いてある」
相手が中学生だろうと、それは男である事に変わりはなく。
少女は(嗚呼、くーちゃんもこんな気持ちだったのか)と思った瞬間、意識が暗転した。
殴られたのだ。
その後、男達は気を失った少女を好き勝手しようと服に手をつける。
そんな時だった。
「君たち、そこで何をしようとしているんだい?」
幼い、それでいてしっかりとした声が、路地に響く。
——「さあ、チェックメイトです」
茶色い帽子に、茶色いケープ。
茶色い髪に、赤い瞳。
幼い少年探偵のような人物が、そこに立っていた。
「なんだお前」
「コスプレか?」
男たちは一応少女を少年から見えないように隠しながら、少年に悪態をつく。
それに怯む事なく、少年は3人に近づいていく。
「僕の質問に答えてくれるかな?」
無表情のまま、強い口調で3人の男に言葉を投げる。
その目は、まるで幼さを感じられない、それはもう幾度の修羅場を乗り越えてきたと言わんばかりの光が宿っていた。
コイツ只者じゃない。そう男たちが身震いし警戒するも、既に遅く、少年はもうすぐそこだった。
「お前…お前なんだ?!俺らに何の用があるんだよ?!」
大声で3人のうちの一人がそう言い放つ。
暗い光を宿した少年は、その問いにこう答えたのだった。
「僕?僕は数日前に行方不明になった猫ちゃんを探している、ただの探偵さ」
——「そういえばその子は本当に野良だったのかい?」
——「…野良にゃけど、ソティスと似てる感じにゃ」
——「というと、餌をくれたり会いに来てくれる人間が居たって事ですね?」
——「そうにゃ。小学生くらいの女の子にゃ。彼女はその子の事を『くーちゃん』と呼んでたにゃ」
「ね、猫?猫と俺ら何か関係あるんかよ?」
「いや、何か隠してるでしょ、今。それって実は猫なんじゃないかなって」
ジリジリと近づいてくる。
男たちは隠した少女をどうにかしたいが、下手に動くと目の前のこの少年に、全てバレてしまいそうで、できなかった。
「数日前から居ないんだって、その子。一縷の望みを掛けてここに来たんだ。君たちが囲っているのは本当に猫じゃないのかい?」
「ね、猫はいねぇっつってんだろ!!」
「何もねぇよ此処には!」
「もし君たちが暴行でもしていたら、大変な事になる。だってその子は野良じゃないからね」
その言葉を聞いて、3人は息を飲む。
先程少女が言っていたことを理解する程度の脳はあったらしい。
「まあそんなに必死に違うと言うのなら信じようか。でもそれはともかくとして、何をそんなに隠しているのかは気になるなぁ」
「ッ!!」
探偵は足を止めずに近づいてくる。
何を隠しているか。それを上手くごまかせる言葉を必死に探すが、3人にはどの言葉もさして意味をなさないと感じ、汗を滝のように流す。
ここで正直に女と言ってもダメ。
誰かを虐めているも、別の動物を匿っているも、おそらくダメだろう。
こういったタイプは自分で秘密を暴かないと気が済まない。そう思い至って、彼らはもう「何もいねえよ!」以外言えなくなってしまった。
「でも僕ってば探偵だからね。隠されたら知りたくなるんだよ、猫と同じで」
その言葉を聞いた3人は、何か思いついたのか目を見合わせニヤリと笑う。
「じゃあその猫ちゃんと同じ目に合ってもらおうか!」
「好奇心猫を殺すってな!!」
その言葉を皮切りに、3人は探偵目掛けて走り拳を振り上げる。
しかし。
「…女の子か」
探偵は、サッと三人分の攻撃をかわしてしまった。
そして素早く少女の元に駆け寄った。
少女の穢れない和服は、はだけて肌が露出している。幸い気絶以外は特に大事なかったようで、未遂で終わった事を物語っている。
「なっ、テメェ!!」
血気盛んな少年がまたも突っ込んでいく。
そんな彼を止めようと残りの少年が大声を上げる。
「待てもう逃げよう、ここまできたら俺ら通報されて終わりだぞ?!」
「うるせぇ!!そのスカした顔一発殴らせろ!!」
そうして振り上げた拳が空を舞う。
——ドゴンッ!!
