205 ゲヘナ(三)
左右それぞれ形も大きさも異なっているが、共通しているのはどっちも禍々しい気配を放つ死者の腕であることだ。
ゲヘナは目をすっと細めて、驚きの声を漏らした。
「《不死義肢》、だと……!?」
《不死義肢創造》とは、文字通り不死義肢を創造する死霊魔術である。
体のパーツをアンデッドに置き換える、即ち不死義肢という技術は今でこそ廃れたが、《始国》がまだ存在していた頃ではかなり研究が進んでいた。
何故なら怪我を負った兵士を短期間で戦場へ送り返せるのは、長きにわたり戦争を行っていた始国にとっては非常に都合が良いのだ。
これらの研究はすべてソクラテの研究資料に纏められており、レキシントン先生によって再び世に出ることになった。
先生曰く、不死義肢の研究自体は狂気に満ちているがその成果は凄まじいの一言。
例えばファタリテ君の三節腕も不死義肢の一種であり、その肘の可動域は非常に大きく、近接戦闘ではかなりのアドバンテージを有している。
他にも砲弾を射出する義手、地盤を掘る義足、遠方を見通す義眼など用途は多岐に渡る。
その中でも、この《万魔殿》はかなり特殊な義肢である。
《万魔殿》の外見はただの骸骨の腕だが、それは単なる入れ物に過ぎない。
召喚もしくは使役するアンデッドを充填すれば、装着者自身もそのアンデッドの能力を行使できるようになる事こそ《万魔殿》の真価である。
今の俺は左右それぞれアイアンスレイヤーとドレッドミストを充填している。
鎧の巨人――アイアンスレイヤーの右腕は刺々しい籠手になっており、人離れした怪力と、アダマンティウムの武器を弾くほどの硬度を持っている。
そして紫の霧――ドレッドミストの左腕は紫がかっている半透明な膜に覆われていて、強力な念動力と魔眼を操れる。
「なるほど、始国の秘術不死義肢か。まさかこんな奥の手を隠していたとは」
「……奥の手でも、隠してたわけでもないんだがな」
どこか感心しているゲヘナに、俺は痛みを堪えながら答えた。
義肢とは言ってもあくまで異物。
本当は長い時間をかけて体を馴染ませる必要があったが、強引に装着したのだから腕の断面に鉄棒が刺さっているような状況でさっきから激痛で息が止まりそうだ。
「本当は自分に使うつもりがなかったんだよ」
不死義肢で自分を強化する発想は前からあったが、姉さんに猛反対されたから、それならファタリテ君の強化案として使おうと考えたんだが、結局自分に使う羽目になるとは思ってもいなかった。
「確かに、生身とアンデッドが混在する状況では体の負担も大きかろう。そこまでの覚悟を持っているとは、ますます惜しいな。今からでも遅くはない、ともに姉を愛する同士として協力すべきと思わないかい? そもそも創造神のねがいを叶えれば、私たちの願いも同時に叶うのだ、争う必要なんてどこにもないじゃないか」
俺に手を差し伸べるゲヘナ。
「バアルさん……いや、《災いの御子》ゲヘナ。お前の気持ちを全く理解できないと言えば嘘になる。もし姉さんを失ったら俺も同じになるかもしれない。だからお前を責める資格は、俺にはない。しかし」
念動力で《万象剣》を動かし、アイアンスレイヤーを宿した右手で掴む。
もともと通常の大剣より軽い《万象剣》が今や爪楊枝のように軽く感じる。
「俺は姉さんの復活と、これからの平穏を願っている。お前がそれを邪魔するというのなら、排除するしかない」
「……なるほど、そこが私とフィレン殿の違いか。私は自分の願いのために人類を滅ぼす」
「そして俺達は願いのために、お前を倒す」
「お互いの願いは同じだと思ったが、残念だ……良いだろうフィレン殿、これからは怨敵として全力で叩き潰すことを誓おう」
ゲヘナはそう言って口元を歪ませた。
「と、言いたいところだが、生憎今は本調子ではないんだ。何しろ今の私はただの生者だからな、いくら《魂喰狂宴》があっても、穢土軍を支配するのはなかなか骨が折れる。それと私にとって戦場はここだけではなくてな――」
そこまで言うと、ゲヘナは意味有り気に視線を空の向こうに向けた。
「というわけで、フィレン殿には悪いがここは我が配下に任せることにしよう」
ゲヘナが目を配ると、銀髪の巨人が一歩前に出た。
「よく聞けアテルイ、我が怨敵フィレン殿と姉君はこれまで数々の修羅場を潜って、そして強くなってきた。そこいらの有象無象とは違い、慢心すれば返り討ちどころか、逆にフィレン殿が更に強くになるための礎にされかねないぞ」
「承知した」
「まあ、小心者のお前にはわざわざ言う必要もなかったな」
「……」
では任せたぞ、とゲヘナは浮かび上がって、それから一陣の風を巻き起こして消えていった。
