187 敵の動向
《穢土》から帰還を果たした俺達は、まずヴァレリア・リーリエ閣下に面会を求めた。
リースがラカーンを発った時、もし自分に何かあったら州政と軍事指揮権を彼女に一任するように用意しておいた。彼女曰く、良くない予感がしたからだ。
不幸にも彼女の予感が当たり、《穢土》が解き放たれた。
《穢土》が出現した直後、リースは即座にヴァレリア閣下に連絡を入れて、穢土の出現、そして自分がこれから穢土に入ることを知らせた。
そして《輝光龍の封印領域》のもう一つの出口がソクラテの研究室にあるから、俺達予想より早くラカーンに戻れた。
「なるほど、私達は教国にまんまと利用されたってことか」
談話室で、ヴァレリア閣下は指を組んで俺たちの報告を聞いていた。
そして報告が終わると、ため息を吐いてそう呟いた。
「教国に、というよりは《禍憑き》に利用されたと言うべきかもしれません」
「教国に存在するもう一つの勢力か」
「ええ、《禍憑き》は私達の襲撃を利用して、教国から《黒翡翠》を私達に奪わせたのです。その際、聖騎士ヴァイスを自分の駒にしました。それから彼らはラカーンを強襲し、結界を使わせたことで私達に《黒翡翠》をミステラに運ばせるように誘導しました」
「……そして《黒翡翠》でミステラの地中に描いてあった魔術陣を発動し、《穢土》を呼び出した、か。まさか昨年《圧潰の魔女》がミステラ近郊に潜伏したのはそのためだったとは……それにしても、貴女も相当な厄介事を投げつけて来たもんだな、ラッケン卿」
ヴァレリア閣下は視線をリースに向けた。
今のリースはルナの《変装帽子》を使って、ミイラ化した左半身を隠している。それでも彼女の雪のような髪と肌は目立つから、それもやや暗い色に変えた。更に上からフードを被る彼女があの《白き聖女》ソラリス・ラッケンだと気づける者はほぼいないだろう。
「貴女の言う通り、これからの戦いにおいて、たとえ半分でもアンデッド化している者が上に立つとバッシングを受けるに違いない。教会の過激派も何かしでかすか分かったものじゃない。だからいっそ死んだ振りをするのは合理的ではあるが……貴女の力を失うのは非常に痛い、例えこんな状況下じゃなくとも、な」
「本当に申し訳ございません」
リースは深々と頭を下げた。
「別に貴女を責めているではない。むしろ貴女が現場での努力のお蔭で、ミステラの民は一部とは言えあの《穢土》の落下から生還できた」
「本当なんですか!?」
「ああ、総数はまだ確定できないが、あのあたりの町や村にはミステラから逃げ出した人々が相当な数で溢れている」
「それは……本当に良かったです」
胸を撫で下ろしたリースを見て、ヴァレリア閣下も少しだけ顔を緩めたが、すぐ眉を寄せた。
「しかしこれからはそういう難民がどんどん増えてくるだろうな」
「相手の進行は今どのようになりました?」
「そうだな……いや、まずは貴女のことだ。ラッケン卿、それと《フィレンツィア》」
ヴァレリア閣下は鋭い目つきで俺たちを見る。
「これから君達は共に行動するのだな?」
「ああ、彼女はもう聖女として戦えないが、俺たちと一緒に行動すれば、きっとこれからの戦いで何か力になれると思う」
「だろうな。君たちの実力は先日この目で確かめた。凄腕の探索者にも引けを取らない。この戦いでは君たちの力を借りる機会も大いにあるだろう。だがそれはつまり、彼女を苛烈な戦場に放り込むことになるのだ」
「確かに、そうなるだろうな」
州長として戦うリースは俺たち探索者と違って、直接敵と戦う必要がほぼない。
勿論フェイバードソウルであるリースの神術はかなり強力だが、代わりがないわけじゃない。
しかし一探索者としてパーティに加わるとそうも行かない、今回のような危険な調査任務などいくらでもあり得るのだ。
「覚悟の上です。むしろ私は自分の手で大事な人と暮らす世界を守りたいとずっと思っております」
「……ふぅ」
ヴァレリア閣下は長い溜息をして、組んでいた指を解きコメカミを押す。
「そういえばそういう人でしたわね、貴女は」
一瞬、ヴァレリア閣下は人が変わったように優しげな表情を浮かべ、リースに微笑みかけた。
「貴女と私が初めて会ったこと、覚えてますの?」
「ええ、当時騎士団長であられるリーリエ閣下が私に、どうして聖騎士になりたいと聞いてくださいました」
「ええ、貴族の子息が騎士団に入るのは珍しくもありませんが、聖騎士ともなりますと責任もつきます。多くの場合は継承権も失いますから、身分が高い人に限って聖騎士になりたがらないものです。にも拘らず、今年は聖騎士になりたい貴族の息女が居たとロザミアさんから聞いたのですから、気になりまして」
「そして私は大事な人と暮らせる場所を作りたいと答えました」
「リース……」
俺はリースの名を呼び、ルナは両手で口を覆った。