重いものが壊れたような、そんな音が路地に響く。
探偵は突っ込んできた少年——より、おそらく照準はその後ろの建物に人差し指を向けていた。
何が壊れたのかは、最早分からなかった。
少年の拳は、探偵の顔に届く前で止まっている。
拳より早く物音が響いたため、驚きで固まってしまったのだ。
そして、
「何事ですか探偵さん!?」
その音を聞きつけたのか、警察官の服を着た男が現場に入ってきた。
——「なあこれ使ったら面白そうじゃないか?!」
——「いい物お持ちじゃないですか!使いましょう!」
——皐月の手には警察官の服(コスプレ用)が握られていた。
——「いやなんでそんな物持ってきてるのさ…」
——「えっ事務所で見つけたんだけど夜長の私物じゃないのか?」
——「それ多分叔父さんの私物」
——「叔父さん何者だよ」
「うそだろ…」
「なんでこんなに早く警察が?!」
三人の顔が絶望に染まる。
この後どうなってしまうのか、それがありありと三人の脳裏に浮かぶ。
「なんで、って…そりゃ待機させてたからね。僕が先に入って、何もなかったらそのまま別のところに行く…みたいな取り決めでね」
「な、なんだよ、その警官はビビリか?」
「いや、先に何か発見されたら僕が悔しいからかな」
「お前の都合かよ…」
しょうもない理由に、少年たちは肩を落とす。
そんな落胆を掻き消すように警官が一歩前に出る。
「あの、それで猫ちゃんは見つかったんですか?その三人が誘拐していたと言う事でよろしいでしょうか」
「ここに猫は居ない。いや、この世にもう居ない。そうだろう?そこの少年たち?」
そう言いながら、探偵は目の前の犯人たちを睨み付ける。
鷹を射抜くような鋭い目線を向けられ、少年たちは足がすくんで動けなくなった。
しかし、その内の血気盛んな少年だけは違い、恐れをなして慌ててその場から逃走しようとした。
突然の出来事に戸惑い、警官はその少年を捕らえることが出来なかった。
だが。
「おっと」
角を曲がってきた誰かに、彼はぶつかってしまった。
——「まあ、念には念を、と言う事で」
——美桜はアルトの肩をぽんと叩く。
——「これで、最高の舞台に仕上がりましたね!」
——「ところで、気更来くんは演らないのかい?」
「大丈夫か?いきなり飛び出すのは危ないぞ!」
金髪赤目の少女が、後ろに二人の警官を連れてやって来ていたのだ。
「なっ…なんだ、なんだよお前…」
追加の警官が来たことに、少年の顔は青ざめ尻餅をついたまま後ずさる。
「ん?私はただの女子高生、椿紅アルトだぞ!」
ドヤ顔で女子高生はそう宣言する。
それに続くように右の警官が敬礼しながら一歩前に出る。
「自分は加賀瀬尾市警察署所属警官の盛艮嘉月です!」
「いや盛艮くん、答えなくてもいいですよ。真面目ですか」
呆れて左の警官がツッコミを入れる。その声は何処までも冷静な物だった。
「というか既に警官来てるではないですか。無駄足でしたかな」
「え、でも制服ちょっと違わないですか?どこの警察署でしょう?」
そう言われて先に来ていた方の警官はドキッとしたが、すぐに冷静に「南風田市の交番の者です」と答えた。言われてみれば、所々違っているような気がする。
「ああ、そうなんですね。しかし何故加賀瀬尾市に?」
「そんな事はどうでも良いでしょう。此処で何があったか洗いざらい吐いてもらいましょうか。そこの中学生三人は署に。盛艮くん、手錠」
「はっはい!」
盛艮の疑問を掻き消し、左の警官はテキパキと作業を始めた。
「ま、待てよ!俺たちが何をしたって言うんだ?!お前らは何も知らないわけだろ?!」
「ええ、ですから。ここであった全てを私たちに洗いざらい教えてほしいのです。あの奥で探偵さんに介抱されてる少女の件とか、猫殺しの件とか」
「え…?な、なんで…猫の方…バレて…」
「おいミハル!なんで言っちゃうんだよ!!」
警官の言葉に、茫然自失といった感じでミハルと呼ばれた血気盛んな少年は呟いてしまった。
恐らく、他二人は黙っていればバレないと思っていたのだろう。
