17 幽霊のこと、そしてロント
女の子の幽霊は、スーチンという。
濡れ羽色の髪を足元まで伸ばして、眠そうな黒い目は深い井戸を思わせる。
歳は十代前半のところか、まだ幼さが残っているがかなりの器量よしで、アンティークドールのような容姿が宙に浮かぶその光景はどこか非現実的な美しさを持っている。
このあたりでは見られない意趣の高貴な服を着ている。
幽霊の見た目は生前の姿とリンクしているっていうから、元はどこかのお嬢様だろう。
スーチンとの会話は姉さんに任せて、俺は側で警戒している。
ロントは最初からスーチンのことが目にも入らないらしく、ずっと黒い水晶の台座を調べていた。
「では、スーチンちゃんは遠い国からソクラテに攫われてきたってこと?」
『ソクラテさんは理由があって私をここに連れて来たと言いましたから、恐らく攫ってきた、というわけじゃないと思います』
「その理由は?」
『それは、教えて貰いませんでしたが……酷いこともされておりません』
「なるほど、ではそちらの死体はソクラテさんのもので間違いないよね?」
『はい……』
目を伏せてるスーチン。
ソクラテによほど大事にされてきたのかもしれない。
「じゃ酷なこと聞くけど、スーチンちゃんとソクラテさんはどうして亡くなったの?」
『それは……』
スーチンの話によると、自分は魔術師ソクラテにここまで連れて来て、そのまま一緒に暮らしていた。
ソクラテは村の人たちと仲が良くて、魔術でその生活を良くして、代りにこの地の特殊の鉱物を貰って、たまに身の回りの世話も任していたらしい。
だがある日、スーチンが村人が用意した料理を食べてる途中、激痛をしてそのまま意識を失った
目が覚めたら、自分はすでに幽霊で、ソクラテは死んでいた。
『その間の事は、シーちゃんとリアちゃんから聞いたのですが』
「シーちゃんとリアちゃん?」
『はい、貴方達が倒したはずのガーディアンのことです、シルヴァーとオレーリアですから、シーちゃんとリアちゃん』
「あー……」
『気にしないでください、二人は魔力があれば何度でも蘇らせます』
「スーチンちゃんは魔術使えるの?」
『いいえ、その……どうやら私はそこの《黒翡翠》と繋がってますので』
「《黒翡翠》?」
『はい、あれは私が死んだ後のことで……』
スーチンが亡くなった後、ソクラテは激怒していた、シルヴァーとオレーリアがかつて見たことないほどに。
その時、地上から村人がぞろぞろと扉のところまで攻め寄って、魔術師の財宝を渡せとわけのわからないことを言ってきた。
怒り心頭のソクラテは村人に相応な罰を与えたという。
そしてスーチンを失ったソクラテは、シルヴァーとオレーリアを残して自らの命を絶った。
しかし数日後、まさか死んだはずのスーチンがゴーストとしてこの世に再び現れた。
そしてこの研究室の動力源兼中枢機関の《黒翡翠》は彼女を次の主と認めた。
ソクラテが生前に残した命令で、もし自分が死んだらスーチンに従えって設定しておいたと、シルヴァーが言った
それから何故かこの部屋から出られない彼女がずっとここに留まっている。
どれくらい経ったのはよくわからないそうだが、ガーリックの村人の話からすると、十年や二十年には下らないだろう。
「なるほど、そういうことだったんだ……」
「あの村のヤツら、性根が腐り果てたな」
「本当だね」
姉さんは頷くと、スーチンに向きかえる。
「ねえ、人間はこの世に未練があるとゴーストになるっていうし、スーチンちゃんの未練は何かな?」
『私は……』
スーチンはソクラテのほうを見る。
『やはり、自分の故郷に帰りたいと思います、たとえ灰になっても』
よく見たら、ソクラテの膝の上には小さいな壺がある、あの中にスーチンの遺灰が入ってるのかな。
