207 弱き者
しかし俺の怒りなど意にも介さず、アテルイは頷いた。
「うむ、我はそうやって流されてきた。そしてついぞ終着が見えるようになった。さあ、全力の我を斃してくれ。我に終わりを、もう戦わなくても良い言い訳をくれぬか」
臆面もなく言い放った。
「何言ってんだてめえ、戦いたくなければやめりゃ良いんだろうが!」
「それは強き者の理屈ぞ」
神木のような巨人、アテルイは呟いた。
「汝も、ゲヘナも、我の仲間達も皆強い信念を持っておる。それを貫き通すためであれば苦も厭わず、死も怯えぬであろう、まことに強き者よ。だが臆病な我にはそれがおらぬ故、強き者の願いに逆らえず流されてきた。我はただ何よりも危険を、死ぬのを恐れておった。故に自分を鍛えた。しかし何の因果か、いつの間に最強と呼ばれて、何度も危険な戦地駆り出されておった。そして望まぬにも係わらずこの姿になった。やめればいいと汝は言うが、人々の期待を背けて逃げ出すにも勇気が要る。そして我にはそれがおらぬのだ」
千五百年前に、人類最強と謳われていたハーフジャイアントの戦士が、何のためらいもなく自分の臆病さを告白した。
「この姿になってから我は思う、もう嫌だと、もう疲れたと。ただの死者であるこの姿にもはや未練などない、一刻も早く朽ち果てたい、と。しかし仲間達、特にスズカ殿はそれすらも許してくれぬ。しっかりと信念を持っている彼女に、我は逆らう事などできぬ。故に汝の言う通り、我はずっと嫌々と戦ってきた。それでも、我は自分を超えるモノ、自分を壊してくれるモノを待っておった。それが今、ついに汝らが現れたのだ!」
歓喜、安心、満足、信頼、およそ戦場とはもっとも無縁であるはずの気持ちを存分に込めて、アテルイは全身を震わせ咆哮を放った。
《銀星獅王》の二つ名に恥じぬ雄叫びだが、その実は人頼みの自殺願望にすぎない。
「ふざけんな、てめえの自殺なんざ知るか!勝手にくたばってしまえ!」
「ならば強引にでも付き合って貰おう! ぬぅぅぅぅぅん――――ッ!」
アテルイの気配が、変わった。
いや変わったのは気配じゃない、その魂の在り方だ。
元々アテルイは異常な強さと屈強な肉体を持ちながら、殺気も威圧感も一切放っておらず、まるで自然に溶け込んでいる木や岩のようだった。
スーチンも彼の魂についてこう形容した、「とてつもなく強いのに弱くて消えそうな魂」、と。
それはひとえに本人の意志の弱さ、そしてそもそもアテルイに戦意などなかったからだろう。
しかし今はどうだ、更に膨れ上がった筋肉と逆立っている一本一本の銀髭から力強い威圧感が放たれており、屍霊の特徴である斑模様も血のように赤く輝いている。
その有り余る禍々しさに、空間が悲鳴をあげている。
ゲヘナの質量を持った存在感とはまた違い、おそらく戦慣れしている人ほど肌で感じられる圧倒的な強さ。
しかも、変化はそれだけじゃない。
「魔道具の力が……戻った?」
姉さんは《無極の籠手》、俺は《万象剣》に魔力が蘇ったのを感じた。
常時展開しているはずの《封滅領域》が消えたのか……いや、奴自身に吸収されたのだ。
その代わりにアテルイの全身から淡い光が浮かび上がって、靄のように、陽炎のようにゆらゆら揺らいでいる。
「何だあれは、あれも《封滅領域》なのか?」
「……どうやら汝らも、我と同じ世界に通ずる力を持っておるようだ。ならば分かるであろう、この力自体が大いなる世界の一部であると。この力を極めることは即ち、己の魂を世界に焼き付けることである。我はそれを《最奥》と呼んでおる」
「世界に通ずる力……欠片の力を更に極めた、だと……!?」
「汝は欠片の力と呼んでおるのか。なるほど、ではその欠片の《最奥》を見るが良い」
「今まではまだ全力じゃなかったのか!?」
「その通りだとも! 我はずっと待っておった、我に届き得る者を! 全力で戦っても倒してくれる、スズカ殿も納得をせざるを得ないほどの強き者を! だから手加減する必要などもうどこにもおらぬ! さあ、全力の我を休ませてくれえええええ――――!!」
