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未踏 13号 「自殺の考察」

作者: 山口和朗

      「自殺の考察」


 街を歩いていて、人の存在を考えないで、自らの存在だけを考えている時。世界、社会が、何かいびつな、卑小なものに思えてくる。あの鉄工所の鉄の匂い、あのビルの料理屋の匂い、看板屋のシンナーの匂いと、それらの人々がいない時、匂いだけがクローズアップされたような、不自然な世界の匂が立ち上ってくる。人々はそこへ朝になるとまるで自分の家のように出掛けて行くのだが、そして人々がそこに集まると匂いも消え、活況を呈するのだったが、

 病院もそう、どれだけの人間がそこを通り過ぎて行ったか知れないが、繰り返される時と場所、私は人を考えに入れないで、人と連帯しないで、私と世界の関係だけで、

    

      「自殺の考察」



 街を歩いていて、人の存在を考えないで、自らの存在だけを考えている時。世界、社会が、何かいびつな、卑小なものに思えてくる。あの鉄工所の鉄の匂い、あのビルの料理屋の匂い、看板屋のシンナーの匂いと、それらの人々がいない時、匂いだけがクローズアップされたような、不自然な世界の匂が立ち上ってくる。人々はそこへ朝になるとまるで自分の家のように出掛けて行くのだが、そして人々がそこに集まると匂いも消え、活況を呈するのだったが、

 病院もそう、どれだけの人間がそこを通り過ぎて行ったか知れないが、繰り返される時と場所、私は人を考えに入れないで、人と連帯しないで、私と世界の関係だけで、


 一年というもの 昨年はだいたいこんな感じで一年を過ごすことになるだろうと考えていた。時間は感覚通りに過ぎた。一年が365日で8760時間とはこんな感覚だと予想した通りに送った。非常に早いものだった、時が過ぎるのが太陽の運行のように、目に見えて良く分かった、こうしてあと十五年か二十年をと、私の生涯を感じられる。何をどのようにしてと生涯を考えられる。 かつて孤独はなかったが疎外があった、疎外が故に孤独と錯覚した。疎外とは、他者、社会からの拒絶感、共同連帯できないと、したいと、しかし、孤独とは疎外が故ではないのだった、何ら他者、社会からの疎外感はなく、私と同じ一個の独立した存在としての他者、社会と認めることによって生じる自律した感情、多くの人々が連帯しあい、共同しあい、自律していないことへの背離感、違和感が一層孤独感にとらわれるのだった。

 モラビア 人間でないことに苦しむべきだ 人間の新しい概念を組織すること人間になることが目的であって手段ではない 自分自身を目的とし、手段であることをやめること ドストエフスキー的人間像が、現在の私にとって何ら魅力を引き起こすことはない、かつて人間の典型に思えたあの人間像が、今にあって人間を千年、二千年の視野からではなく、十万年、百万年の視野から見ているから、私自身の生命をもその視点から見る時、いかなる姿が望ましいのかと考えると、ただ存在への肯定だけとなるのだった。どのような状況下においてもと、アンニュイ、苦痛、不安、狂気といかなる中にあってもただ存在へとなるのだった。この存在の大肯定こそ描きたいのだった。そして私自身はこの存在との一体を求めて生くとなるのだった。イデオロギー、過去の文化が約に立たない、現代の作家、哲学者の考えがちっとも約に立たないのだった。彼等何を考えているのか、まるで永遠を生きてでもいるかのように、何をか語り、何をか行動して世界を生きている。けっして、時間、空間を、この存在を真に生きてはいないのだった。

 昔、情熱的に生きている人を見ると、焦燥感、嫉妬にとらわれた、又人の愛、美しさを見つけると羨まれた。しかし、今そうした他人の情熱、愛、美がすべて自分自身のことのように思えている。一枚の木の葉を愛した自身が全てを愛させる自分に変化しているのだった。人の気高さ、勇気、あらゆる徳目、希望が私のもの、一体の感情でとらえられている。人とはこのようなものであったのだった。

 やはり世界は真実を求めているのだろうか、貧しくとも平和で、家族が健康であればいいといった、たとえ世界の1/2が飢えた現実であっても人が追い求めるのはその後の世界の真実だろうか、生きていることの意味、生きていることの実感、生活の中に日常の中に全ては含まれて在るのだろうか、言葉を通して感情を通して人はそれを確かめようとしている、作家はそれらを示さなければならない、人は金があれば、安心して死ねるだろうか、人生に後悔の記憶が多かったなら、名誉も地位も、何もかる無化する死、死に向かって、それが明日かいつか分からぬまま、人は生き続ける。人として生きるとは、野生の彼等、働けなくなったらその時が死ぬ時と生きている、彼等のように人にも覚悟が、人だけ何ゆえに、生き続けるのか、考えることを止めてしまいたい、迷うことをやめてしまいたい。人生はどのようにだって生きていける、けっして希望は失せない、絶望は訪れない、絶望しても希望する存在としての人、共に人生を踊り切ろうと、人生に何の安定が、人生に何のレールが、人生は不思議、未知、様々な人生、野生を生きた多くの人々、人生とは自分のものと、何をも残さず、しかし、人生を味わい、世界の半数が飢えているという地球、有史以来奴隷状態の大半の人間の生活、これらは一体何の意味が、何の目的が、二〇〇〇年かかって五十億の生命を育み、今、百億を生かそうとしているこの地球の存在とは、私は貧しくあらねば、私は一日を生きねば、私は意志し続けねば、この一年人は、世界はどれだけ深かまったのだろうか、エイズの新薬、癌の新しい治療法、ある所の紛争の解決と、新しい思想、哲学もなく、新しい音楽、新しい美術、新しい文学と、が、どれも存在感をもたない、世界はただ在っただけ、私の意識、思考も、どれ程の深かまりが、ただ意識の流れを流れていただけ、意識の羅列が現在の私の文学、粉飾したり、作ったり出来ない、したくない、ただ、当たり前の生が、私への文学、いつ死んでいいかなのあとの文学とは、ただの存在なだけのもので、

 昨夜来の意識の流れ、何思うことなく夜を迎えていた。妻が帰り「来月から仕事が減ってしまう」と、「きりつめていけば」と、「どこを切りつめるのよ、貯金はドンドン無くなっているし」と、寝る時になって「もう疲れた、一生働らかなきゃならないなんて、老後が不安」と。私が働かなければ、働きたくない、時が惜しい、私は書かねば、簡単ではない、がこれが必要となって、が、五月の景色は様々な不安を消す。私はこの季節に包まれる為に、半年を生きて来た。私は冬でも夏でも、この空間に存在を許される為に、この五年間を生きて来た、石のようでいい、この空間に存在していたいと、何気なかった一日に突然生彩をはなって訪れる意識、大きな不安、小さな不安が人をかくも緊張させることか、昨夜は寝苦しくて、死ぬときのことを連想した。Sさんの末期の苦痛と残す妻への心配、自らの消滅、虚しさよりも、残す妻への悔恨。何とこの五年間、子供のこと、生活のことが思索の間に出没していたことか。大きな問題ではある。多く、これらを描いた文学が成立しているのだった。


 妻の不安、暗さは私の実存に影響する。五年間をそれらの解決の為に使おうかとさえ思わせる。妻の喜び、笑顔なくして私の求める実存は成立しない。私の実存とはどんな状況をも私個人において受容することであったから。 ガンで生還しても、その時実存に目覚めていても、人はいかに生きるかを選択する為に、自分を生かさなければならない。働かないでは一日たりとも生きられない。一日働かざれば一日喰わずなのだっ

