57 異変の始まり
二日後、隊商は自由都市を発った。出発する前に、メデューサさんにばったり会ったが、まるで先日のことなどなかったのように親しく挨拶されて、暫く世間話に付き合わされた、勿論私兵の件については何も言ってなかったけど。
姉さんの話を聞いたから、メデューサさんへ挨拶し返しながら、その目をさりげなく観察したが。前と変わらずまつ毛が長くて綺麗な目だとしか思えなかった。
それを姉さんに話したら、やはりフィー君は年上に弱いわねっと意味不明な事を言われた。
その後、特に何も起こることなく、二週間が過ぎた。
幾つかの自由都市を渡り、ルイボンドに近付いてきた隊商は、ルイボンド高原に登り、国境まで直線距離が百キロもないところまで来ていた。しかしそれはあくまで直線距離の話で、ここからがまだ一苦労しなければならない。
ここから先の道は、スロウリ峡谷と呼ばれてる、スロウリ川がルイボンド高原を浸食して出来た谷だ。
谷と言ったら幅の狭いものだと思われがちだが、スロウリ峡谷の幅が優に十キロを越え、狭いところでも一キロ弱はある。両岸の切り立った岩壁は険しい崖になっていて、溝状に伸びた地形を作り上げた。
それを越えるにはまず峡谷を「之」の字を書いてるように、橋があるところまで降りて、橋を渡った後まだ登れなければならない。勿論、峡谷だと言っても隊商が何年も通った道だからそこまでの悪路じゃなく、超大規模の魔術で作った、馬が数匹くらいなら並んで歩ける道だ。だがやはり急勾配や狭隘なところがあって、気を付けなければならない。
通商には少し不便だが、国防にとっては自然の要害になるから大事な場所なんだろうな、とメデューサさんの話を聞いたからなのか、ついついそういう方向に思いを巡らす
スロウリ峡谷に入ること数時間、そろそろ昼になり休憩を挟みたい頃、前方から何やら騒がしい様子が伝わってきた。
「どうしたの?」
「さあ、モンスターかな」
狭い道だから、必然的に隊列が長くなる。数キロも延々と続く隊商の中央あたりに配置された俺たちに、前方の状況が伝達しにくるまでは時間がかかる。
暫くしたら、後戻りの命令が来て、俺たちは内心訝りながらも一旦道を戻り、少し開けた場所に戻った。そこで、パウロさんが探索者たちに召集をかけて事情を話した。
「死骸蒐集者?」
「ああ、前方に二体を確認した」
パウロさんの言葉に、探索者たちに動揺が走った。
死骸蒐集者とは、トメイト町のモモが見たっていうアンデッド。巨人の形をして、体長は五メートルから十メートルまで結構ばらつく。一番の特徴は全身に長い棘が満遍なく生えていて、棘に死体を串刺しする習性があるから死骸蒐集者だと呼ばれてる。
戦場に良く現れるアイツらは、兵士の死体をまるで戦利品のように体中に飾っており、生来の頑丈さも相まって、まるで移動要塞のように戦場を荒らす。
棘があるから近接戦闘を挑むのは難しいが、動きが緩慢のせいで多数で当たれば倒せない相手ではない。
が、それは平地の話だ。
「二体とも十メートルくらいだ、この地形では倒すのが困難だと思われるから意見が欲しい」
パウロさんの話が終わった後、探索者たちはそれぞれ意見を出し合っていた。やはりというか、多くの人が最寄りの隊商宿に戻るのを主張している。だが戻っても死骸蒐集者が消えるわけじゃない。そしてここは厳密的にまだルイボンド領じゃないから軍に期待しても無駄、自由都市の軍事力では心もとない、そもそも軍隊が動くには時間がかかる。
勿論ルイボンドへの道はスロウリ峡谷だけではないが、別の道を取るにもそれはそれで時間がかかるから、雇い主である商人たちを説得しなければならない。
彼らにとっては、障害があればそれを倒すのが我々探索者であり、そのために金を払っているから、簡単には引き下がれないだろう。
