昼休みのくだらない語らい
【登場人物】
英男
栄子
【本編】
英男:古池や~蛙飛び込む~水の音~
栄子:松尾芭蕉の句をいきなり読むなんてどうしたの? 俳人にでもなるつもり?
英男:今時だと俳句の人の俳人じゃなくて、退廃的な廃人の方を連想しそうだけどね。いや、さっきの国語の授業の時に、この俳句を聞いてちょっと疑問に思ってね
栄子:疑問?
英男:うん。ざっくり言えば、この句って古池に蛙が飛び込む音が聞こえるぐらい静かな様子を表しているんだよね?
栄子:えぇ、そう教わったわね。目を閉じればその様子がありありと想像出来る、素晴らしい句よね
英男:いや、それっておかしくないかな?
栄子:何ですって?
英男:だって考えてみなよ。古池ってことは周りに林とかありそうじゃない。現代人は都会の喧騒を離れて自然へとよく言うけれど、山や森の自然って言うほど静かじゃないじゃないか
栄子:言われてみればそうね。キャンプに行っても虫の鳴き声や風の音とか結構するものね
英男:そうそう。僕が思うに、これは実際は古池じゃなくって扉を閉め切った屋内だったという説を主張したい
栄子:斬新な主張ね。古池の部分をばっさりと否定するだなんて。つまり、それがあなたの疑問点っていうこと?
英男:いやいや、まだあるんだ
栄子:まだあったのね。いいわ。お昼休みもまだ時間があるし、気がすむまで聞こうじゃない
英男:ありがとう。もう一つの疑問は「蛙飛び込む 水の音」の部分なんだ
栄子:そこ? 私は別に気にならなかったけど
英男:そうかな。そもそも蛙って池に飛び込むものかな?
栄子:飛び込んでもおかしくはないと思うけど……
英男:僕はそう思わない。なぜなら僕は蛙を見かけるときは大抵原っぱか水溜まりがほとんどだったからね
栄子:そうかしら? 水辺だから蛙がいても不思議ではないと思うわよ
英男:そう言われたら確かにそう思うな。じゃあ百歩譲って蛙が池にいても良しとしよう
栄子:百歩譲らないと認めなかったのね
英男:じゃあ、水の音を立てる蛙の大きさってどれくらいかな? 僕のイメージでは「ポチャン!」とした音だから、それなりの大きさが必要だと思うんだ
栄子:音のイメージは私もそれぐらいね。でも蛙の大きさと言われてもピンとこないわ。単純に緑のアマガエルをイメージしていたもの
英男:僕も基本はそのイメージだよ。でもポチャンとした音を出すにはアマガエルでは小さすぎると思わないか? それぐらいの音を出すとしたらウシガエルほどの大きさが必要だと思う
栄子:その論は否定させてもらうわ。ウシガエルは確か外来種のはずよ。この時代の頃に日本にいたとは到底思えないわ
英男:わかっている。だから、発想を変えるんだ。ウシガエルほどの大きさが必要なんじゃなくって、アマガエルの大きさで水音を立てる方法をね
栄子:そうは言ってもアマガエルの大きさで水音を立てるとしたら、結構な高さから飛び込むぐらいかしら?
英男:いや、もっと簡単な方法がある
栄子:もっと簡単な方法って……あなたまさかっ!?
英男:そうだ。松尾芭蕉自ら蛙を投げ込めばいいんだ。そうすれば、蛙が飛び込むタイミングを待たずに済むし、水音も立てることが容易になる
栄子:つまりこういうことかしら。松尾芭蕉は「扉を閉め切った屋内」で「蛙を水瓶に投げ込んだ」って言いたいの?
英男:あぁ、その通りだ。つまり、この俳句の真実はこうだ。疲れていた松尾芭蕉がストレス発散のために蛙を水瓶に投げ込んだ。ただし周囲の目を気にして部屋の中で行い、結果生まれたのがこの俳句なんだ
栄子:何てことかしら。静寂の素晴らしさを詠った句が、まさかこんなにも泥臭い真実が隠されていたなんて
英男:えてして真実なんてそんなものさ「部屋の中 蛙投げ込む 水の音」が正しいんだろうね
栄子:そうだったのね。最後に私から一つ言いたいことがあるの。聞いてくれる?
英男:何だい?
栄子:創作なんだから別に舞台裏とか暴かなくてもよくないかしら?
英男:ごもっともでございます
キーンコーンカーンコーン
栄子:昼休みのチャイムも鳴ったことだし、そろそろ行きましょう
英男;そうだね。あ、一句思い浮かんだよ。「チャイムの音 みんな急げと 駆り立てる」なんてどうかな?
栄子:俳句じゃなくて川柳よ。季語がないわ
英男:俳人への道は遠いなぁ
栄子:あとちゃんと授業は受けなさいよ。将来、廃人になっちゃうわよ