198 夜襲
影から一本の腕が出てきた。やがて腕だけじゃなく、肩、首、頭そして体、終いには一体の《死骸蒐集者》が影から這い出した。
「やはりレキシントン先生の予測通り、あの影はある種の空間魔術、そして穢土軍はあれを使って《穢土》から戦力を補充しているのだ」
空間魔術とは、世界と世界を繋ぐ魔術。
我々が暮らしている主世界は幾つかの世界と隣り合わせ、もしくは重ね合っている。たとえばアンデッドが跋扈する負の世界、その逆である正の世界、悪魔が暮らすアビス、神々がおわす神域も一つの世界である。
その中には《星辰界》と呼ばれる世界がある。
俺もよくわからないが、どうやら「あらゆる長さ、大きさ、距離が意味をなしえない世界」のようだ。
空間魔術の使い手はこの星辰界を通じて遠方に一瞬で転移することも、無限の荷物を収納することも可能らしい。
らしい、というのは現在空間魔術の使い手が存在していないからだ。
古より残された技術として、今も空間魔術を用いた魔道具が存在している、それが便利袋と転送門だ。
しかしそれはあくまでも現存の物を複製しているにすぎない。空間魔術を真に理解している者がいない以上、改良も発展もありえない。
だが今、俺達の目の前に空間魔術としか思えない現象があった。
質量のない影からおぞましいアンデッドがゆっくりと這い出てきた。
それは極めて緩慢であり、おおよそ数十分一体のペースで出現しているが、それでも超大型アンデッドの数が確実に増えているのだ。
「レキシントン先生の予想通りだね」
「ああ、穢土軍が空間魔術で兵力を転移させているって聞いた時は信じられなかったが、まさか本当だったとはな」
「そんな、それじゃ……いくら倒しても無駄なの?」
「そうでもないわよルナちゃん」
姉さんはポンと手をルナの頭に置いた。
「この転移装置の速度を見ると、たぶん一晩掛けても多くて10~20体くらいしか転移できない。つまりそれ以上のペースで削ればいいってことよ」
「ああ、それにこの転移装置を解析できれば、破壊ないし逆に利用することもできるかもしれない。俺たちはそのために調査しにきたんだろう?」
「う、うん……」
「じゃさっそく始めようか」
俺はレキシントン先生から渡された器材一式を取り出した。
それは金属のチェーンで繋がっている五つの天秤。天秤の両側にはクリスタルを載せており、計10個のクリスタルはそれぞれの大きさも色も違うが、それでも天秤は何故かバランスを保っている。
俺は慎重に影に近づいて、天秤を地面に置いた。
すると、幾つかのクリスタルが微かに輝き出して、天秤もそれぞれ異なる方向に傾いた。
「これでいいよな?」
「ええ、レキシントン先生はこのまま天秤を持ち帰ればいいって言ったものね」
「持ち上げても傾いてるままだ……一体何の魔道具なんだろう?」
「さあ。とりあえずこれで調査は終わったね」
天秤を回収して、あとは出来れば敵の戦力を削りたいところだが……。
スーチンは突如にルナの体から浮かび上がった。
『フィレンさん』
「どうしたスーチン。敵に見つかったか?」
『右前方から……こちらへ一直線に向かってくる大きな魂がいます……』
「距離は?」
『約一キロ……でも足はかなり早いです』
スーチンの警告に俺は素早く思索を走らせた。
昼の戦闘、そして今まで観察してきた感じを言えば、穢土軍は普通のアンデッドのように無秩序ではないが、それでも人間の軍隊と比べるほど規律的でもない。
隊列を組んで移動することはできるが、戦闘に入ったら各々の力を振りかざすだけで連携とは程遠い。だから簡単に釣れられて《熾天使の玉座》に陥ったのだ。
そして現在俺たちがいるのは穢土軍の後方。なのに前線からこっちに移動するアンデッドがいるってのはかなり不自然だ。
まるでこっちに敵がいると確信したように。
「仕方ない、撤退しよう。スーチンは引き続き索敵を」
『分かりました』
姉さんを先頭に、俺達は超大型アンデッドの隙間を縫って来た道を辿る。
しかし相手も簡単に俺たちを逃す気はないようだ。
『フィレンさん、向こうが更に速くなりました、このままじゃ追いつかれます!』
「チッ、やはり俺たちに向かっているのか」
俺は多数上級不死召喚で適当に数体のアンデッドを放り出した。
すると周りの超大型アンデッドがすぐにそれらに気づき、我先に襲いかかる。蜜に群がる蟻のように集まっている巨大な化け物どもはまるでバリケードのように俺達の後方を遮った。
「これで少し時間を稼げるだろう……!」
と思ったその時。
まるで暴雨のようなガラガラと止まない騒音が響き渡り、俺たちの後方から膨大な数の白い何かが一斉に飛んできた。
「なんだこれ、骨!?」
大量の骨が滝のように俺たちの前方に降り注ぐ、やがて意思があるように形を作り、一体の龍となった。
GURAAAAAAAAAAAAOOOOOO――――!
