202 不死の姉とネクロマンサー
「裏切ったのか、バアルさん……でも、一体何故……?」
俺のつぶやきを拾ったのか、バアルさんは遠くから俺を見つめる。
彼はいつものように暢気に――それこそ俺に《斬神》を教えた時のように親切に――笑いを零し、こう答えた。
「それは愚問というものだよフィレン殿。私が、《災いの御子》だからさ」
長い黒髪を後ろで束ねて、白い鎧を纏うバアルさん――《災いの御子》と名乗った男が徐にと近づく。
その後ろにいるのは援軍であるはずだった死者の軍勢。
八葉会を始め、マエステラ教会が遣わした魔術師部隊、その数は約千人。
闘士団と呼ばれるタイラノース教会が保有する武装集団、その数も千人。
そしてミーロ教会の第三と第四騎士団も合わせて、約五千人の援軍こそが迎撃軍の頼みの綱だった。
一万の超大型アンデッドに対し、例え勝てないと最初から分かっていても、援軍が来れば多くの人員を撤退させることができる、それが後の反攻の礎になると信じている。
それが、粉々と音を立てて砕かれたのだ。
「ああ、そうだ。一つ教えてやろう。我々は既に王都――オルタフォートレスを落とした」
バアルは更なる爆弾を投げ落とした。
「王都を守る軍隊、それと王都にいた百万の民は既に我が糧となった。現国王ファウル十四世も例外ではない。よって、この国から貴様らに出す援軍はありえない、貴様らはもう、負けたのだ」
周りの人たちがすぐさま反論した。
「馬鹿な、王都が落ちるなんてありえねぇ!」
「アンデッドの大発生からはまだ半月もないんだぞ!」
「王国騎士団が守っているんだ、王都が簡単に落ちるもんか!」
探索者達が口々と否定する。
誰一人も王都が既に落ちたなんて思っていない、いや、信じたくないのだ。
しかしバアルはそれらを嘲笑うように。
「信じられないのも無理はないか……では紹介してやろう、王都を落とした本人をな!」
バアルは指を鳴らし、それと呼応するように、俺たちの後ろに――迎撃軍陣地の真ん中から凄まじい負の気配が現れた。
「な、なんなんだこの気配は!?」
振り返ると、さっき倒した黒炭のようなアンデッドがパリッと裂けて、花弁のように『咲いた』。
遠目でも分かるほどの巨体が扉になって、中から黒い奔流が湧き出だしている。
この光景に見覚えがあった、ブライデン町で《黒雲膏》を呑んだ兵士が死んだ時と同じだ。
「あの時と同じ、アンデッドを召喚しているのか!?」
「ブライデン町の時よりもっとおぞましい気配がするわね」
「わざわざあの黒炭のアンデッドを運んできたのはこのためか、くそ!」
この場にいるほとんどの人はプロイセンの惨劇を知らない。
それでも絶望より更にまずい何かが始まろうとしている事だけをなんとなく理解している。それでいながら、あのおぞましい気配に戦慄し、何もできずにいた。
衆人環視の中で、漆黒の花から出てきたのは――黒馬に跨る、一人の女騎士だ。
艶のある金の縦ロールに、切れ長の青い瞳。
毅然とした佇まい、端整な顔立ちに気品と華があり、由緒正しい名家のお嬢様と常勝の騎士の両面性を持ち合わせている麗人である。
だが彼女が纏う刺々しい鎧と巨大な馬上槍は悪魔を模しており、凶悪性をこれでもかと前面に出している。
彼女が乗る馬――の形をしているモンスターも全身を黒鱗で覆われ、その鬣と蹄は燃え盛る炎。
羽根こそないが、黒馬は幽霊のように虚空を足場にして宙に留まる。
女騎士はこの場にいる全員を冷ややかな目で見下ろし、澄んだ声で喋りだした。
「ご機嫌よう、当世の人間軍。私は《災いの御子》麾下の一人、スズカと申します。残念なお知らせですけれども、この国の首都は既に私の手によって攻め落とされましたわ。その証拠を、どうぞご覧に入れましょう」
