62 地下工房
まるで時間の流れが極限まで遅くなっているようだ。
数秒にも満たぬの間に、風が轟々と耳元を過ぎ去る、俺は高速に迫りくる水面を見つめ、必死にルナを抱きしめ、打開策を考えている。
ビャクヤがいれば滑空くらいできるけど、ない物ねだりは仕方ない。
この高さから落ちたら、水面と言えど石の塊とそう変わりはしない。俺もルナもぺしゃんこになるのは必至、触発治癒も間に合わないのだろう。
『ルナちゃん、舞空羽、速く!』
「流れを、汲み取る者の名の元、に命じる――ッ!」
スーチンの言葉にハッとなって、ルナが力を振り絞って、辛うじて開いた口で呪文を唱える。
変化系魔術の舞空羽なら落下の衝撃を緩和してくれるが、いくら初級魔術でも、この状態で上手く唱えるわけもなく、水面まで魔術が完成できるのは分の悪い賭けだろう。
と、その時。
「フィー君!」
この世に一番聞き親しんだ、生まれた時から俺を暖かく迎え入れる声を聞いた気がする。
次の瞬間、俺とルナは姉さんの腕の中に居た。
一瞬の躊躇いもなく俺たちを追って崖下へ飛び込んだ姉さんは、落下のスピードに加えて最速の《雲梯》で神速をも越え、俺たちを空中でキャッチした。
電光石火の間に深淵へ疾走する決断力と豪胆さは流石である。
だが、ここまでが姉さんの限界のようだ。
もし姉さんが《閃空》を使えたら、虚空を蹴って崖側に戻り、岩壁にしがみつくくらいできたのだろう。しかしそれが出来るのは武芸者の中でもほんのひと握りなんだ。
だが姉さんは諦めていなかった。
「―――――んんにゃあああッ!」
呼吸すら厳しい風圧の中で、姉さんは俺たちを投げ飛ばした、真上へ。
その反作用に、落下の勢いが倍増した姉さんが水面に直撃!
ドカーーーン、と、まるで隕石のような轟音が渓谷に響き渡る、天をつくような水柱を引き起こした。
「汝、空舞う羽根であることを忘れなかれ、舞空羽!」
一拍子遅れて、ルナの呪文が完成した。
俺たちは空気のクッションに受け止められて、ゆっくりと川に落ちた。
「姉さん!」
勿論フルプレートを着ている俺は泳ぐどころが浮かぶことすら出来るはずもないが、召喚したサンドミイラにしがみついて、なんとか溺れずに済んだ。
サンドミイラは大柄で隙間も多く、辛うじて水に浮かべる。時間が経てば水分を吸って沈むだろうけど、新しいの呼べばいい。
スロウリ川は広いとはいえここは峡谷だ、流速がそれなりに疾い。俺は流されないようにルナの手をしっかりと掴んで、周りを環視して姉さんの姿を探す。
「姉さあああああああああん!!!」
溺死する心配はないが、あれほどの衝撃だ、生身なら即潰されるだろう。姉さんならあるいは耐え切るかも知れないが、川の底に埋まれて、身動きが取れなくなるのもありえる、とにかく何があったらじゃまずい。
「姉さあああああん!!!」
「レンツィアさ――ん!!!」
『レン姉ちゃ――ん!!!』
ルナとスーチンも一緒に姉さんを呼んでるが、返事がない。
クソ、やはり何かあったのか!
待ってろ、今すぐ《龍装鎧》を外して……ッ!
「ぷはー!」
『ぎゃああああ!!!』
俺たちのすぐ隣に、姉さんが水中から現れた。俺とルナが驚いて大声で叫んだ。
「姉さん、どうしてここに!?」
「ふふふ、さっき思いっきり川床に突っ込んで、ようやく抜け出したら水面にフィー君たちが見えて、なんか面白いからついてきたの」
「もう驚かさないでよ……」
『レン姉ちゃん……無事で良かったです……』
「レンツィアさんが死んじゃうと思ったよぉ」
「ふふ、もう死んでるけどね」
「姉さんブラックのやめて」
俺に効くから。
「とりあえず皆無事で良かった――」
パシャ!
