211 ジュデッカ
『よォォうやく来たかァ小僧ォォ』
「アジダハーカ……!?」
石造りの一室で、ふんぞり返って座っている一体の真っ白い奪心魔が居た。
爬虫類のような皮膚の隅々まで一欠けらの色素もなく真っ白であるが、全身に刺さっている計十三本の杭だけが暗い紫色をしている。まるで刑具にかけられた罪人のよう姿をしているが、その体にどれだけの魔力が潜んでいるか、俺達は身をもって知っていた。
分厚いカーテンの隙間から差し込んだ光が奴の顔に妖しい明暗を作っている。奪心魔の表情なんて分からないが、少なくとも友好的な感情は持っていなさそうだ。
奪心魔の名は、アジダハーカ。
自由都市ハスタァ近郊で暮らしているジャイアント族の至宝を盗み出した挙句、その罪をラプトリアン族に擦り付けて両者を争わせようとした者であり、出鱈目な大魔術でジャイアント族の集落を破壊した張本人でもある。
アテルイとの戦闘の最中、こいつが乱入したお蔭で俺達は逃げ延びたのだ。
その後、ラプトリアン族のアルバートさんとミリアルテさんに連れられて約一週間も空を飛んで、休む暇もなく国を出て最寄りの自由都市にたどり着いたと思ったら、アジダハーカが居るこの地下室に案内された。
「アルバートさんはアジダハーカと知り合いだったのか?」
「いや違うよ。ただ僕も彼も、とある人物に頼まれてフィレンさん達を助けたのさ。あ、勿論ルナちゃん達もちゃんと助けたから心配ないよ」
「それは……ありがとう、本当に」
有り難い話だが、このアジダハーカを動かせるなんて、一体どういう人物だ。
俺はアジダハーカに振り返る。
「まさか、お前に助けられたとはな」
『キキキィ……助けるつもりなぞなァい。貴様ごと葬るつもりだったんだがァ、運が良かったなァァ小僧……』
ゆっくりと、金属を擦りあわすような声が放たれた。
奪心魔はモンスターではないが、この世の者とは思えない容姿と人間の脳漿を捕食する習性のせいで悪名が高く、人里の近くにその姿が確認されたら、まず討伐依頼が出されるに違いない。
アジダハーカも、そのヤツメウナギみたいな口で何人もの人間の脳を捕食したのだろう。
「じゃ別に感謝しなくてもいいわね。それに、フィー君を傷つけたことは許してないからね」
『キキキィ、口に気を付けろォ小童がァ、吸いィィ殺すぞォ』
「生憎私はアンデッドだから食べられないわ。そんなにお腹が減ってるなら自分の頭をタコ焼きにしてみたらどうかしら?」
『餌の分際で囀るなァ』
姉さんと白い奪心魔が剣呑な雰囲気を出している。
「姉さんどうどう……ところでアルバートさん、そろそろルナ達に会わせてくれないかな?」
「うーん、そろそろつくと思うけどね。あちらは飛べないからちょっと遅れるかも」
「ここまであんた達を運んで飛んできたから、ちゃんと感謝しなさいよね」
キツイ目付きでミリアルテさんが言った。
温和なアルバートさんと違って、彼女は人間が嫌いである。というか一般的なラプトリアン族は下界の種族を見下す傾向があるらしい。アルバートさんはあくまで例外なのだ。
「じゃせめて誰に頼まれて俺たちを助けたのか教えてくれないか?」
「そうだね、別に口止めされてるわけじゃないし。実は――」
「その必要はないわ」
一人の女性が部屋に入ってきた。
長めのニットコートに踝までのロングスカート、それと結い上げた青色の髪。落ち着いた雰囲気を持つ貴婦人のような女性である。
「貴女は?」
「初めまして、かしら? 私はジュデッカ。アノーラから聞いたことがあるかもしれないけど、ゲゼル教国の幹部《蝕の卓》の第一位、いわゆる教国指導者かしら。分かりやすく言うと、君達の敵の親玉ってところかな?」
「なっ!」
「落ち着いて、今は君達と争うつもりはないのよ。でなければわざわざ君達を助けたりなんかしないわ」
ジュデッカは手を挙げて俺達を制した。
「……じゃ一体どういうつもりなんだ?」
これまで何度もゲゼル教国と相対してきた。
ヴァンパイアのロント、《禍憑き》のソーエンやジューオン達、そしてダークエルフのアノーラとも戦ってきた。更に言うとプロイセンのクーデターの影にも教国が暗躍していた痕跡があった。
