94 プロイセンの夢
※三人称視点です。
ルイボンド邦連・プロイセン邦首都セルリン。セルリン城・謁見の間――
無骨だった謁見の間の現状を形容するなら、死屍累々。
回廊から入り口にかけて、数十人の死体が横たわっている。扉が閉じれないほどに。
そして中には今も戦が続いている。
数人の近衛が剣を取り、盾を取り、後退しながら十倍の敵と戦っている。
ここは皇城の謁見の間、いわば皇帝としての権威の象徴に等しい場所である。
敵がここまで攻め込んだということは即ち、王権の失墜にほかならない。
戦闘を行っている双方が、同じ鎧を着ているから、猶更だ。
やがて、防衛側の最後の一人が倒れた。
シーンとなった謁見の間、しかしそれは決して平穏が戻ったということにはならない。
たった一人、玉座に端座しているセルリン二世を包囲する兵士の中から、一人の平凡な男性が出て来た。
「朕の息の根を止めてくれるのは貴様か、ヴァン」
「いえいえ、そんな恐れ多いこと」
「ふん、そなたのような者に足元を掬われるとは、朕も所詮そこまでのことか」
「私だけ、ではありませんよ」
すると、もう一人、初老の男がヴァンの側まで来ていた。
その人を見て、さすがのセルリン二世も顔色を変えざるをえなかった。
真紅の鎧の皇帝は唸るように、喉の奥から低い声を発した。
「ビスマルク、貴様、ヴァンにやられたと思ったが、まさか反乱に一枚噛んでいたのか」
「さて、それはどうかな、陛下」
ビスマルクと呼ばれる初老の男は、皺くちゃの手を顔に翳す、次に現れたのは、ヴァンと同じ顔だ。
「チェンジェリング……そうか、貴様が、貴様こそが最初の一人か、ヴァンではなく」
「その通りだよ陛下。最初に私が入れ替わって、そして貴方の疑いを逸らすために、ヴァンが出て来た」
「そして愚かな朕が、貴様にヴァンを監視せよと命じた、ということか」
「お蔭で、随分やりやすくなったものだ」
「では、我が軍はどうなった?」
「ポーラン侵攻軍は、将と共に自滅、今頃化け物になってあっちで暴れているのだろう。そして南部制圧軍は、ふふふ、コーデリア准将は討ち死に、|《指揮者》カリスマを失った兵士はほぼ自滅、生き残れるのはどれくらいでしょうね」
笑みを隠す様子もなく、ただプロイセン軍の壊滅を嬉しそうに語っている。
「解せんな。貴様らが乗っ取ろうとするこの邦を弱らせて一体何のメリットがある?」
「我々の主は、多くを望まない。ただ奪心魔が支配する国が欲しい、と。」
「諸国に挟まれ、弱小で身動きも取れんでもか?」
「我が主は少食でね」
「化け物の犬がっ、同胞を差し出すか」
「陛下が屠ろうとするブライデン人の数と比べれば、大したことではないのですがな」
「貴様……」
「ふふふふ……さて、ではそろそろ、ご退場を願いますかね」
ビスマルクだった男は手を上げ、後ろの兵士達は武器を構えた。
しかし、
「それでは困ります。『これ』はすでに私の予約済みですから」
どこからともなく、中性の声が謁見の前に木霊する。
その声が消え去る前に、数十人の兵士が音もなく崩れ落ちた。
「なっ、誰だ!」
謁見の間の中心に、一人の男が短剣の血糊を拭いながら現れた。
絹糸のように背中いっぱい溢れるほどの銀髪と、女性と見紛えるほど秀麗な美貌、、静かに広げていく笑顔が咲き崩れようとする花。その透き通った赤色の輝きを宿った瞳に見つめられたら最後、魅入ってしまって二度と目線を外す事などできないだろう。
だがこの世界の人にとって、その容姿が意味することは一つ。
「ヴァンパイア……っ!?」
「初めまして陛下、ロントと申します。急な訪問で申し訳ないですが、こちらにもいろいろ都合がありまして、平にお許しを」
チェンジェリングの呻きを無視して、セルリン二世へ一礼。
その手には二本の片刃の短剣、剣先にはまだ血がついてるそれは、すべて急所への一撃で一瞬の間数十人の兵士を葬った。
「なぜだ、なぜヴァンパイアはここに、教国の者か」
慌てるチェンジェリングの言葉に、ロントは僅かに口元を吊り上げた。
「ほう。この私が人間ごときの命に従ってる、と?」
「ひぃ」
殺気を放って威嚇するまでもなく、ただ一瞥しただけで人間の背骨を凍りつけるような威圧感。
銀髪赤目の化け物は、決して人間が計り知れるものではない。
それはもはや、獲物である人間の遺伝子に刻まれた、決して抗えない記憶。
「心配しなくとも、この邦の行方に興味はありません。私の目的は、ただ一つ――陛下、貴女だけです」
「狙いは朕の命か?」
「ふふふ……それは、陛下の返答次第です」
「どういうことだ、ヴァンパイア?」
「一つ、聞かせてください。どうして、チェンジェリングどもの策を受け入れたのですか?自国民の大量虐殺などという愚行を」
「モラルを語りたいのか?」