た。いかにとは、生きる為に働いた残りの時間の問題であったのだ。

 結局人はいかにを選べないのだった。即時的に生きるしかないのだった。対自的な生きかたとは有閑者にして出来ることであったのだ。それも机上の対自であるのだった。サルトル、ニーチェ、カミュ、ヤスパース、にしても、現実の肉体上の対自的生き方ではなかったのだ。シモーヌベーュのような、自らを犠牲の中に生きた有閑者などいないのだった。

 対自も即時もない、圧倒的多数の人間の不条理、この不条理からの解決はやはり、永遠のテーマではあるのだった。

 働けなくなったら死ぬ、自らの意志で死ぬ、自殺はやはり不条理に対しての人の最大の武器ではあるのだった。

 自然の生きものたちのように、医者にかかることもせず、一人仲間を去って自然に還って行くように。Sさんとの共感、老後を考えに入れず生きてしまったことからくる、私がその同じ道を歩いてきていることからくるSさんからの共感であったのでは、私もどこかでSさんに自分の未来像を重ねていての共感、母はそんな不安から、不本意な再婚、再々婚をしたのでは無かったか、七十才近くなって、拠るべのない不安に耐えられず、忍耐して生きているのではないのか。

 手厚く看病され死んでいく者と、淋しく孤独に死んで行く者と、生きる姿に、実存を生きる姿に、どちらに意味があるのか、実存とは意識の最前列であるなら、後者にこそある。安楽死しようが悶死しようが、人の意識の認識に違いないのなら、悶死の中にこそ人は、より人を意識するはず。安楽、悟りの中には、人としての欠格があるのみ。どのように死んでも世界は何の変化も、ただ存在があるばかりで、かつて、何千億の人間が生まれては死んでいったが、世界に何の変化が?ただ、人の生き切った幻ばかりがそこには。奴隷、戦争、飢え、人の実存、不条理が見えるばかり。それら人の歴史を私は受け継いではいない。

 ドラマは内から内を見ているようなもの、時には内から外を見ているものもあるが、私は外から内を見るものが欲しいのだった。地球の外から、私の死後から私の心の外から見たものが。いつ死んでもの視点はそうした外なる所から内を見ようとしたのだった。真の自由、真の私とはこうした視点の獲得だったのだ。内奥からの外界の視点の獲得。言葉ではなく感じ、永遠から現在を、宇宙の無限から地球を、内から内を見ている限り、今、安定、平和、と内の中ばかりに目が向く、外から内を見ると、自分の一生を、時間、永遠の中に置いて見ることとなる。五十才で六十才でと寿命が見えて、日々刻々を意味の糸で結び生きて行くこととなる。全て意味の在ること、存在そのものであること、存在こそが意味のあることと見えてくる。この意識は存在の意味を浮かびあがらせてくる。見ることが存在であることと、客観視が外から見ることではない、外とは真の外なのだ、神の視点とは方法論ではなく、永遠から見ることなのだった。現在から過去を見ても仕方がない、過去は存在していない、時とは全て現在があるだけ、どこにその地点があるのか、たとえピラミッドや、恐竜の化石があってもそれは現在に在るだけで、過去にあるのではないのだった、在るのは現在ばかり、時も空間も全て永遠なのだから、永遠の誕生、消滅がこの空間で繰り返されているばかり、地球は何度誕生、消滅したのだろう、永遠は信じられる、存在は信じられる、これらが私においては神、絶対、唯一なるものとなる。

 存在意味が私の発見であり、私の完成であり、私の喜びでありと、存在への完き私の即融であると考えるのなら、そのことの実行あるのみ、明日より私の楽しみ、私を味わい、存在を楽しみ一年を生き、考えてみよう。そこから生まれてきたものが私の自然な文学ということになる。作為や、手段ではない私の文学となる。私を、人を喜ばせ、味わおう。

 有機物、無機物、宇宙のあらゆる現象は、時間と距離をとって眺めてみると、ドミノ倒しのようなものに見える、物質は存在している、その物質が行動し、発展、変化していく、生命とはまさにドミノが倒れていくあの波のような動きそのものにすぎない、膨大な倒れたドミノは死骸、しかし、動きは続いていく、ドミノが無くなるまで、生命とは現象であることがわかる、最初の一撃が偶然によって、その動きが現在に。

 河野多恵子「最後の時」日常の中にふっと死が登場して、「貴方の寿命は明日まで」と、この世を去っていく眼というよりは、すでにこの世を離れてどことも知れないが、ともかく向側の眼で、執拗に対象に絡みついていく、見えるものを凝視しながら、見えないものの存在を凝視のうちに呪い出そうとするかのように。

 世界を賛美して終わる人生もあるだろう、しかし、世界を呪い、反抗し、孤独者の生き方も、ガン宣告の、孤独者、単独者の心理、世界の半数が飢えていると、世界のいたる所で戦争がと、世界の至る所で天災がと、世界の至る所で人の死がと、世界の至る所で不幸がと、世界の至る所で不安がと、作家はこれらに闘いを挑む使命がある、自らの生活よりも、これらは単に生活のための闘いではなく、本質的な、根源的な闘いなのだ、哲学的闘いなのだ、闘いこそが作家の使命、人生、生活は楽しめばいいが、創作は闘いなのだ、書くとは闘うことでなければ、でなければ生活をしていればいいのだった。作家は見、聞き、考え、感じてしまうのだった、虚しさに対し、受容はする、しかし、闘いは止めない、書くことで闘い続けるのだった。

 視点の確保

頂点と考える到達点より眺める世界でよい、人の営為が、生きものの営為が、私の意味が、全て見えるはず。これが到達点であり、人間がこれ以外に立てない所だと思うから。高さ深さではない、一つの究極であるのだから、飛翔、超越する為の立脚点、足がかり。あたかも虫が飛びたつときの、大地枝の視点。やっと見つけた到達点から、何を持ってくるのかの問題、まだ言葉として、感動としてだけだから、冒険者が下山して、何をするかの問題。この一、二ケ月で私は下山した。下界で何をするかの問題。あの頂上からの眺めを記憶に留めるべく書くことなのだが、

 <サルトルの疑問>

○精神的想像力はまだ持続していくだろうか?

○進歩は人間生活に意味を持ち得るだろうか?

○迷信が人を暗いものにしないだろうか?

○相互不信の人間存在が現れてこないだろうか?

○インド、東洋の精神は理解されないだろうか?

○核、放射能で人類は終末を迎えるのではないだろうか?

○人類には果たして大きな機会が開かれているのだろうか?

○世界は平和に向かいつつあるのだろうか?

○恐怖政治に陥るのではないだろうか?

○想像的、奇跡的なことが現れてくるだろうか?