『それに、ソクラテさんのことももちゃんと弔いたい』
「わかった、私たちはやるべきがあるから後回しになるけど、スーチンちゃんの願いを手伝いさせて?」
『本当に……いいんですか?』
眠たそうな目をわずかに見開いて、スーチンは姉さんの顔を見つめる。
「ええ、もちろん。でも、スーチンはどうやってこの部屋から出るの?」
『多分、私がここから出られないのはその壺があるからと思います、そこから引っ張るような力が感じていますから』
「でもスーチンちゃんはここの中枢とも繋がってるじゃないの?」
『あの《黒翡翠》を台座から外せば、機能が停止すると、シーちゃんが言いました』
「いいの、それで?」
『はい、あれは元々力を失い続けていて、すでに多くの機能に支障が出て、その内停止するみたいです』
ですから、最近シーちゃんとリアちゃんも段々元気がなくなっていると、寂しげに言った。
なるほど、だから研究室に仕掛けもなく、あの番人もロントの予想以上に弱かったのかな。
「話は済みましたか?」
っと、さきから台座を調べているロントが話を掛けた。
「ええ、そちらも?」
「もうこの《黒翡翠》を外した方法が分かったのですよ」
そう言ってロントは台座の色んな所をペタペタと触り出し、最後は短剣の抜き打ちで上部を《黒翡翠》ごと切り飛ばし、《黒翡翠》が地に落ちる前に手に取った。
切れ味ありすぎだろう、あの短剣。そういえば姉さんの籠手にも切り跡を残したな
かなり強引な外し方だったが、スーチンは別に何もないのようだ、本当にただ繋がってるだけかもしれない。
ロントは《黒翡翠》を手に乗せ、ご満悦のような目つきで眺めている。
《黒翡翠》は直径10センチの正八面体、光も反射しないような完全なる漆黒で、見つめると吸い込まれるのような錯覚を感じてしまう。
「やはりそれが目的の物なの?」
「ええ、神々の遺品、《黒翡翠》……教国の俗物共が喉から手が出るほど欲しがってるものです」
姉さんが小さく溜息を吐いた。
「知りたくもない内情を喋っちゃって……やっぱりそういうことなの?」
「本当に鋭いお嬢さんですね、殺すのが残念と思うほどに」
「じゃ一つお願い聞いてくれる?」
「命乞いして頂ければ見逃すのも吝かではありませんよ?」
「魅力的な嘘はやめて頂戴、そうではなくて」
姉さんはソクラテの死体を指した。
「この子と約束したから、死体を弔いたいんよね、ここでは壊される可能性があるし、廊下でやりましょう?」
「……いいでしょう、いつも教国の愚物を目にしてまして、久しぶりに私を楽しませてくれる人間ですから、願いの一つや二つは」
そう言い残してロントは廊下に出た。扉が閉じた途端、姉さんは真顔で俺とスーチンに振り返った。
「フィー君、スーチンちゃん、よく聞いて」
一分後、俺たちは廊下でロントと対峙している。
ロントは廊下の真ん中に佇んでいる、剣すら抜いてない。
舐められるのは好都合だけど、それでも勝てる気がしないから質が悪い。
「では、最後の足掻きを済みましたか?」
「いや、まだまだ足掻きさせて貰おう――屍僕強化!」
「せいや!」
死霊魔術で強化された姉さんが疾走する。
「やはりネクロマンサーですか、自分の家族にも手に掛けるとは、中々どうして人間も業が深いですね」
「知ったような口を利くんじゃねぇ!」
それに遅れて、俺も追いかけた。
ロントは短剣の柄に手をかけたが、姉さんの姿は一瞬ぶれてしまい、その場で消えた。
「横、いいえ後ろですね」
壁にバウンドして、ロントの背後を取る姉さん。
初動を消して《突進》の連続発動、今の姉さんはスムーズに戦技を発動できる、加えてハイグール以上にまで引き上げられた身体能力は、ロントほどじゃないが壁での立体行動など造作もない。
と同時に、俺も《突進》で切りかかる!
