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ナツとシノ  作者: ふあ
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祈り

 炎に紛れ、逃げるは彼ら。幼きものは駆けていく。

 追え。追え。殺せ。殺せ。罪深きものを、八つ裂きに。

 怒りに燃える、瞳は赤く。それは炎を宿すが如く。

 誰かやつらを捕まえろ。奴隷も下人も、手を伸ばせ。


 シノは毎日しっかりと背を伸ばし、一人で舞台の中央へ向かった。ナツはその様子を、いつ何が起きても見逃さないよう、舞台袖からじっと見つめていた。だが彼の唄に慣れることはできず、いつも耳を塞ぎ、口を引き結び、身体が震えないよう立ち尽くしていた。その様子を団員たちは、あまりに大仰ではないかと囁いた。しかしナツがそれを気にすることはなく、彼女の願いは、シノがその日の公演を無事に終えるということだけだった。

 彼女の心配を他所に、シノは周囲の期待に応え、常に拍手喝采を浴びた。美しい唄声は日毎に洗練されていき、幾度もサーカスに通う人さえ満足させた。そんなシノが片時も離れようとはしないナツのことを、羨む人も少なくなかった。

「あんたは、本当に、それで食っていけるかもな」

 夜、テントの一角で寝袋にくるまると、ナツはシノに言った。

「そうしたら、幸せだな」

 ナツの言葉に、シノは嬉しそうに笑った。

 シノは、唄うことが好きだった。毎日毎日唄い続け、疲れ果ててしまっても、それを嫌に思う素振りは全くない。唄声を聞いた誰かが笑顔を見せるのを、たまらなく喜んでいた。だから唄って生きていけるということは、シノにとっての大きな幸せであることに間違いはなかった。

 ここまで人気の出たシノを、きっとサーカスは容易に手放さないだろうと、ナツは想像した。次にどこかの街で行われる公演にも、シノは誘われる。それが続けば、今までのように、川を流れる小枝のような、吹けばぶれる生活をしなくて済むのだ。毎日毎日唄わなくとも実力を認められれば、二日に一度、三日に一度でも、生きていけるだろう。そうすれば、シノは毎日声が枯れそうな苦労を背負わなくて済む。いまよりずっと楽に生きることができる。それがナツの願いだった。シノがもう少し大きくなり、自分で自分の身を守れるようになれば、もしくは今より少しでもマシな地位を手に入れれば、ナツ自身も離れて働き助けになることができる。シノ一人に苦労を負わせなくともよいという未来は、ナツにとっての希望だった。

 それが今や、現実になろうとしている。もう東に向けて歩かなくても、楽園を見つけられるかも知れない。

 毎日唄い続けるシノは、夜になるとぐっすりと眠り込んでしまう。まだ幼い彼は、一日の公演を終えるのがやっとだろうが、気づけば日が暮れても練習しているのだ。ナツが手を伸ばして髪をかきあげてやっても、身じろぎ一つせずに眠っている。そんな様子に微笑んで、ナツも眠りにつく。



 愛する我が子はもういない。愛した妻も、どこへやら。

 怒りに心を流すことなかれ。己を水に写してみよ。

 そこにあるは、傲慢な一人の男。多くを奪いしその姿。

 世から消えゆく御霊の数々、どうかどうか、安らかなれ。


 サーカスが街に留まる期間も徐々に終わりを告げていき、最終日には一日に二度の公演を三度に増やし、街に感謝を告げることとなった。三度目の公演では、団員たちは一層演技に力をいれ、観客を盛り上げた。

「これ着るのも、最後だな」

 ナツは、シノの衣装の裾を伸ばしてやる。すっかり着慣れたシノは、慣れた手つきで髪に紐を結わえる。

「いつも通りでいいんだ。変に気負ったりするなよ」

 二人は笑い合い、手を振った。舞台の暗転が、シノの演目の始まりを告げていた。

 何度も重ねた公演の通り、シノは唄う。ある男の物語を、時に優しく、時に激しく、唄い上げていく。静かに聴きいる聴衆に、背筋をしっかりと伸ばし、語り継げていく。

 男は一代で巨万の富を得た。愛する妻と娘、息子がいた。下には多くの下人と、さらに多くの奴隷を持っていた。

 シノの唄が、奴隷を甚振る様子に入り、炎が爆ぜる佳境に入ると、その勢いに人々は息を呑んだ。天を焦がす炎がテントの中に宿り、そこから逃げ出す幼いふたりの姿を蘇らせる。

 空気が白熱していく。次の展開を待ちわびるまもなく、シノの声は瞬間瞬間を輝いていく。心を結ぶ。星と星が線を結んで星座を作るように、シノの声は、観客と物語を結んでいく。

 燃える。燃える。怒りが燃える。そして、失う。愛するものを、愛したものを、男は全て、失って。

 声が、途絶えた。

 シノの細い体が、ゆっくりと地に倒れ伏していった。

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