まるで俺の言葉と呼応したように、ビャクヤが俺たちの近くに入水した。飛沫が俺たちの全身に降りかかる。
どうやら滑空しながら俺を追って来たらしい。特にそういう命令下してないけど、主の元に戻る本能でもあるのかな。
「――ああ、ビャクヤも無事で良かったな、とりあえずマントに入ろう」
お前じゃ確実に沈むから。
「このまま流されてはまずいから、どこか上がれる場所探そう」
川の両側の崖はかなり険しい角度しているけど、それでも上がる所がなくこともない。このまま川に流されたらどこに行くか分からないし、隊商に戻れなくなるから、とりあえず川から離れたほうが良い。
「そうだね、じゃ私が行くね」
「ああ、頼むよ姉さん」
この中に一番身軽の姉さんはロープを持って、川岸まで泳いで、俺たちを引っ張ってなんとか川岸に上がらせた。
川岸だと言っても、それは比較的に緩い岩の斜面だけで、何か摑んで身体を固定しておかないとすぐ川に転落する。
それでも一先ず一難が去って、俺たちはホッとした。
「さて、ここからどうしようっと……」
俺たちは峡谷を環視した。
スロウリ峡谷の断面はV字形をなし、スロウリ川を圧して聳え立つ絶壁となっている。上を見ても左右を見ても、岸壁が屏風のように延々と蛇行して視界の果てまで続いてる。
こうやって一息つく場所はあれど、ここから谷道がある場所まで登るのは、いくら姉さんでも鳥ならぬ人間の身では無理だ。
が、それはあくまで昔のスロウリの峡谷のことだ。
「フィレンさん、レンツィアさん、あそこだけちょっと色違うところがあるのだけど……」
ルナが指差してるのは、こっち側の崖に一箇所だけ濃い影が差してるところだ。
「でかしたぞルナ、あれは洞窟だ」
「洞窟?」
「まあ自然の洞窟って可能性もあるけど、もしダンジョンの一部であれば上に戻れるかもしれない。……しかし、少し高すぎるか」
「流石に水面からはそんなに跳べないわ、《雲梯》込みでもね」
洞窟の入り口は水面から十メートルくらい離れて、その下にはほぼ垂直な岸壁が聳え立つ。しかも水面に近い分湿気があって苔が這いつくばっている、素手で登るのは相当難しい。
『シーちゃんとリアちゃん……なら……』
「そういえば飛行使えるんだっけ」
『呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん!』
『リアちゃん……お願いね……』
『お任せを』
『あーシーちゃん、あたしの台詞取らないでよ、魔術使うのあたしだから!』
飛行を使って、八骸の番人ことシーちゃんとリアちゃんは洞穴まで一飛びして、そこからロープを垂らし俺たちを引き上げた。
洞窟の中には峡谷の道と同じように舗装されて、幅も数メートルがあり、どうやらダンジョンの一部であるのは間違い無いようだ。
つまり、ここを通れば、元の道に戻れるはずだ。
っと思って歩くこと数時間、俺たちは目の前の光景に目を張った。
ダンジョンが、自然の洞窟と混在している。
舗装された道と自然な鍾乳洞が混ざり合い、舗装された道に石筍が林立しており、天井から鍾乳石が生えている。
まるで工事の途中で飽きたから投げ出したような適当加減であった。
「どうやら自然の洞窟と混在しているようだね」
「まったく、大雑把なドラゴンだな」
「ここも……ダンジョンなの?」
「ああ、ごく稀だけど、ダンジョンが地下空間と繋がることもある」
「待って」
姉さんは唇に人差し指を立てて、俺もつられて周囲の音に耳を傾けると、ガキンガキンガキンっと、洞窟の前方から足音のようなリズムを刻みながら、金属の軋む音が伝わってきた。
俺たちには、聞き覚えがあるの音だ。
「ルナ、火除けを」
「流れを汲み取る者として命じる、この者に確固たる守護を、対火守護」
ルナは声を潜めて詠唱した。
やがて通路の奥の暗闇から現れたのは、やはりあの黒いゴーレムだ。
待ち伏せしていた姉さんは音もなく一瞬で近づき、足払いで体勢を崩した。
「にゃやややややや!」
ゴーレムの体勢が崩された瞬間、姉さんは遠慮なく《五月雨》で乱打を浴びわせる。
黒いゴーレムは為す術もなく、手も足も出ないままバラバラになるまで壊された。
「呆気ないね、なんか」
動けなくなったゴーレムを見下ろし、姉さんは訝しいげに呟いた。
「そうだな、さっきのような爆発もないし」
この黒いゴーレムは作りこそさっきのと同じだが、一回り小さい。
そして炎の放射も、最後の自爆もできないらしい。
まあ、あんなの何体もいてたまるか。
俺たちは謎の金属で作られたゴーレムを回収して、先を急いだ。
鍾乳洞とダンジョンが入り交じった奇妙な地下空間を進んだら、道中数体の黒いゴーレムと遭遇してたけど、どれも大したことはなかった。
「このゴーレムさんも、ドラゴンが作ったの?」
姉さんが五体目のゴーレムを沈めた後、ルナが聞いた。
「さあ、どうだろ。ドラゴンがゴーレムを作るなんて聞いたこともないけど」
「じゃ、誰が作ったの?」
「普通に考えれば魔術師だが、ここにゴーレムを徘徊させる意味があるのだろうか」
疑問を思いつつ、ダンジョンを進んでる俺たちは、やがてその問いの解答に辿りついた。
それはドームのような地下空間。
いや、工房というべきだろう。
何故なら、ここには机、本棚、ベッドなどの生活用品、そして散らかってる道具、作りかけのゴーレムとそのパーツらしき金属があった。
工房の規模はかなり大きく一軒家も入れるくらい、天井と壁面は白一色に塗装されて、至る所に照明用の魔道具不滅の灯火が掛かっている。
俺は何故かフォー=モサの隠れ家を思い出した。華美さと言えばあれとは比べようもないが、どことなく雰囲気が似ている。明らかに自然の鍾乳洞じゃないが、スロウリダンジョン(仮)とも異なる作りだ。
そして、工房の向こうには白い壁と似つかわしくない黒い金属の扉があった。ゴーレムとは同じ素材らしく、見るからに頑丈そうだ。
どうやら、ここがあのゴーレムの作り手の工房らしい。