俺たちの挟撃に、ロントは事もなげに右手の短剣を抜き姉さんの籠手を弾く、俺の斬撃を躱して左手で抜き打ちの一撃を放った。
元々一撃で決めるとは思ってなかったので、俺は服が切り裂かれたのを感じて、さらに攻撃を重ねる。
横払いが避けられたら刃を翻って斬り上げ、
ロントが挟撃を脱しようとしたらフェイントで牽制、
姉さんが足払いを仕掛けるのなら即座に袈裟懸けに振り下ろす。
最初は普段より数段跳ね上がった姉さんの速さについて行けなかったけど、段々連携が噛み合わせていく。
「お二人ともその年にしては悪くない使い手ですね、やはり残念でなりません――――『止マリナサイ』」
『んぐっっ!』
俺と姉さんの動きが同時に止まった。
ヴァンパイアは声だけで人間を支配できる、戦闘中という激昂してる状態では効きづらいが、それでも一瞬身体が止まってしまう。
銀髪を翻ってロントが俺に飛びかかる、二丁の短剣がそれぞれ喉と心臓へと殺到。
「――――っ!」
「なに!?」
この戦闘に入って初めてロントが目を見張った。
二体のグールが俺の前に重ね合い、ロントの凶刃を食い止めた。
なんとかヴァンパイアの支配を破り、俺はロントから距離を取った。
「無詠唱での召喚、死霊魔術の造詣も中々のものですね」
「はっ、まだまだこんなもんじゃねぇぞ」
「そうですか、ではこちらも……」
ロントは手を一振り、二匹の白い狼が影から躍り出す。さして広くもない廊下は大型の狼は二匹だけで満足に動き回れなくなる、このままじゃじゃロントを挟み撃ちするのは無理だ。
しかし、このくらいは予測済みだ。
「多数上級不死召喚!!!」
一瞬にして、周りに十体のファントムが顕れた。
狼と違って、実体のないこいつらは何体居ても邪魔にならない。
「ファントムの多数召喚というのですかっ」
「まだ終わりじゃねぇぜ、多数屍僕強化!」
『キェェェェェェェ』
声にならない叫び声を上げながら、大幅に強化されたファントムは十対の金色の魔眼を照射して、二匹の狼が瞬く間に石となって崩れ落ちた。
勿論ロントは無事だったが、ヴァンパイアに魔眼なんて効くはずもないのは判り切ったのこと。
ファントムは戦闘できないが、サイコキネシスで攪乱できる、十体も居ればいくらロントでも対応しにくいだろう。
「へへへどうだ、戦いは数だぜ」
とは言うものの、大規模な死霊魔術の行使でスタミナが一気に持ってかれた。
死霊秘法を持ってる俺は理論上無尽蔵な負のエネルギーを操れるはずだが、所詮人間の身体じゃ出力のたかが知れてるし、一気に大きいなエネルギーを流すと術者である自分が摩耗する。氾濫する時に、堤防が決壊するのと同じだ。
「なるほど、貴方の力を見くびっていたことを詫びましょう」
「はあはあ……逃げるなら今の内だぞ」
「それはもう少し余裕のある顔で言ってください。……仕方ないですね、少し奥の手をお見せしましょう」
「え?」
まずいっと証拠もなく思ってしまった、だがすでに遅かった。
ロントの指が虚空に伸び、何もないところから紫色の仮面を引き寄せそのまま顔に被った。
顔に触れた瞬間、仮面がすっと透明になり見えなくなった。
「蒐窮の仮面:大魔術師、顕れよ、稲妻の連鎖!」
「フィー君伏せて!」
「がああああ」
爆音よりも早く、稲妻の束が蜘蛛網のように交差する!
魔術の発動を見切った姉さんは無傷、俺は何とか直撃を避けてたが左腕が雷光に貫かれて一部炭化しちまった。くそ、これじゃまともに剣を振るえない。
さらにファントムは全滅、魔術に弱い奴らは上級喚起系魔術に耐えるはずもない。戦いは数じゃなかったのかよ。
「姉さん!」
「あいよ!」
姉さんが地面すれすれの姿勢で一気に肉薄、そのまま蹴り上げる!
が、挟撃に恐れる必要がなくなったロントはその攻撃を左手で流して、右手でカウンターを狙った。
姉さんは身体能力を活かして強引に前転、空中から踵落としをロントの脳天に叩き込む!
それを軽く身を引いて避けながら、またもや短い詠唱で上級魔術を放つロント。
「焼き払え、灼熱の光線!」
真っ赤の焔の線がそれぞれ三本、俺と姉さんへと奔った。
「させない!」
魔術の発動タイミングを見切って、凄まじい速さで俺の前に回った姉さんがすべての焔を弾いた。挟み撃ちできなくなったが、今の俺はロントに間合いを詰められたら危険だ。
だが、ロントは不敵な笑みを浮かべ、もう一度空へと手を伸ばし、黒い仮面を引き寄せた。
「蒐窮の仮面:暗殺者」
次の瞬間、ロントのすべては文字通りに掻き消された。
ただ消えたのではなく、匂いも音も気配も、さらにはロントがそこにいて、俺たちと戦っている記憶さえも一瞬奪われた。
ロントという存在が意識からなくなり、俺たちは今やるべきことを失ってただ突っ立ている。
「……っ!」
「フィー君!」
アンデッドは心霊系の攻撃に耐性を持っている。そのため姉さんは俺より少し早く動き出した。
姉さんに突き飛ばされた俺が、冷たい刃が胸を切り裂いたのを感じた。
あと数ミリ横にずれたら心臓に届くであろうその攻撃だが、致命傷にはならなかった。が、
「たしかにこうですね――《二の打ち要らず》」
凶暴なエネルギーが短剣から打ち込まれた。




