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ナツとシノ  作者: ふあ
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シノの唄

 どこまでも広がる草原、果てのない青空の下、美しい唄声が響いている。

 まだ幼いその声は、何ものにも遮られず、聴く者の心を震わせ、奥底へ染み入っていく。


 少女と少年は、東を目指して歩んでいた。

「東には、楽園があるんだって、言ってたよな」

 粉雪の舞う冬、暖かい囲炉裏端で聞いた話を思い出し、少女は少年に語った。

「楽園っての、あたしにはよくわかんないけど。そこならきっと、幸せになれる」

 東に行こうと少女は言った。楽園がどんな場所か二人は知らなかったが、他に向かうべき場所もないまま、ただ、太陽の昇る方角を目指して歩いた。山をいくつも越え、森を抜け、船底に隠れて、初めて見る海を渡った。

 言葉を失った少年は、いつしか、唄を唄うようになっていた。彼の唄声は、優しく穏やかで、どこまでも澄んでいた。彼は唄うことに対し、類希な才能を持っていた。

 何故唄えるのかは、彼自身にも分からない。唄い終えると、その喉は再び震えることをやめ、声はぴたりと出なくなってしまう。そんな少年を助けるのは、少女の役目だった。彼女だけが感じ取ることのできる、彼が口にできない想いを、彼女は周囲に伝えた。唄えるのに喋れないわけがないだろうと、意地悪く詮索する者も時折現れたが、それを追い払うのも少女の役目だった。少女は少年のために言葉を運び、少年は少女のために唄った。二人は、手を繋ぎ合い、生きていた。



 少年、シノの唄う唄は、首にスカーフを巻いてくれた老人から聞いたものや、自分たちを乗せてくれた馬車の御者の話、草原を旅する人々が語り継ぐ幻想めいた物語など、多岐にわたった。遠い昔、同じ布団にくるまって、優しい声で寝かしつけてくれた母の唄声を辿ると、聴く者が涙を浮かべることも多かった。

「シノ、そんなに唄って大丈夫か。休憩するか」

 ある村の小さな広場で、幼い子どもたちにせがまれるまま唄い続けていたシノに、少女、ナツが心配そうに声をかける。シノは、少し薄汚れた青いスカーフの下に手を入れ、喉に触れながら、困ったふうに首を傾げて頷いた。

「ねーねー。もう終わりなの?」

 集まっていた幼い子どもたちに服の裾を引っ張られ、ナツは彼らの頭を撫でた。

「ちょっと休憩だ。あんたらだって、ずっと唄いっぱなしじゃ、しんどいだろ。シノもおんなじだよ」

 ナツが諭すと、子どもたちは素直に頷いた。聞き入っていた大人たちは、いくらかの硬貨をナツとシノに渡していく。

 頼まれれば、街中の人が集まる場の中心として唄ったが、村の片隅で子どもたちにせがまれても、シノは変わらずに唄う。まだ男女の性差もない純粋な唄声は美しく、人々の懐旧を誘った。ふるさとを知らない幼い子どもたちも、彼の優しい唄声に静かに聞き入り、小さな手を打って拍手をした。

 そうして唄いながら、二人は東を目指す。海を越えた場所には、かつて暮らしていた村や街とは異なる広々とした草原が広がっていた。初めて地平線を目にしながら、あるときは唄声の代わりに荷馬車に乗せてもらい、のどかな村や街を結んでいった。旅をする者が多いためか、乗せて欲しいと頼めば快く引き受けてくれる御者は多かった。

「シノ、もし気分が悪くなれば、すぐに言えよ。我慢なんて絶対すんなよ。あんたが倒れたりするのが、あたしは一番嫌なんだ」

 そうして訪れた場所で、舞台が始まる前、ナツはシノに言い聞かせる。

「金なんてどうでもいいからさ、辛ければ逃げろよ、無理して唄ったりするなよ。そんで何かあったら、あたしは許さないからな」

 そんな厳しく優しい言葉に、シノは顔をほころばせる。大きく頷いて、にっこりと笑顔を見せる。そして舞台がどんなに大きくとも小さくとも、背筋をしっかりと伸ばして向かい、いつも見事に唄い上げてナツの元に戻ってくる。しかし、嬉しそうにナツの袖を握り締めるシノは、主人の家にいた頃と変わらない。大勢の人たちに見つめられるようになっても、全身でナツに大好きだと告げて傍に寄り添う姿は、少しも変わってなどいなかった。

「あんたは、ほんとにすごいよ」

 無事に戻ってくるシノを迎え、ナツは柔らかな髪を撫でて言う。ナツも変わらずに、シノのことが大好きだった。

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