189 アイナの願い
その後、ノアさんと別れて今夜の宿を探しに行こうとした時、後ろからアイナに呼び止められた。
「フィレンさん、レンツィアさん。今夜、話がありますので付き合ってくれますか?」
その日の夜、俺と姉さんは郊外に来ていた。
超大型アンデッドの群れが迫りに来るという情報が徐々にラカーンに浸透して、夜中にも拘らず雑踏の音と不安がる人々の声が飛び交う。
しかし流石に城壁の外まで来れば静かなものだ。
人気のない野原に、大きな魔術陣が描かれている。
その横に立っているアイナはいつも被っているヴェールを外し、碧色の髪と尖った耳を露にしている。
波を打つ碧色の髪が月光に濡れ、初めて会った時の竜胆色のドレスを身に纏うアイナ自身が一種の神秘にも化しているように、いつも嫋やかな彼女とは別人に見える。
「フィレンさん、レンツィアさん、来てくれて有難うございます」
「アイナのお願いだ、当たり前だろう」
「それにしても改めてどうしたの?」
「実はフィレンさんの《万象剣》についてですが……」
アイナさんは《万象剣》を取り出した。
よく見れば剣身には新しい紋様が加えられている。
「え、まさかもう直ったの?」
「元に戻すだけならそう難しい事ではありません。元々異物に侵入されるのを想定していましたからね」
「流石だな、じゃこの魔術陣は?」
「これは《万象剣》に新しい力を追加するための魔術陣なんです。レンツィアさん、少し力をお借りしていいんですか?」
「いいよ、何をすればいいの?」
「こちらに」
アイナは姉さんの手を引いて、魔術陣の真ん中まで来ていた。
《万象剣》に新しい力を……?
それと姉さんとは何の関係があるの?
疑問を抱きつつも、俺はアイナと姉さんを見守ることにした。
「ここで《万象剣》を握って、《魂の酷使》を発動するように魔力を込めてください」
「分かった、こうかな?」
姉さんが柄を握ると、《万象剣》に刻まれた紋様が光り出し、緑色の光が剣身を包む。
やがてその光は地面まで蔓延し、魔術陣全体が明滅している。蛍のような小さな光が魔術陣を辿って高速に移動し、舞い踊る様に《万象剣》に吸い込まれていく。
「う、ん、んぁ……なんか魔力が凄い勢いで吸われているね」
「もう少し、レンツィアさんの魔力量なら問題ないですから安心してください」
約小半刻が過ぎると魔術陣から光が消え、代わりに《万象剣》が蛍火のような光を纏っている。
姉さんは不思議な表情を表した。
「アイナさん、これはもしかしてなくても……魂を扱う魔術なのよね?」
「はい、これは降霊術を応用した強化なのです。ただし普通の降霊術ではなく、《魂の酷使》の所有者しか使えない魔術ですからレンツィアさんの力を借りる必要があったのです」
「《魂の酷使》の所有者しか使えない魔術、つまりアイナさんも使えないってこと?」
「ええ、この魔術を編み出したのは私ではなく、私の姉――イアヴァスリル、イーリちゃんなのです」
「イアヴァスリルって、確かアイナを眠らせた人だったよね?」
「ええ、魂だけを封印する魔術、《深遠なる凍結》もイーリちゃんが創り出した魔術なんですよ」
「なるほど、じゃこの強化の効果は何?」
「そうですね……」
アイナは姉さんから《万象剣》を受け取って、俺に渡した。
「それを説明する前に、まずは『再生』という概念を説明しなければいけません」
「再生?」
「フィレンさん。中位神術には《新たな芽吹き》という肢体を再生させる呪文があります、それと通常の治癒魔術の違いはなんでしょう?」
「それくらい俺も知ってるぜ。治癒魔術はあくまでも怪我を癒える魔術なんだけど、再生の神術は失った臓器や四肢を取り戻す呪文なんだろう?」
治癒魔術というのは人体の自然回復を速める呪文だから、もし腕を切り落とされた人に治癒魔術を掛けたら、傷口は塞がるけど腕が生えてくることはない。
しかし《新たな芽吹き》なら失くした手足や臓器を元に戻せるのだ。
「ではどうして再生の神術はそのようなことができるのでしょう?」
「それは……分からないな」
「答えは、魂が失った手足を記憶しているからです。《新たな芽吹き》は魂の記憶を読み取り、魂が記憶した通りに体を修復するのです。しかし魂の記憶も永遠に残るわけではありませんので、体の一部を失って長い時間が過ぎてしまったらもう再生はできません」
