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異世界人文化、つまり俺やあの勇者(暫定)のように異世界から転生、転移、召喚でやって来た人間によってもたらされた文化が既にあるかどうか。
これの有無は結構重要なことだったりする。
「ああ、美味いわこれ……」
つまり、今食べているカレーが美味いということだ。
いや違うだろ。違わないけど違うだろ。
だが仕方の無いことではなかろうか。
今食べているカレー。これがどう味わっても、インド人もビックリの魔改造を施し日本人の国民食にまでなったカレーだったのだ。うん、仕方ないね。美味いんだもの。
懐かしいかと問われれば、まだこっちに来て数日なのに懐かしいも何もあるかと答えるが、それはさておき。
こっちの世界に来てから数日経った。
あれからも2件分、もしくは2日分の力仕事を受け続け、昨日ようやく武器を購入することが出来た。嬉しさのあまりグランドに自慢しに行ったら微妙な顔をされたが。解せん。
ああそういえば、この世界に来て2日目にギルドへ行った際、何故かグランドの顔が腫れまくってて、ただでさえ凶悪な顔がさらにヤバくなっていた。
思わず「弱ってる今がチャンス! 力仕事を奪い取ってやるよ!」と言ったら、極悪な呆れ顔で「アホか。普通に斡旋するっつっただろうが」と依頼書を2枚渡されたりしたんだが……ありゃいったい何があったんだろうな。
とにかく、そんな紆余曲折を経て、今日から「わが輩は冒険者である。武器はまだない」となったわけだ。
ちなみに、あの勇者(暫定)と付き添いの少女はその翌日、俺がこっちに来て3日目にはこの王都を出て、次の目的地へ向かって行ったらしい。受付嬢のひとりが落ち込んでいたらしいが、面倒事の心配が遠ざかってくれてホッとしたというのが正直なところだ。
いやあそれにしても、案外お金って貯まらないものなんですね。まあ、よくよく考えてみたら、身一つでこの世界に来ちゃった俺には、着替えやら鞄やらと色々必要なものがあったからね。うん、身一つにも程があるだろ。スマホ? そんなもん、もう電池切れでただのプレートですが何か? 財布? 日本のお金がこの世界でも使えるとでも?
お金として考えなければ、硬貨なんかは売れる可能性があるかと思いはしたが、それが巡りめぐってあの勇者(暫定)の目にとまれば、やはり面倒なことになるなと諦めた。
最終的にやはり身一つだった。あいつさえいなけりゃどうにか出来たというのに。神さん、何やってくれてんだ。
で、まあ他に何か売り物になるものが無いか。日々、仕事を終えての飯時を利用して考えてたんですよ。
で、地球の知識ならいけるんじゃね? と思った時に気付いたわけだ。
カレーが美味い、と。
よく考えたら昨日はから揚げで、一昨日は某チェーン店風の味付けがされた牛丼だった。他にも、宿にはお風呂があるわシャンプーとコンディショナーが完備されてるわ買った下着はストレッチの効いたボクサーパンツだわで、どうして気付かなかったのかと、自分を小一時間問い詰めてやりたくなったわ。
「すいませーん!」
「はいよ!」
ちなみにここは、グランドがお薦めしていた宿近くの飯屋で、夫婦とその息子夫婦とで切り盛りしている。4人とも獣人で、男性陣が犬系、女性陣が猫系だ。今は忙しい時間帯でもないということで、おかみさんと、料理人であるその旦那さんのふたりだ。あと、息子夫婦に猫系の一人娘が居るが、この時間は学校に行っている。
……学校って制度にも、異世界人文化の匂いがするんだよなあ……よくわかんないけど。
「なんだい?」
おかみさんがやってきた。うん、こうして見ると、ただ猫耳と尻尾を着けただけのぽっちゃり熟女なんだけどな。あ、でも鼻筋に少し猫っぽさはあるかな。
「カレー美味いっすね! おかわり!」
「アッハッハ、いつもながらよく食べるねえ!」
毎日来ているのでもう常連だ。というかここにしか食べに来てないな。近いし。美味いし。ちょっと奥まった場所にあるからか、あまり混雑もしないし。フロアを担当しているおかみさんも嫁さんもぽっちゃりだから、移動に支障の無いようテーブル間の距離を広めにとってあり、ゆったりした気分で飯も食えるし。何より、旦那さんも息子さんもぽっちゃり体型で食べることが好きで、食べる喜びがわかるからという理由で2杯目以降が割引になるのも素晴らしい。
力仕事はお腹が空くのだ。
「美味いんだからしょうがねえよ!」
「ならしょうがないね! あたしもあの人の料理は大好きだからね! いや、料理も、だね!」
……おかみさんがちょいちょい料理経由で惚気てくるのがたまにキズってぐらいだな。ちなみに嫁さんも惚気てくる。料理屋なので毎日惚気られてることになるな。
色んな意味でお腹一杯になる料理屋だ。
「いやでもこのカレー美味いっすね。他の料理屋じゃ見ないし、旦那さんが開発したんですか?」
他の料理屋に入ったことはないが、この特徴的な匂いを嗅いだ覚えが無い。いや、まあ、地球の、日本の匂いはプンプンするが。
