194 穢土軍迎撃(二)
「それでも崩されるのは時間の問題でしょうね」
姉さんは形のいい眉を顰め、決して明るくない予想を口にした。
その時後方から再度鐘の音が鳴り響いた。それは、後退の合図だ。
後退を告げる鐘が風に乗って戦場に響き渡る。
敵陣に突入していた探索者達が次々と引き上げ、防衛線を維持している騎士団もじりじりと敵の猛攻を耐えながら後退し始めている。
軍の指揮において、後退するのが一番難しいと聞いたことがある。
何故なら自軍が後退することは多くの場合、劣勢を意味する。勝てないから後退していると思われたら士気が下がる、その考えが一旦伝染始まったら最後だ。誰も逃げ遅れになりたくないから最悪潰走もあり得る。
しかし騎士団の人たちは怯える様子もなく整然と後退している。その原因は練度の高さでもあるが、何よりこれは事前に通達されていた戦術の一部なのだ。
§
暫くしたら《ライオンハート》が防衛線の向こうから帰ってきた。
さすが凄腕揃いのパーティだけあって全員余裕そうに見える。レグルスも全身小さな傷だらけだがまったく気にしていないようだ。
「よう、俺たちは11体も倒したんだぜ、そっちはどうだ?」
「いちいち数えてないな」
「ちっ、つまらん」
「それよりちゃんと戻ってくるのは驚きだな、てっきり作戦を忘れると思った」
「馬鹿にすんな、一時撤退を見せて敵を引き寄せるって耳にタコができるほど聞かされたんだから一応覚えているぞ」
「一応なんだ……」
「抜かせ、儂が言うまでにすっかり忘れておったのではないか」
マルグリットさんが呆れたように言う。
その時、ジェイも戻ってきた。
酷い状態である。
戦鎚を含め、全身がアンデッドの肉片と体液まみれになっている。一体その戦鎚で何体のアンデッドを殴殺したらそうなっているのだと聞きたくなる惨状であったが、本人は満足しているようだった。
流石のレグルスも呆れたようで声をかけた。
「おい大丈夫か、ジェイ? 飛ばしすぎたら持たねぇぞ」
「問題ありませんよ、ええ、何も」
いつものように物静かな物腰でそう答えた。
戦闘に入ったら狂人のように甲高い奇声と哄笑を発している人とは思えないが、その体についている夥しい血肉がそれが真実だと語っている。
レグルスと俺は視線を交わし、お互い肩を竦めた。
§
俺たちは防衛戦を支援しながら、ときに突っ込んでくるアンデッドを倒しつつ、騎士団と一緒に後退した。
すると穢土軍はさらに猛烈な攻勢を見せ、死骸蒐集者だけじゃなく、数匹の赤眼王蛇、更には屠殺者もやってきた。
不定形な黒い煙に見える屠殺者は実は砂よりも極小の結晶の集合体である。
煙のような結晶は獲物の体内に入り込み、中で無数の刃物と化して一気に突き破って獲物をミンチにする。
極小の隙でも入り込めるからあらゆる防具が意味を成しえない、そして近接戦闘であれば回避は不可能。更に群れの特性故、再生こそしないがいくら武器を振るおうと殺し切れない。かつての大戦でもっとも多くの人類を屍に変えたと言われるアンデッドを、人々は畏怖を込めて屠殺者と名付けた。
騎士団が赤眼王蛇に手を焼いたところで突如に黒煙に襲われ、瞬く間に十人も殺された。
「煽る風よ、纏い、発散、荒らす、爪を立てよ――《激烈な突風!》」
神術の風が吹き払う。
屠殺者は性質上強風に弱い。勿論ダメージを受けるほどではないが、それでも一瞬かなりの煙が払われ、隠されていた拳大の石――奴の《核》が現れた。
「撃て!」
剛速の矢がファタリテ君から放たれ、《核》へと奔る。
しかし屠殺者は急速に結晶を収束させて無数の小さな盾を作り、ギリギリのところで矢を逸らした。
結晶は更に《核》を包み込み、殻を作り上げた。
「まだまだ、《斬神》!」
《斬神》の衝撃波がその殻を核ごとぶった斬った。
無音の悲鳴を上げ、屠殺者は砕け散って霧散した。
アイナはホッと胸を撫で下ろした。
「良かった、まさかファタリテ君の矢が防げられたなんて、通常の屠殺者より強力な個体だったのかもしれませんね。それにしてもフィレンさん流石ですね、あれがミーロの騎士団長から習った技ですか?」
