92 月下美人
「なんか派手に戦ってるみたいで来てみたら、まさかテンセイノミコと臭いエルフが居るなんて、あたしラッキーじゃん?」
人間にしては異様に大きな、獣のような爪をルナの身体から抜き出し、白髪の女性が楽しそうに言った。
「あとは臭いエルフを殺して、テンセイノミコを連れ戻せばいい……あれ? そういえばテンセイノミコは死んだらダメなんじゃなかったっけ? まあいっか、どうせ困るのはエンマのヤツだし」
何かと呟きしながら、白髪の女性は右腕の大爪についた血糊を振った。
女性は若く、ノースリーブで背中が大きく開いたワンピースを着ている。裾がギリギリ尻を隠せるかくらいの丈で、スラッとした脚線美を惜しげもなく晒している。
しかし何よりも目を奪うのは、白髪に暗赭色肌、そしてアイナさんのような尖った耳だ。
ダークエルフ。
人間との関わりが少ないが、おとぎ話にはよく出てくる種族だ。主に悪役として。
モンスターではないが、性格は残忍冷酷、加えてエルフとは不倶戴天の仇敵であるため、色んな種族からモンスターと見做されてる。
普段は地中深くに暮らして、ドワーフとの争いも多いと聞いている。
そんなダークエルフが、なぜここに!?
いや、今はそんなことより。
「姉さん!」
「分かったわ!」
刹那にして屍霊化した姉さんは、神速を持ってダークエルフへと疾駆!
その速さにダークエルフは一瞬驚きの色を見せたが、すぐ腕を前に伸ばした。
その腕で姉さんを止める気か、と思ったら、細く引き締った腕がいきなり一枚の、テーブル並に大きな亀の甲羅になった!
ダークエルフの女性は明らかに自分よりも重い、黒光りの厚い甲羅を姉さんに構えた。
「はああああああ!」
《突進》の勢いを乗せて、渾身の左ストレートが甲羅に接触した瞬間、それが爆発した。
甲羅の中に詰められた「何か」が爆発して、飛び散る破片と爆発の威力で攻撃の勢いを削いだ。
しかし、そんなものが姉さんの前では無意味だった。
爆発が届くよりも速く、姉さんは全身を捻り、右の一撃を加えた。
「二の打ち要らず」
戦技と負のエネルギー、異なる二つの力が、姉さんのパンチと共に堅牢なる甲羅を砕いた。
「バカなっ」
大きく飛びずさって、距離を取ろうとするダークエルフだが、もう遅い。
ガシっと、いつの間に肉薄してきた姉さんはその手首を取り、転ばせようと思いっきり引っ張――る前に、暗赭色の手首がタコの触手になって、するりと逃げてしまう。
「舐めるな!」
続いて左腕から何本もの触手を伸ばして襲いかかるが、姉さんは既にそこにいなかった。
《瞬歩》で斜め後ろの死角に回して、無防備な脇下に肘鉄を叩き込む!
「がっは……っ!」
血潮が彼女の口から迸り出た。
内臓にも届く巨大な衝撃に、ダークエルフは成すすべなく吹き飛ばされ、何度も転げてようやく止まった。
逆に言うと、それだけだ。
生身で姉さんの肘鉄を受けて、それだけで済んだ。
「今のは溶岩大亀の甲羅よね? 変化系魔術……の割に詠唱がなかった、ダークエルフの固有能力でもなさそう、もしかして」
溶岩大亀とは火山口に生きるモンスター、その甲羅は頑丈な上で、攻撃に反応して表面を吹き飛ばし、攻撃と防御を同時に行う特殊能力を持っている。
変化系魔術にはモンスターに変身できる呪文もあるが、体の一部だけ変えるのは聞いたことない。
さらに言うと、彼女は触手、大爪、甲羅と幾つかのモンスターの特徴を同時に身についてる、「普通」の変化系魔術では説明できない。
「くっ……このアノーラ様に膝をつかせるなんて………許さないわ!」
紫色の瞳に憎悪を灯らせ、ダークエルフは人を殺せるような眼光で姉さんを睨みつける。
「結構、私もルナちゃんを傷付けた人を許す気なんてないわ」
燃え盛る赤い髪をふって、姉さんは冷え切った瞳で見つめ返した。
「おいでなさい、徹底的に痛めつけてあげる」
姉さんが敵を引き付けている横に、俺はルナに駆けつけた。
「フィレンさん、ルナちゃんが、私を庇ってっ!」
「落ち着いてアイナさん、大丈夫だ、心配ない」
パニックになりかけたアイナさんを宥めつつ、ルナの様子をあらためたが、さあっと、頭から血の気が引いた。
ルナの心臓が、破壊された。
背中から体を貫通した爪は心臓を貫き、背骨まで斬り裂いた。
姉さんの時と比べくもない、これ以上ないの致命傷。人間なら、とっくに死んでいた。触発治癒も間に合えるはずがない。
『フィレンさん……!ルナちゃんはまだ生きています!まだ間に合えます!』
ルナの身体から出て来たスーチンも、いつも眠たげな目に動揺の色を浮かべている。
「あ、ああ」
スーチンの言う通り、ルナはかろうじてだが生きている、まだ。
しかし、なぜ?