一体どうやって声を発するのか。
全長三十メートル程もある骨の巨竜――餓龍のスカルドラゴンが咆哮を上げた。
「くそ、よりによってこいつか!」
俺は思わず悪態をついた。
アンデッドと化した餓龍は大量の骨で構成された生前と同じくらいの巨体を持っているだけじゃなく、全身に禍々しい紫の霧を纏わせている。明らかに普通のスカルドラゴンとは一線を画している存在だ。
確かにこいつはできるだけ早めに仕留めたいと思っているが、夜で、しかも敵陣の真ん中で遭遇したくなかったぞ。
骨の龍が俺たちの前に出現するなり、即座に尻尾を横薙ぎに払ってきた。
パリーン、と偽装要塞が粉々と砕かれた。
「皆下がって、《月颪》!」
姉さんは真っ先に飛び出して、《無明》の大剣を振り下ろした。
黒銀の大剣は凄まじい風を巻き起こし、餓龍のスカルドラゴンを押しつぶした――と思いきや、散らばった大量の骨が再び集まり、元通りになった。
「《森羅万象》!」
「《蠅声》!」
俺とルナもそれぞれ餓龍に斬りかかるが、骨ばかりの餓龍にそもそも攻撃できる場所が少ない上に、切断してもすぐ元に戻るから手応えが全くないのだ。
「くそ、普通のスカルドラゴンよりもしぶといぞ!」
餓龍は前足と尻尾を繰り出し、瞬く間に地面に幾つかの裂け目を作った。
さすがにドラゴンブレスは使えないようだが、骨格だけとなった餓龍は生前よりも素早く、力強くなっている。そして生物ならではの制限が外され、その動きを予測するのが一層難しくなった。
「フィー君、囲まれてるよ!」
まずい、周りのアンデッドがこっちに集まってきた。
サザァ……の音とともに、二体の屠殺者が近寄る。
黒い煙のような形をしている屠殺者は夜ではまともに視認できない。
もし完全に包囲されたら脱出は不可能だ。
今直ぐこの骨の龍をなんとかしないと。
「多数最上級不死召喚!」
十体の襤褸を纏う子供が現れた。
蒼白の肌にボサボサの髪。まるで悪趣味の人形のように不気味な笑みを浮かべているアンデッドはボンバーチルドレンの上位種、イビルボマー。
ボンバーチルドレンに似ているが、イビルボマーは常に空虚の眼窩から止め処なく血を流しているから一層不気味である。
上位種であるイビルボマーは視認できればどんな所でも爆発を起こし、そして自身が潰されたらボンバーチルドレン数十体並の大爆発を引き起こせる極めて攻撃的なアンデッドである。
《輝光龍の封印領域》でこいつと戦った時は大いに手を焼かされた。もしこいつが単身ではなく、前衛を務めるアンデッドと一緒に出てきたら負けてたのかもしれない。
「イビルボマー、奴を吹っ飛ばせ!」
ドッカーン。
大輪の火花が月の無い夜空を照らしあげる。
十体のイビルボマーが引き起こした爆発は餓龍の骨をバラバラと吹き飛ばした。
「今だ、リース!」
「偽装要塞!」
リースが隠匿の神術を張り直し、俺達はアンデッドの群れを突っ切る。
それでも追ってくるアンデッドがいるが、囮としてその場に置き去りにされた十体のイビルボマーは次々と爆発を引き起こし、煙幕と土砂で俺たちの姿を隠した。
そしてイビルボマー達が潰され、天にも突くような火柱を作り出した頃、俺達はもう穢土軍から脱したのだった。
§
俺達は一旦森に向かうことにした。
アンデッドを連れて陣地に戻ったら洒落になれないから、超大型アンデッドでは入れない森で追手を完全に撒くつもり――だったのだが、やはりそう上手く行かなさそうだ。
「フィー君、空から来るわよ!」
見上げると、そこには骨の暴風があった。
紫の霧を纏い、無数の骨が蜂の群れのように飛翔して、俺たちの目の前に再び巨大の龍を形作った。
「しつこいな奴だな!」
「危ない!」
姉さんはアイナとリースの前に飛び出し、餓龍の爪の一振りを受け止めた。姉さんの足元にある地面が衝撃に耐えきれず粉砕し、クレーターを作り出す。