スズカは馬上槍を高く掲げる。
巨大な馬上槍、その先端にあるのは――人間の生首。
それを目にした途端、リースが悲鳴に近い呻きを発した。
「あれはまさか……」
「この状況で可能性は一つしかないわね」
俺達の推測はリースの震える唇から放たれた言葉によって証明された。
「あれが、あの方が国王、ファウル十四世です」
「やはりか……リース、あいつ等が本当に王都に落としたと思うか?」
「幻術、という可能性もありますが……」
「幻術なら私とアイナさんに通じないわ」
「ええ、これだけの探索者を一度に騙し切るのは難しいでしょうし、やはり真実としか思えません」
「それじゃ、この国は本当に終わったのか……!?」
「……」
リースは唇を噛み締めて俯いた。
俺達の反応に満足したように、スズカは言葉を継いだ。
「人間軍の皆様、抵抗は無意味と知りなさい。如何に堅牢な城塞でも、万の勇士であろうと、この《天軍の槍》スズカの手にかかればバラを手折るにも等しいですわ。けれど抵抗するなとは申しません。何故なら王都の人間軍は実に良い奮戦を見せてくれました。私を前にして、三日も抵抗し続けたことは賞賛に値しますわ。彼の方達への手向けとして、その輝かしい姿をしかとこの目に焼き付けておきました。灯火消えんとして光を増す、という諺のように、貴方達も最後の輝きを見せてくださらないかしら?」
無造作に槍を一振り、王の首を落とす。スズカは心底嬉しそうに目を細めて俺達を見渡す。
「《天軍の槍》スズカ……あれがもう一人の《ラストリゾート》」
「確かミーロ教会の元聖騎士だって話だよな、まったく聖騎士には見えないが」
「同感ね。それにしても《ラストリゾート》の二人、それに《災いの御子》も揃っているなんて、絶体絶命だね」
「の割には冷静だな、姉さん」
「ふふ、お姉ちゃんだからよ。それでどうするの、フィー君?」
「勿論、逃げる」
もとから勝算のない戦いだったが、『良い負け方』の可能性もあった。
しかしそれすらも不可能になった今は、一人でも多く生き残ればマシ。
「もう防衛線を維持するのは不可能だ。幸い森が近い、いっそバラバラに逃げ出せば――」
しかし俺の言葉はバアルに遮られた。
「折角場を整えたのに、存分に楽しんでもらわないと寂しいというものだ」
バアルの足元から大きな魔術陣が浮かび上がり、その紋様は半径十メートルも及んでいる。
あの魔術陣は確か――。
「嗚呼、神に弄ばれ尚、人を信じ続ける我が愛しき君よ―――」
魔術陣が赤黒の輝きを放ち始める。
最悪の呪詛が、バアルの口から紡がれた。
「どれだけの時間が経とうと、この憤怒だけは、消えぬ! この地に呪いあれ、定めを持つものに災いあれ! 我が血よ、我が肉よ、この大地を穢すがいい、貪るがいい! 我らを裏切るものを見つけ出し、死骸を晒せ!」
「まずい、早く逃げろ!」
警告が、あまりにも遅かった。
「――故に星よ、死に絶えろ! 滅尽滅相!」
瞬間、大地が死没した。
爆ぜる漆黒の奔流が大地を飲み込み、広く、深く地中まで浸透する。
この戦場だけじゃない、平野全域と両側の川や森にまで黒の奔流は手を伸ばす。
土は砂に変わり、川は干上がり、森は枯らされる。
プロイセンで俺が使ったのを遥かに上回る規模の滅尽滅相が大地を蹂躙する。
「なんだ、何なんだこりゃ!?」
「死霊魔術か!?」
「違う、こんなの聞いたことがねぇ!」
「後退だ! 早くしろ!」
見たこともない大魔術に探索者達も軍も恐慌に陥ているが、それがまだ始まりに過ぎないと俺は知っている。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ――ッ!!!