「なるほど、確かに再生には時間制限があるって聞いたことがある、それが原因か」
「ええ、もう足を失ったというのに、魂がいつまでも足がそこにあると記憶したら日常行動に支障が出ますからね。ここで大事なのは、アンデッドの再生能力も魂の記憶によるものなんです」
「そうなのか?」
「ええ、ですからアンデッドもある程度強力な――つまり魂を持つ個体でないと再生能力を持つことはありません。そしてこの降霊術を応用した強化は魂の記憶を改変できます」
「魂を改変……じゃもしかして、この剣に斬られたアンデッドは」
アイナは頷いた。
「この剣に斬られたアンデッドは再生なんてできません。更に、この剣にトドメを刺されたアンデッドは二度と蘇ることがありません。これが私の姉、イーリちゃんが創り出した強化、《魂魄燼滅》の効果です」
「《魂魄燼滅》……凄いじゃないか!」
今まで高位アンデッドの再生能力に手を焼いたことがいくらでもあった。
それを断つことができるのなら、アンデッドに対して大きなアドバンテージになるのは間違いない。
「これがあれば、あのロントも倒せるってことだな!」
「高位のヴァンパイア相手に試したことはありませんが、可能性は高いでしょう」
「おお! 本当に凄いな」
「もしかして私の《無極の籠手》や《天衝丸》もこれを付けられるの?」
「いいえ、《万象剣》は魔術親和性が極めて高いアダマンティウムを大量に使われていますから、普通の武具では無理です」
「そうなんだ、それでも凄い剣なんだよね、この光も綺麗なんだし」
《万象剣》を包む蛍火は本物のホタルのように淡い光の筋を曳き、剣身を中心に空を舞い踊る。
この冷たくも優しげな光にあれほどの力を秘めているとは。
「アイナが作ったものはいつも想像を超えているな。ありがとう、流石だ!」
俺はアイナの手を取った。
しかし彼女は俯いて、晴れない表情のままだった。
「どうしたのアイナ?」
「実は……お二人に言わなければいけないことがあります」
「え、何?」
「アイナさん……まさか」
姉さんは何かを察したように眉を顰めたが、それ以上何も言わなかった。
アイナは真剣な目つきで俺と姉さんを見て、ゆっくりと喋り出した。
「フィレンさんからあのエンシェントヴァンパイア――リリウスの話を聞いて、私は少々、いいえ、かなりのショックを受けていました」
リリウスの話ってあれか、アイナの気持ちに迷いがあるって話。
「あいつが言ったことはどれも滅茶苦茶だから真に受けなくても良いんだぞ?」
「……いいえ、少なくとも《万象剣》を打った時でもしようと思えば《魂魄燼滅》の付与ができるのは事実です。それをしなかったのは私のワガママ……いいえ、臆病かもしれません」
「臆病? どういうこと?」
「この《魂魄燼滅》は、私がイーリちゃんにお願いして、私を殺すために開発してもらったのです」
「何……?」
俺はアイナの目を覗き込んだ。
灰色の瞳は月光を反射し、湖のように静かに揺らめく。
「リッチは命匣が壊れない限り死なないですが、《魂魄燼滅》なら私を完全に滅ぼせる可能性があります。ですが、結局イーリちゃんはこの術式を開発しましたけど、一度も起動した事がありませんでした。ですから」
アイナは俺の手を、《万象剣》の柄ごと両手で包み込む。
「お願いです。レンツィアさんが無事に復活した後、私を殺して下さい」
「……」
俺も、姉さんも、しばらく言葉を失った。
「前にもお二人にお願いしたいですけど、いきなりそんなことを頼んで嫌われたらどうしようと思って何も言えませんでした。それが私の迷いです。そのために、私は本当の最高の剣をフィレンさんに捧げることはできませんでした。ですから今度こそ、私は正直に言います。どうか、私を殺してください……ッ!」
できない。
できるわけがない。
出会いこそ唐突だが一緒に幾つかの修羅場を潜ってきて、大事な仲間と思っているアイナを殺すなど。
だが俺の手を握るアイナから激しい悲しみが伝わる。
そうか。元々アイナはリッチである自分を受け入れる者などいるわけがないと思って自ら眠りに入った。
