18 進化
「かっ……はっ……!」
「うわああああああああ!!!」
衝撃に弾かれて地面に転がる。
姉さんは怒りで我を忘れたようにロントに飛びかかる。最初の時と同じように、壁バウントで背後を取ったからの大ぶりの回し蹴り!
しかしその一瞬で晒された背中に、すでに姉さんの動きを読んでいたロントが至近距離から刺突を放つ!
俺とモモの手合わせの時のように、この距離では姉さんの蹴りはロントに届かない。
だが姉さんはまるで見えてるように真後ろに手を伸ばし、死角からの一撃を掴んだ。
そのまま戦技で回転を加速してロントを投げ飛ばした。
怒り狂ったように見えたが、姉さんはあえて冷静を失ったフリをして隙を晒すことで、敵の攻撃の選択肢を絞ったのだ。一瞬でも時間を稼ぐために。
「フィー君、もうなりふり気にする場合じゃないよ」
「ああ、そうだな、くっそ甘っかったな俺……」
俺は地面に手をついて、なんとか身を起こした。
ダンジョンでの一件もあって、ラカーンを発つ前に姉さんがほぼ全財産下ろして購入した触発治癒が役に立った。
これは魔道具じゃないけど、発動するまでは永久に効果を保ち、対象が瀕死の怪我を受けたら自動的に消費され、一度だけ怪我を治す魔術だ。
そのお蔭で内臓は無事に済んだけど、胸が切り裂かれたことは変わらない。
たらたらと血を流しながら立ち上がった俺を見て、ロントは呆れたように言う。
「まったくしぶといですね、本当に人間なんですか」
「お前こそ武術も戦技も使いやがって、本当に化け物か」
「何、暇を持て余しの遊びだけです、こう見えても新しい物に目がないのですよ」
二丁の片刃の短剣を駆使する武術。
見たことないが、実際ロントの剣術は達人レベルだ。
人間が化け物に対抗するべく研鑽してきた術を化け物が修めるとは、ふざけるなと言いたい。
「今から人間じゃまずやらない事をやるから見ていろ……姉さん」
「りょーかい」
姉さんは萎んだ褐色の塊を取り出し、口に入れた。
「それは……?」
「――定められた運命を拒む僕よ、大いなる源の欠片として命じる――」
「また死霊魔術ですか……いいえ、その詠唱は!?」
「生の理を受け、生者の喜びをなさんとする者を贄とし、汝に更なるの穢れを、これより汝の形骸には我が意志を、我の足跡には汝の歩みを――」
詠唱が終わると同時に、姉さんは褐色の塊――ソクラテの心臓――を噛み砕く!
「――――死葬弔鐘」
ロントがソクラテの書斎を出た後、姉さんは降霊術でスーチンを自分に降ろして、その記憶を辿った。
一度研究室の中枢と繋がったスーチンの魂には、自分では理解できないが、ソクラテの研究成果をある程度保存している。
その中には、ソクラテが作り出した最悪のオリジナル死霊魔術が一つあった。
死葬弔鐘は生物の死骸をアンデッドに食わせることで、爆発的に進化させる魔術だ。
本当なら神力が浸透している聖職者の生きた心臓が最高な冒涜になるのだが、ソクラテの肉体には膨大な魔力が残っているから供物として不足はないだろう。
ソクラテの検証では、下級のゾンビでもハイグールに届くくらい進化させられるから、今の姉さんなら、
「ギ……ギギィ……」
「……屍霊か、聞いたことはありますが、目にしたのは初めてですね」
屍霊の名前自体は知らないが、今の姉さんの姿は明らかにゾンビやグールと一線を画している。
体型自体は変わってないが、全身からは禍々しい黒い霧をまき散らし、髪が黒く染まり、身体にも赤褐色の斑模様が浮かび上がる、さらには肉体の一部がぶれていて半霊体と化している。
全方位に暴力的な威圧感で空間を圧迫しているその力を、姉さんは歯を食い縛って必死に制御している。
「ギギギィ……大丈夫ヨ、フィー君、予定通りだわ」
「ああ、任せたぞ」
「飽きない人たちですね……貫け、多数魔法の矢、空白の心」
ロントが手を翳すと数十には下らない青い魔弾が射出、
と同時に、さっきと同じように存在の総てが掻き消された。
「はあああああああああああああああ――!!!」
魔弾が届くよりも早く、姉さんが掌打を放った。回廊ごとを破壊するような大規模の《破山砲》が空間を薙ぎ払う!
