204 ゲヘナ(二)
「さっきも言っただろう? 王都にいた百万の民は既に我が糧となった、と」
「まさか、彼らの魂を喰ったのか!?」
「そうだとも、この身には百万人以上の魂が宿している、《死霊秘法》のように無尽蔵とはいかないが、滅尽滅相程度造作もないさ」
人型の異形は口を裂けて、笑みを作った。
「さて、これでフィレン殿もこっちの事情を知ったし、そろそろ本題に入ろうか」
「本題?」
「率直に言おう。フィレン殿、私の仲間にならないかい?」
「……穢土軍に入れって?」
「うむ。何度も言ったが私はフィレン殿に親近感を持っているんだ。姉を愛する同士としても、似た境遇と願いを持つ者としてもね。勿論フィレン殿の実力にも期待しているぞ? 聞けばもうほとんど《斬神》をものにしているそうではないか、短い間で大したものだ。やはり《斬神》を教えたのは正解だったな」
「あの時、俺が敵になるとは思わないのか?」
「あの時はちゃんと《黒翡翠》をミステラまで運んでもらう必要があったからな。ゲゼル教国の残党は必ず邪魔しに来るだろうし、フィレン殿にはもっと強くなってもらわないと」
「つまり俺を利用するために、《斬神》を教えた、と」
「気分を害したなら謝るが、《穢土》を呼び出す計画を作ったのは《禍憑き》の人達で、私は隠れてちょっと協力しただけさ」
「隠れて? 《禍憑き》はお前の存在を知らないのか?」
「ああ、彼らが《穢土》を呼び出そうとしているのは随分前から知っていたが、私が《災いの御子》なのは誰も知らないぞ」
《禍憑き》が俺たちと教国を利用したように、ゲヘナはさらに彼らの計画を利用したってことか。
「ではそろそろ返答を聞こう。私と一緒にこないかい? 勿論フィレン殿だけじゃなく、お望みであれば仲間たち全員一緒に来てもいいんだぞ?」
魅力的な提案だ。頷けば少なくともこの場を切り抜けられる。
「それでも断る。俺とお前の願いは似ているだけで全然違う」
「そうは思えないが?」
「俺と姉さんの未来には人間の平穏が必要だ。姉さんが生きていればなんでもいいというわけじゃない。姉さんが居て、その側に俺が居て、周りに大事なものがたくさんいる、それが俺たちの願いなんだ。それに何より、俺がお前に与することを、姉さんは決して認めないだろう」
俺の隣で姉さんが強くうなずいた。
「…………ふぅ」
長く、長い息を吐いたゲヘナ。まるで本当に失望したようだ。
「あぁ、本当に残念だ。これは予想以上なショックだな。フィレン殿とはいい友達になれると思った」
「それで、俺達を殺すのか?」
「いいや、そのつもりはないさ。例え振られたとしても、俺はフィレン殿のことを同士だと思っているんだ。あの夜の姉談義は本当に楽しかった、君達を見逃してもいいと思えるくらい――その小娘以外な」
ゲヘナのが指さす先に居るのは――ルナだ。
「どうしてルナを?」
「その娘は私と《始まりの聖女》の末裔――そして神の転生体になりえる器だからさ」
「ルナが……!?」
「大戦の時、私は負の力を二人目の転生体に注いだ。その結果私が滅び、転生体も死んだが、後で分かったことだが、彼女は懐妊中だった」
「妊娠……していたのか?」
「そうだ、私の負の力を受けた彼女は死んだが、彼女の子供は奇跡的に生き残った。その子供には私の――つまりヴァンパイアの因子が存在している。それが世代を重ね、その小娘の代で発現した。いやはや、まさか聖女の血とヴァンパイアの因子が同時に発現するとはな。そのため彼女は三人目の転生体の器であると同時に、ハーフヴァンパイアでもあるのだ」
「あ、あたしが……?」
ゲヘナの言葉に、ルナは思いっきり動揺している。
そういえばロントの野郎も言った。
《始まりの聖女》は太陽神ミーロが用意した《神造生命》であり、現代においてもっとも聖女の因子を濃く受け継ぐのがルナだと。