リースが騎士団に入る頃、父のアイン・ラッケンは既に家に籠りっきり、怪しいドラッグに手を出していた。そして当然ながら実の娘であるリースにも無関心で、養子であり、魔術の才能があるルナを嫌っていたはず。
つまりは、そういうことだ。
聖騎士を目指したのは、もしアイン・ラッケンがルナを迫害、または家から追い出した時のために、ルナの居場所を作るためであった。
「変わっていませんわね、貴女」
「ええ、あの時から私は変わっていません」
「大事な人、ね」
ヴァレリア閣下は俺たちを一瞥し、目つきを鋭くする。
「よろしい。ではこれより、亡きソラリス・ラッケン子爵の遺命により、ラッケン州の政務及び軍事指揮権はこの私、近衛中将ヴァレリア・リーリエが一時預かろう。ラッケン子爵に後胤または兄弟が存在しないため、この期間は王が次なる州長を指定するまでだ。これでいいかい?」
「ありがとうございます」
「まったくだ。こんな最悪の時、災難のただ真ん中で指揮権を渡されてもな。まあどの道今回のような事態に各州が対応できるわけがない。場合によっては数州の兵力を一つに集まる必要もあるだろう」
「そしてリーリエ閣下こそが、王にとって一番信用できる人選ですから、早かれ遅かれここの部隊はリーリエ閣下の管轄下に入るでしょう?」
リースがそう言うと、ヴァレリア閣下は鷹揚に頷く。
「そうだ。だから少し早いがここの軍隊を遠慮なく使わせてもらうぞ」
「ええ、リーリエ閣下ならきっと私より上手く運用できると思います」
「ふっ、当然だ。では話を戻すぞ、敵の……穢土軍と呼ぶか。やつらの進行状況についてだが、現在分かっているところでは、三つの部隊に分けている」
「三つに分けている?」
俺が聞き返すと、ヴァレリア閣下は頷いて大きな羊皮紙を広げた。
「言うまでもないと思うが、この地図自体が機密だ。迂闊にこれに載っている情報を漏らすと首が飛ぶぞ」
「ならばなぜ俺たちに」
「君達の感想が欲しいんだ。実際穢土に足を踏み入れ、化け物どもと接した君達のな」
ヴァレリア閣下の指は地図をなぞる。
「穢土が出現したのは、この中部地域のラッケン州のやや北寄りのミステラだ。そこから穢土軍は三つの部隊に分けている。一つは南に、このラカーンに迫っている。一つは東に、どうやら国境を目指しているらしい。そして最後は西――」
彼女は指を動かし、ある一点に止まった。
リースは息をのんだ。
「王都に向かっている」
§
ポーラン公国と並ぶ大国であるフォルミド王国は広大な土地と膨大な人口を有している。
詳しくは知らないが、数千万は下らないだろう。
フォルミド王国は東西南北と中部と五つの地域に分かれて、各地域の下には幾つかの州がある。
そして中部地域の四州に囲まれているのが王直轄の土地、すなわち王領である。
王領の中には王直属の騎士団と複数の教会の総本山、それと王国最大の都市――王都オルタフォートレスがある。
現在、穢土軍の一部隊がそこに向かって進軍している。
「なんか、変だな」
俺の声に、ヴァレリア閣下は地図から頭を上げた。
「変、と?」
「国境に行くのはともかく、王都とこっちに向かう理由が分からないわ」
「君達の報告通り穢土軍がちゃんと指揮されている部隊なら、できるだけ敵の要となる都市を抑えようとするのが普通ではないか?」
「でもアンデッドなら人を襲えば襲うほど増えるから、まずは人口が多くて防御が比較的に薄いところに行くのが普通だろう?」
「なるほど。しかしこうも考えられる。今我々は完全に穢土軍に不意を突かれている、だから向こうも数を増やすよりも今のうちに戦略的に重要な拠点を落としたいのでは?」
「確かに……」
「私からも一ついい?」
手を挙げる姉さん。
「もちろん」
「アンデッドの部隊……穢土軍が王都とこっちに向かっているのは、まるでそこに何があるか知っているみたいで変じゃないかな?」
「……なるほど、他国の軍隊ならともかく、封印から解き放たれたばかりのアンデッドが王国の地理を知っているのは可笑しい、ということか?」
「ええ」
「ふむ……どう思う、ラッケン卿? いやもうラッケン卿ではないか、では探索者ソラリスよ、君はどう思う?」
「そうですね……人間の協力者、もしくは人間をアンデッドにして情報を得ているのではないでしょうか? 勿論、ヴァンパイアの魔眼もしくはそれに類する能力も可能ですが」
実はこれはアイナから聞いた話である。
かつての大戦では斥候を放って偵察しようとしたが、逆に捕まった挙句に下位ヴァンパイアにされて色々吐かせたことがあったらしい。
それを聞いて、ヴァレリア閣下は顔色を変えた。
「そんなことができるのか?」
「ええ、それに聞いた話ですが、既に死んだ者から情報を引き出せる死霊魔術も存在しているようです。穢土軍に魔道に長けるリッチなどがいればできるかと」