「違う違う。こいつはね、あたしらの故郷の料理なんだよ。他の料理屋で見かけないのは、まだそんなにコメもスパイスもこの王都じゃ出回ってないからじゃないかね? 故郷じゃよくある家庭料理のひとつなんだけどね」
でもお陰様で繁盛させてもらってるよと笑うおかみさん。なるほどねえ。でも、そうだとしたら、あの勇者(暫定)は食べることが出来たんだろうか? ここで逃したら、あとはおかみさんたちの故郷にでも行かない限り食べられそうにないんだけど。
「じゃあ、おかみさんたちの故郷じゃ昔から食べられてるものなんだ?」
「まあそうなんだけどね。でも、このカレーも他の料理も、大昔にひとりの冒険者から教わったものらしいんだよ」
「冒険者?」
「ああそうさ。何でも、あたしらの故郷にたどり着いたその冒険者は、近くに自生していたコメを見るなり号泣して、泣きながらパンパンに詰まった鞄からたくさんのスパイスを取り出し、このカレーを作り始めたって話が残ってるんだよ。400年くらい前のことだったかな?」
ああ、その冒険者は日本人だ。絶対に日本人だ。しかも料理人か、料理が好きなやつだったに違いない。
きっと、何かのきっかけでスパイスのひとつになるものを見つけたのだろう。そして、これがあるなら……と、他のものも探し、見つけ出し、けれど米だけを、ずっと見つけられなかったのだろう。わかる。俺なら、俺だって、そうだったとしたら泣く。想像だが、きっと間違ってないように思う。
「で、そのカレーの美味さに参っちまったあたしらのご先祖様は、以来コメをたくさん収穫するために栽培するようになったって話さ。まあ、あたしら獣人はよく食べる者が多いから、ほとんど国内で消費しちまって、外に出るとしても隣国くらいなんだけどね。あ、うちは故郷に伝手があるから、こうしてお客様に出せるだけの量が確保出来てるんだよ。だから気にせずたくさん食べとくれよ!」
じゃ、おかわり持ってくるからね! そう言っておかみさんは厨房の方へ行ってしまった。
……うん、でも今のでわかった。やはり、この世界には、俺やあの勇者(暫定)の以前にも、地球世界からこっちに来た人間が居る。しかも、話の中で確認出来たのはひとりだが、恐らくはもっとたくさんだ。下着をはじめとした衣類。風呂やトイレ(そう言えば水洗だった)などの住環境。気付いてないだけ、見つけてないだけで他にも色々あるだろう。それらを全てひとりでやったとは考えにくい。
で、だ。
これがどういうことかと言うと、「ハイ残念! それもう既にあります!」ということだ。カレーも、から揚げもプリンもケーキも、貴族の女性に大人気になって一攫千金出来ちゃうシャンプー&リンスも、農業系定番の連作障害対策も。
資格の必要無い力仕事系ブラックの、しかも最底辺にいる俺ごときが思い付く程度のものは全て、既に過去の転移者がやってしまった後。
残っているとすれば専門的な知識や技術だろうが……仕事に専門的なもんは必要無かったし、残念ながら活かせるような趣味も持って無かった。
「はあ。結局、地道に冒険者するしかねえか……」
もともとそのつもりではあったけれど、改めて一攫千金の芽が摘まれていたことに気付いてしまうと、何とも言えない気持ちになるな。
「なんだい、おかわりを用意しに行ってる間に随分しょげちまってるじゃないか」
おっと、カレーを運んできたおかみさんに指摘されてしまった。
「ああ、いや、何て言うかな……飯屋的に例えると、新料理を思いついたと思ったら、他の店で既に出されてるやつだったと気付いたみたいな?」
「うん? まあ、それならそれでまた新しいのを考えるしかないね! さ、これでも食べて元気出しなよ!」
「……そうします……って、こ! これ!?」
「いつもたくさん食べてくれるからね! あの人からの感謝だってさ!」
見ると厨房の方でゴツい犬系獣人の旦那さんがサムズアップしていた。お辞儀で返し、改めてテーブルの上を見る。
そこにあったのはカレー。ただし、その上に……ダメだ、もう口が思い出してしまっている……!
ルーがかけられていても、まだ揚げたてであることを主張するさくりとした衣。その先に待つ、柔らかで、けれども確かな弾力を返す肉。それと共にじゅわりと溢れ出す肉汁。それらがスパイシーなルーの味と香り、そして米の甘味と溶け合い、絶妙なハーモニーを奏でていく……。
あえて関西弁で言わせてもらおう。
「これもう絶対美味いやつやん!」
カツカレーがそこに鎮座ましましていた。
ちなみに関西弁だったのには理由があって、カレーの方に入っている肉が牛だったからだ。
牛と豚の競演!
まあ、豚も牛もそれっぽい動物だが、そこは今いいだろう。単に「カレー」と言って、肉が牛なのは関西だと聞いたことがあって、だからまあ、関西人だったであろうその冒険者に敬意を表しただけの話だ。
だけなのだが。
「なんやあんた、あたしらの言葉知ってんのか!」
おかみさんが食いついてきた。しかも関西弁で。見ると、旦那さんも厨房から顔を出していた。
だがちょっと待ってくれ。俺の口の中はもうカツカレー受け入れ体勢なんだ。しかもカツの衣がサックリしている内に食いたい派なんだ。食わせてくれ。