200 二日目
俺は《万象剣》を抜いた。
「それでいい。なに、アテルイには及びませんが、百年も生きていない赤子に触れられるほど落ちぶれてはいませんよ」
ジェイは俺たちを見下すように笑みを浮かべた。
約二時間が過ぎ、空が茜色に染まりだした頃、俺と姉さんはようやくジェイの稽古から開放された。
「ふん、思った以上にやりますが、こんなもんでしょう」
ジェイは構えを解いた。
驚いたことに、彼の宣言通りにこの二時間に渡って俺と姉さんは一度たりとも彼に触ることができなかった。
身体能力から言えばおそらく姉さんと同程度だが、彼のフットワークは非常に上手い。挟み撃ちされることだけを徹底的に避けており、《無影突き》を始め多彩な攻撃を駆使して俺と姉さんを翻弄していた。
《無影突き》というのは構えた状態から両足同時に地を蹴り、前拳で突きを放つ技である。
これだけ言うとシンプルに聞こえるが、予備動作が殆どない分、身体能力が高い者に使われたら瞬間移動にすら見える。
戦っている内に、俺も少しずつジェイの動きに目が慣れてきたが、彼は《無影突き》に限らず、色んな技とフェイントを織り交ぜだしたから、少しでも集中が切れると攻撃を喰らい吹っ飛ばされる。
多彩な攻撃に加え、ジェイは視線誘導と体捌きを巧みに駆使し、常に俺達の死角を突くように動いている。二対一なのに、俺達はまるで無数の敵と対峙しているような状況を強いられていた。
稽古だから死霊魔術も《無明》の力も使っていないが、それでもここまで差があるとは思わなかった。
悔しいが、どうやら戦闘技術ではジェイは俺たちより数枚上手らしい。
「まさか本当に一回も触れなかったなんて」
姉さんも珍しく少し悔しそうに見える。
「貴方達も相当戦い慣れしていますが、荒が多すぎます、それが我流の限界なんですよ」
「生憎まともに教えを受けた期間が短くてな、むしろお前こそ、化け物のくせに随分と人間の技術に詳しいじゃないか」
「時間だけは腐るほどありますからねえ。僕たちは長い間《災いの御子》を屠るために鍛錬を積んできました。そのためなら人の技術を学ぶのも吝かではありません」
「だからアテルイが扱う技も知ったのか?」
「ええ、彼は《無影拳》という流派を基礎にしています。他にも数多くの格闘術について造詣があると聞いていますが、彼の戦闘スタイルは《無影拳》のそれに大きく影響されています」
「無影拳……それはどんな流派なんだ?」
「先ほど実演していた通り、フットワークを重んじ、間合いを取ることと不意を突くことに長ける流派ですよ」
「なんというか、随分と消極的な戦い方だな」
「当たり前です、アテルイは生まれつき《封滅領域》を持っている、それはつまり一切の神術もポーションも、それと強化された武器防具も使えないということですよ」
そう言われてハっとした。
なるほど、普通の暮らしならともかく、探索者としてそれは致命的だ。
神術やポーションを受けられないということは、微かな怪我でも死ぬ可能性があるし、軽い毒でも戦闘不能に陥るかもしれない。
それに強化された武器防具が使えないとなれば、外皮が硬いモンスター相手なら苦戦は避けられない。
「そうか、だから武具を使わない格闘士になったのか」
「それだけではありませんよ」
「他には?」
「彼の力はすべての魔術師にとっての脅威でした。何故なら力を展開すれば、どんな大魔術師も簡単に無力化されます。そして毒や怪我などに対して一般人より弱いため、常日頃暗殺の危険に晒されていたのです」
「だから自分を鍛えて……」
「その通り。普通の人なら数年もしない内に死ぬが、彼には類稀な肉体と格闘の才があります。暗殺されないため、毒に負けないため己の肉体を鍛えた結果、最強の戦士と呼ばれるまで登り詰めました。そのため彼は対人戦闘に極めて優れておきながら、病的なまでに慎重で傷つくのを恐れています。今朝撤退したのも貴方の剣に切られて、再生できないと気づいたからでしょう」
「なるほど、じゃ明日は後ろに隠れたまま出てこない可能性もあるということか?」
「彼の性格からすればないとは言えませんが、恐らくそれはないでしょう」
「何故そう言える?」