「答えてください」
真紅の瞳に見つめられ、呼吸を放棄しかけたセルリン二世は、咳払いをしてなんとか口を開いた。
「ルイボンド統一には、そうするしかなかったからだ」
「それは異なことを言いますねえ、現に今、ポーラン方面は崩壊、フォルミド軍も間もなく攻め入れます、この反乱がなくとも、プロイセンは弱体化の一途でしょう」
「それは、向こうは一枚上手だった」
「果たしてそうでしょうか、貴方の軍隊は確かに敵を圧倒したけど、所詮不定時の爆弾のような軍隊は最初から期待できるはずもありません。貴女は《黒雲膏》の全ての副作用を独自のルートで掌握しています、よもやそんなもので本当に統一できると?」
「……何が言いたい?」
ヴァンパイアは静かに微笑んだ。牙をむきだし。まるで最上の獲物を目にしているようだ。
しかしその瞳は変わらず人の心の奥底まで見透かす。
「貴女は元々、恋に恋するような乙女でした」
「……」
「14歳の時、学院で恋人を作り、駆け落ちを企みましたが、その相手が当時の皇帝――セルリン一世に殺された。懲罰として貴女は辺境の町に放り出され、そこで反省せよとの命でしたが、貴女は性懲りもなくまた恋人を作った。今度の彼は、貴方の目の前に殺された。それからの貴女は賢かった、決して反抗な態度を取らず、セルリン一世が望んだように凛々しい武人として生きてきました。しかしセルリン一世が崩御なされ、自由になったはずの貴女は、その日密かに交際していた恋人を、自分の手で殺した」
淡々と、自分の半生を語ったヴァンパイアに、セルリン二世は目を見張った。
「貴様、一体――」
「――貴女が豹変した秘密は、その決して外すことのない鎧の下にあると見ましたが、違うのでしょうか?」
「ッ!」
セルリン二世の言葉を遮って、黄金に輝く短剣が一閃。
一流の武人であるセルリン二世は攻撃を意識することすらできず、真紅の鎧が紙屑のようにいともたやすく砕かれ、解かれてしまった。
その下にあるのは、武人の名に恥じぬ引き締まっている肉体、そして胸元で蠢く、もう一つの顔。
「じ、人面瘡!?」
チェンジェリングはそれを見て悲鳴めいた声を上げた。
「と、いう実在してない病ではありません。これは……中途半端な霊魂魔術の影響ですね。セルリン一世は自分の魂を娘の身体に憑依させ、その中からずっと縛り付けてきた、ですか」
「っふふふふふふ、ふははははははははっはははは、あははははははは――!」
外気に晒された素肌を気にも留めず、狂ったように笑い声を轟かせるセルリン二世。
「そうだ!私は、ずっと父上に取り憑かれていたんだ!自分が死んだ後、私がちゃんとルイボンドを統一に導くか心配になったあの人にな!」
「式も術者も不完全な故、精神と肉体にも負担が来してから、そのざまですか」
「ああ、だから私は理解した、例え死しても、父上は私を解放する気なんてないとな!この姿になって、私は父上の望み通りに生きねばならん、父上の執念から解放されるためには」
「ルイボンドを一統、もしくは――」
「――私の破滅しかない!」
セルリン二世の告白に、チェンジェリングもただ驚くしかない。
それは当然だ、即位してから一時も鎧を外すことなく、生来の威圧感と才覚を持ってたったの十年間でプロイセンをルイボンド最強に導く軍事国家のトップが、まさか亡き父に操られた挙句破滅願望の持ち主だったとは。
「陛下。プロイセンの人々は貴女の意志こそ栄光に導くと信じていますが、どう思います?」
「知るか、夢なら勝手に見てろ、私に縋るな!」
「ふふふ、ふふふふ」
肩を震わせ、心底から楽しげに笑い出したヴァンパイア。
「嗚呼、貴女はやはり私の予測通り、最高です。この邦、無数の臣下と軍人、忠義を誇る武士が皆口を揃えて嘯いた『皇帝の意志』がこんなものだったとは、なんたる荒唐!なんたる滑稽!これほど食指を動かせる破滅は久々ですよ!ははははははーーーー!」
最高の喜劇を目にして、一通り笑ったヴァンパイアは、セルリン二世に向き直った。
「さて、そこのチェンジェリングどももそろそろ待ちわびていたですし、終わりにしようか、これから最悪の暗君と称されるであろう陛下。貴女の破滅を、この私が頂こう」
「私を殺すのか?」
「当たらずと雖も遠からず、ですね」
またもや黄金の一閃が、セルリン二世の胸を切り裂く。
しかし金色に輝く短剣は、醜悪に蠢く人面――セルリン一世の魂をもろとも消滅した。
「残念ながら、貴方には私のコレクションになる資格がありません。ですが、自分の娘を最高な逸品をしてくださってありがとうございます」
美貌のヴァンパイアは、皇帝の首筋に噛み付いた。
「さて、貴女の仮面は何色でしょうか?」
「あ、あ、ああああああ――――!」
皇帝の悲鳴が、謁見の間に響き渡った。