 一日一つでいいから、これらの疑問に私の答えを出して。

 「石になりたい」「復活」「輪廻転生」「石に帰りたい」「死の受容」

 タルコフスキーの手法 一つのテーゼがあって、一つのイメージがあって、それらを表す為に連想、象徴されるようなイメージ、シーン、ショトを積重ねていっている。私の方法もこれでいいと思う、ドラマ仕立てでは狭いものを感じるから、不必要なものが入ってしまうから、観念、意識を作品化しようとするとき生まれた方法、観念を嘘で紡ぎたくない。

 私の病気、流れに添って、私の意識、思索の流れを追う。現在の地点「いつ死んでもいいか」から、「死を意識する」「石に成りたい」「輪廻転生を信じる」へ。私が現在の地点から、この間のことを観る視点で、所々は、物語、人物、客観描写なども入れて、カタルシスではなく、本質、人への真実、圧倒的部分の日常へ、人間とはをターゲットに、世界を捉えるために。二つは掴んだ、誰が何と言おうと、これらは私の生き方を規定し、保証している。人間のどうしょうもなさではなく、人間の真実を。

 生きてる実感の記憶 忘れている記憶をたどる、日記、手帳、オムニバス風、印象画風、記憶の神秘、掌編、私のスタイルで、記憶につながるように。

 魂を新しくする小説というのは、犬に対し、木に対し語りかける、共感するものでなければ、Oの視点、死者の視点等、詩形式、散文、私小説形式で、存在することの喜びの

 私が夜警に行くこと、家族から離れて孤独と社会を知ること、嘉樹への刺激、家族の安心 労働の不安 途中で震えがこないか、週二日で八万入ればいいのだが、七時には家を出る、夕食は六時迄に作る、ブンの散歩も、夜は無し、私が朝帰ったら一番にやる、弁当はそれから作る、七時には寝る、二時には起きる。寝る時間が一時間遅れるだけ、八時間の立仕事、車の騒音、通勤、万年青の水やり、支障は何もない、月最低四十万は必要、私が二十万でエミが二十万、しかし、エミのストレスが心配。


 誰が決めたんだろう、人が家を八時間も離れて暮らすことを、又人と人がこんなにも関係のないことを話し、意識せず生きることを。少しも世界の中に生きられないではないか、歯車、ロボット、システム、人を相手に生きている人、かつて自然を相手にして生きていたのに、生きるためにだけ自然を相手にしていたのに。人は生きるためにだけ、働らくだけでいいのに、生きるとはシンプルイズベストなのに。病院が看守対囚人のように見える時がある。医師、看護婦が看守、患者が囚人。

 一ケ月十日では雇えないと、バイト先が断ってきた、バイクを買う矢先のこと、いっぺんにバイトが嫌になった。十万を得る為にもっと大きなものを失う気がして、現在三十五万の収入があるのだから、それで生活していくこと。シンプルイズベスト、清貧、 何の為に働くか、エミコの為だけ、服を一枚替える余裕が早く欲しいだろうと、カリカリの生活より、余裕のある、みじめは嫌だと言うエミコのためにだけ、

 しばらくは何もしなくともいい、朝に昼に物に空間に出会うことを味わい、味わう。存在を許された者の存在、時間、生、何にもまして大切なもの、それを知っていて逃す手はない。世界は秋だ、元気になっている、どこへでも歩いて行ける、別に遠くでなくていい、街だって、川だって、どこに居てもいいのだから。

 公園のベンチに男が四人、車椅子、義足、「ああ、ここに居る人はみんな病気の人ばかりですね」私は昼間から井戸端会議をしている男達に向かって自然に声がかけられた、散歩途中のブンが彼等に近寄り、彼等がブンに声をかけたのが切っ掛けだったが、「私も実は胃が無くてね」、昼日中、この五月の涼風を味わっている申し訳を言葉にしていた。「そうなんですよ」、胃が無いことに免じて足が健康であることを許されよと言葉にしていた。私は全部捨てられると思った。万年青、犬、ステレオ、本、文学、時に家族、この空間、とこの散歩の時間とがあれば、貧しくとも、孤独とも、耐えられると、ただ家族、犬を悲しませたくないだ

け、家族、犬は私とは別で多くの人々と同じ世界を楽しむ、また世界を楽しむ存在なのだからと。

 犬へのコミニュケーション、犬の頭を撫でる時の人の手の優しさ、多少の怖さもあるが最大の優しさで、人は語りかけている。

 楽しむ心 ブンが楽しんでいる姿を見ていると楽しい。人が楽しんでいる姿を見ることは楽しい、草花が元気に成長している姿を見ることは楽しい、いつの頃からか私は人の楽しむ姿をみて楽しめるように成って来ていた。

 万年青

万年青を楽しむのは、新品種を作って人に見せる為でもなく、自ら自然の妙を楽しむ為のものであって、葉の姿、地合、わび、生きた時間のように味わうばかり、私の生きた時間を愛でるものであった、社会を離れ隠棲する必要はない、石に木に、生きものに、絶対的美を見、味わうだけ、時間、空間の中の存在美、憧憬なだけ。

人を楽しませることが楽しい、人が喜んでいる姿を見るのが楽しい、エミコは付け届け、折々の見繕いなど楽しんで人のためにやっている。

 仏教の極楽は私の日々の暮らしのようだ、私の感謝から感じている日常が間違いなく極楽なのだった。水蓮は万年青、蘭、音楽は朝のバロック、食事はヨシケイの献立にコーヒー、タバコはシンセイをパイプで吸い、女は妻、仕事は経理、寝たい時に寝て、起きたい時に起きて、自然や生きものは、ヒヨドリ、イヌ、この喜び、この極楽感覚、人に教える必要もない、私の極楽なのだから。

 フランスへ、バリへ、南海の島へ、旅したいと思う事もある、忘却の中へ。日常も身近な事も、時間も空間も存在も、何も知ってはいないのに、それらを知ることなど意味もないことと知り、忘却の中へ身を起きたいと思う事もある。本を次々と解説ばかり読むときがある、そして、よくやってるわ、この時間の空費は空恐ろしいとか、何故に人間はこんなくだらないことに時を費やすのかとか、私はとっくに知ってしまっているのに、何故にいつまでもこだわり続けているのかとか、と、机の上のアジサイ、万年青、灰皿、茶碗をいくら考察したとて、何んの意味もないと同じように、認識をいくら考察したとて、存在が全てであり、ただ存在を認識する私が存在するだけなのに、そして是れが最高のものであるのに、何ゆえに存在を細分化していくのかと。で、私はこの人生をどのように使おうか、作品をどのように書こうか、感じたことを考えたことを言葉にするだけと。


 寝て、起きた、愛し、闘った、などと書きたくないのだった。日常も非日常も超越する完全命題、銀河の地球の紙ペラの大気に包まれた中のDNAのことなど、そこで何を考えたとて、ただ花は咲き、鳥は歌うだけ、私は寝て起きて、愛し闘うしかないのか。

 今や私のテーマは非文学、文学的テーマは何を見ても聞いても触発されない、次元が違うと思え、真実は追求出来ない、真実は限定的なもの、文学、哲学の範囲無いのもの、それを、宇宙には限りがあるか、無いかとやっているようなもの。科学が、クオークの中に更に何があるかとやっているようなもの、

文学が真にやりたいことは、実存的交わりだろう、存在と人に対して、一般的な交わりではない、存在者どうしとしての交わりをこそ表現したいのだろう。

 芸術が人に与えられる影響とは、人の意識、精神に他ならない、だとするなら、散文でも何でもいい、新しい意識、精神こそ必要なのだ。

 いつ死んでもいいかなの感情から、いま透明な、あの光、風、水、生きものたちのような存在への神秘と肯定だけのような作品を書きたい。静かに、孤独に、存在を語りたい。人に語る形式を拒んで人に語る方法で。

