208 天軍の槍
※三人称視点
フィレン達がアテルイと死闘を繰りひろげているその一方、ルナとソラリスはそこから数キロ離れた空き地まで運ばれ――いや、吹っ飛ばされた。
一人一騎丸ごと稲妻のエネルギーと化したスズカは彼女達を飲み込んで、文字通り電光の如く空を駆けて、彼女達を吐き出した。
「ゲヘナ様の命により貴女達をここまで連れてきたのですわ。少々手荒いですけれど、ご無礼をお許しくださいませ」
スズカは馬上からルナとソラリスを見下ろす。
漆黒の鱗を持つ馬は瞳、鼻孔そして蹄から炎を放出しており、翼を持ってはいないものの、空に佇んでいる。
「自己紹介を致しましょう。私はスズカと申します。家名はもうありません。かつては《天軍の槍》とも、《槍の聖女》とも呼ばれていましたけれど、今は貴方達の言う《穢土軍》を率いるただのアンデッド、ただのスズカですわ」
金色の縦ロールは風に揺れて、切れ長の青い瞳は笑みを含んでいる。
気品と華を備わっているように見えるが、瞳の奥から獲物を見据えている嗜虐的な光を放っている。
「そしてこの子はエレシュキガル。《凶夢》という負の世界に生息しているアンデッドであり、死の神ナイアル様の眷属でもあります。私がアンデッドになった際、ナイアル様から御下賜いただいた騎獣ですわ」
「死の神から眷属を……ナイアルの加護を受けた聖騎士ですか?」
太陽神ミーロの聖騎士が《即死回避》の加護を受けているように、神々が自分が認める人間に様々な加護を授けるのは別に珍しくない。
しかし実体のある加護、それも自分の眷属を授けるなんて、それこそ伝説上の聖人でしかありえない。
「そうですわ。太陽神教会に認可された聖人、聖騎士団総団長も務めた私がナイアル様に信仰を捧げましたの。その時、ナイアル様は大いに喜ばれてましたから、エレシュキガルをくれましたわ」
「聖人、ですって」
聖人というのは特に優れた徳、または功績が認められ、信徒たちの崇敬の対象となる人物のことだ。
それがよりにもよって大敵であるアンデッドに寝返ったなんて、もし世に知られたらミーロ教会自体だけじゃなく、これまでの聖人の名にも泥を塗るようなことになる。
裏切った英雄スズカが元聖騎士であることは知っているが、まさか聖人だったなんて。ミーロ教会が《ラストリゾート》のことを隠してきたのもこれが原因なのだろう。
「ええ、ミーロ教会に認可された時にはこの《神威一閃》を授かりましたわ」
スズカは得意げに槍先をルナとソラリスに向けた。
黄金の馬上槍は意思を持っているように絶えずに振動し、小さな電光を周りに飛ばしている。
「稲妻の槍……神威一閃……まさか、そんなことっ」
その名前に、ソラリスは息を飲んだ。
「お姉ちゃん、あの槍を知ってるの?」
「……ええ、太陽神より教会に下賜した神々の遺品、稲妻を自在に操れる聖槍よ」
「神々の遺品なの!?」
「戦乱に紛失したと聞いているけど、まさか所持者がアンデッド堕ちるとは」
「で、でもなんでアンデッドが太陽神の神々の遺品を使えるの?」
そう、それが問題だ。
太陽神の神々の遺品だから、当然その力の源は正の力である。正の力がなければ起動できないし、アンデッドであれば使うどころか、触れるだけで灰になりかねない。それなのに、スズカは何ともないように《神威一閃》の力を思うままに振るわっている。
「どうやら私がこの槍を扱えることが相当不思議だと思っていらっしゃるようですわね」
「ええ、それが本当に《神威一閃》であれば、貴女のようなアンデッドなら一触りでもすれば立ちどころ消滅するはずです。扱えるわけがありません、ましてやその力を解放するなんて」
「ふふふ、その通りですけれど、例外もありますわ」
「例外、ですか?」
「私がアンデッドになった時、ナイアル様が教えてくれましたわ。私の中にはアテルイ様の《封滅領域》と同質の能力が存在している、と、その名も《正邪調和》、つまり正と負の力は私にとっては相反するものではありません。正の力でこのアンデッドの体を強化することも、負の力で太陽神の神々の遺品を起動することもまた可能ですわ」