「明日になれば人間の援軍が来ます。勿論配下のアンデッドだけでも人間軍を押し潰せる自信はあるでしょうが、《災いの御子》がいなければ穢土軍の軍勢には限りがあります。特に今回は補充しにくい超大型アンデッドです。向こうも早めに戦争を終わらせたいでしょうから、アテルイは前線に出てくると思います」
「そうか……」
穢土軍が空間魔術で超大型アンデッドを前線に送っているのは確認済だ。
それに《穢土》に留まっている超大型アンデッドは俺達が確認できただけでも千を超えている。
しかしもし向こうの狙いは王国だけじゃなく周辺国も制圧したいのなら、ここで戦力を消耗させたくないのも頷ける。
「どの道俺たちがやれることは奴が出てきたらぶっ潰す、ということだけだな?」
「その通りです。しかし貴方達に勝てる算段がおありですか?」
「……」
俺は口を閉ざした。
正直、まったくないわけではない。
《ラストリゾート》のような強力なアンデッドに対して、一つだけ有効……かもしれない死霊魔術があるんだ。
しかしそれを行うには《滅尽滅相》より更に大掛かりな魔術陣が必要で、とてもじゃないが人前でできるものじゃない。
それに、ジェイに対しても切り札に成り得るからここで晒すつもりはない。
「ふっ。どうやら期待は出来そうですね、では先に行きます、遅れないでくださいね」
ジェイは戦鎚を背負い、俺達に背を向けた。
薄明るい光の中で、線の細い体が朧のように消えた。
陣地のほうから鐘の音が響き渡す。
召集の鐘だ。
§
俺たちが陣地に戻ったのは日が東の空に昇ろうとしている頃だ。
丁度その時、一羽のアルバトロスが空から降りてきた。レキシントン先生の使い魔だ。
先生から託された五つの天秤をアルバトロスに縛り付けて、上空へと放った。
これで先生からの頼み事は完了と、俺たちは前線に向かう。
一夜を経て、迎撃軍はかなりの死傷を出している。
夜になると力が増しているアンデッドと違って、人間は夜戦に向いていない。
だから夜の間、探索者も騎士達も陣地に籠ってひたすらに敵の攻撃を耐えていた。しかしそれでもアンデッドの攻勢に耐えきれず何度も侵入を許し、その度に防衛戦を再構築しているが多くの死者を出していた。
それに一昼夜の戦いで全員の疲労がピークになろうとしている。
スタミナを回復する神術もあるが、それが全員に行き渡れるわけもないから、ほとんどの人は体に鞭を入れて戦っている。
壊滅はもう目の前に来ているかもしれない。それは駐屯地にいる一人一人の目を見れば自ずとわかることだ。
だがまだ希望はある。
「探索者及び騎士達、それ王国軍の者達よ!」
ヴァレリア閣下が陣地の前方に来ていた。
「我々は苦しい戦いを耐えてきた。だがそれも今日までだ!」
馬上で拳を手に突き出し、ヴァレリア閣下は良く通る声で叫んだ。
「太陽神ミーロ教会、それから魔法と神秘の神マエステラ教会、戦と勇気の神タイラノース教会の援軍がまもなく到着すると報告が来ている!万にも超えた凄腕達がもうすぐこの場に駆けつけ、我々と一緒に戦ってくれるぞ!更には王直属の騎士団からの援軍も来ている!
諸君、もう少しだ!あと僅かで我々はこの戦争を勝利に導き、肥溜めのような化け物をぶちのめす、愛する人々を守れるのだ!
将来、人々は諸君の事を覚えるのだろう、誰よりも早く化け物共に立ち向かい、人間の勝利の礎を作り出す英雄の事を!諸君のような素晴らしい英雄を率いて戦えたことを私は誇りに思っている!」
軍勢が鬨の声を上げる。
雷鳴の如く轟く声はこの場に居る全員の疲労を吹き飛ばす……とまでは行かないだろうが、さっきまで疲れ切った顔に少しだけ気力が入ったように見えた。
「突撃ぃぃぃぃぃぃ!」
「ぶっ潰してやりゃあああああああ!」
探索者達が再び穢土軍に突撃を敢行した。
敵を少しでも多く減らせ、この防衛線を援軍到着まで守りきるために。
「俺達も行こう――」
「《フィレンツィア》」
「ん?」
振り返ると、そこにはレグルスと《ライオンハート》の人達が居た。
てっきり真っ先に飛び出したと思ったのに。
よく見ればレグルスはいつもの動きやすい鎖帷子じゃなく、黒くて重そうなフルプレートを着ている。一体どうしたんだ?