 私は私の過去を物語りたくはない。過去とは、私の休火山、生きている記憶の喜び。そして、現在も生きて積み重ねている、私の意味、秘密のカギ。

 ブランコに乗った、五十回漕いだら身体が熱くなった、下に揺れる時の頭にクワンとくる不安、歩けて食べれてと言っていたSさん、ブランコには乗りたくなかっただろうと。川を見ていると一人に帰った気持になる。青年時代、悩んでは木曽川へ行った、ただ行く川の流れを眺めていただけだが、収入は得るしかない、しかし、一年後に死ぬかも知れないのにと。

 妻も子も私を理解はしない、私の意識を必要とはしない、一匹の猫が私に身を摺り寄せてくる、この感触は何んだろう、

 エミコへ 

 私は最大限努力するが、ゆずれない量的な問題はある。私の書こうとするエネルギーと時間との関係、又は、エネルギーに対立する労働、家事の点、そこがバランスとれれば長続きし、安定する。エミも私の病気を体験し、私との結婚において、生きる意味を思い描いたことを思い出し、又共に二十数年を生きてきた、階段を登ってきたことに等しいような、この私達の人生を途中で飛び降りることなどしないで、最後まで登り詰めるつもりで、あと少し共に生きて欲しい。私との結婚、私との生活、これらが君にとって、影響、意味を与えてこなかったというなら、仕方がないが、生活は生活でなんとかしていく、しかし、けっして失くしてはならないものは、私との生活、私が目指しているものと、君にとっての意味なのだ、これが見えなくなったり、それが君にとって無意味であるなら、私にとっても、君との生活は無意味となる。再度良く考えて欲しい、そのことなくしては、日々の生活、言葉も虚しい、意味を私との意味を。君が協同かどこかで二十万、私が十八万、これでこの一年は生活し、来年からは嘉樹が居なくなるか、居れば食費を入れさせ、三人の生活、この中で老後を考えれば良い、年金が十万位、個人年金が十万位、これでやるんだよ、私はそのころ迄は生きていないのだから、老醜を生きたいのだったらそうしろ。人は週単位で生きているのか、虫達は一日単位だというのに、土、日だけが人生のよう。

 風呂上がりの肌に夜風が心地良い、あの時ガンバッテ大学へ行っていたら、新緑がどの木々にも、妻とも結婚していなかったら、左足がやはり痺れる、持病だとはいえ、散歩が疲れる、やはり桜の葉が一番成長が早いか、もう六年もこの道を散歩しているのだなあ、帰り道の舗道が一番いい、ほの暗くて、街路樹の道が真っすぐに伸びている。時折、車や人が急いで通り過ぎて行く、全く新しい小説とはどんなものなのだろう、誰か参考になる作家はいるのだろうけれど、何のドラマ性もなくとも存在実感のある、芸術が殆ど金と名誉の為に創られている、おや、このニセアカシヤはまだ箭定されたままで、新枝が出ていないのだ、あと十分もすれば家だ、腰が痛くなければもっと歩いて、何事かを考えて見たいのだが、左足が痛い、ドラマは面白くない、セリフがあって、心理があって、情景があってと、存在が本当に狭くなってしまう、人は五分間の中に何十年だって入れられる能力を持っているのに、つい一週間前寒さに震えて散歩していたのに、本当に良い季節だ、このまま家族と顔を合わせず、書斎があって直行出来たら何ていい散歩だろう、徹夜して語った記憶がある、始発まで寝ないで喋ってもいいのだが、狭いし、女房も明日は勤めだから、と、僕らには社会に組込まれて家族が居たんだ、存在実感の感じられる作品を、ドラマ、ストーリーでは表せない、感覚的なところの、生と死の不思議さの、君と話している時は伝わるのに、字にしてしまうと伝わらない、存在ということはこの生身の人間にたいしてコンタクトすること以外の何ものでもないと思え、電車に揺られ、ほんの数分の眠りの心地良さ、あの手術のあとの三日間の痛みの中での眠れぬ夜を思い起こす、数分のこの眠りの心地良さ、天国、極楽に思える、存在実感とはこうしたものであった、対局にある感覚との関係によって自覚されるのだった、自明のように言われている幸福、あれは不幸、不幸の対局にこそ幸福が、死の予感と対比する時、この世の全ての存在が、生の予感、存在実感へと変化するのが分かる 人生の意味を問うことは、存在の意味を問うようなもの、何故宇宙は存在するのか、何故存在は存在するのかとなる。存在は存在しているだけ、意味も無意味もない、存在に対し問いかけるのは愚に等しいのだった。人において、その人において、生きていく上で人生は意味をもつが、人を除けば存在そのものである。あらゆる生命の生、五十年も一秒もただ存在なだけ、オブローモフであろうと、何であろうと。

 私の浄土のイメージ。

地球の限られた空間だが、空間とは物質とも違う、時間とも、精神とも違う、ただ広がり、物質を存在たらしめる場。私は場に帰るのだと。この場は限られた所だが、全宇宙と繋がっている、空間は限りなく、ただ見通す範囲が人の意識の及ぶ範囲なだけ、たったの二百五十億光年ほどのものではなく、空間とは無限以外のなにものでもない、有限なものを空間とは意識できないのだから、 山間の窪地のような場所に、それは在った、自然の空間に人工的なものの出現、新緑の山を背景に、今にも朽ちそうな一軒の御堂が、池の中央に浮かぶようにして在った。社会主義の七十年間は短いと思える、私が早や五十才近いのだから、日本の思想、文化、何も変わっていないと思える、あっという間の出来事に思える。一日一日を積み重ねて行けば五十年などあっという間の事に思える、困難に対しては受難を、イエスを生きるだけ、一日一日を生きることは、生命

の理に叶っている、その一日のなかのたった十分であっても、生きられる生の哲学。

 私の存在とは人類に英知を残すことなどではなく、私という人類を発見し、私の人生を感じることでなければ、書く、考えるという行為は、私が生き私を発見するための道具にすぎないということ。この無限の時間存在の中で、私を見失わないための大切な道具だということ。私はこの無限を一人で考え、生きなければならないのだった。人類が、誰がということではなく、私は私で生きてこそ、私が生きるということなのだったから。宇宙にいて地球を想い、過去を思いではなく、私は地球以外、過去以外を考えなければならなかった。存在は疑わない、存在が真であって、非存在は嘘であり、それは人間の幻影にしか過ぎないのだということ、全宇宙は人など関係なく存在しているし、存在以外は何も存在することはないのだから、けっして嘔吐などはもよおさない。

 突然に湧いた人生への疑問、それは安定の中から生まれている。そして私自身が一人で生き始めた中から生まれている。養護施設を出て、何年振りかで母、妹と、四畳半一間の母子寮で暮らし始めた。私は近くのラジオ工場へ、そして夜は夜間高校へ。母と私が働き、暮らしに安定が訪れ。平穏な日々の未来への予感。母三十八才、離婚、再婚、離婚と、揉まれ続けた暮らしに、仕事から帰れば編み物などする余裕も母に出来。私は安心して学べ、遊べる日々を迎えた。

 日記を辿ると

 会社への出勤途中の道端、車にでも轢かれたのだろう、内蔵の飛び出た猫の死体。この猫の死体によって私は実存への扉を叩いた。

 私は青春の日「今日もまた昨日と同じ」と日記に書く日々を、最も耐え難く、青春にとって倦怠は何よりの恐怖であった。現在の私、あの頃と比べるともっと変化の無い日々を送っている。日々、今日もまた昨日と同じという日々を楽しんですらいる。


