61 事故
どう見ても生物じゃない、そして何より異常なのは、彼我の距離は百メートル強、いくら起伏の激しい谷道でも既にお互い目視できる距離のはずなのに、黒い骸骨はただじっとしている。
この不気味な敵を前にして、俺たちはこの帰り道は一筋縄ではいかないと感じた。
「とりあえず先制攻撃を仕掛けよう、ルナ、全力の火魔術を頼む」
「はい!」
「こっちは雷と火でやるから、そっちもお願い」
俺は《ノアズアーク》の魔術師に言った。
「あいよ、そっちの嬢ちゃんに合わせるから遠慮なくぶっぱなせ」
「ありがとう。ルナ、いけ」
「流れを汲み取る者の名の元に命じる、舞い踊る炎よ赤く咲け、上級火の爆裂!」
「汝、氷の女王の酷薄さを知れ、氷の息吹!」
「《貫け》!」
稲妻の槍、冷気の竜巻、炎の玉が黒い骸骨へ走る!
モンスターの中には特定のエネルギーに耐性を持つ、もしくは吸収して回復するタイプもあるから、見知らぬ敵に対して、まずどのような攻撃に耐性を持ってるのを調べるのが定石。だからあえて違う属性の攻撃を仕掛ける。
しかしそのいずれも黒い表面に触れる前に、まるで見えない壁にぶつかったように消された。
「魔道ゴーレムか!」
ゴーレムとは、広義的言えば魔力によって動かされる構造物、狭義的に言えばユニーク魔術に属するゴーレム魔術に作られたモノだけを指す。ユニーク魔術である故に使い手は少ないが、ゴーレム魔術の用途は実に多岐にわたる、《斬り丸》もゴーレム魔術の産物だ。
ゴーレムの中に一部だけ魔道ゴーレムと呼ばれるモノがあって、彼らは主の命令に従うが、自立行動もできるほどの智慧を持っている。そして最大の特徴は、あらゆる魔術、神術に極めて高い耐性を持っているということだ。
アイアンゴーレム、ブロンズゴーレムなど、門番として優秀なので金持ちには大人気であるらしい。
「来る!」
攻撃されてようやく俺たちを敵だと認識したのか、黒い骸骨ーーゴーレムが地を蹴って高速にこっちに迫る!
黒光りの拳を人間ではあり得ないほど後ろに引いて、砲弾のようなストレートを放つ!
「かあああああ!」
コーデリア大尉も負けじと、大きく回転して《斬嵐》で迎撃する!
ゴンっと重厚な金属の衝突音が鳴り響く。あの黒いゴーレムの素材が何なんのか知らないけど、少なくとも鋼鉄よりかなり重いらしい。
続いて二撃目、三撃目を放つコーデリア大尉だが、黒いゴーレムの手数の多さは驚異的だ。右拳が来ると思ったら右足も一緒に来る、左足が来ると思ったら頭突きを食らう。身体の各部分がまるで違う生き物のように同時に打ち出す。
さらには片足だけで全身を支えて、両腕と足、頭部で攻撃を繰り出すなど、少しでも武術を嗜む者なら決してやらかさない動きをデタラメなパワーで平然とやってのける。人型なのに人間では決してできない動きをしてる姿が不気味極まりない。
俺とノアさんたちも横から攻撃を仕掛けるが、骸骨に見える身体が非常に硬くて攻撃が通じない。黒いゴーレムはただひたすら猛攻に徹して、俺たちの攻撃などまるで気にしてないようだ。
これでは埒があかないと一旦下がろうとするコーデリア大尉。しかし、彼女を追撃するように、黒いゴーレムの両腕が突如に伸びる!
