91 謎との遭遇
姉さんのところに駆けついた時、どうやらレーザをボコってる最中だった。
常人なら一撫でで壊せる姉さんの力をボロボロながらも耐え続けているなんて、よほど強化されたんだろう、一体どれくらい殺したんだ。
「姉さん」
「フィー君、そっちはどう?」
姉さんはレーザを雑巾のように放り投げた。
「ああ、コーデリアを……仕留めた」
「大変だったね。で、これはどうする?」
俺は姉さんの視線を追って、『これ』――レーザを見る。
勿論殺す以外の選択肢はないけど、俺は躊躇った。
別に今さらこいつに同情とか、人殺ししたくないとかじゃない、ただ、
「こいつ、尋常じゃないくらい『力』を集めてるんだよな」
「ええ、さっきも自分の仲間……《ホワイトレイブン》の人を手に掛けたわ」
「《共喰い》までしたのかよ」
元々他の一線を画するほど紫の光を纏っているレーザが、《共喰い》を経て更なる強化を果たしたようだ。こいつを殺したら、一体どんな負の世界の住人が出てくるか想像もできん。
かと言って、こいつを放置するなんてできない。心情的にもそうだが、こんな人間のクズを野放して、またどこかで悪行を重ねたら寝覚めが悪い。
「やっぱり、殺そう」
「そうだね、じゃ……あら、ナタボウ折れちゃったの?」
「まあ、最近酷使しすぎたかもな。大丈夫よ、これでやる」
半ばから折れたナタボウに、俺と姉さんは手を重ね合って、一緒にレーザの心臓を目掛けて刺さりこんだ。
レーザの身体は強固で、巨木の樹皮みたいになっているけど、それでも姉さんと俺の力に耐えきれず、ずぶずぶとナタボウの刃が刻み込む。
「これで、俺はてめえから解放される」
小さく呟いて、俺は一気に体重を乗せる。
心臓を潰した感覚。
レーザは小さく痙攣して、動かなくなった。
紫の光が身体から飛び出し周りを彷徨って、やがてナタボウに吸い込まれる。
どうやら折れても、フォー=モサが施した術はちゃんと効いてるようだ。
そして予想通り、レーザの死体が咲き始めた。
普通の国境兵では、サンドミイラ、ボンバーチルドレン、死骸蒐集者などのアンデッドを呼び出せる。
《共喰い》を遂げた兵士は、埋葬凶獣を呼び出した
死の化粧が掛かってるから智慧無きアンデッドなら襲われる心配はないが、そうじゃない場合、もしくはあまりにも危険なモノの場合、俺たちで倒さなければならない。
プロイセン軍駐屯地に突入したすでに数刻。
夜空を照らさす欠けた月を背に、レーザの死体がゆっくりと宙を浮かび、内側から膨らんで、頑丈だった肉体にピキピキと罅が入って、やがて花弁のように開いた。
死体の中心に内臓が見当たらない、あるのはただの暗闇。
星々が散りばめた夜空の中、そこだけはまるで星の光さえ飲み込む空洞のように、何もなかった。
そこから出てきたのは、一人の赤ん坊だった。
白いおくるみにくるまれて、まるで母の腹ん中に眠ってるように小さな拳を握ってる
老人のような皺くちゃで、乾いた褐色の砂のような皮膚だけど、体型は間違いなく赤子のそれであった。
しかし、アンデッドであることは間違いない。
なぜならその赤ん坊に片目、というより頭の半分がないのだ。
赤子の特徴である大きな頭部の左半分がまるで喰いちぎれたようになくなり、その中にあるはずの頭蓋と脳も見当たらない、ただ空っぽの頭があるだけ。
そのくせ爛々たる血光を放つ右目がぐるぐると、こちらを値踏みしているように動いてる。
赤子に似た外見だけに、とてつもなく醜悪な、見る人すべてに吐き気すら齎すモノだった。
『屍霊とヒューマンの男……死霊魔術師か』
「っ!」
声が、直接脳内に伝わってきた。
初級精神系魔術、精神感応のような効果だ、実体のない一部のアンデッド、例えばゴーストが固有能力として駆使できる。
スーチンとの会話でそういうのに慣れてるけど、それより、目の前のアンデッドが言葉を喋ったのが驚きだ。
「な、何物だ!」
『別に教えてもいいが、それを問う前に、自ら名乗るのがこの世界の流儀ではなかったか?』
赤子のような外見で、男とも女とも取れるような声だけど、相手が理性を持つ存在なのはもう疑いようがない。
それはつまり、死の化粧が効かないということだ。
姉さんと視線を交わせ、俺は震えだしそうな手を握り、
「俺はフィレン・アーデル、探索者だ。お前は……何物だ、何しに来た?」
『死霊魔術で探索者、どうやらこの世界も結構変わったようだな、まあいい。私のことは、そうだな……私のような者は、凋滅の死者とヒューマンが呼んでいたらしいが、私的にはラストと呼んでくれて欲しい』
「凋滅の死者の、ラスト……それは、名前か?」
凋滅の死者というのは、死骸蒐集者と同じようなアンデッドの種類か?