「ああ、毎回あんな当てられるわけじゃないが、最近は調子がいいから」
「最近のフィー君って凄いわ、私が生身だったらもうフィー君に勝てなくなっているかも」
それを聞いて俺はかなり驚いた。
基本弟にベタ甘な姉さんだが、こと鍛錬に関してはスパルタだ。分からないところがあれば根気よく何度もやってみせてくれて、できたら褒めもするけど実力以上の評価はしない。
姉さんがそう言った以上、今の俺は身体能力抜きでは姉さんを超えているということなんだろう。
リリウスのお蔭っていうのは癪だが、ずっと目標にしていたことが叶って俺は少なからず感慨を抱いた。
「どうしたのフィー君?」
「いや、それより俺たちも早く下がろう」
「そうね、そろそろ指定地点だし」
後退し続けている迎撃軍は、猛攻をやめない穢土軍をずっと引き付けてきた。
乱戦で散らばった超大型アンデッドはひとかたまりとなって、強力な個体もぞろぞろと後方から前に出てきた。
次の瞬間、地中から眩い白光が爆ぜた。
魔術陣が地面から浮かび上がって、そこから無数の白光の剣が満遍なく突き出され、穢土軍を串刺しにした。
これは《熾天使の玉座》という、ミーロ教会の上位神官が総出で用意したアンデッド捕縛陣。極めて強力な神力は広範囲のアンデッドを拘束しダメージを与え続ける。その効果は日没まで持続する。流石に穢土軍全体を範囲に収めるのは無理だったが、それでも一割弱ほど――先頭にいるほぼ全ての敵を行動不能にした。
「本当に大きな魔術陣だね、なんか穢土が召喚された時みたい」
「まあ同じ地中に刻まれた魔術陣だからな、流石に準備期間が短いからあれ程大きくはないが。でも今度は向こうがしてやられる番だ」
捕縛されたアンデッドに、術者部隊の本気が炸裂。
「――空の彼方より鉄槌を下せ、広域禍星天墜!」
「――我々の道に輝く光があらんことを、二重広域烈陽天墜」
「――大神の怒りを知れ、天罰の嵐!」
「――赫う絢爛、恋い焦がれ、深緋色の巨星!」
最上位の神術・魔術が絶え間もなく撃ち込まれる。
それだけじゃなく、新型の攻城魔道具もついに火を噴く。
「《炎流星》一番から十二番、弾込めよーし、照準よーし!」
「って―――――!」
体の芯まで響くような轟音と共に、特殊の爆弾が筒形の魔道具から射出された。
新型攻城魔道具――《炎流星》の弾は親子爆弾と呼ばれ、複数の子弾を搭載している。その子弾にはたっぷりと《錬金術師の焔》が詰め込まれているから、一度に複数の爆発を引き起こして広範囲に炎を撒き散らした。
《錬金術師の焔》は引火点が低く、粘着力も高い半液体の発火材料。その炎は鋼鉄すら溶かすほど高熱である。あまりにも高熱且つ延焼性が高いため、動く相手に命中したら辺り一面が地獄絵図になるからここまで温存されてきた。
行動不能に陥ったアンデッドは《炎流星》の砲火に浴びて大炎上した。中には数体の《冥河渡守》が猛火に巻き込まれ、体内の毒ガスが点火され更なる大爆発を引き起こした。
「親子爆弾に錬金術師の焔……ヒューマンはとんでもない兵器を作ったですね」
「開発されたばかりの武器らしいが、そのうち対人戦争にも投入されるだろう」
「あの炎が人間を……」
「まあ今は頼もしいがな」
これだけの大火力、小さな町なら数回破壊しても余りある。
勿論一発で範囲内のアンデッドを全滅できるとは思っていないが、《熾天使の玉座》がある限り敵は大きく迂回しないと前に進めない。そして今穢土軍は混乱に陥ているから、態勢を整えるまで何発も撃ち込めばかなりの戦力を削られるだろう。
日没までには二割……いやせめて一割を削っておきたいものだ。
「第二射、よーい!」
その時。
「フィー君、アテルイが動いたわ!」
目を凝らしてみると、銀髪のハーフジャイアント――アテルイはいつの間にか前線までやってきた。
捕縛陣から何本もの光剣が突き出されるが、それを物ともせず奴は陣の中心までやってきて、強く力をこめて足を踏み下ろす。
ドン!