「くっ……前より力強いね!」
俺とルナはその前足を切り落としたが、当然のように元に戻った。
餓龍は尻尾を横に薙ぎ振るう、数本の巨木と俺たちをまとめて吹き飛ばした。
「どうしようフィー君、これじゃ振り切れないのよ!」
「丁度いい、ここで仕留める!」
「どうやって!?」
「今考える!」
言ってるそばから、餓龍は尻尾を縦に振らせ叩きつけた。
姉さんはアイナとリースを下がらせ、俺はすれ違いさまに尻尾を斬り飛ばしたが効果はなかった。
「アイナ、《魂魄燼滅》で傷つけたアンデッドは再生できないじゃなかったのか?」
「恐らくですが、これは再生ではなく元の形を再構築しているだけと思います」
「ならばどうすればいい!?」
「構築できないほど破壊すればいいと思いますが、相手が大きすぎます!」
「リース、《烈陽天墜》はいけるか!」
「夜ですから、時間がかかりますけど、やってみます!」
餓龍は頭部をハンマーのように俺たち目掛けて振り下ろす。
轟音とともに、森に空き地が出来てしまった。
なんの工夫もなく、ただ自身の質量を叩き込んだ一撃は、ただそれだけで只人では決して防げない暴力と化している。
『フィレンさん!』
「スーチン?」
『あの龍の魂が変なんです……体のどこにもいなくて、代わりにあの紫の霧の中にいます』
「あの霧に餓龍の魂が?」
目を凝らして霧を見つめる。
めらめらと、餓龍が纏う紫の霧は炎のように妖しくうねる。
しかしよく見てみれば、霧は餓龍全体にではなく、手足と躯幹の一部を纏わりついており、まるで布のように餓龍につられて動いている。
いや、まさか実は逆で――
「もしかして、あの霧が餓龍を動かせているのか?」
俺は《万象剣》の強化を実体のない敵にもダメージを与えられる《幽霊殺し》に変えた。
「はあああ――!」
餓龍の爪牙を躱しながら、霧に斬りつける。
餓龍の右前足が纏う紫の霧が引き裂かれ、僅かだがよろめいた。
次の瞬間、霧の中から数十の金色の瞳が同時に現れた。
「魔眼!?」
「フィレンさん危ない! 高等魔呪撃滅!」
リースが咄嗟に放った神術と数十の魔眼が放った呪いが相殺した。もしあれが俺に直撃したら、即死していたかもしれない。
「助かったよリース」
「いいえ、それよりあの霧が本体のようですね」
「ああ、あの魔眼から見れば奴は恐らくファントムの上位種……ドレッドミストだろう」
人型の精神体アンデッドであるファントムと違って、上位種のドレッドミストは不定形な霧のような姿をしている。
その力はファントムを遥かに凌ぐほどの念動力と様々な効果を持つ魔眼。
魔眼が効かないと知り、ドレッドミストは餓龍だけじゃなく、周りの木々も操って俺たちにぶつけてくる。
「《月颪》!」
姉さんは《無明》の大剣を一振り、餓龍の前足と飛来する木々を纏めて薙ぎ払った。
その隙に、俺は大きく跳びあげて餓龍の頭部に乗って、《森羅万象》で纏わりつく霧を一気に斬り払った。
全長三十メートル以上の骨格は糸が切れた人形のように崩れ、バラバラと騒音を起こしながら地に落ちた。
餓龍から離れたドレッドミストはそれでも形を変え俺に憑りつこうとするが。
「聖なる炎!」
眩い白光が爆ぜた。
白い炎に焼かれて、紫の霧は堪えたように激しく揺らぎながら空へと上昇。
「逃がすか、《斬神》!」
《斬神》の衝撃波が霧を両断。
最初の時と比べて、ドレッドミストはかなり削られて色もだいぶ薄くなっているが、それでもゆっくりと上昇し、夜空に消え去った。
「ちっ、逃がしたか……」
「今のうちに引きましょう、用事は済んだし」
「そうだな」
俺たちは追ってくるアンデッドがもういないと再三確認して、大きく迂回して迎撃軍の陣地に戻った。