「猫殺しの件ですか…ちょっとしたタレコミが入りまして、まさかと思いカマをかけて声に出してみましたが…当たりでしたね」
勿論、そんな少年たちの呟きも、この警官には丸聞こえである。
「震さん、奥の少女はどうします?」
「ああ、そこの探偵と警官に任せていい。私たちは署に戻るとしよう」
そう言うと震と呼ばれた警官は探偵を一瞥すると、三人の中学生を連れて路地を出て行こうとする。
「待ちたまえよ、震警部」
不意に探偵が震に声をかける。
その声に彼は振り返る。と、すぐに彼の胸めがけ何かが飛んできた。
「…なんでしょうか、これは」
それを綺麗にキャッチし、マジマジと観察する。録音機のように見える。
「あまり警戒しなくてもいい。ただのボイスレコーダーだからね」
「ふうん…そうですか」
何かを納得したのか、震はそのボイスレコーダーを胸ポケットに入れて、三人の中学生たちを連行する。
「あ、では失礼します!そちらも交番勤務頑張ってくださいね!」
最後に盛艮がそう挨拶をして、加賀瀬尾市警察署組は路地から去っていったのだった。
去っていく途中、納得いかないらしい中学生三人組の一人が「なんだよ!猫殺しただけでなんでそんなに怒られなきゃいけねぇんだよ!!」と叫んでいるのが聞こえた。
「そりゃあ人で例えれば殺人ですし。盗むのだって窃盗になりますし。死体遺棄というのも当てはまりますかねー」
「ああ、気更来くんいたの…」
そんな叫び声の余韻が残る中、突然その辺の室外機の影から美桜が出てきた。
——「何言ってんですか。私はただの脚本家で演出を担当する舞台監督ですよ?監督が舞台に上っちゃダメじゃないですか!」
「さあて、今日の芝居はこれにて仕舞いです!皆さんご協力ありがとうございました!」
パチン、と美桜は手を叩き、舞台の終わりを告げる。
すると、奥で倒れてるはずだったソティスがむくりと起き上がった。
「あー…もう終わりかにゃ。いやしかし酷い劇だったにゃあね…」
「ワァ、ピンピンしてらぁ」
「そりゃそうにゃ。ソティスは八個目の魂を謳歌中の猫又にゃんだからにゃー!」
棒読みでビックリする皐月と得意げなソティス。これまでの事が本当に芝居であった事を深く思い知らされる。
「ところでにゃんでソティスだけこんな役にゃのかごしゅじんには納得のいく説明をしてもらおうか!?」
そして銀髪の少女は凄い形相で飼い主に詰め寄っていく。
美桜は大粒の汗を垂らしながら「え、えーと…」と言い訳を考えているようだが、上手い考えがあまり思いつかないようである。
「…ふっ、ははは!いや私は満足だぞ!こんなに楽しい依頼は初めてだな!夜長!」
「ええー?そうかなぁ…僕はなかなか際どいなぁって思ったけど…」
そんなソティスと美桜の姿を見てか、アルトは大声で笑う。
「ところで夜長、あの警官…いや警部って呼んでたけど知り合いか?」
「ああ、まあそこは…うーん今度話すよ」
皐月は帽子とネクタイを取り、夜長に手渡す。いらないよと言いつつ、夜長はそれを受け取った。
そうして、猫殺し事件は犯人たちの逮捕をして、幕を閉じた。
——その後、夜長探偵事務所。
「いや〜でもソティスが見つかって良かったです!ありがとうございました!」
ぺこりと美桜は頭を下げる。
「ええと依頼料…何円くらいになりますかね?」
「うーん普通は2万円くらいなんだけど、今日は色々あったから3万円に値上げしちゃう」
「な、なんでそうなるんですかー?!!?」
ピシャーンと雷が落ちたようなショックが美桜を襲った。
そんな飼い主をソティスは冷めた目で見つめていた。
「いやうんだってあんな大掛かりにやるかい?普通。しかもせっかく探してた愛猫をああいう風に利用するとか君人の心あるのかい?」
「夜長さんに言われたくないですー!」
「…流石読心能力者だね。一応人の心あるフリしてるつもりだったんだけどなぁ…」
「そこはつっこんでくださいよォ!!」
いつになくシリアスな声色で受け応えた夜長だが、むしろ逆に面白さを誘っていて、後ろで聞いてたアルトは吹き出してしまった。
