90 レーザ
※三人称視点です。
「久しぶり……というほどでもないかな、レーザさん」
レーザを追ってバラックから出て来たレンツィアを見て、プロイセン軍は最初取り囲もうとした。
しかし彼女に近付く事が出来る人は一人もいなかった。
死をも恐れずプロイセン軍人、精強である上に《黒雲膏》によって凶暴性が引き上げられた彼らは、駐屯地に侵入してきた者を前にして立ち竦んでいた。
レンツィアはポニテのリボンを解け、燃え盛る紅い髪がまるで大輪の花のように艶々と広がる。
夥しい黒い霧で顔を隠し、全身に赤褐色の斑模様が浮かるその姿は、それでもため息が出るほど美しい。
それ故に、混乱の釜に陥ったプロイセン軍駐屯地の中でも一際異常であった。
「ええ、まさかこんなところで再開するとは」
レンツィアの一撃で、凄まじい勢いで遠く吹き飛ばされたレーザは、しかし大したダメージを受けていない。
剣が砕かれた瞬間、後ろへジャンプして勢いを削ぎ、受け身もちゃんと取れたお蔭でもあるが、一番の原因はその肉体だ。
雇い主であるメデューサに言われて、不承不承に侵攻軍に参加したレーザだったけど、その収穫は大きい。
《黒雲膏》というクスリを食したレーザは、その力に酔い痴れて、誰よりも殺戮に勤しんだ。
人間を惨たらしく殺せば殺すほど強くなる、というのが《黒雲膏》の一番な効果だが、副作用もある。
それは使用者の凶暴性を増幅することだ。
フィレンたちと戦った国境兵達は、町人を殺してる内に自我を見失って、ただの殺戮のマシーンと化した。
プロイセン軍はコーデリア・チェルニーという指揮者がいるから、なんとか理性を失わずに済んでいたが、レーザは違った。
軍人ではなく、コーデリアを尊敬するほど素直でもない彼は、ただ己の精神力で《黒雲膏》が齎した力を制御している。
「ずいぶんと腕が上げましたね、レンツィアさん。いや、それとも実力を隠してたのかな?」
《翡翠龍の迷宮》の分断トラップでレンツィアたちを陥れたレーザは、その後のレンツィアの死を知らない。
だからレンツィアが実力を隠してたのを考えている。
今の一撃から伺わせる実力なら、あのトラップから生還できたのも頷ける。
なんとしても、その力が欲しいと、レーザは期待に舌舐めずりした。
そう、今のレンツィアを見ても、自分が負けるようなビションが一切浮かべてこなかった。
「ふふふ、想像に任せるわ。それより、どうしてここにいるの、メデューサさんは?」
一方、久々に屍霊の力を全開しているレンツィアは、黒い霧を発しながらレーザと対峙している。
「そのメデューサさんに言われて、プロイセン軍へ協力してきたのですよ。今後のために、軍功を上げてきなさいっていうことです」
「へー、ではやはり、メデューサさんから『あの薬』を貰えたの?」
「君がそれを知っているのは意外だったが、まあその通りですよ」
カマをかけてみたが、やはり出所はメデューサのようだ。
もうレーザに用はない、と思うところ、《ホワイトレイブン》の人たちが追いついた。
「レーザさん!」「大丈夫ですか!」「てめえよくも!」
三人の探索者はそれぞれ武器を構えた。
そんな《ホワイトレイブン》の面々に対して、レンツィアは静かに微笑んだ。
「折角の再会を邪魔しないでくれないかしら?」
そして、一瞬で彼らとの間合いを詰める。
「なっ」
何の変哲もない、《斬り丸》を出すまでもなく、ただ蹴りを三回繰り返しただけで三人の足を圧し折った。その動きを捕捉できたのはレーザだけ。だが、彼は仲間を助ける気なんて最初からなかった。
レンツィアが動いた瞬間、彼はその意図に気づき、仲間を囮にして後ろからレンツィアに襲い掛かった。
《黒棘》と似ている、刺突用の短剣は攻撃直後の隙に突いて、レンツィアの後頭部へ奔る。
だが、レンツィアはまるで見えているように、後ろに手を伸ばして、その手首を取ってレーザを転ばせて、背中に《二の打ち要らず》を撃ち込む。
これがまた至って普通な技、格闘に不慣れのフィレンも慣れ親しんだコンボだが、レンツィアに使わせたら、そのスピードと破壊力は計り知れず。
しかしそんな力の差を見せられて、レーザは口から血が零れ落ちながらも、強欲に口元を歪めた。
「ハハハ、なるほど、どうやってその力を得たのは知らないですが、まったく面白い、獲物はそうでなくちゃな!」
「レーザさん!?」
「がぁッ!」
「なにをっ」
足が折れて、激しい痛みに身を悶える仲間を気にかける様子などなく、レーザは瞳に狂気の焔を灯させ、短剣で三人の仲間の延髄を貫いた。