それは地の奥底から沸き上がった死の狂騒。
蜘蛛、サソリ、百足、ウジ虫、鼠……などの小動物だけじゃなく、川魚、カメ、ザリガニ、果ては森に生息するあらゆる鳥獣までも滅尽滅相に取り込まれてアンデッドと化した。
徹底的に大地を穢し、全ての生を冒涜する最凶最悪の死霊魔術、それが滅尽滅相。
百万、いや千万単位の微小アンデッドがまるで津波のように四方八方から俺たちを取り囲んだ。
それはさながら黒の海原だ。
そして俺達は陸の孤島に取り残された生贄。
勿論こいつらの脅威はそれほど大きくもないだろうが、超大型アンデッドの相手をしながらこいつらを渡り切って逃げ果せるのは至難。
実質、迎撃軍は退路を断たれた。
「言っただろう、貴様らに万に一つでも生還はありえない、と。さあ人間どもよ、死骸を晒せえええええええ――!」
バアルの号令とともに、全てのアンデッドと二人の《ラストリゾート》が一斉に動き出した。
ここから始まったのは、絶望の潰走でしかありえない。
§
連携も隊列もなにもなくただただ死に物狂いで逃げ散る人込み、それらを容赦なく飲み込む死の奔流、その中で俺たちははぐれないようにするのが精一杯だった。
アンデッドにされた援軍に国王の死、それと未知の大魔術。探索者の戦意を粉砕するには十分過ぎる。
騎士団が辛うじて防衛線を維持していたが、アテルイとスズカの一当てで簡単に潰され、総崩れになるまでそう時間はかからなかった。
一人、また一人が倒れる。
迎撃軍の総崩れからどれくらいの時間が経ったか、俺達の周りにもう一人の生者もなく、目の前にいるのは無数のアンデッドからなる漆黒の海。
「《破山砲》!」
姉さんの一撃で恐らく数百の虫けらが吹っ飛んだ。しかしまだ何体もの超大型アンデッドが立ちふさがる。
「邪魔だ! 《斬神》――ぐわっ!」
「フィー君!」
《斬神》を放とうとした時、地中から飛び出した赤眼王蛇の体当たりを喰らって、姉さんが俺の腕を引いてくれなかったら地の底に連れて行かれたのだろう。
「まずいな、俺達だけになったせいで奴らがどんどん集まってくる」
「あっちからも来ているわよ、ほら」
姉さんが示した方角に視線を向けると、超大型アンデッドだけじゃなく、援軍だったモノ達もだんだん集まってきている。
「姉さん、全力出したらなんとかなる?」
「……どうでしょう、《無明》の力を全開したら突破口くらい作れるけど、向こうの方が足が速いわ、それに――」
その時、襲いかかろうとした大勢なアンデッドが急に動きを止めた。
今のうちに突破するかと思う矢先に、三つの影が黒の海原を割るようにやってきた。
バアル、アテルイとスズカだ。
「久しぶりだな、フィレン殿」
「……最悪だな」
二人の《ラストリゾート》を従えながら、バアルはいつものように洗練された仕草で会釈した。
アテルイは沈黙を守り、スズカは馬上からこっちを見下ろす。
喜怒哀楽がなく威圧感もほぼないアテルイとは対照的に、スズカは溢れんばかりの殺意を俺達――特に俺に向かって放っている。
「ゲヘナ様、こちらの方々とはお知り合いかしら?」
「うむ紹介しよう。フィレン殿とその姉君、そして周りにいるのは彼の仲間たちだ。フィレン殿には姉を深く愛している同志として良くしてもらっているんだ、失礼のないように」
「……畏まりました」
「バアルさん……あなたは何故!」
あまりにも気軽な、戦場とは思えない会話のせいで、俺は思わずバアルに問い質した。
「何故アンデッドに、穢土軍に与した!」
「それは異なことを。そもそもフィレン殿とて死霊魔術の使い手ではないか。むしろ今のほうがフィレン殿も親近感を覚えやすいじゃないのかい?」
「俺はアンデッドの味方じゃない、ただ姉さんを――」
「ただ、レンツィア殿を復活させたい、だろう?」
「……何故それを?」
「はっはっは、はははは……!」
バアルはさも愉快そうに肩を震わせた。
「いや失礼。私は初対面の時から、フィレン殿から自分と同じような匂いを感じてね、まさかここまで似ているとは」
「どういう意味だ?」
「ではフィレン殿の質問を答えようか。どうして私がフィレン殿の願いを知っていると。それはね、私も君と同じ願いを抱いているからだよ」
「同じ願い?」
バアルは俺を見つめて、しかしながら遠いところを見ているような目つきで言った。
「私にも姉が居た。唯一人、心から愛している姉がね。しかし彼女は死の定めから外され、永遠の眠りに就いた。彼女――《始まりの聖女》を救うために、私はかの創造神と契約を交わし、《死霊秘法》を授かってネクロマンサーになったのだ」