「では人間軍の生き残りよ、気が進まないが、ここで汝を斃さなければならないのようだ」
アテルイは自然体で俺たちの前に出た。
枯れ木のような声と長い頬髭は年相応に見えるが、膨れ上がった筋肉と鋭い眼光、そして矍鑠とした立ち居振る舞いは老いを感じさせない。
殺気こそないものの、その存在が意味する死が否応なく頭をよぎる。
敵が一人少なくなったが、それで事態が好転するとはとても思えない。
「全力で抗えば良い、その果てに我に届く可能性が億の一があろう」
「言われなくても全力でお前を、あっちの女騎士もぶっ倒して、皆で無事に帰るに決まってんだろう」
「……ふっ」
僅かだが、アテルイは口元を緩めた。
「実に惜しい。いずれ我にも届くかもしれぬ苗を、今この場で刈り取らねばならぬ我が身も、因果なものよ」
「よく分からないが、本当に戦いたくないなら俺たちを見逃せばいいじゃないか? 大体お前はそこいらのバトルジャンキーと違って、傷つくのが嫌なんだろう?」
「否。確かに我は死を、延いては傷つくのを恐れていた、この肉体もその願望の具現にすぎぬ。しかし今の我が望むことはただ一つ……いや、今更詮無き事よ。――では、参る!」
アテルイは地を蹴った。
「ちっ、やっぱり戦うしかねぇか!」
飛び退きながら、牽制に《森羅万象》を放つ。
片手だが、アイアンスレイヤーの右腕で放った斬撃は剣速も重さも前より上がっているのだ。
しかしアテルイはいとも簡単に六つの斬撃を横から打ち払った。
「踏み込みが足りぬ。もっと、力を見せろ!」
「だったらこれはどうだ!」
ドレッドミストの左腕から不可視の糸を飛ばす。
無数の糸が絡み合い、空間に張り付く。瞬時にしてこの一帯を蜘蛛の巣に仕上げた。
「ほう、見えぬ糸……否、これは念動力か」
ドレッドミストの念動力は複数の超大型アンデッドを同時に運べるほど強力である。
それを肉眼では見えないほど極細の糸になるまで撚り、蜘蛛の巣のように空間に張り巡らせば、例えアテルイの動きを完全に封じることができなくても、牽制にはなれるはずだ。
念動力も魔術に類する力だからアテルイの《封滅領域》の中では無効化されるはずだが、どうやら同じ創造神の欠片である《死霊秘法》で呼び出したアンデッドは影響を受けないようだ。
「我の《封滅領域》の中でこれほどの念動力を操れるとは大したものだ。だが我を止めるには、まだ足りぬ!」
不可視の網を見えているように、アテルイは糸との接触を最小限にできるルートで肉薄してきた。
三メートル超えの巨体にも拘らず、その柔軟性と機敏な動きはまるで鳥のようだ。
だが。
「二度とフィー君に――近づかせない!」
あまりにも合理的に念動力の糸を避けているアテルイは、逆に言うとそれだけ読みやすいということだ。
姉さんは《閃空》でアテルイの死角から肉薄し、全力の鉤突きを叩きこんだ。
「《二の打ちいらず・連弾》!」
一呼吸の間に放たれた鉤突き、肘打ち、そして回し蹴り。
寸分違わずに同じ場所に打ち込まれた三連撃。
たび重なる打撃に流石のアテルイも一歩後ずさって、何本もの念動力の糸に絡まれるようになった。
「はああああ――――!」
姉さんの連打が続く。
その一発一発がすさまじく重く、《炎流星》の連射にも匹敵する怒涛の打撃音を発している。
アテルイはなんとか捌こうとしたが、念動力の糸に邪魔され動きに僅かだが鈍さが生じて姉さんの攻撃を許した。
姉さんは全く糸に絡まれることなく、一方的に攻撃を加え続けている。
何故ならば俺と姉さんは一心同体、俺は姉さんの動きを簡単に予測できるし、姉さんも俺がどこに糸を張っているか知り尽くしている。
「良い、連携だ」
動くたびに念動力の糸に絡まれ、アテルイは最大の強み――間合いを失った。
一方、アテルイの間合いの内側に入った姉さんの動きはどんどん加速していく。余力など一切考えずに、唯々なけなしの負の力を《無明》に昇華させ続けて、アテルイにぶち込む。
「よく奮戦した人間よ。しかしそれでは我が身に傷一つ付けぬぞ。これ以上希望を抱かせるのも酷であろう、今ここでその命を摘み取るとしよう!」
そう呟いて、アテルイが腕を大きく振ると、念動力の糸がたちまち霧散した。
「また無効化か!?」
アテルイの《封滅領域》は常時展開している。
つまりさっきまで奴を縛りかかっていた念動力の糸は《封滅領域》の影響を受けていないはずなのに、奴が手を一振りしただけで消えたなんて。
そう言えば、さっき姉さんが創り出した《無明》の大剣も奴の手によって粉砕されたのだ。まさかとは思うが、アテルイの手は欠片の力までも消せるのか!?