「はぁ、そうすると思ったけど、本当にぶれない人だね」
レーザの凶行を目にして、驚愕よりも呆れる感情が浮かび上がった。
何せレンツィアとフィレンにとって、自分を陥れて、前の《ホワイトレイブン》のメンバーを死なせたあのレーザが今更仲間意識を持ってる方がおかしい。
まさにレンツィアが評した通り、自分と他人の命を計算に入れない、人を破滅させるような人。
「ハハハハははハハハはハ――!何度味わっても最高ですよ、この気持ちは!レンツィアさん、君も一度味わえたらどうですか!」
「お断りよ」
「そうか、それは残念ですね。いや、それともその化け物じみな力も、《黒雲膏》の賜物かな!」
「今のレーザさんに化け物って言われたくないなー」
仲間を言葉通り食い物にして、《共喰い》を果たしたレーザは、狂ったように高笑いしながら、全身に漲る力に絶頂のような多幸感と恍惚感に浸っている。
そして驚いたことに、まだ理性を持っているようだ。
「――我に速さを、機敏」
機敏とは、反応速度を引き上げる変化系魔術。
初級とはいえ、一言で詠唱を完成したレーザは《突進》と《瞬歩》を併用してまたもやレンツィアの死角に移動。
獣のような敏捷と瞬発力で十数メートルをゼロにして、二本の短剣を蛇のように突き出す!
だが、彼の剣先より、レンツィアの蹴りと《斬り丸》のほうが早かった。
一瞬の交錯、剣筋の隙間を縫って、レンツィアのカウンターがレーザの胸元を切り裂いた。
「魔術戦士だったのね、レーザさんは」
「ははは、お見苦しいものを見せてしまいましたね――我が命じる、幻影に惑え、鏡影」
胸の怪我に気にも留めず、幻影系魔術で三つの分身を作り出して、四方向から同時に襲い掛かる!
魔術戦士とは言葉通り、魔術と白兵戦の両方に精通してる人。
魔術での攻撃を主体にしている遊撃タイプと、補助魔術で戦闘能力を引き上げるの前衛タイプがあるけど、どうやらレーザは後者のようだ。
しかも魔術の腕は相当なものだと、レンツィアは思った。
だがそんなこと構わずに、レンツィアは四方向からの攻撃を躱し、幻影を打ち消した。
「加速!」
何かの魔道具の力を借りたのか、中級変化系魔術をほぼ無詠唱で発動したレーザは、さらに加速して短剣で《五月雨》を繰り出す!
「はああああああああAAAAAAAAHHHH―――!!」
眼窩、喉、心臓、腹、陰部、あらゆる要害に降り注ぐ刺突の暴雨を、レンツィアは特に慌てることなく素手で捌いていく。屍霊の力を全開している彼女にとって、ロントと比べて一歩も二歩も譲ってるレーザの剣技は脅威の内にも入らない。
だが、たとえ攻撃がことごとく通じなくても、レーザの目から殺意が消えない。
だって、そう思わせること自体がレーザの狙いなのだから。
「――我が命じる、闇よ飲み込め!深遠の闇!」
クリムゾンレイの能力みたい、いやそれより遥か深く広い闇が戦場を覆った。
深遠の闇とはただ光を吸収するだけじゃなく、全ての視覚情報を遮断し、エルフやドワーフさえも見通せない暗闇を作り出す喚起系魔術。
同時に、レーザは大きく後ろへと跳躍、マントを翻した。
その下にあるのは、三十本の長剣。
「追尾魔剣・遅延十二秒
追尾魔剣・遅延九秒
追尾魔剣・遅延六秒
追尾魔剣・遅延三秒、
追尾魔剣!――ハハ破は八はハㇵハハハ、死ねええええ!!!」
追尾魔剣とは、武器を自動的追尾させ、ヒットした瞬間高熱で敵を焼き尽くす中級生成系魔術。そして遅延とは、魔術の発動を意図的に遅らせる術、通常の魔術より高い集中力と魔力を要する。
《五月雨》で猛攻しながら、レーザはずっと呪文を紡いでいた。
普通、一回の詠唱では最大六本の魔剣しか作れないけど、レーザは魔術の発動をそれぞれ異なる時間差に遅らせることで、五つの魔術を同時発動できた。しかもその間、すべての詠唱は魔道具の力によって無音化させ、完全なる奇襲を遂げた。
言うまでもなく、《五月雨》を続けながら呪文を紡ぐ、それも同時に幾つかの魔術を遅延させるのは至難の業。
普通ならすでに狂人になってもおかしくない《黒雲膏》の力を浴びて、己の精神力だけで狂気を従え、極めて繊細かつ精密な魔力制御を果たしたレーザの腕もまた驚異的と言えよう。
しかも、この三十本の魔剣すら陽動に過ぎず、
「増幅!」
レンツィアから距離を取ったレーザは、一瞬だけあらゆる能力を爆発的に引き上げる魔術を唱え、獣のように地を蹴った!