俺たちに出会って、一緒に過ごして、もうそんなこと思っていないと俺が勝手に考えたんだが、それが予想以上に深くアイナの心底に根付いているのだ。
それをずっと気づいてやれなかった自分を全力で殴りたい。
「思えば、私達はずっとアイナさんの世話になりっぱなしで、碌なことをしてあげられなかったのよね」
姉さんは小さく呟いた。
思わず頷きそうになるが、それに続いた言葉に俺は目を見張った。
「もしそれがアイナさんの本当の願いなら、そうする方がいいかもしれないわ」
「姉さん!?」
「でもその前にアイナさん、一つ聞いていい? ……どうして今すぐじゃなくて、私が復活する後なの?」
「……お二人が私に何もしてくれなかったなんて、とんでもないです。お二人も、ルナちゃんもスーちゃんも私に居場所をくれました。ですから私はその恩を返したくて、せめてお二人の一番の願いを叶えてあげたいと思っていますから」
「でも私は蘇った後でも、アイナさんと一緒に居たいのよ?」
「え……?」
アイナは拍子抜けたように数度瞬きして、遠慮がちに答えた。
「でも私はアンデッドですから、普通の生活に戻ったお二人に何の役にも立ちませんし、それどころか迷惑……」
「別にそんなことないわよ、ねえ、フィー君?」
「ああ、勿論だ。姉さんが復活した後でも、少なくとも数年は探索者を続けるつもりだし、その後もずっと――アイナが良ければ、の話なんだけど、アイナと一緒に居たい」
「だからね、別に恩返しとか考えなくてもいいけど、これからもずっと居てくれると嬉しいな。勿論アイナさんだけじゃなく、ルナちゃんもスーちゃんも、それにソラリスさんも」
「……レンツィアさん、フィレンさん……」
下唇を噛み締め、アイナは俯いた。
細い指で胸元のドレスを掴んで、懸命に気持ちを抑え込もうとしている。
「……そう言って貰えるのは、本当に嬉しいです。心がいっぱいになって、涙が零れそうで、天にも昇る気分なんです。……しかしそれでも私は耐えられないのでしょう」
ぽつり、ぽつりと、アイナはドレスの裾を濡らす。
「考えてみてください。お二人はヒューマンですから、私にとってはほんの少しの間しか一緒に居られません。この幸せなひと時をどれだけ大事に噛み締めても、すぐに過ぎ去ってしまいます。そうしたら私はまた居場所を……側にいる人を失ってしまいます! そんなの、耐えられるはずがありません! 今でも、フィレンさんとレンツィアさんが亡くなると思うと、もう悲しくて悲しくて……ッ! だから、私を、殺してください!」
喋っているうちに段々声が大きくなって、ほぼ叫んでいるようにアイナが言った。
いつもおしとやかな、たまにドジなところもある彼女が感情を爆発させる姿を見ると心が苦しくなる。
「ならば!」
だから気づいた時、もう言葉が口から出てしまった。
「アイナが居場所を失うのが怖いなら、俺と姉さんが作ればいい!」
「ですから、お二人はヒューマンで――」
「俺たちの子供がいる!」
『え?』
姉さんとアイナの声が綺麗にハモった。
「俺と姉さんが死んでも、俺たちの子供がいる。きっとアイナの居場所になる!」
「フィレンさん……それは……」
「あの……フィー君?」
「俺たちの子供ならアイナを受け入れ、いやきっとアイナのことが好きになるんだ。そしたらアイナももう怖がらなくてもいい。俺たちの子孫がずっとアイナの居場所になるから、一緒に居てあげられないか?」
「ナチュラルにプロポーズされた……しかも子供まで予約されている……なんだか恥ずかしいわね」
「え? ……あっ」
頬を掻く姉さんを見て、俺は自分が何を言ったかを気づいた。
「い、いや、俺は別にそういうつもりは――」
「違うの?」
「ち、ちが……違わないけど……」
「よろしい。まあ私もそのつもりなんだし言ってくれるのは嬉しいけど場所とタイミングを考えでね?」
「はい……というわけでアイナ、俺は姉さんが復活した後もアイナと一緒に居たいんだ、だからその願いを叶えてやれない。そしてこっちの勝手の願いかもしれないが、俺たちの子供、その子供達をずっと見守って欲しい……だめかな?」
「アイナさん、私も同じ気持ちだよ」
俺たちがそう言うと、アイナは湖のような深い瞳で見つめてくる。