「……そうだっ!」
俺は空を仰ぐ。そこには欠けた銀色の輝き。
今は夜だから、ルナの中のヴァンパイアの部分が活性化しているんだ。
だがまだ安心するのは早い 。
破壊された心臓が僅かながら動いていて、再生を始めようとしているが、その動きがあまりにも微弱。
本物のヴァンパイアなら、夜である限りたとえ心臓が壊されても回復までそう時間は掛からないのだろう。そもそもアンデッドにとって、心臓は急所でもなんでもなかった。
しかしルナはハーフヴァンパイアであり、アンデッドではなかった。
「アイナさん、姉さんの援護を頼む」
「わ、分かりました!フィレンさん、ルナちゃんは大丈夫ですか?」
「……大丈夫だ、俺がなんとかする。スーチン、一緒に来てくれ!」
『はい……ッ!』
俺はルナの体を抱えて、できるだけ揺らせずに駐屯地の近くまで来ていた。
ここなら未だ滅尽滅相の効果範囲内。つまり、アンデッドには心地良い場所である。
「スーチン、ルナの意識は?」
『……眠ってるみたいです、ずっと声かけてるけど返事がありません……』
「頼む、もう一度ルナの身体に入ってくれ、それで生きようと強く思ってくれ」
『はい……!』
どれくらい効果があるかはともかく。結局死ぬかどうかは自分の生きる意志が決めるって聞いたことある。
乾いた血の色してる、暗い砂の地面にルナの体を置いて、その心臓の真上に手のひらを翳した。
「微量不死治癒」
恐る恐ると、極めて微量な負のエネルギーをルナの体に注ぐ。
これは賭けだ。
人間なら、負のエネルギーを受けたらダメージになる、瀕死の人間なら猶更だ。しかし、今のルナなら、あるいはヴァンパイアの再生力を刺激して、この傷を乗り越えるかも知れない。
だが、アンデッド用の治療魔術で、アンデッドの再生力を活性化して、生き物として最も重要な臓器を復活させて、最終的に生を長らえる。そんな矛盾だらけなことが、果たしてできるのだろうか。できたとしても、ルナに何かよくない変化を齎すじゃないか。
そんな俺の心配と裏腹に、
「……ぁぁ……けほっ」
ルナの口から血が出てきた。
それは内臓の破裂、そして心臓が鼓動を始めたということだ。
ルナの体が吐血と共に痙攣し出した。
バラバラだった心臓が機能を取り戻し、背中から胸の傷口もまるで時間を巻き戻してるような驚異的な再生力で塞がっていく。明らかに微量不死治癒だけの効果じゃない、俺の魔術がトリガーになって、ルナの再生能力を呼び覚ました。
しかし、様子がおかしい。
身体が治れば治るほど、ルナは酷刑でも受けてるみたいに激しく呻く、痛がっている。
「ぁぁぁぁ……ぁああ!」
一体、何が彼女をここまで苦しませているんだ!?
「スーチン、どういうことだ!?」
『ルナちゃんが、凄く渇いてるようです!』
「渇く!? それはどういう――」
「ぁぁぁぁあ、がああああ゛あ゛あ゛――――ッ!」
「くそ、なんなんだ一体!」
俺はただルナを抱きしめるしか、何もできなかった。
身体が完全に元に戻り、傷一つない肌を晒して、爪を俺の腕に握りこませるほど悶えているルナ。
その力は凄まじく、怪我人どころか、今までのルナからも想像できないほどのものだ。
その時、暴れてるルナを必死に押さえつけながら、ルナの大きく開いた口に尖っている二つの犬歯に気づいた。
もしかしてと思い、俺は自分の死の化粧を解除した。
「くっ……!」
『フィレンさん!?』
ガバっと、とんでもない怪力で飛び上がったルナは、そのまま俺を押し倒し、首に齧り付いた。
尖った牙で皮膚を貫き、飛び散る血液を何度も喉を鳴らして、甘露のように飲み下す。
そういえば、滅尽滅相の魔術陣を書いた時もかなりの血を失ったな、と思った瞬間、目の前が一瞬暗くなった。
「ッ!」
なんとかルナを引き剥がし、死の化粧を掛け直した。
すると、ルナはまるで夢から醒めたように、赤い瞳を丸くして、ばしばしと瞬きを繰り返した。
「フィレンさん!どうしたの!」
あまりの出血の多さに崩れ落ちた俺に駆け寄って、心配そうに手を握ってくれた。
その顔についさっきまでの苦痛が一欠けらも残っていなかった。
俺は安堵にため息をついた。
「良かった……ルナ……無事で。スーチンも、おつかれ……」
『ううん。ルナちゃん……無事でよかったです』