「なっ!」
予想外の攻撃に、コーデリア大尉の脇腹が切られ、鮮血が弾く。
俺たちも急に拡大する敵の間合いに後退せざるを得なかった。
「蛇腹剣か!?」
黒いゴーレムの上半身がコマのように回転、チェインのように何メートルも伸びる黒い両腕をしならせ、縦横無尽に振り回す。
今や黒いゴーレムの周辺数メートルが斬撃の暴風と化している。その両腕にはチェインを中心に等間隔に刃が繋がり、剣の剛性と鞭の柔軟さを併せ持つ武器になっている。
コーデリア大尉が言うには、あれは蛇腹剣という武器であるらしい。
しかしそんなヘンテコな武器より、さっき黒ゴーレムの変形の仕方には見覚えがある。
《斬り丸》だ。
元々骨しかないが確かに人の腕だったものが、一瞬で蛇腹剣に変形できる仕掛け。それが《斬り丸》が変形する時と酷似している。
普通に考えれば、そういうギミックを内包してる武具など衝撃に弱いのはずだ。しかしノアさんとコーデリア大尉が何度も突破を試みたが、黒い蛇腹剣は槍も戦斧も正面から叩き返せるほどの強度を持っているようだ。
やはり《斬り丸》と同じように、ゴーレム化によりギミックの欠陥を克服してたのか。
魔術が通じない上に、武器も通れない、こうなれば――その時、俺は姉さんがいないことに気づいた。
「ひ、え、ん!」
《雲梯》で岩壁を駆けあげ、高空から回転しながら姉さんの踵落としが死角の真上から黒いゴーレムに斬りかかる!
黒姫を真っ二つにした即興の動きだったが、姉さんがその後も研鑽と練習を重ね、こうやって適合した地形さえあれば再現できる一つの技にまで昇華した
人間が加工できる最高の硬度を持つアダマンティウムの刃が、それでも切断まで至らず、黒いゴーレムの肩に深く食い込んだ。
しかしこの衝撃によって、黒いゴーレムの動きが僅か鈍くなり、その隙を逃す俺たちではなかった。
「飛べえええええ!」
右戦斧で蛇腹剣を弾き、左戦斧で胴元へ一撃を入れたコーデリア大尉。
傷つくことはできなかったが、その怪力が黒いゴーレムを浮かばせた。
すかさず俺は《強斬》で足払い、さらにゴーレムの体勢を崩し、ノアさんが槍を構えて《突進》を仕掛ける。
この道の外側はほぼ垂直に聳え立つ崖、たとえ破壊できなくても、崖下へ突き落とせばいいだけだ!
しかし、俺たちの意図を察したか、黒いゴーレムの丸い頭部がパカッと割れた。
次の瞬間、眩い閃光が空間を蹂躙する。
忽然と爆ぜる炎は高熱と閃光を伴い、天を衝く火柱と化して俺たちを谷道ごと覆い尽し、前衛の俺たちは膨大なエネルギーに灼かれて吹き飛ばされた。
ここまで凄まじい爆発を、さすがの姉さんも全部避けきれなくて、幾つかの火傷を負ってしまった。
その隙に黒いゴーレムの頭部が元に戻って、俺たちへ追撃してくる!
「ビャクヤ!」
身体が持って行かれそうな痛みと痺れを我慢して、俺はビャクヤを呼び出した。
龍鱗で蛇腹剣の斬撃を防いで、ビャクヤの巨躯が黒いゴーレムに圧し掛かる。
死骸蒐集者のパンチを正面から打ち負かすような突進を、さすがのゴーレムもまともに食らいたくないようで、距離を取ってくれた。
「祈りを捧ぐ、我らに慈しみの雨を、多数中級治癒!」
「汝、為すすべもなく黒い沼の使者の生贄と成れ、黒い触手!」
《ノアズアーク》のプリーストと魔術師が、それぞれ素早く呪文を唱え、パーティの回復と敵の足止めを行った。さすが熟練の探索者パーティは立て直しが早い。お蔭で俺とコーデリア大尉たちがようやく動けるようになった。
勿論姉さんは治癒の神術をレジストしたから影響を受けなかったが、《再死の首飾り》で火傷がすでに回復しつつある。
黒いゴーレムは蛇腹剣で触手を薙ぎ払い、岩壁の斜面に跳躍してた。
変形を遂げた足で岩に食い込み、壁伝いでビャクヤを乗り越えて、後方のプリーストを襲う!
こいつ頭が回るな、くそ!