教国の指導者、ジュデッカの目的はルナを使って死の神ナイアルを転生させるだと。
「太陽神も死の神も、その娘の体を狙っている。だが私は神の転生など断じて許さない。よって、その娘には死んでもらう」
ゲヘナの言葉と呼応するように、スズカも馬上からルナを見やった。
極寒の視線がルナを射抜き、それだけで彼女は萎縮し、後ずさった。
それを遮るのはリースだ。
「ルナに指一本も触れさせません! 貴方にも、教国にも!」
「悪いが俺も同意見だ。ルナは大事な仲間だ、お前に渡さないし神の転生体なんてものにもさせやしない」
「何故だフィレン殿? その娘を渡せば見逃してやると私が言っているのだぞ? ここで頷けばレンツィア殿と一緒に帰られるのに何故それを拒む、レンツィア殿は大事なんじゃないのかい?」
「お前には分からない。俺と姉さんの願いはただ生きているだけじゃない!」
「……」
理解し難いものを見ているように、ゲヘナは眉を顰める。
恐らく俺とゲヘナの最初の願いは同じなのだろう。
ただ愛する人との一時を取り戻したい。
しかしあまりにも長い時間が経て、孤独と復讐に苛まれ続けてきたゲヘナの願いは収束、矮小化、歪んでいく。果てには、『姉が生きていればいい』という一点のみに収束した。
ショエルを復活させた後のことも、世界を滅ぼした後のことも完全に考えていない。
復活のための復活、復讐のための復讐。
「なるほど、相分かった。それでは交渉は決裂ということか。残念だがここからは次善案で行こう――スズカ」
「御心のままに」
迸る雷霆。
耳を劈く音よりも早く、女騎士と黒鱗の馬は一瞬で俺達の目前まで駆け抜き、電光を纏う馬上槍がルナへと走る。
それに真正面から打ち合ったのは一振りの太刀。
「《亢竜有悔》!」
スズカの奇襲に対して、おそらく誰よりも迅速に反応したルナの居合が槍先と激突。
「あら、よく反応できましたねお嬢さん。けれど――!」
最速の居合をもってしても女騎士――スズカの騎馬突撃に敵わず、大妖刀《滅紅塵》は簡単に弾き飛ばされ、槍先はルナを貫かんと奔る。
しかし《亢竜有悔》の真価は、二撃目にこそある。
「はああああ――――!」
「ルナちゃん! 《聖絶の盾》!」
まるで示し合わせたかのように、ルナの居合とリースの神術は一つの力になって雷速の馬上槍に迎撃した。
しかし。
「んふふふ、麗しい姉妹愛ですこと。ならばその美しさに免じて、二人まとめて刈り取らせていただきますわ!」
端整な口元が、嗜虐的な愉悦に歪んだ。
「天軍を束ねし我が聖なる槍よ、神雷の誅を汝へ下さん――《雷化・神威一閃》!」
眩い雷光とともに、スズカとその乗騎の姿が変化した。
一人一騎丸ごと轟雷の奔流と化したスズカはそのままルナとリースを飲み込み、文字通り電光の如く空の向こうへと消えていった。
「ルナ!」
「ルナちゃん!」
駆け付けようとした俺と姉さんの前に立ちはだかるのは、銀髪の巨人。
相変わらず自然体で構えを取っていないが、簡単に通らせるつもりがないのは明白である。
「すまないがフィレン殿とレンツィア殿にまだ話があるんだ、しばし時間を貰おう。ああ、そこのエルフには用がないから何処へなりとも行くがいい」
「……アイナ、ルナのところに行ってくれ」
「しかしお二人は……っ!」
「問題ない、いけ!」
議論する暇はない。
スズカの実力はまだ未知数だが、アテルイと並ぶほどの敵を相手にルナとリースだけじゃ危険すぎる。
それにアイナには悪いが、アテルイ相手で彼女とファタリテ君が戦力になることはまずないだろう。
アイナもそれを重々に理解しているのだろう。彼女は素早くファタリテ君に飛び乗って、ルナ達が消えた方角に向かった。
「さて、これでゆっくりお二人と話ができるようになったな」
「そんな暇はねぇんだよ――おら!」
俺は地を蹴って、アテルイに斬りかかる。
早くこいつを倒して、ルナ達に加勢しなければ……!