更に追い討ちのように美桜が真面目な顔した夜長にツッコミを入れたもんだから、アルトの腹筋はもう大変だった。
皐月とソティスは「なんでコントしてるんだよ」とつっこみたくなったが、そっと胸の奥に仕舞い込んだ。アルトの腹筋をこれ以上どうにかさせるのもアレだったので。
「…で、どうするんだい?」
落ち着いたところで、夜長が会話を切り出す。
美桜は少しの間青い顔で悩んでいたが、胃を決したかのように、夜長の目を真っ直ぐに見つめた。
そして、立ち上がり、
「ここで匿ってください!!」
と大声で言ったのだった。
シーンと静まり返る事務所。
その静寂に、美桜は自身の誤ちに気づいたのか、こう訂正した。
「あっ間違えました。居候させてくだ」
「いや一緒だからね?!」
美桜の言葉に被せるように、夜長はツッコミを入れる。
「まあいいじゃないか。かく言う私も居候だしね!!やったねアルトちゃん仲間が増えるゾ!」
「やったねアルトちゃんてゴロ悪くねーか?あ、僕はどっちかというと食客だな。家はあるからな!」
「食客も居候も対して変わんないからね?!アルトちゃんは家ないからいいけど君はたまには帰ってあげてね?!」
夜長探偵事務所名物のコントが繰り広げられる。それを美桜は楽しそうでいいな…という目で見つめていた。
夜長はすぐにコホンと咳払いをして、美桜に向き直る。
「あー…で、気更来くん。君はお金が払えないから、此処で稼ぐ…みたいな感じでいいのかな?」
「はい、大丈夫です!」
「…お母さんからはお金、出ないのかな?」
「……これは、私の独断でやった事ですから。母の手は煩わせたくないんです」
それは静かに、暗く影のある声だった。
その奥ある真実に目を凝らそうとするが、夜長には何も分からなかった。
アルトは何かピンと来たが、その正体は彼女の語彙力では形容し難かった。
諦めたようにため息をつき、夜長は柔らかな笑みを浮かべる。
「…まあ、いいよ。君の洞察力、というか推理力は結構頼しそうだからね。新たな助手として頑張ってもらおうか」
「ホントですか?!」
「あ、ただし。美味しい紅茶淹れてくれないと承知しないからね?」
「紅茶ですか!紅茶派探偵なんですね、夜長さん!頑張ります!」
ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねる美桜は、何処かウサギのように見えた。
(…ウサギ、か)
ふと、昨日中国語辞典で見たユェトゥーという単語が、夜長の脳裏に過ぎる。
まさか、ね。と心のどこか心配になるが、すぐに夜長はその考えを何処かに捨てた。
好奇心が駆り立てられる疑心は良いものだが、相手を悪い方に考える疑心は悪だ。
そういう考えが、夜長の中にはあった。
「おい待て夜長!紅茶淹れる担当は私だろうが!」
「いや君紅茶淹れないじゃないか!!」
そうして、その日は更けていった。
「それじゃ、ソティスはそろそろ帰るにゃ」
新たな仲間が出来てお祭り状態の事務所を、いつのまにか少女の姿から猫の姿に戻っていたソティスが去ろうとしていた。
それを告げに来たのは、どうやら夜長だけのようだった。
「…?気更来くんには何も言わないのかい?」
「いいにゃ。アイツはソティスがいつの間にか居なくなって泣き喚けばいいにゃ」
ソティスはジト目で美桜を睨み付ける。
それを見て夜長は相当根に持ってるな…と感じた。
「あ、送っていくかい?」
「大丈夫にゃ。猫の帰巣本能をにゃめるにゃ」
「いやそれがあったら苦労しないのですが…」
「ま、それは兎も角。ごしゅじんを——気更来美桜を匿うなら、注意した方がいいにゃ」
「——え?」
それは、突然の忠告だった。
「気更来美桜は、不安定だからにゃ」
「不安定って…精神が?」
「いや——存在にゃ」
それだけ言うと、猫は去っていった。
夜長は背中に伝う冷たい汗を感じながら、さっき捨てたはずの疑心を蘇らせた。
「…まさか、ね」
ちなみに、後日美桜は自分に何も言わず帰ってしまった飼い猫に「何故ですかー!!!」と憤慨しながら、悲しそうに、寂しそうに泣いていたそうな。