まあそのへん上手く折衝するのが指導者であるパウロさんの腕の見せ所で、俺たちの仕事じゃないが。
と、その時、
「すみません、今の話と関係ないけど、この状況では盗賊に狙われやすいから警戒するほうが良いのでは?」
「!? ああ、そうだな、ルクルス、カミーラ、ユーリ、持ち場に戻れ、使い魔も出せ」
姉さんの言葉にパウロさんがハッとなって、すぐさま数人の探索者に命令を飛ばして警戒を厳にする。
考えてみればそうだ、ここは元々身を隠すには適してる地形、そして死骸蒐集者が徘徊している以上、足止めを喰らってる旅人は事欠かない。つまり盗賊にとっては最高な狩場だ。
「それで、《フィレンツィア》はどうすればいいと思う?」
「皆さんはここで賊を警戒して、私たちが死骸蒐集者倒しに行くのはどうかしら?」
「は?」
パウロさんも、周りの探索者たちも、皆変な目で姉さんを見ている。
「分かってるのか、十メートルの死骸蒐集者が二体だぞ、この地形じゃ多数で囲むことなんてできないし、遠距離からの攻撃も当たりにくいだから実質倒す術ないのだぞ」
「うん、だから多数じゃなくて、私たち三人で倒すの」
「……」
パウロさん今度は何か理解できないものへの恐怖を顔に出している。周りの人も驚愕、軽蔑、怒り、猜疑と、それぞれの感情を露わにして姉さんを見ている。
しかし当の姉さんはあくまでマイペースで微笑んでいる。
「隊商の安全を預かる身としては、無駄に戦力を失う可能性を見過ごせない――」
「パウロさん!」
パウロさんの言葉を遮るのは、ノアさんだ。
ノアさんと《ノアズアーク》の人たちが前に出て、俺たちの側に近付いた。
「どうした、ノア?」
「こいつらには何か考えがあると思うんだ、ここは一旦任せてはどうだ?俺たちも付いて行けば問題ないだろう?」
驚いたことに、ノアさんは俺たちに賛同しているようだ。
パウロさんとしては、戦力的に考えれば俺たちをむざむざ死なせるわけにはいかない、だからノアさんは自分もついていけば、危なくなったらせめて撤退だけはできると言った。
「ノアさん、いいのか?」
「何、この前のお詫びだ、いざという時は俺たちが殿を務めるから好きにやれ。余計なお世話かもしれんが、一緒に戦わせてもらうぞ」
「いや、ノアさんたちもいれば心強いよ、是非頼む」
パウロさんは暫く俺たちと《ノアズアーク》を交互に見て、やがて、
「……じゃ、《フィレンツィア》のお手並み拝見だな」
パウロさんは口元を吊り上げて、俺たちを試すようにそう言った。
「うん、任せて」
姉さんは人を魅了できるような満面の笑みで頷いた。
今俺たち八人はスロウリ峡谷の道をを走りながら、遠くから死骸蒐集者の姿を確認している。
《ノアズアーク》は五人パーティで、重戦士二人と軽戦士一人、そしてプリーストと魔術師でバランスのいいパーティである。リーダーの重戦士で槍使いのノアさんは、フォルミドとルイボンドの両方にも商会への伝手があり、それなりにやり手の探索者だ。
それでも、通常ならこの人数では二体の死骸蒐集者を倒すなど不可能だ。
「やっぱりデカいなー」
十メートルの巨人に全身の棘、どっちもすでに十体以上の死体を引っ掛かて彷徨っている、死体の状態は良く見えないが、似たような鎧を着ているから軍隊の可能性が高い。
「十メートルの二体ともなると、やはりそれなりの死体がいるでしょうね」
「そうだな、戦争……じゃなければいいが」
レキシントン先生の説のよると、死骸蒐集者はエーリアンに属する負の世界の住人である。それほどのエーリアンが来るには、相当な量の死体か魔力があるということだ。
もし戦争が起きたら、そういう情報に聡い商人たちに情報が入っても可笑しくはないと思うが、死体は軍人っぽかったし、戦争素人の俺たちでは測れない事情があるかもしれない。