蜘蛛の巣のような亀裂が広がった。それだけじゃなく、今も降り注いでいる最上位の神術・魔術、更に《熾天使の玉座》までもが打ち消された。
一瞬、迎撃軍が凍りついたように沈黙に陥った。数秒後、俺はようやく呻きに近い言葉を発することが出来た。
「……ば、馬鹿なっ」
皆も信じられないように目を見張った。
「魔術無効化、ですって」
「そんな……こんな広範囲で、ありえないなの」
「想像以上の化け物ね」
『索敵用の道術も、弾かれました……』
あんな広範囲で、最上位呪文と大規模魔術陣すら無効化できるってあまりにも馬鹿げている。
だが、俺は一つの可能性を考え付いた。
「これが、奴の欠片の力か」
「その可能性は高いわね。それと錬金術師の焔はまだ燃えているから、無効化される対象は呪文のみってとこかしら?」
それを聞いて、ルナはわなわなと唇を震わせながらも何か思いついたようだ。
「じょ、上位魔術の《封魔陣》と、似ているなの……」
「《封魔陣》? それはどんな魔術?」
「範囲内の呪文と、魔道具の効果を一時的に無効化する断絶系の魔術なの。あくまで一時的だから影響範囲を出たら元に戻るの」
「魔道具もか、それは厄介だな。ルナも使えるのか?」
「ううん、上位魔術はまだ無理なの。それに効果範囲は自分とその周りだけだから、上位魔術が使える魔術師が使うと逆に弱くなるの」
「なるほど。逆に言うとアテルイのような戦士が使ったらやばいってことか」
ルナは頷いた。
姉さんもため息をついた。
「できれば戦いたくない相手なんだけど、そうも言っていられないわね?」
「ああ、今丁度ヴァレリア閣下からアテルイを抑えてくれって通信が来た」
ついに前線に出てきたアテルイ。
これまで迎撃軍は決して少なからず犠牲を出しながらも一定の戦果を挙げていた。それが奴一人に覆されかねないのだ。
だが逆に言えば、アンデッド捕縛陣は打ち消されたが、それでも穢土軍の前線は大打撃を受けていた。最前線に立つアテルイの周りにいるのは未だ炎上しているアンデッドと黒焦げた死肉しかいない。
アテルイを仕留めるなら、今が好機。
俺は《ライオンハート》に視線を向けた。
《ライオンハート》はレグルスの他に神官、斥候に魔術師二人で構成されている。もし呪文がすべて無効化されるとしたら彼らにとって相当厳しい戦いになるはずだ。そして案の定マルグリットさんと他の人は苦渋の表情を作っているが、レグルスは今にも飛び出していくように滾っている。
「マル婆とお前らはここで怪我人の世話でもしろ、俺は一暴れしてくら!」
「……仕方がない、くれぐれも気を付けておくのじゃ」
どうやらレグルスは一人でもアテルイに戦いを挑む気のようだ。
俺は皆を見渡して、念を押すように言った。
「皆、俺たちの役目は奴を抑え込むことだ。何が何でも倒さねければいけないっていうわけじゃない。だから無理だけはするな。それを忘れないでくれ」
「むしろフィー君が一番無茶しそうで怖いわ」
「ええ、私の魂を受け取って頂いた以上、簡単に死なないでくださいね」
「ああ、勿論だ」
リースもルナの頭を心配げに撫でている。
「ルナも気を付けてね」
「うん、リースお姉ちゃんはあたしが守るの!」
「ふふ、ありがとう。でも無理はしないでね」
『ルナちゃんは……私が見ていますから』
「ええ、よろしくねスーちゃん」
再度、進撃の鐘が鳴った。
「よし、行くぞ!」