「ふぅ、仕方ない。アテルイ、まずはフィレン殿を抑えろ、話はそれからだ」
「承った」
《万象剣》を警戒しているか、アテルイは最初こそ刃を避けていたが、すぐさま斬撃を掻い潜って攻撃を仕掛けてくる。
その体に、姉さんの《無明》の刃が斬り込む。
「今度は全力で行かせてもらうわよ――《月颪》!」
《無明》の力が渦巻く、天を衝くほどの黒い大剣が顕現した。
超大型アンデッドが闊歩する戦場でも一際高くそびえるそれが、姉さんの手刀とともに振り下ろされる。
だがアテルイはただ右腕を掲げるだけで、城壁をも崩せる斬撃を受け止めた。
「ぐぬぬぬぬ……!」
「……」
いくら姉さんが力もうと、《無明》の刃がこれ以上進むことはない。
アテルイは片手で完全に《月颪》を食い止めた。
「これで終わりか、汝よ。ならば――」
「そんなわけがないでしょう!」
黒銀の光が一瞬爆発的に膨れ上がり、姉さんの髪と目を黒く染め上げた。
《無明》の力を全開放した姉さんから禍々しい気配が広がり、あたり一帯を塗り潰している。
「全力でって、言ったでしょう――《月颪》!」
一本目の大剣よりも倍、否、十倍の巨大さを持つ大剣が顕現され、姉さんはそれを交差する形で一本目の大剣の上から叩きつける!
「潰れなさいいいい!」
姉さんが本気の本気で顕現させた大剣は十倍の質量をもって、まるで空が崩落もかくやの勢いで敵を圧し潰さんとする。
流石のアテルイも片手のままでは無理と判断したか、両腕を使った。しかしそれでも勢いを殺しきれず、無明の大剣はヤツの頭上まで圧しかかった。
「ぬ――――!」
アテルイの腕が軋む。
足元の地盤も崩壊し、クレーターを作り出す。
その隙に、俺はアテルイの間合いに踏み込む!
両手が塞がっているアテルイは身動きも取れないまま《斬神》を浴びることになる――その直前。
「見事、見事なり……! だがまだ、まだ足りぬッ!」
「うそっ!?」
辛うじて姉さんと拮抗していたアテルイは思いっきり両手を奮い、さっきの苦況が嘘と言わんばかりに二本の黒い大剣をまとめて粉砕した。
「なっ!」
馬鹿な、これほどの力を隠していたのか!?
驚愕に囚われたすきに、アテルイは俺に肉薄した。
「耐えてみろ!」
咄嗟に後ずさったが既に遅かった。アテルイの《無影突き》は俺の鳩尾を捉え、そのまま吹っ飛ばした。
「がっ、あ、ぐあああ……っ!」
タイミング良く衝撃を逃がして、俺はなんとか死なずに済んだ。もし昨夜ジェイと稽古してなかったら体に風穴が空いてたかもしれない。
しかしそれでもハンマーで叩かれたような衝撃だ。
呼吸もできずに地に転ぶ俺を、アテルイが見逃すわけがない。
「っ!」
《閃空》でこっちへ駆け寄る姉さんだが、《無明》の力を使いすぎて明らかに速度が落ちている。
俺は苦しい体勢で斬撃を繰り出すが、アテルイはいとも簡単に俺の腕を掴み、そのまま握りつぶした。
「がああああ!」
「よくもフィー君を――くっ!」
疾走する姉さんの足が止まった。いや、止めざるを得なかったのだ。
アテルイは足を俺の体に置いて、いつでも俺を踏み殺せるようにしている。勿論《万象剣》も遠くに蹴り飛ばした。今の俺はただの人質になっていた。
「よくやったアテルイ。そのままにしていろ、私はレンツィア殿と少し話をする」
「アンタと話すことなんてないわ、今すぐフィー君を解放しなさい!」
姉さんの瞳は激怒の炎を燃え上がらせ、今にも噛み殺そうとゲヘナを睨む。
「何、すぐに済むさ」
「今すぐフィー君を離しなさいって言ってるのッ!」
「素晴らしい、素晴らしい姉弟愛だ。まるで昔の私とショエルを見ているようだ……しかしこれでは話をするどころではないな」
ゲヘナが目配ると、アテルイは目も留まらない速さで俺のもう一本の腕を引き抜いた。
「――――ッ!」
「フィー君!!!!!」
精一杯我慢したが、やはり苦痛を隠せなかった。
