197 夜にまぎれて
俺は勢いよく立ち上がり、ポンポンと尻についた埃を払った。
「そろそろ夜だし、もう一度前線に出ようか。レキシントン先生に頼まれた事も調べなくちゃいけないしね」
夜の出撃の許可を得るために、俺たちはヴァレリア閣下を訪ねて軍議用のテントを訪ねた。
当然ながら、穢土軍の攻勢は夜になっても止まることはない、むしろ一層激しさを増している。だが生身の人間はアンデッドのようにずっと戦ってはいられないから、交代で戦わなければいけない。
しかし人手が限られている以上、全員が十分な休憩を取ることは不可能である。だから昼に戦った騎士や探索者の一部は今や疲れた身体にムチ入れて必死に戦っている。その負担を少しでも減らそうと、俺たちは二度目の出撃を志願した。
何せこっちのメンバーはほとんど疲れ知らずのアンデッドで、俺一人分の疲労ならリースの神術でなんとかできるから一日くらいずっと戦っても支障はない。
それに、レキシントン先生から夜でしか調べられない事を頼まれたからな。
暫くしたら、ヴァレリア閣下がテントから出てきた。
もう見慣れた眉間の皺が更に深くなった気がする。
「ヴァレリア閣下」
「ん……《フィレンツィア》か。アテルイを抑えてくれてご苦労だった。今のうちに休むがいい、それとも何か用か?」
「それについてだが、夜のうちに俺たちはもう一度出撃したい」
「……それは助かるが、いいのか?」
「大丈夫、俺の仲間たちは皆タフなんだから」
「それは頼もしいな。よろしい、許可しよう。だがくれぐれも無理はするな、アテルイを抑えられるのは君達だけだからな」
「あれは……抑えたと言えるのかな」
「無論だ。理由は不明だが、前線から引いてくれたから十分だ。お蔭である程度敵の戦力を削れた……喪った味方のほうが多いが」
「やはりそうなのか、こちらの損害は?」
ヴァレリア閣下は周りに人がいないのを確認してから答えた。
「こちらの損害は一割強だ。単純に割合で比べると向こうの倍以上だ。まったく忌々しい化け物どもが」
「そんなに……」
吐き捨てるように言ったヴァレリア閣下。
さもありなん。いくら最初から勝てない戦争だと分かっているにしても、たった数時間の戦闘でこれだけの戦力の差を見せつけられたら、愚痴の一つや二つも吐きたくなる。
そう、この戦争は最初から勝てないのを前提にしているのだ。
この戦場の後方、ラカーン市を含めたラッケン州の南半部、更に周囲各州も大規模の撤退作戦が火急に行われている。
穢土軍の来襲はあまりにも突如で、しかも王国のほぼ真ん中に出現したせいで、今までほとんど組織的な抵抗ができず、対応が後手後手になっている。このままじゃ各個撃破されるのは目に見えている。そこで一旦奴らを食い止め、人員と資材を後方に下がらせ、来るべきであろう反撃作戦に備えべきなのは上層部の共通見解らしい。
だが不運なことに、ラッケン州に要害と言える場所がない。
イーストン要塞のような陸路と水路両方を抑えられる場所がない以上、いくら籠城しても、穢土軍に素通りされる可能性が大きい。だから苦肉の策としてたとえ勝てないと分かっていてもこっちから穢土軍を襲撃し、足止めをしなければならない。
しかし撤退作戦は一朝一夕に出来ることではない 。最低限の人員と資材を下がらせるには少なくとも後丸二日が必要だ。
「後二日、持ちこたえられるのか?」
初日の昼間だけで死傷が一割を越えている。単純計算でも今夜で三割近く、明日の昼で四割を越えることになる。
軍に疎い俺でもそれが壊滅に等しいだと分かる。
「さあな、できることをするまでだ。だが悪い事ばかりじゃないぞ。明日の昼、バアル殿が第三と第四の太陽神騎士団を連れて到着するはずだ」
「おお、バアルさんか!」
居ないかと思ったら援軍を呼びに行ったのか。
「二つの騎士団を合わせても三千人程だが、いずれも対アンデッドのエキスパートで、この戦いにおいて凄腕の探索者並の働きを期待していい。彼らがいれば大分戦いやすくなる。それにバアル殿ならアテルイ相手でも善戦してくれるだろう」