「《封滅領域》と同質の能力……」
つまり、創造神の欠片。
フィレンから創造神に関する話を聞いていたソラリスはくちびるを噛みしめた。
「貴女のような人が、どうして教会を――人間を裏切ったのですか?」
「それは勿論、アテルイ様のためですわ」
その名を口にした瞬間、彼女は咲いた花のような華やかな笑顔を浮かべた。
「丁度良いですわ、ゲヘナ様はそちらの小さなレディの抹殺を望まれていますが、別に今すぐとは仰っていませんから、これを機に当世の貴女達にもアテルイ様の話を聞かせてあげましょう」
と、どう見ても喋りたくて仕方がないスズカは槍先を下げて語りだした。
「あの方と初めて出会った日のことは、昨日のことのようによく覚えていますわ。あれは人間軍がまだゲヘナ様に逆らって、《ラストリゾート》を結成などという悪あがきをしていた頃のことですわ。当時の私は既に聖人だと認可され、《神威一閃》の使い手として最前線で活躍しております。一方、あの方はただの傭兵上がり、人類があそこまで追い詰められていなかったら肩を並べることはまず不可能だったのでしょう。
そしてあの方を見下していた愚かな神官どもは試合で《ラストリゾート》の指揮権を決めようと、私とあの方を戦わせようとしました。しかしあの方は怪我したくないと断ったのですから、神官どもはますます気炎を上げ、教会と傭兵達の対立を深化させて、いよいよ一戦を交えねばなるまい状況になりました。当時の私も《天軍の槍》と謳われて思い上がっておりますから、神官どもの思惑に乗りあの方に戦いを挑みましたわ。私自身を含めて、戦況が切迫していますのにまったく度し難いですわ。
そして試合の末、私は徹底的に叩きのめされましたわ。自慢の《神威一閃》も神術も無効化され、私ごときの槍術など、あの方に手も足も出なかった。けれど何よりもショックなのは、あの方は終始私を圧倒していましたのに、ずっと私を、いいえ全てを恐れていたことですわ」
「恐れていた、と?」
若干恍惚に浸っている目つきで、スズカは答えた。
「ええ、あの方は人一倍臆病で死を恐れていました。誰よりも強いでいらっしゃるのに、道端で遊ぶ子供に殺されないかとずっと怯えていました。他の誰も気づいていませんでしたけれど、私だけがその臆病さを見抜いたのですわ。そしてその姿がとてつもなく儚げで、弱々しくて、見るに忍びないほど愛おしい。あぁ、今思い出していても胸が切なくなるほど可憐な輝きですわ」
「あのアテルイが……」
一撃で地盤を揺るがし、独身でフィレン達を圧倒するほどの力を有しているのに、儚げで弱々しい?
あの出鱈目な戦闘力を目にしていたソラリスからすれば、スズカの言葉はまったくの意味不明だ。
しかしそんなの構わずに、スズカは言葉を継いだ。
「あれから私はずっとあの方の恐怖を振り払う方法を考えていました。私が十分に強ければ、あの方を脅かす有象無象を一掃できるのだけれど、残念ながら私はそこまで強くはありません。それに当時の敵――ゲヘナ様があまりにも強大ですわ。そのため――」
「そのため、ゲヘナの下に就いた、ということなんですか?」
「その通りですわ。アンデッドになれば、あの方は永遠に死の恐怖から逃れられます。そしてこの私も……ほら」
スズカは自分の胸甲を外した。その下にあるのは、一つの空洞。
ルナは驚きの声を上げて、ソラリスは得心したように目を細めた。
「心臓がない……そう、アテルイが屍霊になったのは貴女が……」
「ふふふ、よく知っていますわね。ええ、あの方を最強のアンデッドにするには、聖騎士の心臓が必要なのです。なんて都合が良いのでしょう。この私の心臓があの方の恐怖を払拭するのに役に立つなんて。しかも心臓を失った私に、ナイアル様が自ら加護を与えて、あの御方の聖騎士にしてくれました。これで私も永遠にあの方の側に居られますわ。他の誰よりも、この私が」
「ただそれだけで人類を裏切り、仲間達をアンデッドに売ったなんて……!」
「ふふふ、思った通りの反応ですわね。でもそういう貴女も、妹のためにこうして戦っているのではなくて? ゲヘナ様はそちらのレディを差し出せば他の人を見逃してあげるって仰いましたのに」