 「ただいま」と一日の責任を果たしてきた妻の声、楽しい我が家へ帰ってきたと感じられるその声は、母とは違った若やいだ声、ブンも子供も、私も玄関に迎えに出る。「お土産はある?」「ご飯?風呂?」かつて私がしてもらっていたことをやってるだけたが、迎える喜びを再び与えられていることに感謝している。お土産を皆でつつく、子供の時、中華屋で働く母の残りものを待っていた時が蘇る。会社での出来事を聞く、子供が一日を話す、私も何事かを。

 私が過去を思い出す時は、私自身の空間的存在を意識するとき、私が故郷のグミの木(今はもう存在しないのだか)に、父を待つ小学四年の私自身を刻印している、傍らにまだ残っている、清水の流れる溝の中に、私は定着されて在る。百年の後には誰も知ることのないそのグミの木の側の溝に私は存在すると思えるのだった。物質に精神すら感じる。物質とは何らかの精神が具現化したものであるような、親しい一体感を持つ。でなかったら、この石にこれほどの存在感が備わっているはずがない。この石は生まれ在るのだ、この私と同じようにこの空間に生まれた、麦が太陽に照らされ金色に光っている、あれは何千年もの間、人類が金色の心で見てきて、その心が光っているのだと思える。花々があれほど様々に色とりどりに変化しているのは虫が、鳥が、動物がこの地上に生まれ何千億、何兆億もの意識の記憶が形となり、その一匹一匹の記憶が形となったのだと思える。全ての存在のバリエーションは有機物の意識の数だと思える。

 私の極楽感覚。朝に生まれ夕べに死す、一日の感覚の中に生きていること、社会的関係はあるが、主であったり中心ではない、従であり、ただ必要性においてであり、興味であり、だが、依然として私は私の一日の中に生きており、社会とは関係のない実存意識の中に在る。家事も仕事も、人づきあいも、趣味もすべて私の現在の存在の形としてとらえ、私が私の実存的肉体を持つように、生活という意識における、私の肉体を持っているという感覚。心というより、もう一人の私が極楽のような何ら煩らうことのない世界に住んでいるような感覚、歩けて、食べれて、この空間に存在を許されていられることの奇跡性の中に生きている。

 瞬間があれほど、明快に定着されている記憶はない。十六才から十八才のあの時期、瞬間を考え続けている私に蘇る、神秘、ノスタルジー、鮮烈、いつかの手法でその時々の私を辿ってみよう。私の瞬間を形に、そして現在の瞬間を解くカギにしなければ。

 あとほんとにいい精神状態は十年位ではないのかと思うと、いたずらに働いて収入を得、安定を得たとしても何の喜びが、節約して、時を所有していくだけで充分ではないかと、金、安定、何かを所有すること、自由からの逃亡ばかりしている現代人。

 わずか三十分たらずの夜の散歩を楽しんでいる。何煩うこともなく、思考を漂わせられることの喜び、何も考えられなくとも、生活難があろうとも、今という一日の中で、自己というものを実感しておられることの喜び、毎日、何を如何に書こうかばかり考えているだけ、仲々形にならないが、この考え続けられることを喜んでいる。過ぎていく時を眺め、見つめられる喜び、こうして十年を過ごすのだといった、そして私の使命は、私の意味はと、散歩の道に秋の虫の声しきり、彼らまもなく生命を終わるのだった。私の足音、私の姿などまったく無関心に、木、草、鳥、全て私に無関心、これを喜びはしないが、私が関心を寄せていたことの可笑しさを感じた。彼ら孤独なのに、私だけが草や木の声を聞いたなどと、彼らと同じにはなれやしないのに、ただ夢の中のように彼らを見、感じることはできる。

 私の喜び、思い出す喜びは昨年のエミとの旅行での彼女の笑顔、実に楽しそう、嬉しそう、子供のようだった。その喜びを私は味わって、人の喜ぶ姿を私は喜んで、妻以外にそうしたものが欲しいと思う。あの喜びはエミ自身が持ち、備えているものなのだが、私が居て私が喜んでいて出てくるものに思える。それがまた私の喜びとなって。

 本日見えたもの、

「見い出された時」が嘘であり、私の時そのものの中にも嘘があり、他者に向かって書かれたものに真実などないということ。ムルソーの中に辛うじて実存が、否全て真実、実在なのだろう、人間の意識とはそうしたもの、千変万化するもの、原子の外を回る電子のようなもの、存在は推定されるだけの確率のような存在。

 生の本質とを理解した者には、何をしていても、どんな状況にあっても、生の意味を感じられるものであった。 苦しいこと、不安なこと、困難なことがあっても、この本質を自覚しさえすれば存在しているそのことに味わいを持てるものだった。生の本質とは実に意識する存在のことであったのだ。無限の無意識の中の一瞬の意識のことであるのだった。その意識を悲しもうが、喜ぼうが問題ではないのだった。超越して行く人間へ、 有が全て、有から無が、しかし、無は存在しない、人が無を思うだけ、存在とは空間、スペース、すべての陽子、クオークが崩壊しても無くならない有なるもの、宇宙の果てにはまた宇宙がひろがり、スペースは途絶えることはなく、スペースとは大地、全てを育む母なるもの、

 人が心豊かに生きられるためには、4っか5っ位の考えをしっかり培っていれば良いのだった。 

1,幸福は足下にある 2,死を忘れるな 3,世界と存在に繋がること。存在の中に全ての意味を見い出すこと、無ではなく有、有の中に全てが在ると、

 形而上と形而下の関係、二つの問題は密接に関わっている。あらゆる人間の行動の背景にある感情を分析理解すると、形而上的なものが生まれてくるのがわかる。又、個も全体と密接に結びついている。個が全体に全体が個にと、不幸の哲学、絶望の哲学、死の哲学、全てのものが進歩発展、喜びの為に行われていると思われる。どこかでそれらの阻止、限界を感じる者があって、あのネズミ、あの自然界のように、無への無意味の意味が浮かび上がってくる。フランチェスカの求めと、親、弟子の問題、サラエボの愛と憎しみ、愛が在ったから憎んでいると、サディズム、ファシズムに働く力の背景、不幸願望の確認。子供たち、本能的に無意味を直感し、意味を求めて無意味なことをしている。

 人の生きる意味、目的とは、仕事も遊びも誰かと比べてではなく、生きる部分としての時間空間と同じ存在としてのことであり、今日は獲物が少なかった、しかし、明日は屹と言った程度の問題であって、他人を、本や、他の行動と同じ位に捉えて、時に大切なものと考えて、ハンターを生きることであったなら、小説、芸術を誰かに見せる為などと、ましてや人を動かし、感動を伝える等と、一人対世界の人生であって、その中でしか真の人生はありえず、意味も存在せず。

 時間、意識、因果律、宇宙、生、死、宗教、哲学、科学で考えている所のものを主人公として作家は考え、書き続けなければならない。小説が人間を描いていた時代は、百人百様の悪も善も凡そ考えられる限りの幅の人間群が描かれてきた、が人間の幅など生と死の間隙の幅にすぎないが、考え続け、考え続け、何故私が生きているかを、木がちゃんと生きているように描けてこそ、形式の問題ではない、地点内容の問題。トマスモアのようなものではなく、現在から未来を見るのではなく、現在から過去を見るように、タイムマシーンで一千年前の人の意識に私が降り立ち、現在を見る地点、が結局は一千年先の私は何も解決していないのだが、現在及び世界は大方解決する。が解決が一体何の約に、それこそ機会人間、永遠を手に入れるようなもの、おもしろいのは、ああでもないこうでもないと、しゃべっているプロセスなのだから、生きるとは死ぬまでのプロセスなのだから、生まれて突然死では楽しみもない。