「ヴァンパイアにリッチ、か。どうやら私が思う以上に、アンデッドとの戦争が厄介らしいな」
ヴァレリア閣下は背もたれに深く身を預け、疲れたように息を吐いた。
「しかし最も厄介なのは、一部の上層部が未だ事態の深刻さを理解していないことだ。軍機閣の一部でさえ、今回の事件を単なるアンデッドの大量発生としか思っていない」
「それは……」
ヴァレリア閣下は王国の軍事、国政上の最高機関、軍機閣に属している。
しかし機関である以上、そこにいるメンバーとここまで大きな意識の違いが存在していれば軍務もうまく回せないのが当然だ。
「まったくあの老害どもは……まあこれについては私がなんとかするが。問題は目の前のアンデッドをどうやって迎撃するかだ」
「こっちに向かってくる穢土の部隊ですね? 規模と到着する時間は?」
「ああ、偵察によるとこの部隊はすべて超大型アンデッドで構成されている、複数の死骸蒐集者や首なし騎士も確認された。数は一万前後。サイズがバラバラだからうまく測定できなかったようだ」
「超大型アンデッド……」
アテルイについて《穢土》から出て行ったあの部隊か。
「中には銀髪のハーフジャイアントが居たか?」
「報告にあった《ラストリゾート》の《銀星獅王》というやつか。ああ、部隊の先頭に銀髪の大男が居たとの報告があったな」
「それじゃ他の部隊にも《ラストリゾート》の奴ら、もしくは指揮官のような者が居るか?」
「ふむ……」
ヴァレリアは羊皮紙の束を取り出す。
「王都に向かう部隊はグールとファントムの大軍、数は十から十五万、先頭にいるのは一騎の騎士、あと複数のリッチも確認されている。国境に向かう部隊は……空飛ぶ城と大勢の飛行アンデッドで、指揮官に類する個体はいない」
「あの城か……確かに《ラストリゾート》の一人、モレイがそこにいるはずだが」
俺はあの時城から降りてきて、流星群のような攻撃で地上を焼き払った金髪の幼女を思い出した。
もしリンシャンがいなければ彼女から逃げおおせられなかったかもしれない。
「《劫火狼藉》モレイか。あの城は確か報告にあった《人食い屋敷》という不定形のアンデッド、だったか?」
「ええ、どうやって空を飛ぶかは不明ですが」
「もしモレイがあの城にいれば迂闊に近づかないほうがいい。彼女とは実際に戦ったことはないが、とてつもなく強い、そして広範囲の遠距離攻撃、しかも優れた感知能力を持っている」
「さながら空中要塞ってわけか、幸いやつは東の国境に向かっているから危険性は低いが」
「どうして国境に向かっていると断定できる?」
中部地域のラッケン州から国境までの間には幾つかの州が存在している。もしやそれらが狙いなのでは?
と俺がその可能性を指摘したら、ヴァレリア閣下は首を振った。
「何故か知らないが、あの空飛ぶ城は人里には無関心で、他の部隊よりずっとはやい速度で移動している。あと数日もすれば国境につくだろう。勿論まだ状況が変わるかもしれないが、少なくとも現状のままでは君達の一番の脅威は超大型アンデッドの部隊と思っていいだろう」
「一万の超大型アンデッド……一体どうやって立ち向かうのだ、閣下?」
「王国騎士団は当てにならんから、まずは武力を持つ教会、ミーロ、マエステラ、マエステラあたりか、それと南部諸侯にも働いてもらおう」
「一応、援軍の当てはあるのか……そういえばバアルさんは?」
「バアルなら第三騎士団の駐屯地に戻らせた、彼は元々第三騎士団の団長だからな。ミーロ教会の許可を得られれば、すぐにでも援軍を率いて駆けてくるはずだ」
「なるほど。しかしそれでも、援軍が来るまでは自分達でなんとかしないといけないだな」
「ああ……そこで、君達にやってもらいたいことがある」
ヴァレリア閣下は椅子から立ち上がり、コートを羽織った。
金糸を織り交ぜた赤いコートを纏い、椅子からレイピアを手に取った彼女は鋭い目つきで俺たちを一瞥した。
「やってもらいたいこと?」
「君が言った通り、援軍が来るまでは我々だけでなんとかしなければいかん。私は既にギルドを通してこの辺りの探索者に緊急招集をかけた。明日、彼らに穢土軍を迎撃する計画を説明する。だが探索者たちはまだ今回の事態を掴んでいないのがほとんどだ、面倒事を避けたいと思っている人も多いはず。そこでうまく彼らを言いくるめて、一人でも多く引き込んで欲しい」
「言いくるめって……」
「言い方が悪いかもしれないが、君達なら探索者が何を考えているか熟知しているはずだろう? 彼らの目線で考え、緊急招集に参加しやすい空気を作り給え」
「それは……」
「時間がない、あとは頼むぞ」
有無を言わせない口調で言い残して、ヴァレリア閣下は颯爽と談話室を出た。
「はぁ……まだ頷いてもいないが……」
「リーリエ閣下は割とそういうところが多いのですから……」
どうやらラカーンに戻っても、一息つく暇もなさそうだな。