その教国の親玉である彼女が俺たちを助ける理由なんて……。
「そうね、君達のお仲間が来るまでお喋りでもしようかしら」
ジュデッカは優雅にスカートの裾を寄せて椅子に腰を下ろし、足を組んだ。
「まずはここ数日の出来事を教えてあげましょう。フォルミド王国の軍隊が潰走した後、穢土軍はそのまま南下。一方、王都を落とした穢土軍は中央から北を蹂躙する。王都が落とされたせいで情報伝達が遅れ、すべての街も拠点も殆ど逃げる暇もなく穢土軍に飲み込まれたわ」
「……」
「わずか数日で、王国の一割以上は穢土軍に焦土にされた。けど、その穢土軍も王国南部で思わぬ阻害に遭った」
「阻害?」
「残存の王国軍――恐らく新しく即位した国王がなんとかまとめ上げた軍隊でしょうね――は南部の大森林に火をつけたわ」
「南フォルミド大森林を燃やしたというのか!?」
フォルミド王国の中部から南にかけて、《南フォルミド大森林》という広大な森があった。かつてはエルフの住み家と言われて、エルフが去った今も人は住んでいないが、山何個も入るくらい広大な大森林は木材の他にも豊かな資源をもたらしてくれている。そのお陰で、トメイト町のような伐採町が何十もあるくらい林業が盛んだ。
「ええ、いくら大森林といえど、超大型アンデッドの進軍を防げられるわけがないけど、燃えているなら話は別だわ。火に弱いアンデッドはいくらでもいるから、これで数週間くらい時間は稼げるでしょうね。火の手は良くコントロールされていて南には伸びていないし、うまいことをしたわね。……戦後の事なんて考慮しないなら、ね」
「大森林を燃やすなんて……被害がどれだけ登ると思ってんだ……」
「それだけ、余裕がないということでしょうね、今の王国には。……それで最初の話に繋がるけど、この状況で私達が敵対する理由がなくなったわ」
「どういうことだ? そもそも敵対もなにも、俺たちは一方的にお前らにちょっかい出されてきたと思うのだが?」
「仕方ないではないか。君達がいちいち我々の計画を邪魔するだもの」
「テロリストの計画なんて知るか。それより俺達と敵対する理由がなくなったということは、ルナから手を引くと言うことか?」
「うーん」
指を頬に当てて、ジュデッカは少し考えた。
「ええ、そういうことでいいのよ。少なくとも《災いの御子》をなんとかするまではそんなところではないからね」
「どうしてお前らはゲヘナと敵対しているんだ?」
「これはまず我々……いいえ、私の計画から説明しなければいけないわね。簡単に言うと、私はナイアル様をこの世に降臨させ、その子を産みたいのよ」
俺はしばらく言葉を失った。
そういえば、リースもジュデッカの目的はナイアルの子を産むことって言ったな。まさか本当だったとは……。
「……それで、ルナを狙ったのか」
「ええ、ゲヘナから聞いたのかもしれないけど、あの娘は《転生の巫女》という神の器になり得るモノなのよ。そんなモノは滅多に現れないわ、少なくとも私が知る限りではね」
「で? ゲヘナの目的は神の転生を阻止すること、だから奴をなんとかしたいのか?」
「それもあるけど、一番大きな理由はこのままでは人間が滅ぶからよ。今回穢土軍の侵攻は千五百年前よりも手際が良く、わずか数日で王国のもっとも豊かな地域が廃墟になった。今の王国はなんとか時間を稼ぎながら兵力をかき集めているけど、正直勝ち目はないわ。時間はいつだってアンデッドの味方だから」
「……」
アンデッドは放置すればどんどん手がつけられなくなる、これは常識だ。
グールやゾンビのような下級アンデッドは伝染能力を持っており、超大型アンデッドとなれば伝染こそしないが眷属を作り出せるタイプもそれなりにいる。《首なし騎士》とヴァンパイアのように。
フォルミド王国は大国であり、たとえ中部地域を失っても十分な余力を持っていると思うが、あの地獄のような戦場を見た後、王国が勝つとはとても信じられない。
恐らく、王国にはもう穢土軍を止める力がないのだ。
「それでも人間が滅ぶなんて言うのは早すぎじゃない? 王国は大損害を受けているけど各地に居るミーロ教会騎士団は健在、それに周りの国だって座視なんてしないはずよ」