限界まで強化された五感と身体能力で一本の矢のように《突進》、最速なる刺突を見舞わせる!
しかし、
「《穿て》」
暗闇から真紅の腕が伸び出し、レーザを掴み、黒い光が彼の肩を吹き飛ばした。
「があああああああ!!!」
悲鳴と共に短剣を手放し、崩れ落ちたレーザ。
深遠の闇が消え去り、そこに居るのは三十本の魔剣だった屑鉄を見下ろす無傷のレンツィア。
レーザの意図を、レンツィアは寸前まで気づけなかった。
しかし対応するだけなら簡単だった。
ただ飛来する魔剣を掴み取り、握りつぶし、捨てる。これを瞬きの間に三十回繰り返し、後は蚊が止まるようなレーザを掴むだけという、シンプルな作業でした。
ジューオンの神がかりな魔力制御に刺激を受けて、レンツィアは屍霊の瞬発力で《絶影》を再現しようとしたが、結局高すぎる身体能力に意識が追いつけなくて半ば諦めた。
しかし《無極の籠手》の効果である反応速度の上昇、そして戦技発動へのサポートによって、レンツィアは右腕限定だが、《絶影》の発動に成功した。
もっとも、今の状況なら肉体を半霊体化させても避けられたのだが、敢えて力を顕示したということだ。
「馬鹿な……《絶影》だと……ガハッ」
口から血泡が零れ、レーザは初めて恐怖を覚えた。
全力を尽くして、陽動に陽動を積め重ね、完全に不意を突いた必殺の一撃が、夢想だにしなかった圧倒的な力に破られた。
狂気に支配された国境兵と違って、半端に残っている理性が今更彼を怯えさせた。
「さてと、フィー君もそろそろ来るでしょうし、終わりにしよう?」
そう、ここまでレーザを「戦わせた」のは、あくまでフィレンを待っているからだ。
フィレンが、「これは俺たちの仇討ち」って言ったから、自分だけで潰してはいけないと、殺さずにしておいた。
しかし前回の経験から、あまり生意気な態度を取らせては、大事な大事な弟の精神衛生に良くない影響が出るかもしれない。勿論自分のために憎悪に燃えてるフィレンはそれはそれで愛しいなのだけれど、敢えてそれが見たいと思えるほど、レンツィアのブラコンは拗らせてはいない。
あくまで健全なブラコンだとレンツィアはそう自己認識している。
だからなんとかして心を圧し折ったという姉心。
「舐めるナああああァアアアア!」
なんとか闘志を燃やせ、短剣を突き出したレーザだが、レンツィアを捉えるわけもない。
難なく躱したレンツィアは、脇腹に鉤突きを見舞わせた
「があああぁぁ」
「これは、フィー君の分よ」
すかさず、肘鉄で側頭部を強打。
「これも、フィー君の分」
続いて、掌底を顔面にめり込ませ、手刀をコメカミに叩き込で、鳩尾に貫手、側頭部に回し蹴り。
倒れかけたレーザの顎に肘打ちで立ち直らせて、もう一発手刀を打ち込む。
「これも、これも、これも全部フィー君の分よ。……それにしても本当に頑丈だね。さて、その黒なんちゃらでどれだけ強化されたか試させてもらうよ?」
レンツィアの連撃が、止まらない。
昨日だけでブクマ何件も増えました、本当に感謝です!
もう少しで日間ランキングに乗るところですが、やはりハイファンタジーの壁は高いですね。
強化週間は始まってばかりなので、頑張って行きましょう!