「流れを汲み取る者の名の元に命じる、湧き上がる力が羆のようにと知れ、羆の蛮力!」
少し遅れて、ルナの魔術も完成した。
強化を受けた姉さんは《瞬歩》で駆けつけ、黒いゴーレムの凶刃を止める。そのまま腕をつかみ、数百キロはあるだろう金属の塊をブンブンと振り回して、崖下へ投げ飛ばした。
いくらゴーレムでも空中では身動き取れず、為すすべなく渓谷に落ちた。
「なんという怪力……」
コーデリア大尉が目を張った。
まあ、いくら羆の蛮力があるとはいえ、コーデリア大尉が戦斧で叩きつけてようやく浮かばせた物を片手で投げたからな。
しかし姉さんは二メートルの筋肉達磨に怪力だと言われて、複雑な表情してるようだ。
その時、崖下からドドドドドの音がして、俺は崖から下を覗く。
すると、なんと黒いゴーレムは蛇腹剣で岩壁に突き刺し、ほぼ垂直の崖を駆け上がってくる!
「おいおいなんてやつだ」
ノアさんが呆れそうに言った。
やがて、姉さんを避けているのか、姉さんとは反対側の崖下から駆け上がった黒いゴーレムはそのまま飛び上がって、後ろの魔術師に飛びかかる!
「汝、留まることなかれ、加速!」
「祈りを捧ぐ、無垢なる羊を守る盾を、対火防壁!」
魔術に強化される姉さんの《突進》は神速を極め、一跳びで十数メートルを飛び越え、空中から黒いゴーレムを撃墜した。
地上で待ち伏せたビャクヤは巨躯を活かして、ダッシュでゴーレムを岩壁に押しつけた。
暴れる四肢はビャクヤの龍鱗を切り裂くが、ビャクヤは忠実にヤツをしっかりと摑んでいる。
そこに、姉さんが駆け付けた。
「破ァあああああああ!!!!」
裏拳、貫手、掌底、肘打ち、手刀、鉤突き、鉄槌打ち、様々な殴打が霰のように黒いゴーレムに降りかかる。
打突技を繰り出すのをブーストする戦技《五月雨》、全身の全ての動きをブーストする《絶影》の二歩手前の技だと言われている。
蹴り技主体の姉さんだが、《斬り丸》では破壊に至れないと見て、手数で動きを封じつつ、関節部分をあらゆる角度からの打撃で潰しに掛かる。
「やややややややや!!!!」
打擲の暴雨が止む様子もない。
力、速度、技、すべてにおいて姉さんに圧倒されているゴーレム。その関節がついに立て続けの打撃に耐えきれなくなり、腕、首、膝、腰、目に見えて破損が増えていく。
その時、丸い頭部がもう一度パカっと割れて、
「っ!」
後ずさって身構える姉さんを、ゴーレムはまるでしてやったりと嘲笑うように大きく跳躍した。姉さんを飛び越えて、残された一本の腕を毒蛇の様に突き出す、その狙いは――ルナ!
「させねぇよ!」
今までの行動に、後衛を狙うのを予想していた俺は素早くルナを後ろに庇い、蛇腹剣を叩き落した。
そして迫ってくる黒いゴーレムの首を狙って一閃!
それと同時に、姉さんをゴーレムに追いつき、後ろから延髄に回し蹴りを見舞う!
今でこそ必要がなくなったが、たった二人のパーティとして駆け出しの頃、食人鬼のような強靭なモンスターに手を焼いたことがあった。
息がぴったりと、一コンマの誤差すらもない前後同時攻撃こそが、俺たち姉弟が手強いモンスターを仕留めるため考え付いた技、《一期一会》。
前後同時に強烈な衝撃を受け、黒いゴーレムの首がついに砕かれて、丸い頭が地に落ち――る前に、割れたままの頭部が再び、爆炎を放つ!
それも予想しておいた姉さんは身を翻し、俺はルナを抱いて飛びずさる。
しかし、まるで道連れにしてやると言わんばかりに、さっきより凄まじい猛威を振るう炎と、ゴーレム自体がなんと無数の黒い刃となって全方位に射出された!
「ルナ!」
「フィー君!」
対火防壁がほとんどのダメージを吸収して、黒い刃も大部分《龍装鎧》に防がれたが、立て続けの爆発を受けて、谷道がついに崩れ落ちた。
後ろに庇って後ずさったのが仇になったか、ルナが崩れる岩塊と暴風に巻き込まれ、崖っぷちから吹き飛ばされた。
考える余裕もなく俺は崖から飛び出し、なんとかルナの手を掴み取った。
そのまま、俺たちは渓谷に吸い込まれるように墜ちた。