 私が考えているのは小説形式ではないのだ、形式は早や私にとって何の意味も持っていない、自分の考えを、何か考える事を形式で考えたくない、勿論論理立てて考える人、直感のようなもので考える人、形式のようなものがあるかのように見えるが、人が考えることにおいて、ある方法、形式などはない、考えること全部を含めた所の考えなのだ、小説とは考えるものであり、形式であってはならない、百人、百様のその考えに差はないにしても、過程、精神のひれきがあればいい、形式化したときから死ぬ、人はしゃべる、考えながらしゃべる。

 聖書を書く、佛典を書く、と人類の英知を考えに入れ書くことが、文学の残された課題となる。何の為に生くかと考える時、それでなくては意味を感じられない。私小説的ノスタルジーなどであってはつまらない、最高を最先端を想像することにおいてのみ、存在意味があるのだった。

 歴史書の過程 時代と人間の思考の追体験。 全集類の過程 全知識を考えに入れて。

 死の受容が人の到達点ではあるが、到達の後の人に於いて何が残るのか。あたかも生命が細胞膜を取り払って元の世界と一体のような精神の物質化がおこるのだろうか。受容はまだ細胞膜を精神において残している。圧倒的多数の精神は世界と一体ではないにしても隔たってはいない、世界そのもののようだ。名もなく死んで行く人、殺されて行く人、世界がそれら人々を知るのはほんの砂粒の人、圧倒的多数は知られることもなくひっそりと死んでいく。人は到達をしてもなを、何故の生命なのかと問い続ける、何故の生命なのかと、1000年後、2000年後、否一万年にあって、一万年前の人と何ら瓦ない生命ではあろう、一万年前の生命、この有機体に合ったという痕跡、遺伝子の伝搬者としての人。

 リュリの音楽 音楽は何のために存在するかと、人を喜ばせるためでもなく、自らの楽しみの為でもなく、死者への捧げもの、死者を蘇らせる為のもの、死者との対話の為のものと、深い孤独の内に作曲し、人知れず演奏し、生前には楽譜の出版、演奏もしないで、ひたすら死んだ妻との対話の為に書き、生きたとマレイの回想、忘れていた死者のこと、忘れていた私の魂のこと、ディキンソンとも、プルーストとも、イエスとも、佛陀とも誰とも違う、音楽の捧げもの。死者への手紙、魂の呟き、 二人のベロニカ 人間の精神的なものの描写がテーマとなっている。もう一人の私がいる、そのもう一人の私の不幸に人は感じ、涙し、変化する、人が国を声共感するのは、じつにこのもう一人の私の感覚があるからに他ならないと語っている。人間は一つ、一体のものであったという感覚、あらゆる生命と、かつて一体であったという包まれた感情、誰かのすばらしい活躍もそれは我がこととして、誰かの悲しみ、苦しみを我が事として感じる精神を描いていた。

 嘉樹がまた金を持ち出した。家出してやると言っていたというから、口実は新潟へは親も反対しているから、面接も厳しいから、このままだと親元での生活になってしまう。将来的不安と学生最後の夏休みだから遊びびたい、が金がない、親の嫌うことをすれば見離すだろうとの判断。

 手をさしのべても、生き方を変えようとはせず、前進、努力、というものを価値に持たず、安易なものに流され、太く、短く、面白くと人生をとらえて、 人は、いずれ理解し合うもの、希望に生きるものとするなら、さっさと理解、希望に向かって生きて生きていくこと、自分の人生の目的に対しては頑なであっても、対社会、人に対しては肯定して、父が手遅れで死んでいたら、今ごろお前はどうしていたのだろうか、母の悲しみ、生活の苦労を思うのだが、お前にはどちらでもいいことか、求め合う、創っていく絆、価値、意味など、見ることの出来ないお前だから、どうしてそんなに成ってしまったのか、何がお前をそうさせてしまったのか、

 赤んぼ時代はよく笑い、人なつっこく。幼稚園時代は明るく、おしゃべり、社交的。小学校前半はおとなしく、控えめ。小学校後半は前向き、努力、正義感。中学生はことなかれ、泣き虫、弱音。高校生は勝手気まま、無気力。専門生は高校時代に輪をかけて怠惰。夢、希望が育っていない努力価値、思考能力等、青年としての訓練がされていない、子供時代のまま、今社会に出るに当たって、淋しい広凌たる砂漠の中を一人歩いているようなものではないのか。人生は長い、着実に歩むこと、「俺はギャンブルは止められない、親に甘くされると甘えてしまう」「学校は勉強もしていないし、将来どうなるかもわからないから辞めてもいい」 

 子供たちへ 母は毎日生活の不安、将来の虚しさにとらわれているようだ。それも原因は全て父のいたらなさにあるのだが(身体が思うようにはならず)それは置いておいても、母が感謝と安心を求めているのだから、答えてやって欲しい、父も月十日位のガードマンに行く、夜十時から朝五時の勤務、潤も何かバイトをし、嘉樹は以前言ったように、苦学生のつもりで、前借りしないで、公庫の借金を払っていくこと、父が三十万、樹が二万、嘉樹が五万、合計で三十七万で生活していく、母は病気で寝ているものと思って、切りつめてやって行く事。父は作家として生きる道を選び、母も作家の妻として生きることを覚悟して結婚し、生きてきた。子供はそんな二人の喜びの為に生み、育ててきたのだが、今、この充分に、巣立ちの時期を過ぎたお前達にあって、義務として果たしていって欲しい、でないと生活は成り立たない、嘉樹は就職する迄、そして母の老後はお前たちが責任をもつこと、父は、母は、自信を持ってお前たちを愛してきた、愛を注いできたと言えるのだから、嘉樹は自堕落にならぬよう、七十年という時間を目標にして、潤は目標に向かって、父も精一杯やる、お前達も、父はけっしてお前達の世話にはならぬ、責任は自分でとる、どのようにしても生きていく、生命ある限りは。

 再び子供たちへ お母さんを守ってやりなさい、父はあと十年位だから、父が癌の時言わなかったことを今言う、お母さんを守ってやりなさいと、助け合って、支え合って、生きて生きなさい、素直な優しい心を守り育てて、生きて生きなさい、何才に成っても、今父は何も書けない、ただこの世界を、この一日を感じていたいばかり、神、宇宙、私、何も成せない、自殺をはかったO、あの時君は、人を試したのだろうね、一人の共感者が得られないことの悲しみ、私も、母君も、弟も、誰も君の力にはなれかった、未遂後の君の興奮、あれは私達への怒りだったのだろうね、優しくされても、ダメな時はダメだったんだろうね、今の私も一瞬自殺への願望が横切る、生き難さ、ハンデイ、世界に対する締観、怒り、泣く時、神を、超越を求める心が生まれる、自己をいとおしむ心も、それは素直、優しさ、嘆くまい、世界は今飢えている、誰の為に、何の為に生きるのか。誰も何も求めはしない、何の目的も君には課されていない、だとするなら積極的に死ぬのが正しいのか、自死の哲学、キルケゴールとは違う、自らを救う為の哲学、Sの言うように、あの世で待つ人、私にもいるのだ、父がきっと待っていると。カフカ、人生に意味がないことを誰よりも分かっていて、自殺しないで生き抜いたのだろう、この無意味と闘うことを使命として、真の作家として、かつて、青春時代、自殺に憧れ、逃避的に求めたことはあったが、今、此れ程力強く、目指したことはない、飛行機を操縦し、燃料が切れるまで飛び続け死んで行ったとの新聞記事、私も癌の進行を待って、治療せず、今度は死のうと思