人が変わったように高らかに笑うアテルイ。
いやこれこそ彼の本心だろう。ずっと人の意思に逆らえずに流され続けてきた彼が、ようやく人の意思にも逆らわないまま自分の願いを叶う方法を見つけたのだ。
その方法というのが思いっきり他力本願なのだが。
「では強き者よ、参る!」
身を屈む動きすらなく、ドンっと空気の揺れを感じた時に、アテルイは既に俺と姉さんの間合いに踏み込んだ。
上方から振り下ろされた手刀。
それを打ち返そうとした瞬間、後ろ首が姉さんに掴まれて後方へと投げ飛ばされた。
次の瞬間、アテルイの手刀に触れた空間も、大地も、巻き込まれた姉さんの右腕と《無極の籠手》もろとも蒸発した。
まるで巨大なスプーンに抉られたように地面に長い溝ができてしまった。
ただ力が強いって話じゃない。
姉さんの《月颪》も絶大な破壊力を誇っているが、それはあくまで重量と落下速度で粉砕しているだけで、規模の違いこそあれど普通の手刀と変わらない。
だが今のは違う。
アテルイの手に触れた一切合切が何の抵抗もなく、欠片も残すことなく、まるで最初から存在しないように霧散したのだ。
「姉さん、下がって!」
アテルイに向けて《斬神》の衝撃波を飛ばす。
しかし奴は手を伸ばし、前と同じように衝撃波を握り潰し――いや、やはり衝撃波も触れられた途端霧散した。
遠距離から《首なし騎士》を両断するほどの衝撃波も、その白い陽炎の前ではそよ風と変わらないようだ。
「《封滅領域》を集中させ、魔法だけじゃなく物質もエネルギーも無効化できるっていうのか……!?」
「理屈など知らぬ。我はただ心穏やかに生きることを望んでおる故、これを脅かす全てを、我は拒絶する。我に拒絶されれば、如何なるものも消え去る。これが我が魂の極致である」
「今更だけど、本当に出鱈目よね」
呆れたように姉さんは言う。
ただでさえ厄介なのに、触れることすらできないなんて、防御も、攻撃も迂闊にできねぇじゃねぇか!
「ただただ死を恐れるあまりに魂を極めた境地、我が《最奥》を打ち破ってくれ!」
巧みに足さばきを駆使し、アテルイは何度も肉薄してきた。
全力を出すと本人の宣言通り、その力と速さは前よりも増している。その上で《最奥》という存在を消す力もあるから、俺達は逃げる一方だ。
「どうした! これ以上我を待たせる気であるか!」
「冗談じゃない、なんでこんな奴と戦わねばならないのだ!」
影のように喰い付けてくるアテルイ。
俺と姉さんは二手に分かれて、牽制しながら必死に奴から距離を取っている。
姉さんは何発も《蛾眉刺》を撃ったが、アテルイは目に向かってくるもののみを払って、その他はまったく意に介さない。
俺も機を見て《斬神》を飛ばしているが、奴の手に霧散させられて、逆に技直後の隙を突かれて何度も間合いを詰められそうになった。
「ふむ、これでは埒が明かぬ。どうやらスズカ殿のほうも手を焼いておるし、ここは一つ派手に行くか。せっかく休ませてくれような者を、みすみす見逃すわけにはいかぬ」
拳を高く掲げるアテルイ。
《封滅領域》の最奥――その象徴たる淡い白光がそこに集束、集束、集束。空間のずれが生じるほど膨大な力がそこにあった。
そして――思いっきり、地面を叩いた。
「《崩拳》!」
「――――まずいッ!」
いつか見た地盤を揺るがす拳打だが、効果がまるで違った。
アテルイの拳を喰らった地面は一陣の振動とともに、文字通り跡形もなく消えうせた。
クレーターなど生温いものじゃない。大地が巨大な渦巻きのように中心から崩壊し、まわりを巻き込んで瞬く間に百メートルも及ぶ竪穴を作り出した。
勿論、その上に立つ俺達も無事ではいられない。
「フィー君、捕まって!」
《閃空》で走り寄った姉さんは俺の腕を掴む。
だが流石の姉さんも一人抱えて、片腕も失っている状態じゃ長く空を走れなかった。