「ふふ……フィレンさんらしいですね」
「え、どういうこと?」
「フィレンさん、それはお二人の子供も私の力が必要になるという意味なんですか?」
「そうだな。いや別にアイナのことを利用したいわけじゃないぞ、ただ俺も姉さんもすごくアイナの世話になっているし、将来もし子供ができたら俺たちの恩人として紹介したいていうか」
「ふふ、大丈夫ですよ。ちゃんとわかっていますから。それにしてもお二人の子供、ですか。そうしたら私はおばさんになるのでしょうか、ふふ、なんだか楽しみですね」
「そうなのか?」
「きっと、それがヒューマンの考え方なんでしょうね……自分から子へ、その子へと……私も見てみたいな、二人の子供」
「それじゃ」
「ええ、これからも、そのずっと先もよろしくお願いします」
「ありがとう、アイナ……そうだ!」
「どうしました?」
「姉さんが復活した後、アイナの命匣を探そう!」
「私の、命匣……?」
「そうね」
アイナが首を傾げると、姉さんが同意してくれた。
「ずっと無くしたままじゃいつ壊されるかもしれないし、アイナも不安でしょう? これからも一緒に居るならまずは命匣を取り戻さなくちゃ」
「そうですね……でもどこにあるかも分かりませんし、とても大変かもしれませんよ?」
「なんの、死人の復活と比べれば大したことじゃないわ」
「ああ、今度は俺たちがアイナの力になる番だな」
「私の命匣……ずっとどうでも良い、何処かで勝手に壊れても良いと思っていましたのに、何故か急に手元にないと不安になります……不思議なんですね」
言葉とは裏腹に、アイナの顔に不安の色はなく、口元に笑みが浮かんでいる。。
「それが普通だよ」
「きっと、そうなんでしょうね。不安ですけど、レンツィアさんが復活した後でも皆と一緒に旅するのが楽しみでもあります。この気持ちを気づかせてくれてありがとう、フィレンさん」
何か重いものが取れたように、アイナは碧色の髪をかき上げて曇りなく笑った。
§
「あ、そういえば」
宿に戻ろうとした時、アイナは何か急に思い出したように手のひらを打った。
「フィレンさん、《万象剣》をお借りしていいんですか?」
「ん? 別にいいけど」
「えい」
アイナは二メートル超えの《万象剣》を危なげな手つきで振るって、左手の薬指を切り落とした
「おい!?」
「アイナさん!?」
「うん、これくらいでいいでしょう。――《永劫魂縛》」
驚きの声を上げた俺と姉さんを横に、アイナは満足げに自分の切り落とされた指を眺めながら詠唱をした。
そして、それがすぅっと、《万象剣》に溶け込んだ。
「あ、あれ? 指が?」
「ふふ、驚かせちゃってごめんなさい。これは自分の魂の一部を魔道具に宿すゴーレム魔術です。レンツィアさんがつけている《死配者の指輪》と同じですよ」
「そ、そうなのか?」
「《魂魄燼滅》で切り裂かれた魂は通常直ぐに消えますが、《永劫魂縛》を使えば、魂を魔道具に付着させられます。これでフィレンさんは私と魔力的に繋がっているということになりましたので、私のゴーレム魔術を使うのも可能です」
「アイナのゴーレム魔術というと、例えば《魔装英雄》とか?」
「ええ、私が使うのと同じ効果になります。勿論デメリットもですから気を付けてください」
「なるほど……あ、ちょっと待て。それじゃアイナの指は再生できないじゃないか?」
「ええ、ですから薬指にしました。他の指は金槌を持つには重要ですからね」
何か問題でも? と言わんばかりにアイナは小首をかしげる。
いやいや、たとえ薬指でもそんな気軽に切り落とすもんじゃないだろう。アイナの文字通りのただならぬ献身ぶりに俺だけじゃなく姉さんも呆れているようだ。
「そういう問題か? もっと自分を大切にするほうが……」
「これは、私なりのケジメですよ」
「ケジメ?」
「これからは私のすべてをフィレンさんとレンツィアさんの血脈に捧げますので、その証として自分の魂を差し上げることにしました。この《万象剣》なら、きっと永久にこの証を後世に残すことができるのでしょう」
頬に手を当てて、嬉しそうに微笑むアイナを見て、俺はリリウスの言葉を思い出した。
エルフはとてつもなく情が重い、と。