う。一人の人間との共感が得られないと知った時、人は人生の意味を失うのだった。自殺した者の愛を今知る。人に意味があったから、自分の無意味があったカフカ、自分の無意味、これ程の不条理、疎外があるだろうか、自分以外は目的存在、意味存在とは、私はかつて、真剣に自分の無意味を問うことはなかった、自分の罪も問わず、全てをアウヘーベンし、ナルシズムで、いつ死んでもで越えようとした、が、実存の極限を考える時、やはり、自分の無意味は、社会的存在をしていく限りは考えるものであった、自死を本気で考える時、自分の罪、無意味も引き付けて考えられるものであった、人は意味存在の中で生きる限り、どのようにだって生きられるだろう、誰かが助け、しかし、無意味に目覚めた時、人はどのように、 CBS,BBC,のドキュメント、衛星放送の世界のニュース等の、個人の、国の不条理に対し、文学が挑戦出来ないのか、有効性が持てないのか、たかが文学、庭いじりじゃなく、ツアラトウトラのような、マーラー、ワーグナーのような、世界の悪は全て知られ、宇宙も神秘性はなくなり、人はいったい何に喜びを見い出すのか、旅、女、酒、趣味、果たしてそんなものの中に喜びがあるのだろうか。

 庭先の婦人、夫が残した少しばかりの盆栽をまるで、夫が世話をしていた時のように行っている、枯葉があれば取り除き、芽を摘み、盆栽が主人公で婦人が従者のように、今日もやり続けている。あと数年の生命かも知れないのに、めっきり顔に皺がより、腰も曲がってきたのに、鑑賞はしていない、ただ古い葉を取ったり、位置を変えたり、神経質なほど、木に触ったりと、以前夫が生きている時は、盆栽など関心が無かった、婦人は掃除、洗濯をしているばかりだった。

 人は充分に楽しんでいると、何も語ることなどないのだと、自らに向かって書けばいいのだと。 

 ブンが一ケ月1000円で生きている。それでいて、あれだけの喜びをもっている。家族を迎えるとき、散歩に行くとき、食事、睡眠、私は一ケ月40万で生きていて、あれ程の喜びはないと思える。植物、鳥、虫、繰り返される喜びの中に生きている。四時にはヒヨドリが目覚め叫び出す。

 ブンが家族を見つめる眼がうれしい、ブンが走り回る元気さがうれしい、ブンが家族の帰りを飛び上がって迎える姿がうれしい、家族が生活の不安をかかえながら、しかし、労りあう姿がうれしい。

 チベットの死者の書が、死後の導きを書いている。内容がチベット仏教の教典にのっとり書かれていて、それをエイズ患者に読ませていた。わたしは詩でイメージで、メッセージで死に行く者に語ろう、心地良い気分。家族の喜んでいる姿を見て喜んでいる私。

 母親は殆ど考えていないのでしょうね、自分が、世界、社会などと。家族を愛し、子を育み、それらの行動の中に生きて死んでいくのでしょうね。優しさの放出の喜びの中で生き、死んでいくのでしょうね。父親は、かつては考えたかもしれない名誉や地位や、女からの賞賛を、しかし女から受け取るささやかではあるが、生きた心の施しによって、誠実だけを受け、この愛が自分の誠実の故に成り立っているのだと小世界を形作って満足し生きていくのでしょうね。

 オルカ キミタチハ コノチキュウノ ナニヒトツ ケガシ コワスコトモナク コヲウミ ソダテテシンデイク 君たちに罪はなく あるのは私達 

 誰とでもいい、一人の人間に対して言いようのない共感、一体感を持ちたい、また存在にたいして、言いようのない喜び一体感を持ちたい。永遠、無限の中の瞬間の私との関係において。人間が民族国家を越えて一つになるには、もう一段高い段階の文化が必要、これは一体どんな文化なのだろうか、人類全体としては無理なのだった。一人対世界の関係でしか成立しないのか。 宇宙に人類と同じ、又更に高等な生命がいたとして、彼等と交流したとしてどうなのだ、人類だってこの存在への大肯定を知っている今、何の意味もない。空間や存在が見えない世界が宇宙にはあるだろう。私は人の死、意識の消滅の世界、意識が作用しない世界、永い眠りの世界、ビッグバンがそうだし、ブラックホールがそうだし、五十億光年がそうだし、人間はじつに多くのことを考えてきた、が、何も見ていないに等しい、何も行動してはいない。思想のオブローモフ、ああも考え、こうも考え、結局もはや何も出来ない、

 Sが落ち込んでいて、死にたいと言った、私は淋しくなるからと思わず涙ぐんだ、しかし彼は、死ねば人の心に残ると、先妻は今も自分の心に二十五才のままだと、一瞬私の涙は引いてしまったが、死にたいという者へ、淋しさを表明するとき、私の心は泣く。人間の完全な姿としてのマリアとコルベ神父、幸せとは善い心の状態のことだろう、感謝の心であり、奇跡の心である。泣く心、コルベ神父が身代わりとなって生かされた九三才の老人の姿「生きている限り私はコルベを語るだろう」と、「生きていることが責務だった」と、人によって助けられたその人が生きて、現存していることの、一人の人が死んで一人の人が生かされたという証。

 Sに虚しさを語って、共感を得られなかったことの虚しさ、虚しさを真に語るべき人間は今やいないのだった。さらにOとも、今や彼等は私に虚しさの共感を求めてはいないのだった、彼等は私から、生きるエネルギーこそ求めていたのだった、青春ではないのだった、今や皆老境なのだった、かつて、Oの虚しさに涙したのに、Sの虚しさに心痛めたのに、

 文学青年であったSさんが、共産党員であったSさんが、理想を追い掛けて人生を過ごした。結果むくわれたものはなく、病床にあって生活の不安、残していく妻の心配にとらわれ、自らの死さえ忘れ、喰えなくなったら、新聞の小さな記事の中の、変死者のように、文学、思想も、公園の浮浪者の人生、生命と何ら変わることなく、自らの責任において、生き死んでいくのだ。

 考え続けるということは、意識続けるということは、心の中に物質のような、書くのような確かな存在を作らせる。人は生き方を変えなければ、シンプルイズベスト、自然との共生、自由、神秘へ。

 そのあいまいさと必然 暖かいベッドがいらないわけではない、うまい飯が喰いたくないわけではない、カカアも、子供も、一緒に暮らしたくないわけではない、しばられ、どやされ、時間におわれ会社に行き、嫌なことと引き換えにすることが出来ないだけ、覚悟ほどのものではないけれど、死ねば楽になれるだろうと生きているだけ。

 現代にあって何が問題か?~人は極限においては解らないが正解、真の平等、豊かさがもたらされるならだが、しかし圧倒的多数の人の常は自己保身が正解。

 死など畏れない、死ぬ時は死ぬのだと、健康である時人はそう思う。生あるものはいずれ死ぬのだと、かつて誰もが死んだのだからと、死をつきつめることなど人はしない。また病人は自分のことで精一杯、人のことなど。だとするなら、かつて私が感じた、実存の感覚、異化の感覚、自分の重さの覚醒しかないのだろうか