「確かに、餓龍の時も一歩も引けず戦っていたしな」
それこそ今まで見たことがないくらい圧倒的に強かった。
単純に剣の腕もそうなんだが、バアルさんは筋力も魔力も反応速度もずば抜けている。《斬神》をほぼものにしている今の俺でも、あの時バアルさんが見せてくれた木刀の《斬神》に勝てるイメージが浮かばない。
「正直に言えば、あの男は総騎士団長も凌ぐ腕だからな。昇進の話も一度や二度ではないのにそれを全部突っ撥ねた」
「総騎士団長って、全部の騎士団長を束ねた人なのか?」
「ああ、王国だけじゃなく、大陸全土にいる二十八の太陽神騎士団の頂点と言っていいだろう。聖騎士にとってはこの上ない誉れなのに、面倒事が嫌いって何度も断った」
「自由な人なんだね……」
「そのくせによく私と一緒に王国の厄介事に頭を突っ込んだんだからよく分からない男だ」
そう言って、ヴァレリア閣下は僅かだけ口元を緩ませた。
どうやら二人はかなり長い付き合いらしい。
「さて、私はこれから第二陣地を見ていかなくてはならない。前線のことはよろしく頼むぞ。ここを凌げば、ミーロ騎士団だけじゃなくマエステラ教会とタイラノース教会、そして王国からの援軍も反撃作戦に加わるはずだ。王領を守る第二から第五騎士団と王直属の第一騎士団はいずれも精鋭揃い、王国の民をアンデッドどもの好きにはさせん」
「ああ、俺達もできるだけのことをしよう」
§
ヴァレリア閣下を見送った後、俺たちは再び前線に――ではなく、夜の闇に紛れて大きく迂回して穢土軍の側面に向かった。
丁度新月だ。人目を気にする必要がない。
「生者探索……よし、このへんで戦っている探索者はいないな」
「夜だしここまで深入りするのは危険だからね」
「スーチン、アテルイは今どこにいる?」
『うん……こことは反対側の後方だと思います。道術が完全に弾かれちゃいますから……逆に分かりやすいです』
「今はあいつと当たりたくないから好都合だな、もしあいつが動いたら教えてくれ」
『はい』
「さて、多数上級不死召喚、多数上級不死召喚、多数上級不死召喚……」
俺は百体ほどのサンドミイラを召喚した。そして。
「多数最上級不死召喚」
続いて召喚されたのは、十体の大型アンデッド。
サンドミイラと同じ鉄砂の巨人だが、その頭部が物々しい騎士兜の形になっており、両手には煌めく鉤爪がついている。更に体の中心には心臓のような赤い宝石が禍々しく輝く。
サンドミイラよりも一回り大きな、七メートルも及ぶ巨躯は立っているだけで強い威圧感を放っている。
これはアイアンスレイヤーと呼ばれて、《輝光龍の封印領域》で俺達が遭遇したサンドミイラの上位種である。
レキシントン先生から聞いた話だと、どうやら《輝光龍の封印領域》に閉じ込められたアンデッドはいずれも通常より強力な上位種らしい。アイアンスレイヤーを始め、他にもファントムやボンバーチルドレン、それとクリムゾンレイの上位種も存在している。
先生からそれらに関しての知識を教わった今では、呼び出すこともできる。
アイアンスレイヤーは下位種であるサンドミイラと比べて、ただ体が大きいだけじゃなく行動も俊敏で、体の一部を《万象剣》を弾くほど硬化させることもできるから攻防ともにサンドミイラを大きく凌ぐ。
「後は……多数屍僕強化」
ぐぐぐっと、百体余りのアンデッドの目に妖しい光が灯し、体格も威圧感も一層膨れ上がった。
「アイアンスレイヤー、これらアンデッドを率いてあの中に暴れてこい」
俺は一時的に召喚されたアンデッドの指揮権を一体のアイアンスレイヤーに委ねた。
上位種であるアイアンスレイヤーは人並みの知恵を持っている。
そして不死召喚に限らず、召喚魔術に呼び出された存在は基本的に術者の命令しか聞かないけど、こうやって一時的に指揮権を預けることもできる。