「《フィレンツィア》、昨日の戦いで分かった、あの化け物に対して俺の力では歯が立たなかった」
レグルスは口一杯の苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「悔しいが、あの化け物は他の攻撃を捌いたり避けたりしたのに、俺の剣だけをそのまま体で受けた。俺がいくら斬っても傷つかないと分かったからだ……くそっ」
「レグルス」
「慰めはいらねぇ、これは俺自身の問題だ。で、敵の大将を抑える部隊にいるのに、このままじゃ俺が役立たずになっちまうから、お前らに提案がある」
「提案?」
「もしまたアテルイの奴と戦うようになったら、俺は壁に徹する」
「壁に徹するって」
「攻撃を一手に受けるってことさ。これでもタフさには自信があるんだ、それにこの鎧は特別製だ、重い、厚い、硬いの三拍子を揃ってる。強化がなくても奴の攻撃を耐えて見せるぜ」
レグルスなりに《封滅領域》の対策を考えていたという事か。
いずれ一人で蛇龍を倒すと豪語し、初対面で俺と姉さん二人同時を相手にすると、レグルスは凄まじくポジティブな思考の持ち主であり、自信家でもある。
それなのに自分の攻撃では歯が立たないと認め、攻撃を捨てて壁に徹すると言ったのは素直に感心する。
「なるほど、でもあいつの動きは速いぞ、そんなフルプレート着てついていけるのか?」
「あいつに付いていける必要はねぇ、お前について行けばいいんだ」
「俺に?」
「ああ、俺にはよく分からないが、お前ならあいつを斬れるんだろう? じゃお前への攻撃は全部俺が食い止めるから遠慮なく斬れ」
どうやらレグルスは俺が《斬神》でアテルイを斬ったところを見たようだ。
「フィレン殿、このアホの言う事を聞いてやれぬか?」
「マルグリットさん」
「この虚けの言う通り、情けないことじゃが現在儂らにあの銀色の巨人に通用する手段がないのじゃ。特に儂らは前衛をこの馬鹿に任せっきりじゃから、アレに近付けば呪文が無効化されて戦えぬのじゃ。儂らができる事と言えば、お主達が存分に戦えるように場を整く事じゃ」
「……分かった、じゃもしアイツがまた出てきたら、頼む」
俺が頷くと、レグルスは拳を打ち合わせ、バッと小気味良い音がした。
「おうよ! そうこなくちゃ!」
「うむ、ではよろしく頼むのじゃ」
《ライオンハート》の面々と俺たちが他の探索者達について穢土軍に突入しようとした時――。
重い風切り音が上空から聞こえた。
それも一つだけじゃない。
「フィー君、上を見て!」
見上げると、死骸蒐集者と首なし騎士、赤眼王蛇と何体ものアンデッドが空を飛んでいる。
「馬鹿な、なんで飛んでいる、魔術か!?」
「フィレンさん、後ろにあの紫色のがいるの!」
目を凝らしてみれば、アンデッドの後ろには紫の帯が付いている。
まるで操り人形のように、巨大な化け物が次々と空を横切る。
あれはもしかして、餓龍の骨を操っていた紫の霧――ドレッドミストなのか!?
「まさかあいつ、超大型アンデッドを運んでいるのか、空から……!?」
「何体も一斉に飛ばすなんて、とんでもない念動力だね」
愕然しているうちに、超大型アンデッドが轟音を立てて陣地の後方に落ちた。
それは着陸とも言えないほど雑で、ただ投げつけられたようなものだった。
着地したアンデッドは即座に身を起こし、周りの兵士に襲い掛かった。
「あそこは……第二陣地か!」
「まずいのじゃ、あっちには一般兵士と攻城兵器しかおらん!」
「マル婆、グズる暇がねぇ、助けに行くぞ!」
「私達も行きましょう、フィー君。あの数じゃすぐに片付けないと被害が大きくなるわ」
「ああ!」
俺達と《ライオンハート》は全速で第二陣地に向かった。