「一緒にしないで! 私もルナも不死なんて、永遠なんて、人に傷つけるようなことなんて何も望んでいない! ただ二人が一緒に静かに暮らせるような居場所があれば十分です!」
「お姉ちゃん……」
スズカに反論しながら、ソラリスは強くルナの手を握った。そしてルナもまた決意を見せつけるように握り返した。
「ふふふ、そう。羨ましいですわ、その姿になってもお互いを想い続けていられるなんて……」
一瞬、悲しそうに目を細めたスズカだが、すぐさまに酷薄な笑みに変わり、再び槍先を向けた。
「話はここまでにしましょう。これからは刃を交わす時間ですわ。ゲヘナ様はそちらのレディの抹殺を望まれています。大事な人を守りたいなら、この槍を超える他ありませんわ」
金色の縦ロールを振って、スズカは戦いの再開を宣言する。
「不可侵にして数多な罪を裁く存在よ、我に動かざる信念を貫く剣を与えよ――正義の力!」
ミーロ教会でも一握りの聖騎士のみ扱える上位神術を唱え、スズカの力が急激に膨れ上がる。
そして彼女は、さらに呪文を重ねた。
「暴虐なるもの、悪辣な主よ、我に黒き虚ろの刃を与えてくれたまえ――厭魅蠱毒!」
スズカの背後から数万、数百万のクロバエが《神威一閃》に群がり、瞬く間に黄金の馬上槍を黒く染め上げた。
無数のクロバエが一斉に羽を振動させ、断末魔のような不快な音を上げ続けている。
「あ、あれも神術なの!?」
「ナイアルに信奉する者にしか使えない上位神術よ。それにしても、二種類の神術を使いこなせるなんて……」
かつては太陽神の聖騎士だったが、死の神の聖騎士となった今もなお太陽神の加護を失わず、正邪両方の力を内包している奇跡のような存在。その力は測り知れない。
「さあ、耐えてみなさい! 天軍を束ねし我が聖なる槍よ、神雷の誅を汝へ下さん――《雷化・神威一閃》!」
千の雷が落ちたようにあたり一帯は輝きに満ちた。
正と負、対極にして膨大な二種類の力を抱えながら、スズカは一人一騎丸ごと稲妻と化して一直線にルナへと突進する!
「ルナ! 逃げてえええ!」
《天軍の槍》と謳われるスズカの突進は凄まじく、そこに二種の強力な神術、聖槍の力も加わって、たとえ《亢竜有悔》でも太刀打ちできそうにないのは目に見えている。
だがここで逃げたら、大事な人を守れなくなる。
「今度はあたしが、お姉ちゃんを守るの……!」
ルナは懐から木製の小瓶を取り出した。
それは先日アイナリンドから渡されたものであり、その中にあるのは《万象剣》から取り出したとある者の血である。
『ルナちゃん……』
スーチンは心配そうに声をかけた。
只今、ルナがそれを取り出した意味を理解しているから。
「スーちゃん、もしあたしがあたしじゃなくなったら、あたしの代わりにお姉ちゃんを守ってね」
『ううん。ルナちゃんを……信じます……』
「ありがとう」
意を決め、小瓶を一気に呷った。
「――――蒐窮の仮面:血を嗜む宵闇の祖!」
「何ですってッ!?」
「《宵闇血装・血河の太刀》!」
血の奔流と神雷の光が衝突する。
驚いたことに、全てを貫けるはずの槍は二本の刀によって防げられた。
信じられないと言わんばかりに目を見張ったスズカ。
ルナの右手には愛用の大妖刀、《滅紅塵》。
そして左手には――鮮血からなる刃。
まるでストローで吸われているように、戦場に散らばった無数の死体からとめどなく血が零れ出している。その膨大な血液が何かに導かれているようにルナの右手に集束し、細身の刃を形作った。
それはまさしく、血河の太刀。
「……驚きましたわ、ヴァンパイアだとは知っていますけれど、まさか祖の力をここまで引き出せるなんて。流石神の転生体になり得る器ということでしょうか」
「転生なんて知らない。あたしもお姉ちゃんと同じなの。ただ一緒に暮らせばいいって。でも沢山の人が、お父さんが、教国の悪い人が、あなたたちがそれが許さないっていうなら、皆まとめて倒してくれるの!」
緋色の輝きを浴びながら、幼い少女の啖呵が戦場に響き渡った。