ジュデッカは姉さんの反論を鼻で笑った。
「ええ、ええ、勿論。人類の危機に立ち向かうため、周辺国も各教会も協力をせざるをえないでしょう。でもそれには時間が要るのよ、その時間を稼ぐのが誰だと思う?」
「……王国だと言いたいの?」
「そう。今の王国を助けたいって誰も思わないわ。むしろこっちの準備が済むまでおとなしくアンデッドの餌でもなればいいと各勢力が思っているはず。でも彼らは一つ失念しているのよ」
「なに?」
「稀代のネクロマンサー、ゲヘナが率いる《穢土軍》は普通のアンデッドではない。増殖の速度も、上位アンデッドが現れる比率も人間が知るそれを遥か上回っている。人間が戦力を整う間、穢土軍はそれ以上の速さで強大になっていく。この差は決して埋まることはないわ。これこそ千五百年前の大戦で人類の敗因なのよ」
「確かに、あいつの死霊魔術は出鱈目だな……」
「それに今回は《万能の賢者》サラシナが最初からあっち側に居る。楽観できる要素が一つもないわ」
「じゃ、たとえお前の言う通りに人間かなり厳しい状況になっているとして、それがお前らに何の関係がある? お前らだってアンデッドの味方だろう?」
「それは少し違うわ。私はあくまでアンデッドを増やして、ナイアル様を転生させる下地を作りたいのよ」
「そう言えばゲヘナが言ったな、神を転生させるためには一定数の信者が要る、と」
「ええ、ナイアル様の場合はアンデッドの数ってこと。《ゲゼル教国》はあくまでそのための組織よ」
「そのためにテロリスト行動を繰り返していたのか……!」
「テロはあくまで我々の活動の一環だけどね」
何とも思わないようにジュデッカは肩を竦めた。
「そうね、どうせもう過ぎたことなんだから、目的のために我々がやってきたことを説明しましょう――」
ジュデッカが言うには、《ゲゼル教国》の真の目的は死の神ナイアルを転生させること。しかしそのためには膨大な数のアンデッドが要るから、ジュデッカは《穢土》から強力なアンデッドを解放して、フォルミド王国を丸ごと餌にしてアンデッドの培養を加速するという恐ろしい計画を企てた。
その名が、《浄土計画》。
だがフォルミド王国は大陸でも一、二を争う大国であり、ただ穢土軍を解放するだけならまた封印され、もしくは今度こそ消滅される可能性もある。何故ならもともと《穢土》にいるアンデッドは首魁である《災いの御子》を失った敗残兵に過ぎないからだ。
だからジュデッカは王国でテロ活動を起こしながら、反乱も誘発して王国の弱体化を図った。更にはドワーフの国、ジャイアントの集落、ルイボンド邦連など周辺勢力にも手を出して、穢土軍が王国と対抗できるように尽力していた。
しかしプロイセンのクーデターは成功を収めたが、王国の反乱はリースのお蔭で早くも鎮静化、ドワーフ国とジャイアント集落での計画も俺達に邪魔された。
このままじゃたとえ《穢土》を解放しても大した数のアンデッドを作り出せないだろうと見て、ジュデッカは《浄土計画》の実行を一旦見送ろうとした――が、そこで《禍憑き》、つまりジューオン達が暴走して勝手に《穢土》を解放した。
余命少なく、ただ《穢土》に戻りたい彼らからすれば至極当然な行動だが、ジュデッカにとってはたまったものじゃない。
計画を大きく乱されたジュデッカだが、そこで更なる予想外な事態が起こった。それが《災いの御子》ゲヘナの再来だ。
希代のネクロマンサーであり、王国の内情にも精通しているゲヘナが率いる穢土軍の戦果はジュデッカの予想を大きく上回った。瞬く間に王都を落とし、王国に再起不能の大打撃を与えた穢土軍は大戦の再来もかくやと思われた。
このままじゃナイアルの子を産む前に世界が滅びかねない、と焦り出したジュデッカは皮肉にもゲヘナと穢土軍の排除を図ることになったのだ。
『キキィ……ジュデッカ、貴様の下らん計画なんぞどうでも良いわァァ。早く本題に入れィィ……』
アジダハーカはしびれを切らしたようにブルっと触手を振った。
「そうね、ではそろそろ君達を助けた理由を説明しようか」