「くっ、せめてフィー君を……!」
姉さんは俺を地上に投げ飛ばそうとするが、俺は彼女を止めた。
一瞬、姉さんは怪訝そうに俺に視線を向け、そして俺達はそのまま底が見えない大穴に吸い込まれるように墜ちていった。
§
「ここは……?」
どれくらい落ちたか。
姉さんと《天衝丸》のお蔭で無事着地できた俺たちは散乱した石くれと砂利の山から這い出して、周りを見渡す。
まるで人の手が入っているような切り立った緑の岩壁と床のタイル。地下とは思えない広さ。どうやら普通の地下洞窟じゃない……いや、それどころか。
「そうか、ここはラカーンの近くだもんな」
どうやらアテルイはさっきの一撃で地盤をぶち抜いたようだ。そしてここはラカーン周辺、つまりこの地下空間の正体は――。
「《翡翠龍の迷宮》、か」
「その通り。ここであれば逃げる事は叶うまい」
ドン、とアテルイも俺たちに遅れて着地した。
二十メートル以上離れているが、奴ならば一瞬で踏み込めるはずの距離だ。しかもいくら広いといえどここはダンジョン、地上のように逃げ回るなんて不可能だ。
そしてもっと最悪なのは、ここからだとたとえアテルイを倒せたとしてもすぐルナを助けに行くことができない。
「マジで地盤をぶち抜いたのかよこの野郎……」
《翡翠龍の迷宮》の深さはよく知らないが、それでも地下百メートルを軽く越えているはずだ。それなのに一撃で地上からここまで打ち抜いたとは。
「さあ、強き者よ。観念して我を倒してくれ」
「やるしかないか……!」
幸い魔道具が復活している今、《死配者の指輪》を通じて姉さんはいくらでも《無明》の力を作り出せる。
こうなったら姉さんに時間を稼いでもらって、《魔装英雄》を発動して正面からアテルイを切り伏すしかない……!
俺は姉さんと視線を交わし、頷き合った。
――その矢先に。
『――空の彼方より現れし破壊の使徒よ、星の力を秘める欠片よ』
『我の前に立ち塞がる愚か者に、許されざる者達の頭上に――』
『――等しく滅びの鉄槌を下せ!』
金属を擦りあわすような声が、三つ同時に響き渡る。
『三重広域極大禍星天墜!』
瞬間、天変地異を彷彿させるような轟音が耳を劈く、視界一面の燃え盛る隕石が想像を絶するような質量と高熱を持って落ちてくる。
馬鹿な、躱さなきゃ、と思った時に既に遅かった。
何故ならいくら《翡翠龍の迷宮》が大きかろうと、ダンジョン天井の高さなんてタカが知れている。そこから落ちてくる無数の隕石を回避するなんてとてもじゃないが現実的ではない。
だが、俺達はそもそも回避する必要なんてなかった。
隕石が現るのと同時に、何時の間に近付いてきた二人の《有翼種》が俺と姉さんを抱えて隕石の落下範囲から飛んで離脱したのだ。
「アルバートさん!?」
碧の髪と瞳、そして一対の白い翼を持っている二人はハスタァで会ったラプトリアンの姉弟――アルバートさんとミリアルテさんだ。
「フィレンさん、レンツィアさん、何も聞かずついて来て欲しいっ」
「あ、ああ」
アルバートさんは切羽詰まった声で答えた。
ミリアルテさんも不機嫌に見えながらも懸命に羽ばたいて距離を稼いでいる。
どうやら俺たちを助けに来たようだ。俺と姉さんは大人しく身を任せた。
しかしいくら飛ぶの早くてもアテルイに追いつかれるだろう、と思ったが、奴は意外なことに落下し続けている隕石に手を焼いているようだ。
白い陽炎を纏っているアテルイの両腕は如何なるものも霧散させられるはずだが、高熱の隕石は奴の手に触れられてもすぐに消えず、一拍遅れてゆっくりと砂になった。まるで何かがアテルイの《最奥》の力を邪魔しているように。
アテルイは高熱も隕石の重量も物ともしないが、次から次へと降り注ぐ小山のような隕石は瞬く間にダンジョンを埋め、奴もろともこの一帯を埋葬した。
あれでは流石のアテルイも脱出に時間がかかるだろう。
こうして、俺達は思いもかけない助力者に助けられ、アテルイとの戦いから脱出できた。




