巳の二つ 普通ノ私立探偵
——聞きたくもない声が、聞こえてしまう。
そんなもの、最早能力なんかじゃない。
うるさい。うるさい。うるさい。
ただただうるさい。
耳を塞いでも聞こえる。
人の恨みも愚痴も悪意も明るい気持ちも秘密さえ。
誰が自分を騙そうとしていて、誰が自分を陥れようとしているのか。それが全て分かってしまう。
そのくせ、私にとって嘘であって欲しい言葉は、心からそう言っていると、真実であると告げてくる。
一言で言えば不便だ。
最早トラウマだ。
消えてほしい、そう思った時に、あの人は私の前に現れた——
「—い、——ミ—、」
誰かの声が聞こえる。
彼を呼ぶ声。
この心配気味の声に反応して、彼は目をゆっくりと開く。
「——ミオ!無事か?!」
「……やだなぁ、アルアル。私はそんなすぐに死にませんよ。あ、むしろ死んでて欲しかったですか?」
「嘘でもそんな事言うな!あとなんだアルアルって!」
「……はは、冗談ですよ。というかアルアルって妖精みたいで可愛くないですか?」
「いや別に。可愛くはない。アルトでいい」
「えぇー、つまんないですー」
ぷくーっと頬を膨らませる美桜にアルトは「こいつホントに男か?」と思いながら、思いっきりその膨らんだ頬をつつく。「痛ッ、ちょ、なにしてんですか!!」と喚く彼を見て、夜長は呆れ顔で「めっちゃ元気やん…」と呟いた。
ちなみに彼らが今いるのは駅の近くの公園。
駅に近い為に通り過ぎていく人は多いが、公園に寄る人は居ない為、倒れた者を介抱するにはうってつけだ。『月ノ宮駅』は多くの人が利用しているが救護室なるものは存在せず、それを知っていた皐月がここへ倒れた美桜を抱え、連れてきたのだ。
「ところで」
美桜がベンチからむくりと起き上がる。
3人を何か探るように見てから、彼は続きを言う。
「私のヘッドホン、持ってきました?」
「ん?ああ、あるよ。はい」
ケープの中からごそごそと夜長は赤いヘッドホンを取り出し、美桜に渡す。
「ありがとうございます!」
満面の笑みでそう言うと、美桜はすぐにそれを装着しようとした——その時だった。
アルトが、不意に手を伸ばす。
そして、その腕を掴んだ。
「なあミオ。これ、なんのために着けているんだ?」
相変わらずの無表情でそう問われ、美桜は汗を流し萎縮する。
ヘッドホンはからんと音を立てて、土の上に落ちていた。
「どう考えても曲聞いてる感じじゃないぞ?コードはどこにも通じてなかったし。もしかして私たちの声が聞きたくないのか?」
「…………」
「なんとか言ったらどうだ?」
「………そう、ですね。貴女は勘がいい。ですがその前に、腕、離してくれません?」
まっすぐ、アルトを見据える。
先程まで萎縮していたのが嘘のように、彼はただまっすぐに彼女を見ていた。
「……わかった。その代わり、ミオもちゃんと話してよ?」
「ええ。勿論」
アルトは表情を全く変えずに、美桜の腕を離した。
そして、美桜は一つ息を吐き出してから、3人に向き直る。
しばらく3人の顔を見ていたが、すぐに口端に笑みを浮かべてこう呟いた。
「……貴方達も知っているようですし、そこの説明は省けますね。楽でいいです」
「…?なんの話?」
アルトの疑問には目もくれず、美桜は人の心を覗き込むように彼女を見る。
「そうですよ、アルトさん。私は貴方達の声が聞きたくなかった。でもそれは、口から発せられる、嘘に塗れた汚い言葉ではなく。」
「………まさか」
汗が流れる。誰かが固唾を飲む音が聞こえる。
その時の三人の心は一つだった。
「——私は、能力者です。それも、読心系の」
電撃が走る。
そのくらいの衝撃が、彼女らを襲った。
美桜はその様子を見て「やっぱりね」と言いたげな顔をする。
読心能力者は、嫌われやすい。
それを、彼は身を持って知っている。
「…と言う事は、君はさっきあの優しそうな男の人の心を読んだんだね?」