 何故生命は死を求めず生を求めるのだろうか、遺伝子の働き、そこに生きたいとする物質の作用があって、私の死への願望が打ち砕かれるのか、もう何もいらないよ、疲れるよ、もう充分だよ、食べたい、歩きたい、眠りたい、楽しみたい、と際限がないよ、一日生きるということは、何事かの欲望を満たすということ、一遍の捨てる考えも、結局はただ一つの生命だけは捨てはしないのだから、そのただ一つの最後の全ての根源である生命を捨てる心とは、そう思うと梶井の世界もそれら死を浮きたたせてはいない。

 アウシュビッツからの帰還者が何年か後には、無気力、怒りに陥り、自殺したと言う、危機を一度体験した者にとっては、日常での努力ほど無意味を思いしらされることはないのだった。世界がすべて生の肯定、喜びの為に在ることがたまらないのだった、私の苦痛、私の悲しみ、私の不安、私の怒り、私の、私の、私は私を否定しないではいられないのだった。

 あの時、読む本がなかった。読む本がないと誰もが、本などいらないのだったから、しかし、その途中、受容するまでは必要であった。何物かが、愛、使命、人との連帯が、死ぬことが分かっていて何故人は関係しようとするのか、

 人間、先人の様々な仕事の影響を受け、それらが蓄積され、文化というものが維持、持続され、進歩といわれるものを続けている、しかし、多くは二番煎じに思える、何事も変化しない、見る者、聞く者をして、人間に必要なものは、人間に誕生した時の、生まれた時の感覚の再生、未だ見い出されていないものの発見、そうしたものでなくては。人々は絶えず生きることに倦怠し、マンネリズムに陥っていく。

 人はセックスをも利用するし、酒も、マリファナも、思考中枢が疲れてるとき、倦怠に耐え難いとき、痛みに耐え難いとき、思考経路を遮断して、しかし、一時のもの、もうろうとした頭で、いつまでもは生きられないと、理性を通したところの一体感を求め、末期癌の患者が一時エロスで死の不安を忘れても、すぐに訪れる死の現実がある。

 自殺についての考察

積極的な自殺の肯定論理、タブー視されている自殺を、感覚的、論理的にも越えること、私の感覚にすること、どのようなプロセス、きっかけで考えたのか、実存開明、生き難いから自殺ではなく、自殺の自由性、運命に作用されない、自己完結性、権利、生命への主体、癌、エイズが人の種としての自殺機構として今発生していること、

 崖の上からの自死

死を待つ、受容しているのとは違った、足がムズムズし、空中浮遊の感覚、肉体が砕け散る一瞬の衝撃の感慨があり、肉体と精神が一緒に砕け散った、血と肉の飛び散った様が思い浮かび、完全な自己破壊の快感を感じ、心が和む、私が私でもって処理したとの、

 銃による自死

銃は何か意識だけを殺すようで、肉体は抜け殻となって晒されるようで、そんなことは意識の無くなった私にはどうでも良いことなのだが、意識だけを恐れていたようで、後味が悪い、やはり崖の上からのダイビング、そして飛び散る私の肉体と精神、

 冬山での凍死

経験は無いのだが、眠りながら死んでいけるという、あの睡魔に逆らうことの苦痛、電車で、運転で、それが従容とあの睡魔に身を任せてなら、何と良いものであるのか、

 睡眠薬での自死

冬山での眠りを、薬でやろうとするものか、あの手術前の、数秒後の眠りであるなら、いや煙草を吸って、酒も少々飲んで、物達に、生きもの達に、別れも告げて、眠るように死んでいけるのなら、これが一番いいのだが、場所が問題、Oのように見つかってしまってはつまらない、

 電車に飛び込んで

Sの妻はホームから舞い降りるように、急行電車に激突して散ったと聞く、衆目に晒す意味、

 入水による自死

昔、三ツ池ではよく子連れ自殺があったと、そこには地僧が何体も置かれてあった、太宰も、水は溺れた経験があるだけに、あの苦しみは嫌だと思う、

 何故に自殺か、O君が肝炎が治ったと聞いたら、もうそれだけで充分だと、その後はどうなっているのか検査する必要は感じないと言った。死を覚悟していた者にとって、一旦死が遠退けば後はいつ死んでもいいのであった、今度は死を迎えてやる、待っていてやる、徒らな治療などはしまい、生きる意味は無い、死を生き出した時から、充分に生き、意味を味わってきたのだから。

 生命の意味 私の存在意味とは、いくら生きたとしても、家族のため、植木のため、人と会い、芸術、文化を楽しみと感情の快楽に奉仕するばかり、私の個的な存在意味とは、老人が年間二万人自殺しているという、これは世界二位だと、きっとこの十倍は自殺志願者がいることだろう、病死の老人も大半は自殺志願者であるのだろう、あのK老人、T氏等に見る、積極的治療などしないで、癌死していった。社会、人間関係、又は希望への感情が不備ではあるが、人の自殺は其れだけではない、風土、わび、否定思想、無常観、武士、浄土思想、人への迷惑、等、等。生まれた子供に喰われ、子供に自らの身体を捧げ、死んでいくクモの姿は、何と気高い姿であることか。

 ニィチェは徒労と闘ったと、魚のいない川で魚を釣り続けたと、我が人生は、人の人生は全て徒労であると、人の極限とは何か、いつ死んでもいいかから、一歩進めて、自らの必要においてこの世を猿、其れが自己への責任の取り方、徒労への答え、再びは騙されないと、自らの運命を自らで掌握することと、徒労に対する闘い方は、自ら死ぬこと、生命が生きる本能に支配されているとするなら、それをも覆す力こそが人には必要、危険に晒されると死んだふりをする虫がいるという、本当に死んでしまう虫を書いてみたいのだった。

 自殺でもって私の人生を閉じるとの覚悟が出来て、私は完結した、フェルメールの持つ自己完結とはこれであったのだ、老いてなお生にしがみつくなど、老いてなお、生を味わおうなど、貧欲過ぎる、もう充分だと、意識の健康さの中で、悟りなどではなく、緊張のうちに、生を完うするプロセス、これが出来て初めて自己に責任を持つ態度であったのだ。あの時私は死んだのだった、あの時以来この世が天国となり、意味は存在だけとなった、人の意味は存在することの喜びだけとなったのだった、食べれて、歩けて、考えられて、感じられて、是れだけで良い生活、以前の私は死んだのだった、無目的な目的、無意味な意味を信じて、働き動き、しかし、それらは何ら意味、目的を持ってはいなかった、あの時以来の静かな一体の自然な生きものたちとの共感の意識のうちにあっては、あの世から見ているような感覚であるのだった、彼等無意味を生きているのだった、私は半年ではなく、早六年もこの天国で生きているのだった、永遠の天国へ、これでいいのだった。実存感覚 時間の感覚がある、一日、一年、十年、ほんとに十年はあっという間、一日は結構長い、

自殺又は極限を生きる覚悟はある、私の他所有化は耐えられない、人間が意識存在であるなら、意識し切って生きて行く、

 昔私は石であった、昔私は空間であった、石も空間も、今のあやふやな有機物の存在を思うと、なつかしく、確かな私の故郷に思えてくるのだった、早く石に、空間に帰りたいとおもうのだった。輪廻転生を確信する、いずれまた私は戻ってくる、この世界へ、石に戻りたいと思ったとき、輪廻転生が希望、真実となった。生きるための死ではなく、死のための死へ、死が親しいものに。

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