アイアンスレイヤーはこくりと頷き、アンデッドの部隊を率いて穢土軍に向かった。
「リース、ルナ、頼む」
「祈りを捧げる、我らにひと時の安息と守りとなる壁を――《偽装要塞》」
「静寂の壁よ秘密の守り手となれ、《沈黙》」
ドーム状の壁がうすらと俺たちの周りに浮かび上がった。これで余程のことがない限り、外から察知されることはない。
さらに《死の化粧》を掛けて、俺たちはアンデッド部隊の最後尾を追うようについて行った。
§
喧しい足音とともに、アイアンスレイヤーが率いるアンデッド部隊が穢土軍に突入する。
サンドミイラとアイアンスレイヤーの混成部隊は普通なら巨人の軍勢と言ってもいいのだが、15メートル超えのアンデッドがひしめく穢土軍の中ではそれでも小柄に見える。
特に《死骸蒐集者》はアイアンスレイヤーのタックルを受けてもよろめく程度で、大したダメージにならない。
これは少し手助けしないと、そもそも陽動にもなれないかもしれないな。
「姉さん」
「あいよ――《月颪》!」
《死骸蒐集者》の身丈をも超えた黒の大剣が振り下ろされ、一体のアンデッドを斬り――押し潰した。
それだけに留まらず、姉さんは《無明》の力で作り出した大剣を撫でるように横薙ぎに振るった。
数体の《死骸蒐集者》からなる重厚な肉壁はそれだけで崩された。
アンデッド部隊が穢土軍に雪崩れ込む。
十体のアイアンスレイヤーが先頭をひた走り、全身の刃で道を切り拓く。
さすが知恵を持つ上位種だけあって、俺の命令をしっかりと理解した上で善戦してくれる。
しかしそれだけだ。数も質も負けているアンデッド部隊は次々と倒され、一分もしないうちに半数以下になった。
そしてついに十体のアイオンスレイヤーも倒され、轟然たる音を立てて崩れ落ちた。
その時、《偽装要塞》で身を隠している俺たちは既に乱戦から脱した。
今回の目標はレキシントン先生に頼まれたことの調査、そしてついでにある程度敵の戦力を削ることだ。
プロイセン軍の駐屯地を襲った時、俺は召喚されたアンデッド部隊と滅尽滅相を陽動に用いて、姉さんと一緒にコーデリア大尉を討った。あのような戦果を今回は望めない。
まず滅尽滅相は今回の場合じゃ使えないし、そして何より一万の超大型アンデッドと一万のプロイセン兵の間には大きすぎる戦力差が横たわっている。
いくら上位種がいようと、百程度のアンデッドなど、砂漠にぶちまけた一杯の水のように即座に潰されるのは目に見えている。
だから俺達はリースの神術で身を隠して、捨て駒のアンデッド部隊に混じって穢土軍に強襲を仕掛ける。派手に暴れ回すアンデッド部隊が倒されていく間に、俺達は人――アンデッド知れずに侵入を果たした。
§
秘匿と防御を兼ねている神術、《偽装要塞》。
アンデッドに偽る死霊魔術、《死の化粧》。
そして音を遮断する魔術、《沈黙》。
この三つの魔術があれば大体のアンデッドに察知されないのは穢土で実証済みだが、それでも油断できない。
《偽装要塞》を見破るには幾つかの手段もある。例えば上位魔術の《真実の魔眼》、もしくは一部のモンスターが持つ特異の嗅覚か振動感知。
敵の全貌を知らない以上、用心に越したことはない。
巨木のように林立しているアンデッドが溢れ返る土地を、俺たちは小心翼翼として進む。
そして約一時間後、俺たちは今回の目標、穢土軍の中心に辿り着いた。
そこにあるのは、地面に突き刺さる漆黒の杭と、それを中心に生き物のように広がる影。
月の無い暗闇でもはっきりと視認できる影が侵食するようにゆっくりと拡大している。
「《穢土》で見た影と同じ、ですね」
俺は頷いてアイナに同意した。
「ああ、だが違う部分もある、ほら」
影から一本の腕が出てきた。やがて腕だけじゃなく、肩、首、頭そして体、終いには一体の《死骸蒐集者》が影から這い出した。
「やはりレキシントン先生の予測通り、あの影はある種の空間魔術、そして穢土軍はあれを使って《穢土》から戦力を補充しているのだ」