確認するようにそう言う夜長を見て美桜は
「…貴方は聡明な筈です。それ以上のことを既に推理しているのではないですか?」
「…君が読心系能力者である事はまちがってなさそうだね」
「いえ、このくらい能力を使わずとも分かります」
倒れる前や起きた時まであったおちゃらけた態度が嘘のように消失し、まるで別人ような鋭い目色と真面目な雰囲気の美桜に、アルトと皐月は戸惑いを隠せなかった。実際の素はこっちなのではないか?と思ってしまうほど。
だがアルトは戸惑いつつもその雰囲気から「あ、こいつ男だ」と確信した。
「…で、どんな推理したんだ?私には全くわからんぞ、コイツが男だって事以外」
「いやそれは最初から言ってますからね?」
「最初からじゃないだろ。それで夜長、推理は?」
「そう急かさないでよ…」
アルトの全く自分で考えない態度、というよりすぐに止まってしまう頭脳に、やれやれと肩をすくめて溜息を吐いた後、夜長は彼女のお望み通りに自分の推理を話した。
「恐らく、あの男性は顔には出さないけど心の中は疲れ切っていた。心の中は荒んで、負の感情でいっぱいだったんだ。そして気更来くんはその負の感情を聞いてしまった」
「その程度でブっ倒れるか?」
「そうだね。普通はブっ倒れない。ここで僕は二つの仮説を立てた。一つ目は周りの人達の声も聞こえてしまい、脳が処理落ちしたか。もう一つは、」
そう夜長が言いかけた時、話を横目で聞きながら落ちたヘッドホンに手を伸ばしていた美桜が、不意に口を開いた。
「『過去のトラウマを想起してしまい、その拒否反応として倒れてしまった』…ですか。別に、間違ってはいませんね。どちらも正解です。流石は探偵、推理はお得意ですね」
美桜は表情を一つも変えずに、ヘッドホンを手に取りすぐさま頭に装着した。
「さて!もうこの話はこの辺にして、早くうちのソティスを探しに行きましょう!」
「あ、ああ、うん。切り替え早いね…」
にっこり微笑み、風のように公園を出て行く美桜に、夜長は戸惑いながらも、その影を追って行く。
(つまり、あのヘッドホンは制御装置って事か…)
なら、彼もあの人について知っているんだろうな。そう思いながら、夜長は道を歩いて行った。
そうしてまた四人は駅前に戻ってきた。
公園で時間を使った事もあり、たくさん居たはずの人々はまばらになっている。
「有力な情報を得られた場合、僕のところに報告ね。じゃあ解散!」
その合図の元、聞き込み調査は開始された。
数分後。
「夜長さん!有益情報ゲットです!」
「本当かい?!」
「はい!」
ヘッドホンを外した美桜が、夜長のところまで報告をしに来た。
そんな彼を見て、夜長は驚きつつも納得したように頷いた。
「…なるほど、君の言う「聞き込み調査が得意」っていうのは能力を使うからか」
「そうですね。まあさっきは不覚を取りましたけど、意識してれば大丈夫です!」
「読心能力者が無意識に弱いっていうのは本当なのか…」
知り合いの読心妖怪・覚にそんな話を聞いたな、と思い出しながら夜長はそう呟いた。
この会話の間に、美桜は思い出したようにヘッドホンを付け直した。
「それで、どんな情報なんだい?」
「ああ、それがですね!」
美桜の掴んだ情報、というのはこうだ。
この前、海の見える坂にある古い神社の近くで猫がたくさん集まっているのを見た(●●歳サラリーマン)
「…古い神社?」
心当たりのない夜長は首を傾げる。
そんな夜長を見て、得意げな顔でアルトはすぐに口を開いた。
「ああそれ私知ってるぞ。海の見える坂にあるやつだろ」
「まんまじゃないですか」
続けて皐月も思い出したように口を開いた。
「アレだよな、海の見える坂のところにあるやつ」
「だーかーらー!私が言ったまんまじゃないですか!!」
「えっこれ僕も言った方がいい?」
「言わなくていいですし話進みませんからね??」