いくら存在を消したと言っても、この世から消え去るわけではない。ロントは《破山砲》の余波を食らってたじろいでしまった。
その隙に姉さんが走り出す、音も影も置き去りにして、ただ床に深く足跡を刻んだ。
壁――いや天井にバウンド、真上からロントへと掴みかかる。
普通、人型生物には投げと関節技が有効とされるているが、ヴァンパイアは例外だ。なぜなら奴らは小指一本で人間の両手を押し返せるからだ。
だが今の姉さんなら、たとえヴァンパイアでも素手で首をねじ切れる暴力を有している。
先までとまったく違う戦い方に戸惑って、とりあえず回避するロントに、空中で一回転して得意の踵落としを叩き込む、
地面の反動利用してサマーソルトキック、
指を地面に深く食い込み、逆立ちして連続の回し蹴り、
指だけで地面を抉り、《突進》を発動して壁バウンドで背後を取る
身体能力と戦技に無理を言わせて、技と技の繋ぎを限界まで短縮、手足の先端さえ平面に触れれば瞬時に高速移動、立体空間を縦横無尽に舞い踊り、あり得ないほどに鮮やかな動きの数々に、ロントはついに対応できず、鳩尾に肘打ち入れられた。
「《二の打ち要らず》!」
「くっ……顕れよ、稲妻の――」
軽く十メートルも飛ばされたロントはすぐに詠唱に入ったが、こちらの準備も整えた。
俺は胸元の傷口を抉り広げ、噴き出す血潮が八骸の番人の頭蓋骨に降りかかった。
「来い! 究極不死創造!」
召喚とは違い、創造とは仮初の命と身体を与えて、無機物を動かせる大魔術。しかも対象が八骸の番人となれば、そこいらのスケルトンのようにはいかない。
普段ならそんな奔流みたいな負のエネルギーを一気に出せるわけもないが、自分の手で自分を広がるとなれば話は別だ。
つまりダムからの水流を強めたいのなら、放流口をぶっ壊せばいい。
これもソクラテが開発された術だが、自分ではリスクを恐れて一度も試したことがなかったようだ。
生命力が一気に持ってかれた感じがして、俺は八骸の番人をロントの後ろに出現させた。
『ぐるるるりゃあああああああ』
『主の敵ぃぃぃぃぃ』
「稲妻の連鎖!」
予兆もなく後ろから現れた奇兵に、ロントは尚も冷静に呪文を唱え、二丁短剣を翻す。
爆ぜる雷光を一身に受け、カウンターで腕が飛ばされながら、双身のスケルトンが忠実に命を従い、残り三本の腕でロントに絡みついた。
そこに、黒い霧を纏いながらまっすぐ《突進》に《突進》を重ね、ロントの投げた短剣を肩に受けるも意にも介さず、まさに神速の域に踏み込む姉さん。
「蒐窮の仮面:空舞う大龍!」
ロントの口から虹色の光束が凝縮し、ドラゴンブレスのような奔流が放たれた!
常人が目にするだけで眼球が潰されるような光の渦に、姉さんは両手で前に出して突っ込んだ。
「うおおおおおおおおおお!」
「姉さん!」
両手を捨て今度こそロントに肉薄する姉さんは、すでに人の形を保っていない顎関節を内側から壊し、蛇のように大きく裂けた口でロントの首筋へと噛みつく!