「二人揃っては厄介だ。まずは一人」
「姉さん、避けて!」
「――耐えてみろ」
空間を切り取ったような速さで姉さんに肉薄したアテルイ。
姉さんは即時に飛び退いたが、精彩を欠いたその動きにアテルイは簡単に追いつき、
正拳を顔面に叩きこんだ。
《無影突き》。
最速の正拳はこれまで見てきたどの攻撃も霞むほどの速さと重さで姉さんを吹き飛ばした。
「姉さん!」
「人の心配をする場合ではなかろう」
アテルイを次いで俺に向かった。
奴の攻撃に殺気も予備動作もなく、避けるのは極めて難しいが、俺は念動力の糸で自分を後ろに引っ張って、奴から距離を取った。
ドレッドミストの念動力は強力だが、繊細な動きには不向きだ。
いや慣れればできるかもしれないが、今の俺ができるのは精々自分を投げ飛ばすことくらいだ。
しかしアテルイはしつこく俺を追ってくる。
その速さは姉さんの全力よりやや劣るが、生身の人間では決して敵うことはないだろう。
俺は念動力で慣性を無視して、何度も鋭い角を描くように高速移動を繰り返しているが、それでも振り切れずにいる。
「ちっ、しつこいな!」
「何度も言うが、我はここで汝らを斃さなければいかぬ。故に力を見せろ、それ以外生き延びる道などない!」
アテルイは全力疾走しながら、俺に向かって正拳を突き出した。
まだ数十メートルも離れているのに、奴の動きは正直意味不明だが、俺は一瞬とてつもなく不吉な予感に捕らわれ、ほぼ反射的に体を横に転ばせた。
その直後、さっきまで立った地面がまるで何かに抉られたように、深い溝ができてしまった。
「ぬ、外したか」
「何だ今の、魔術か!?」
そう言って俺は自分を否定した。
《封滅領域》の欠片を持っているアテルイは魔術を使えないはずだ。
つまり今のは単なる通常攻撃……拳で空気を飛ばしただけというのか!?
「この……化け物め!」
「うむ、化け物とも」
アテルイは俺を追い回しながら、次々と空気の弾丸を飛ばしてきた。
その攻撃力はカタパルトの投石を彷彿させ、まともに喰らったら一溜りもないだろう。
だがそれよりも厄介なのは――
「捉えた」
「しまっ……!」
絶え間もなく飛んできた空気の弾丸に逃げ道を塞がれて、俺はついにアテルイに追い詰められた。
三メートル超えの巨躯が俺の頭上から影を落とす。
「耐えてみろ!」
迫りくる死の拳圧。
俺はドレッドミストの糸で障壁を編み出し、アイアンスレイヤーの腕で盾を組み上げながら、全力で衝撃を逃しべく身を捻った。
だが無駄だった。
念動力の障壁も、アイアンスレイヤーの盾も、《龍霊鎧》も、アテルイの拳は破城鎚のようにこれらを悉く貫き、粉砕し、ついに俺の体に埋まる――
――その寸前で止まった。
「む……動かぬ」
アテルイだけじゃない。
あれだけ戦場を荒らし回っていた超大型アンデッドも、滅尽滅相が呼び出した死の奔流も、まるで死んだように――すでに死んでいるが――完全に静止している。
不気味なほど静かな空間の中で、俺がゆっくりと手のひらを翳したら、陽炎のように不可視の糸が浮かび上がる。
「俺が意味もなく逃げまわしたと思っているのか?」
「そうか、糸で魔術陣を……」
赤黒の魔力が通った無数の糸が複雑な模様を作り出し、立体的な、それも百メートルにも及ぶ大きな魔術陣を作り出した。
「《万魔殿》はそもそも使うつもりがなかったから……これが本当の奥の手だ――《人の思いの全てを覆う死を作り出した者に、祝福あれ》」