ダメだこの人達ツッコミが追いつかない…と美桜は落胆し膝をつく。
そんな彼の肩に夜長は慰めるように手を置いた。
「ま、まあまあ、そんな気を落とさないで。二人とも知ってるんだから…知ってるよね?」
「知ってるといえば知ってるが…なあ皐月?」
「ああそうだな…南風田市からあそこには行ったことがないな…道順が分からん」
「一応知ってはいるんだね。とりあえず二人の認識が同じ所っぽいのに安心したよ…」
夜長はそう言ってホッとした顔をするが、(この二人の事だからまだ油断はできないんだけど…!)と心の中で一人戦慄していた。
「でも道がわからないんじゃどうしようもないだろ。どうすんだ、詰んだぞ私ら」
「何言ってるの椿紅くん。僕らは探偵だよ?聞き込み調査こそ探偵の肝さ!」
「えー地味。あとさっきやったし」
「文句言わない!!」
などとぎゃーすかやっている横で、美桜が何かに気づいたように動き出した。
どこかに向かって歩き出した美桜を見て、皐月はそんなことに気づいてすらいない探偵と少女の肩を叩き、美桜に声をかける。
「どうした美桜くん。なにか見つけたのか?」
その問いに、振り返りもせず、彼はこう答えて走り出した。
「ソティスを見ました」
緑の髪が、街を駆け抜けていく。
それを追う影が三つ。
一心不乱に駆けていく美桜を、三人はたまに見失いながらも追っていく。
「ちょ、ちょっと気更来くん?!それ本当の本当にソティスなのかい?!」
三人と美桜の距離が縮まった時、夜長はそう彼に尋ねた。
その時三人には猫の姿は見えていなかった。
「見間違えるはずもありません!あの特徴的な尻尾は確かにソティスです!」
「は?!尻尾?!尻尾の話なんて依頼時言ってなかったじゃないの!!」
「おい夜長、語尾がキモいぞ!!」
走りながら探し猫の新情報を出され、夜長は混乱してオネエ口調になった。
「で?!どんな尻尾なのよ!!」
「二つあるんです!そう言えば言い忘れていましたねすみません!」
一回も振り返らず、美桜はそう答える。
「ふた、つ…?!」
しかしそんな美桜とは対照的に、夜長の動きはその場でピタリと止まってしまった。
「おいどうした夜長!!」
「なに止まってるんだ夜長!!止まるんじゃねぇぞ!!」
「また美桜くんを見失うぞ!!」
いきなり止まった夜長に驚きながらも、アルトと皐月はその横を通過してしまう。車と同じように、全力疾走中の人間は突然に止まれないのだ。
大声で二人は、さっきまでの全力疾走をやめて、美桜を見失わないくらいの速さで走り続けながらそう叫んだ。
「いやちょっと待って二人とも止まって!!」
慌てて夜長は大声で二人を呼び止める。
その声の必死さに、二人は驚いて足を止めて夜長の方に振り返った。それに伴い、美桜を見失ってしまった。
「…どうした夜長。何か美桜くんに不審なところでも?」
「なんだと?!ミオが不審者な訳ないだろ!いい加減な事言ってると刺すぞ?!」
「いやそういう意味じゃないから。あと物騒な事言わないで??」
相変わらず頭弱いなぁと思いながら、皐月はアルトにそうツッコみ、夜長の返事を待った。いや、正確には夜長もまたアルトに対してツッコミか呆れた声をかけると思い期待していた。
しかし、彼の口から出たのは、そんな日常ではなかった。
「不審…というか、これ実は騙されてるんじゃないか?と思っちゃってね」
神妙な面持ちでそう夜長は口にしたのだ。
そのシリアスな顔に、思わず二人も真面目な顔になった。
「…は?おい何言ってんだ夜長、ミオがそんな事するわけないだろ?」
そもそも私たちを騙してどうする?と真剣な声色でアルトは反論する。
「そうだな。夜長、何か根拠があるのなら言ってほしい。僕は理由も無いのに、人を疑いたくはない」
皐月もアルトと同じく、真剣な眼差しで夜長を見据える。
