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ナツとシノ  作者: ふあ
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シノの過去

 細い雨が窓を叩く夜、いつもの様に囲炉裏端で寄り添うナツとシノに物語を聞かせながら、ふと老爺がナツに問うた。だが、訊かれても、シノがどうして声を出せないのか、売られた理由が貧困だったのかということは、ナツも知らなかった。そうして、自分は彼のことを何も知らないのだと思い知る。声を出せないシノから無理矢理言葉を引き出そうと思うこともなく、当然のように傍で過ごしているが、彼が嘗ては言葉を話せたのかどうか、それすらもナツは知らなかったのだ。

「辛いことが、あったんだろうな」

 しみじみという老人に、シノはにこにこと笑う。彼の笑顔は、この小屋にやってきてから一層屈託がなくなり、年相応のあどけなさを出すようになった。

 ナツの言葉に、大丈夫と頷く彼は、やがて指に鉛筆を挟んだ。元々ナツもシノも読み書きは出来たが、それは最低限の簡単なものだったので、ここでは少し難しい言葉を二人が教えてくれていた。

 シノは自分の生い立ちを、老婆に渡された紙に、少しずつ物語り始めた。


 シノが生まれたのは、ひどく貧しい家だった。貧困に喘ぐ村の、更に貧しい家族だった。早くに死んでしまったという父親の顔は知らない。病に冒された母と、年の離れた兄と姉との四人家族だった。

 だが、裕福ではなくとも、幸せな家だった。幼い子どもや兄弟を売ろうという考えなど誰ひとり持たず、母は、少ない食事をいつも子どもたちに分け与えた。兄は、妹である姉に。そして姉は、弟であるシノに分けた。弱者を虐め抜く連鎖など、どこにも存在しない、優しい家だった。

 それが全て壊されてしまったのは、シノが七つになったある夜だった。

 闇に紛れて、奴隷狩りがやってきたのだ。

 奴隷を狩るのではなく、奴隷にする者を狩る彼らのことを、人々は恐れた。彼らに目をつけられれば、全てを失い、人とも成りえず、自由を殺されてしまうのだ。そうして白羽の矢が立てられたのが、シノの家族だった。

 他の家は幾ばくかのなけなしの金を払い、その惨事を免れていた。しかし、そうして安全を得た村人たちが差し出したのは、最も貧しく、守るもののいない家だった。いつか来たる不作と重税の折に金を貸し付けてもらう算段を主人と交わし、代わりに彼らを売ったのだった。

 シノは、覚えている。闇の中からやって来た恐ろしい人間が扉を蹴り開け、最も近くに寝ていた姉の腹を刀で薙いだ。何が起きたかわからない自分を母が抱きしめ、兄は勇敢にも彼らに向かっていった。だが彼らは、まだ年端のいかない兄にも容赦はなく、彼が従う気を見せないと知ると、その胸に刃を埋めたのだ。

 やめて、お願い、もうやめて!

 叫ぶ母の声は、男たちの怒声に掻き消えた。彼らは主人の命で子どもをさらいに来たのだと言った。大人しく子どもを渡せば命までは取らないと母に言った。

 だが母が、シノを抱きしめる手を緩めることはなかった。この子は渡さないと、我が子達の死に涙を流しながら言った。

 母の首を貫く刃を、シノは見た。温かな血を息子の顔に飛び散らせ、母は息をしなくなり、その場に崩れていった。

 真っ赤な血を浴びながら、シノは呆然と座り込んでいた。全てがあっという間で、理解するのには圧倒的に時間が足りなかった。大好きな兄と、姉も、動かない。見たことのない、怖い男たちが何かを言っている。村が自分たちを売ったのだと言っている。

 不気味なほどに震える指先で、シノは母に触れた。開いた目に涙の膜を張らせている母の頬に触れ、呼んだ。


 おかあさん。


 だが、声は出なかった。掠れた吐息が漏れ、唇がその輪郭をなぞるだけで、母や兄姉が愛してくれた自分の声が、空気を震わせることはなくなった。

 それが、暗い夜の記憶。シノの心をいつまでも掴んでいる、悲しい記憶だ。



「奴隷狩り……」

 ナツが呟くと、シノは頷いた。聞いたことはあるが、本当に狩られた者は見たことがなかった。いつも傍にいるシノがその標的だったことなど、予想だにしなかった。

 老婆がシノを抱き寄せる。シノは大人しく身をあずけ、嬉しそうな顔を見せてもたれかかる。それはまるで、本当の祖母と孫のような姿だった。

「……本当に、辛かったな」

 老爺が声を漏らす。

 だが、言葉を沈ませる三人の表情とは異なり、シノは笑っている。全てを、彼は乗り越えざるを得なかったのだ。笑顔を取り戻した彼の姿が、シノの強さそのものだった。

「シノも、それからナツも、本当に良い子だ」

 そう言って、老爺はナツに手招きし、傍に腰を下ろしたナツの頭を撫でる。

 老婆に抱かれているシノと目が合い、ナツは笑った。全てを信じられるこの場が、暖かくて仕方なかった。

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