『さてな、ヒューマンにでも分かるような個体名を持ち合わせておらんよ、フィレン・アーデル』
ぐるぐると回る赤い片目が俺たちに止まった。
褐色の赤ん坊――ラストという名の凋滅の死者――がゆっくりと空から近づいてきた。
よく見てみれば、身体を包んだおくるみのような白い布は、どうやらリボンみたいなもの。
そして半分潰れた頭蓋の中にあるべきモノ――脳が見当たらない、ただ虚無なる暗闇しかない。
不気味極まりない外見だけど、不思議とアンデッドらしきおぞましさがない。
レーザの死体から呼び寄せられたアンデッド、しかも高い知能を持っているはずなのに、屍霊化した姉さんやロントのような威圧感も、アイナさんのような膨大な負のエネルギーも、一切感じられない。
まるで本物の赤ん坊のような脆弱さ。
にも拘らず、俺は半歩だけ、後ずさった。
何かがやばいと、脳の中に何かが激しく警鐘を鳴らしている
それを知ってか知らずか、ラストは宙にぴったりと止まって、再度声を発した。
『何しに来た、だったよな? ただ珍しい扉が開いてるから来てみた、それだけ……というわけでもない』
「何か、目的でもあるのか?」
『折角この地に戻ってこれたんだ、たった一つの願いを、な』
「それは、俺たち、いやこの世界の人たちに害があることか?」
こいつの話に気になることはたくさんあったが、これだけは確かめずにはいられない。
『ある、としたら?』
「止める」
僅かに見張ったような、赤い片目。
続いて、哄笑。
『ふはは、ははははは……!滅尽滅相の使い手が、この世界に害を齎すことを許さぬというのか!どんな馬鹿げた冗談だ!』
「ぐっ」
確かに、ブライデン町の人々を助けるためとはいえ、自然へ、プロイセン軍へのダメージは計り知れない。
「この世界」から見ると、俺たちも害を齎す側かもしれない。
『ふふふ……安心するがいい、死霊魔術師よ。私の願いは、むしろ人間には利しかないのだよ』
「……」
信じていいのか? とは言わなかった。
目の前のアンデッドは、決して俺が計り知れる相手ではなかったから。
「ねえ、ラストさん、と呼んでいい?」
『そうしてくれ、同類よ』
「同類になる気は無いけどね……それより、アンデッドであるアナタが、人間に利を齎してくれるのは些か信じがたいけど」
『まあ、無理もない。しかしアンデッドは必ずしも人間の敵ではない、それは君が一番分かってるではないか?』
「そうね、大事な人がいるなら、自分のしたいようにするだけ」
『そういう事だ。さて、面白い話だったが、そろそろお暇しよう。どうする、私を止めるのかい、死霊魔術師?』
「……いや、今の俺はお前の話の真偽を確かめる術も、お前を止める術もない」
『賢明だ』
褐色の赤子の乾いた身体が、砂のようにバラバラになって空中分解していく。
白いリボンが解けて、段々不定形になっているラストだったモノから、声が発した。
『そうだ。私をこの世界に呼び寄せてくれたお礼として、また相見える時に一つ、望みを叶えてやる』
そう言い残して、残りの砂はリボンと共に風に攫われ、この場から消え去った。
「なんだか、よく分からない相手だね」
「ああ……俺たちに害意はないらしいが、油断にならない」
「それに、この世界に『戻ってこれた』って言ったよね?どういう意味だと思う?」
「元々この世界の住人……ではないか、凋滅の死者なんて聞いたことない。一度この世界に来たことがあった、だと思う」
「そうね、あとでアイナさんに聞いてみよう」
その時、遠方の空に何かが爆発した音がした。
もうすっかり暗闇に覆われた空に、一際目立つ炎の花が咲いてた。
あらかじめ決めておいた撤退の信号だ。
「ルナたちが撤退したようね」
「俺達も急ごう」
クリムゾンレイを数体呼び出し広範囲の暗闇を作り出し、夜に紛れて俺たちは駐屯地を後にした。
ルナたちと逆の方角から一旦駐屯地から離れ、大きく迂回して予め決めておいた合流地点に向かう。
「そういえば、屍霊って言ったよな、あいつ」
ソクラテの研究室で、姉さんが死葬弔鐘で進化を遂げた状態を、ロントは屍霊と呼んだ。
しかし、レキシントン先生とアイナさんもその名については知らないと言った。
「何か知ってるのかもね、次会ったら訊かなくちゃ」
「あまり会いたくないけどな」
そうこうしているうちに、遠くからルナとアイナさんの姿が見つかった。
用心のために照明はついてなかったけど、ビャクヤの白い巨躯は夜では少し目立つ。
向こうも俺たちに気づいたようで、アイナさんがこっちに手を振っている。
その時、生者探索に引っかかった反応があった。
それと同時に、アイナさんの真上から、まるで夜空から絞り出された黒い雫のように、音もなく現れた一人の影。
夜空に煌く、白い凶刃。
「アイナさん!」「危ない!」
「えっ……?」
即座に動くルナ。
恐らくヴァンパイ譲りの視力と反応速度のお蔭だが、戦士ではないルナが出来ることなど、ただ、身を挺するしか。
「ルナっ!」
「ルナちゃん!」
白く、大きな爪が、ルナの胸を貫いた。
俺と姉さんが地を蹴った。
飛び散った鮮血の中、地に倒れたルナ、それを見て硬直したアイナさん。
「なんか派手に戦ってるみたいから来てみたら、まさかテンセイノミコと臭いエルフが居るなんて、あたしラッキーじゃん?」
人間にしては異様に大きな、獣のような爪をルナの身体から抜き出し、白髪に暗赭色肌の女性が楽しそうに言った。