二人のいつになくシリアスな態度に、夜長は(本気で気更来くんの事を信じたいんだな)と思って、少し寂しく笑った。
「なら言うね。
気更来くんが探しているのは、
妖怪だ」
「……!」
夜長の言葉に二人は息を飲んだ。
彼が探していたのは『猫』ではなく『妖怪』。その言葉の意味を、二人は分かりたくなかった。
冷たい風が三人の間を吹き抜けていく。
もう黄昏時は過ぎ去って、空には紺色の絨毯が広がっていた。
「……つまり、普通の依頼と偽って、怪異の依頼をしてきたということだ」
ショックで言葉が出て来ない二人を見兼ねて、夜長が替わりに言語化する。
その言葉で我に帰ったアルトが、絞り出した言葉で反論する。
「だ、だけど!ミオには心を読む能力があるだろ?!それに私たちのシステム、『花札関連の言葉を言えば怪異探偵として動く』って事を知らなかったってだけかもしれないし!」
「うん、多分能力の点は嘘じゃないんだろう。そして彼の持つ制御装置…ヘッドホンには恐らく僕の姉が関わっている。
でもならばどうしてそのシステムを知らなかった?一部の人はここの事を知っている。多くの人の心を読めるなら、少しくらい耳に入るだろう。
それに、探偵なら別の場所にも居る。ここから一番近いのは夕顔町かな。あそこは変わり者の探偵らしいけど…ともかく、僕の代わりは他にも居るんだ。
だったら何故『怪異探偵として動ける』僕らに依頼したのか?」
「……ッ!」
淡々と、アルトの反論が正論で否定されていく。
全てその通りな夜長の言葉に、アルトは何も返せなかった。
「ま、待て!僕らを騙してなんのメリットがあるんだ?!」
何も言い返せないアルトを庇うように、皐月も言いたい事を夜長にぶつける。
その言葉に、夜長は表情を変えずにこう言った。
「うん、そこなんだよね」
「…へ?」
「いやね、そこだけが分からないんだよ、僕」
予想外の返しに、二人はあんぐりと口を開けて固まるしかなかった。
先程までぺらぺらと正論を述べていたのに、まさか肝心なソコが分かっていないとは。そんな裏切られた思いがアルトの中で芽生えた。
「あ、でも仮説はあるよ」
「あるんかい!」
夜長の高速手のひら返しに、アルトはずっこけそうになる。
そんな彼女を見て、夜長は申し訳なさそうに笑いながら続きを言う。
「ひとつだけだけどね。それは、気更来くん囮説だ」
「オトリ…?」
「どういうことだ?夜長」
夜長は二人の疑問に、ゆっくり丁寧に答えを告げ始めた。
「これは推測で、僕の考えうる最悪の仮説なんだけど。気更来くんは僕らをおびき寄せる駒でしかなくて、もしかしたら彼の行き着く場所に別の何かが待っているか、或いはもぬけの殻になった僕らの探偵事務所を襲撃しているか」
「……」
「ただそこまで考えても分からない。何故それをするのかが」
「………いや、考えすぎだろ。第一、どうして私たちを襲う必要があるんだ?」
「そうだぞ、アルトの言う通りだ。…まさか夜長、この前のユェなんとかが関わってるとでも思うのか?関わっていたとしても『僕らを消す』みたいな発想はまだ早いだろ。なんの情報も掴んでないんだから」
「そぉにゃ!探偵さんは少し考えすぎだにゃ!」
夜長は少し考える素振りをしたが、二人の言葉に言いくるめられて諦めたように頷いた。
「…うんそうだね。ごめん。僕の、かん…が、え…?」
アレ?今なんか知らない声が聞こえなかった?
そう思って夜長は笑みを顔に貼り付けて固まる。他二人も同様に固まっているらしい。
なんかとても特徴的な語尾がついてて、とても愛らしい声が近く——足下だろうか?——から聞こえてきた。
「もーちょっとごしゅじんの事、信じて欲しいにゃ…」
尚も続く愛くるしい声に、三人は恐る恐る声のする方へ視線を落とす。
そこには、
二つの尻尾の生えた、
背中に星のような模様のある、
金と銀の瞳を持つ、
可愛らしい、白猫がいた。