ロントの瞳がは一瞬金色に輝いて、膨れ上がる魔力で今にも崩れ落ちそうな八骸の番人の拘束を脱し、それでも回避に間に合わず右腕ごと、肩から胸の一部が噛み砕かれた。
「がはっ! 貴様ぁ……!」
この戦いが始まって以来、初めて苦痛に声を上げたロント。
姉さんはロントの右腕を噛んだまま俺のところに戻って、目で「どうする?」と聞いている。
どうするも何も、こっちは左腕が使えない俺と両手の使えない姉さん、そしてボロボロな八骸の番人、奥の札も出し尽しているし、もう手上げだ。
「はあ……はあ……」
余裕がなくなったロントが暫く大きく肩を震わせて、人を殺すような目つきで睨んで来たが、
「……どうやら私もまだ未熟のようですね、欠片の所持者を見誤るとは」
「っ! お前、知ってるのか?」
「それを知ってるということは、ただの適合者ではなく、直接欠片を授った人ですね……仕方ありません、ここが潮時のようです」
願いでもないだ! が、すこし虚勢を張らないと。
俺は姉さんと視線を交わした。
「貴方はそれでいいの?」
「ええ、これを再生するには少し骨が折れる、それに目的の物はすでに手に入れました」
「……お前が外のモモを襲わない保証がない」
「同行していたお嬢さんですか、ご安心を、この黒翡翠が外された時点で呪いは解かれて、ガーリックの村人はすでに灰になりましたはず。あのお嬢さんも自力で脱出できないほど無力ではないですし、今のところどこかに逃げ隠れたのでしょう」
それはどうだろう、俺が知ってるモモならむしろ探しに来るはずだ。
「そもそも、貴方たちに私を止める術はありますか?」
「まあ、ないな」
「そういうことです、では、また相見えよう」
口元歪めてそう言い残すと、ロントの身体は蝙蝠の大群と化し、突風を引き起こして回廊の先へ行った。
俺たちは最初からあいつを引き留める手段なんてないから、見送るしかできなかった。
「はぁ……一生分戦ったわ……」
俺は地面に崩れるように腰を下ろした。
姉さんはペっとロントの腕を吐き出して俺の側に座った。
うわっ、この腕まだぴくぴくしてる、気持ち悪いな。念のため縛っておくか。
「お疲れ様、フィー君」
「おつかれ、ところで姉さん、調子は?」
「あまり安定とは言えないわ、魔力……負のエネルギーかな、その流出が止まらない」
「そうか、やはりソクラテの心臓は贄として不十分か」
「まずいしね、歯ごたえもない」
「砂肝じゃないんだから。とりあえず屍僕強化を解除しよう、大分安定するはず……と思う」
解除すると、姉さんから黒い霧が蒸気みたいに一気に湧き出し、空へと散った。
徐々にだけど、姉さんの見た目も人間に戻っている。まあ両手と顎は自分で壊したからこの場は仕方ないだろう、材料があれば直せるけど。
屍僕強化と違って、死葬弔鐘の効果は永久的なはずなんだけど、今回は贄の状況が悪かったから安定できなかったのだろう。
姉さんは厚手のローブで顔の下半部まで隠した。よしこれでバレないだろう、問題は八骸の番人だ。
「あのさ、シルヴァーとオーレリアだっけ?」
『うむ、シルヴァーとも、貴様が新しい主か』
『オーレリアだよ、でもでも、あたし達の心の主はいつまでもソクラテ様だよ』
「いやそれは別に構わないだが、そのソクラテもう亡くなったぞ」
『然り、だがそのソクラテ様の遺命によって我々はスーチン様を守る使命がある』
「うーん、どうする姉さん? スーチンを連れていくつもりだよね?」
「ええ、あんな小さい子放っておけないもの。それにここに置いたら次誰が来るかわからないし、私たちなら少なくともその願いを叶えてあげられるわ」
「そうか、じゃまずスーチンに話を聞こう」
姉さんは昔から子供に弱い、なまじ面倒見もいいから施設ではみんなに頼られている。それになんだかスーチンに対して特別に親切しているようだし、もしかして魂の酷使の影響かな。
とりあえず、今後の事もあるし、俺たちは一旦ソクラテの書斎に戻った。
 