俺の苦しむ姿を見て半狂乱に陥りかけた姉さんは、わなわなと顔を俯かせ、やがてゆっくりと喋り出した。
「……いいわ、話を聞かせて」
「簡単な話だ、前も言った通り私はフィレン殿と同じ創造神と契約を交わしている。そのため創造神の欠片を集めなければならない」
「私の欠片が欲しいの? ならさっさと殺して頂戴」
「勿論レンツィア殿の欠片も後で頂くが、その前にやってもらいたいことがあるんだ」
ゲヘナは拳大の物体を取り出した。
鎖のついた銀色の香炉、に見えるそれを無造作に姉さんに投げた。
「これは?」
「魔道具、《傾城反魂香》だ。それをレンツィア殿の《魂の酷使》で起動すれば、フィレン殿の欠片を取り出すことができる」
「フィー君の欠片を!? それでフィー君は――」
「かなりの苦痛を味わうだろうが、死ぬことはない」
「創造神はそんな方法があるなんて言っていないわ」
「だろうな、何せこれは私の配下、《万能の賢者》サラシナが作ったのだ。奴は欠片の適合者じゃないが、適合者しか踏み入れない領域、例えば降霊術、重力魔術、時間魔術などに手を届かせた天才だ。欠片を取り出す魔道具を作るのも彼にとっては大した事ではなかった」
「これでフィー君の欠片を取り出したら、私はどうなるの?」
「自分自身には使えないから、死んでもらうしかないな。はっはっは、レンツィア殿が消滅したら、フィレン殿も私の気持ちを少し理解できるようになるかもしれないな、楽しみだ」
「私が死んだあと、フィー君を見逃すの?」
「ああ、勿論転生体の器の小娘は殺すがな」
「……」
「ふざけるな……!」
ゲヘナの戯言に、俺は全力で、両腕が潰された体を必死に動かせて喉から吼えだした。
こんな狂人のせいで姉さんとルナを失ってたまるか!
「姉さん、あんな戯言聞く必要はない!」
「……」
「姉さん!」
「無理もないさフィレン殿。人にとって最愛の人を失うのはとてもとても耐えられないのだ。どんなことをしても、何を犠牲にしても、愛する者のためなら躊躇う必要はない。そうだろ、レンツィア殿?」
「……」
姉さんは俯いて、前髪で顔を隠す。
動揺を表しているように、黒い髪が小刻みに震えている。
「さて、返答を聞こうか」
「フィー君……ごめんね」
小さく呟いて、姉さんは小さな香炉――《傾城反魂香》を手に取った。
「姉さん!」
「……なんて、ね」
姉さんは――香炉を砕いた。
それと同時に《万象剣》がひとりでに飛んできた。
矢のように飛んできた《万象剣》を見て、アテルイは素早く俺の上から飛び退いた。
サッ、と《万象剣》は俺の前に突き刺さった。
「ふむ……何をしたんだフィレン殿?」
流石に意表を突かれたか、ゲヘナは低い声で問うた。
それを鼻で笑い飛ばしながら立ち上がる。
左腕は潰され、右腕は根っこから引き抜かれて今も激痛が走っている。
アテルイの周りでは治癒神術もポーションも使えないから、今の俺に腕を治す術はない。
しかし《万象剣》は俺の前に浮かんでいる、まるで見えない腕に握られているように。
「俺はネクロマンサーだからな、勿論死霊魔術だ」
「死霊魔術だと……まさか」
「《不死義肢創造》――《万魔殿》」
やがて両腕の断面から新しい腕が生えてくる。
それは生者の腕ではなく、一欠けらの筋肉も存在していない骸骨の腕である。
骨だけの両腕は一見貧相ではあるが、《万魔殿》の真髄はここからだ。
「右腕充填・アイアンスレイヤー」
骸骨の腕に負の力が集まり、俺の右腕は一瞬にして新しい形を得た。
凶悪な造形をしている刺々しい鎧、その色は漆黒。
「左腕充填・ドレッドミスト」
左腕は筋肉の代わりに不定形な霧を纏い、その色は薄い紫がかった半透明。
左右それぞれ形も大きさも異なっているが、共通しているのはどっちも禍々しい気配を放つ死者の腕であることだ。
ゲヘナは目をすっと細めて、驚きの声を漏らした。
「《不死義肢》、だと……!?」