「なあ、《フィレンツィア》」
ノアさんが聞いてきた。
「はい?」
「何か策があるだろう、どうするつもりだ?」
「そうだな、まず転ばせようと思う」
「なら滑る地面か泥沼か、しかし足止めにはなるが決定打には……」
滑る地面とは極めて滑りやすい液体で地面を覆う生成系魔術、そして泥沼とは地面の一部だけを泥沼化にする変化系魔術。
「いや、どっちも道に影響を残すから、後続の人たちが通れなくなる」
「ふむ、一理ある、ではどうする?」
「まあ、見てくれ」
要領得えないまま首を傾げるノアさんをそのままにして、俺は姉さんとルナに振り返る。
「ルナ、中級魔術は何秒かかる?」
「えっと、六秒です、あんまり慣れなくてすみません」
「いや十分だ、じゃ俺が合図したら羆の蛮力を姉さんに掛けてね」
「はい!」
『大丈夫ですよルナちゃん……練習通りすればいいのです……はい深呼吸』
不安げに顔を強張ったルナを小声で落ち着かせるスーチン。ルナはコクコクと頷き、何度も深呼吸していた。旅の途中に、ルナが戦闘用の魔術を練習してた時、いつもルナに付き添ってるから、俺たちの中でルナの魔術の腕を一番知っているのがスーチンである。
ルナの初戦だ、少し余裕を持たせて確実に勝ちたい。恐らく何かミスはするから、こちらでフォローしなくちゃ、今後の自信に関わる。
「姉さん、《霹靂銃》を貸して、あと先頭は俺に任せていい?」
「りょーかい、フィー君頼もしいー」
話してる内に、もう死骸蒐集者の近くまで来ている。
比較的に開いた場所にいるが、それでも死骸蒐集者にはこの山道は狭い過ぎるから、二体の巨人は前後に並んでゆっくりと歩いている。
近付く俺たちに反応して、巨人が咆哮を上げた。重い足を動かせ、地鳴りを響かせながら俺たちに向かう。
「ルナ、今だ!」
「はい、流れを汲み取る者の名の元に命じる――」
「行け、ビャクヤ!」
『グルルルルル!』
前に出てる巨人が拳を振るう、白黒の獣が果敢にもそれを最速の疾駆を持って迎撃する。
生身が出せるとは思えない重い音を震わせて、両者が激しく衝突する!
体型では劣るが、やはり四本足と初速の利か、巨人は軽くよろめいた。
その隙に《霹靂銃》が雷を噴く。一発目で右足を覆う死体、二発目でその成人の胴もある足をあっさりと粉砕した。
「――わきゅ、湧き上がる力が羆のようにと知れ、羆の蛮力!」
「姉さん、今だ!」
轟音を発し、片足を失った山崩れのように転んだ巨人。
ビャクヤの背中を力強く踏み切り、姉さんが巨人の頭部まで跳躍した。
「ほ、む、ら、ねじいいい!」
強烈な回転と共に、姉さんは空翔ける一筋の矢のように死骸蒐集者の首を貫いた。
重い頭部を支えきれなくなり、首がぽっくりと折れて、直径一メートルもあるデカい頭が地に落ちた。
「なんて破壊力だ……っ!」
「ていうか棘刺さってね?大丈夫なん?」
「それより今の稲妻ってなんなんだ、そんな魔道具見たことねぇぞ?」
「俺らいらなくね?」
「言うな」
ノアさんたちの驚嘆と共に一体目が崩れた頃、緩慢な動きでようやく追いついたもう一体の巨人も同じ方法で落とした。
よし、想像以上にあっさりと片付けたな、さすが姉さんだ。
「姉さんお疲れ、ルナもね」
「ご、ごめんなさい、すこし噛んじゃった」
「ちゃんと効果出てるから大丈夫だよ」
「うんうん、ルナちゃんの魔術のお蔭だよー」
俺たちは代わる代わるルナの頭を撫でて褒めてあげた。
「それじゃ討伐証明を取ろう、ノアさん、ゾンビと同じで左耳でいいのか?」
「あ、ああ、念のため棘がついてる部分も取ろう」
俺たちは二体の死骸蒐集者の左耳を切り落として、軍人らしき死体を燃やした後、隊商のところに戻った。




