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ナツとシノ  作者: ふあ
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追憶

 サーカスを去ると告げても、シノは顔色ひとつ変えずに頷き、ナツの後に続いた。彼も自分自身の立場を、しっかりと理解していた。

 だが、客席の合間を辿り出口に向かっている途中、シノは足を止めた。虚ろな瞳で後ろを振り返った。

 その向こうには、舞台があった。数日前までは幾人もの団員たちが、入れ代わり立ち代わり精一杯の演技を披露し、拍手喝采を浴びていた華やぎの場所だ。もう誰もいない舞台を、シノはじっと見つめていた。

 彼もまた、その舞台で輝いていた一人だった。大勢の観客の前に一人立ち、澄んだ唄声を披露し、津波のような拍手を浴びた。誰もが求める唄声を、あの場所で、シノは確かに奏でていた。

「何やってんだ」

 そんな彼をナツは呼ぶ。あの頃の自分をシノが見つめているのだとは気づいていたが、ナツは素っ気なく顎をしゃくった。

「シノ、行くぞ」

 シノの瞳から、記憶のシノが消えた。ふっと逸らした視線を足元に目を移し、シノはもう、ナツの後をついていくだけだった。

 そうしてテントを離れ、ナツとシノは再び歩き始めた。ナツはシノと手を繋ぐことはなく、そうすればシノは手を伸ばしては来ない。少し後ろをとぼとぼとついてくるだけだ。

 そんなシノを振り返ることなく、ナツは草原を歩く。サーカスからは、せめてもの餞別にと、革の小さな鞄を受け取っていた。そこから地図を取り出し、太陽を見上げて方角を知りながら、左右を広い草原に囲まれた街道を辿る。

 どこにいくのと、シノが問いかけるのを聞いた。いつの間にか傍に来ていた彼は、ようやくいつものように手を伸ばしてきたが、ナツはそれを取らずに視線だけをやった。

「街に行く。小さな街らしいけどな。教えてもらったんだ、そこなら生きていけるだろうってさ」

 それ以上語ることもなく歩き続け、日が暮れるとようやく足を止めた。枯れ草を集め、火を起こし、鞄を漁って食事を摂った。鞄には少しの食料と、幾ばくかの金の入った小袋があった。シノの唄声は、二人が少しの間サーカスに居候していた分を引いてもあまるほどの価値があった。あとは、薄い二枚の毛布。これで鞄はいっぱいだ。主人の家のあった地域のような厳しい冬を、海を越えたこの草原は知らなかった。火を起こし、毛布にくるまれば、眠れるだけの温かさはあった。

 小さな焚き火の向こう側で、縮こまり丸くなってシノは眠っている。明るい星空の下でそれを見ながら、ふと毛布が二枚ある違和感に気がつき、それが当たり前なのだとナツは内心で首を横に振った。サーカスに来るまで、ふたりは常に寄り添って眠っていた。布団がある場所でも、ひと組のその中で抱きしめ合い、互いの鼓動を感じていた。サーカスのテントの中でそれぞれの寝袋に入っていても、ぴったりとくっついて寝ていたのだ。

 だから、今の距離には却って違和感を抱いてしまう。随分と弱々しくなってしまったシノは、ナツが一度睨めば近寄ることは諦めて、寂しそうに一人で眠り、食い下がることをしなくなった。ナツ、ナツと何度も呼び、一緒にいたいと叫んでいたシノの声は、聞こえなくなってしまった。

 寒くないはずなのに、ぽっかりとした冷たさを感じながら、ナツは強く瞼を閉じた。

 そうして幾度か夜を越え、歩き続けているうちに、いつしかある街についた。街の随所にある地図を見ながら歩くナツの後ろを、シノがきょろきょろとしながらついてくる。馬車が音を立てて行き違い、人々が歩いていく。煉瓦を組み立てて作られた家々が並ぶ道を、二人は辿る。

「シノ」

 ふいに立ち止まり、ナツが久しぶりにシノを呼んだ。どこか思いつめた風の彼女の顔を、シノは首をかしげて見上げた。

「ここが、目的地なんだ」

 ナツは小さくかぶりを振る。

「この街に、あたしの家族がいるんだ」

 目を丸くするシノに、ナツは続けた。

「黙ってて悪かった。けど、あたしも家族がこんなに遠くに引っ越したなんて、知らなかったんだ。……サーカスにいたとき、あたしがあんたから離れた時があったろ。あんたが、攫われそうになった時だ。あの時に会ったんだ」

 団員に呼ばれ、ナツがシノの手を離した時だった。自分を探しているという人に出会い、ナツは声が出せないほど驚いたのだ。

「あの街に、用事があって来てたんだと。それで、あんたと外を歩いてるあたしを見つけたらしい。サーカスのテントに入ってくのを見て、団員に訪ねて、それで、あの時あたしは呼ばれたんだ。……あたしを売った、家族にさ」

 ゆっくりとナツは歩き出す。あとブロックを一つ過ぎれば、話に聞いた家がある。

「戻ってこないかって言われた。都合のいい話だよな。本当に、悪いことをした、間違えてたってさ。勝手だよ。……見たくないだろ、あんたはここで、待っててくれよ」

 だが、シノは頷かなかった。彼は足を止めずについてくる。繋ごうと伸ばされる手を握ることなく、ナツは苦笑した。

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