スーチンもホッとしたようにルナの身体に消えた。
「あたし? そういえばアイナさんを襲った人が、え……っ!?」
襲われたことを思い出したか、ルナはハッとなって自分の身体を見下ろして、そして俺を見た。
発育がやや遅れて、控え目な胸にかすり傷一つなく、代りに俺の首筋にははっきりと二つの痕が残っていた。
「こ、これはあたしが……フィレンさんを……ぁぁぁ、ぁあ!」
「おっと」
自分のやったことを今になって思い出したのか、パニックに陥りそうなルナを、俺は優しく抱きしめた。
なんとなく、自分が姉さんをアンデッドにした直後のことを思い出した。きっと無意識にとはいえ、自分のしでかしたことに自責の念を禁じ得ないのだろう。
なるほど、これがあの時の姉さんの心境か。
「大丈夫だよルナ、俺は無事だ、ヴァンパイアにもなっていない」
「え、え、でもっ」
ルナの表情を見れば、自分があの時どれだけ精神的に追い詰められたのかよく分かる。
そうか、だからあの時の姉さんは色々茶化して、俺を慰めて、最後はフォー=モサに交渉を持ちかけたのもすべて、俺のためか。
ありがとう姉さん、今度は俺がルナを慰める番だな。
「ほら、ルナ」
ルナの頭を自分の胸元に抱きしめ、優しく語りかける。
「ヴァンパイアの吸血はあくまで食事だ、血を与えなければ眷属は作れない……と、レキシントン先生から聞いた。ほら、心臓が動いてるだろう」
勿論、さきほどのルナの狂った獣ような状態では、本当に吸血するだけの保証はどこにもなかった。
しかしそうするしかなかったから、俺は賭けに出た。
お互いに無事だったのは幸運としか言いようがない。
「ほ、本当だ……でも、フィレンさんの血を、あたしがっ!」
「大丈夫だよ、ルナはここで俺と一緒に生きてる、それで十分だろう? それに、俺って血の気が多いから、男だし、これくらい大したことじゃないさ。それよりルナ、身体の調子はどうだ、もう痛くないか?」
「う、うん、それはもう……ああんっ!」
今更胸が丸出しのを気づいたらしく、真っ赤になって慌てて胸を隠した。
その赤に染まった顔を見て、俺は心の底から安堵した。
しかしルナは俺の反応を誤解したらしい。
「フィ、フィレンさん、なんであたしの胸を見て溜息つくの? やっぱり、小さいから……」
「そんなじゃないさ、ただルナが無事で安心した」
「フィレンさん……本当に、ありがとう……」
俺の手を取り、自分の頬にあてて、その温度を沁みこませるように抱きしめた。
欠けた月を背にして、潤んだ目で見つめてくるルナを見て、俺はドキッとした。
夜風に靡く銀髪が俺の身体を撫でまわし、涙に美しく濡れた真紅の瞳が心を惹き付けて離さない。
ともに旅をして数が月、まだ幼い少女であるはずのルナが、純粋にして妖艶な雰囲気を醸し出してる。
いつの間にか少女が成長……というより、ヴァンパイア化が進んでいる影響かもしれない。
自分の血に濡れているルナの唇を見て、朧げな意識でそんなこと思ってた。
「フィレンさん……」
熟した果実のような唇が僅かに開閉して、俺の名を紡いだ。それだけで、美酒を飲んだように酩酊してる気分だ。
ん、なんか近くない?
朦朧なる視界に、ルナの唇がどんどん近づいて、あれ、なんで目閉じてるの!?
これはもしかしなくともまずい!
「ル、ルナ?」
「はぅ! ああああたし、どうしてっ」
届くか否か、そんなギリギリなところでルナが急に夢から醒めたように身を起こして、慌てて手を振っている。
どうやら今のはただの気迷いだった……らしい。
「フィ、フィレンさん、今のはその、別にそういうの、あぅ」
『ルナちゃん、キスした……大人です……』
「し、しようとしただけ! 触れてない!」
「そ、そろそろ姉さんたちの様子を見に行こう!」
「う、うん分かった!」
純粋に感心してるスーチンと、別の意味でまたパニックに陥りそうなルナをなんとか落ち着かせて、俺は腰を起こそうとしたが、力が入れない。
「一人で立ってられないから、ちょっと手伝ってくれないかな」
「あ、はいなの!」
「よい……しょっと」
ルナの肩を借りて、目の前の月光を浴びて輝く銀髪に見惚れそうになった。
「どうしたの?フィレンさん」
「いやなんでも、行こうか」
身長差のせいで少し歩きづらくしながらも、俺たちは元の場所に戻った。




