106 刀と刀(下)
※三人称視点です。
空中で身を捻り受け身を取りながら、ルナはソーウンの意図を測りかねていた。
ヴァンパイアに投げ技など、針の山にでも叩きつけないと意味がない。
だが着地して振り返ったら、ルナは今の投げの意味が分かった、そして更なる困惑に陥いた。
ソーウンは、刀を納めた。
《居合》。
それは《倚天流》において、大きなファクターの一つ。護身のため、座っている状態でも即座に敵の攻撃を切り払う技である。
そう、それはあくまで護身のため、攻撃を防ぐ術のはずだった。
如何に居合が早かろうと、片手打ちであるため諸手の威力に敵わないのが道理。抜き打ちで攻撃を切り払い、二の太刀で仕留めるのが基本。ましてや居合を行うために、戦いの真中にわざわざ刀を収めるなど通常では考えられない。
だが、ルナは一つの事を思い出した。
ビャクヤを斬り捨てた時、ソーウンは抜き打ちで首ごと右前足を、二の太刀で左前足を斬り落した。
つまり、その居合には、二の太刀に負けぬとも、上回ることさえありえる威力を秘めていた。
『《亢竜有悔》……』
スーチンが小さいく呟いた。
『奥義の一つ、次期宗主となりうる人しか伝授されない秘伝の居合術です、私もよく分かりませんけど……』
その時、ソーウンは更なるルナの意表をついた行動に出た。
右足を一歩前に、左踵を浮かせ、重心を維持しつつ前傾の姿勢を取った。
それは、攻撃の姿勢だ。
今までソーウンが積極的に攻撃に出なかった理由は、仕留めきれずに通路を抜かれる可能性があるからだ。
つまり、ソーウンにはこの一刀でルナを仕留める自信がある、ということだ。
「よくぞ今まで我が剣についてこれた」
突如に、ソーウンが口を開いた。
「未熟でありながら己の身を顧みずに何かを成し遂げようとしている勇気には敬意を払うに値する。しかし我とて守り手となる矜持がある。故に、この一刀を持ってお主の覚悟を問う。心して掛かるが良い」
淡々と、まるで道端で行き交う人々と交わす世間話のように喋るソーウンだが、その殺気は廊下全体を震わせるほどのものであった。
「どうしよう、スーちゃん?」
『……ルナちゃんの、一番得意の』
「え、いいの?」
『うん、きっとどうやっても避けられないから、ならばいっそ……です』
予測できない居合の軌跡を避けるのは至難。
左側からの居合なのだから敵の左に避ければ、と思う人も居るかもしれないが、《倚天流》には左腰の得物を左手で抜き払う技もあるのだ。
《子虚》のように、敵の攻撃を回避してからの反撃は、この状況では無理だ。ルナにも、スーチンにもソーウンの奥義を見破る技量を持ち合わせていない。ならば、いっそ。
「分かった、スーちゃんを助けるために……これで決めるのっ」
左足を前に、右足を大きく引く、そして刀を右肩上、天頂に向けている。
この姿勢は《奔雷》という、走って振り下ろす、ただそれだけの技。フィレンの武技との相性が良い、かつヴァンパイアの力を最も発揮できる技。
最強の一太刀で勝つ、二の太刀などない。
一撃で仕留められなくとも次がある――なんて考えで勝てる相手ではないのだ。
「……」
「……」
対峙する二振りの刀。
守り手となる一人、押し通すための二人。
右を前に出すソーウン、左を前に出すルナ。
刀を納めた男、刀で天を指す少女。
どこからか不意に襲ってくる居合、どこまでも愚直に振り下ろすしか芸のない奔雷。
先に動いたのは、ソーウンだ。
《亢竜有悔》の始まりは、《瞬歩》と似る歩法。
常に相手の死角を意識、一歩ごとに微妙に歩幅、速度をずらせ間合いの目算を狂わせながらも疾駆を続ける、変化自在の走法。
あえてゆったりとした袴を着ているのも足元を隠すためである。
つまり、ソーウンが現れた時から、技は既に始まっていた。
対してルナの《奔雷》は単なる《突進》からの《強斬》、シンプル極まりないが、それ故に速さではソーウンを凌駕している。
だがこの対決において、少なくとも疾走の段階ではソーウンが有利である。
なぜなら両者の間には、ヴァンパイアさえ覆せない差があった。
即ち、間合いの差だ。
男の中でも長身のソーウンと、小柄の少女ルナ、たとえ得物が同等でもその間合いの差は決して小さくない。
このまま疾走を続けば、ルナの切っ先が届く前に、ソーウンに斬り殺される。
無論、お互い面と向かっての疾走では、その差はコンマ以下、まさしく刹那と言えるが、文字通り命取りの瞬間にもなり得る。
しかし、
「はあああああああアアアア゛ア゛ア゛ア゛――――!!!」
奇声とも言える雄叫びを上げるルナ。
丹田から声を出すことでより強い力を発揮させる、という一面もあるが、《奔雷》のこれは敵の肝を潰すほど気迫を放ち、間合いの判断を狂わせる技である。
勿論ソーウンほどの使い手にとって、敵がどれだけ叫ぼうと動揺するわけもない、のはずでしたが、
ヴァンパイアは声だけで人間を支配できる。
ソクラテの研究室にて、ロントとフィレン達が戦った時、その影響力はアンデッドであるレンツィアさえ一瞬身動きが取れないほどだ。今、ルナは無意識のうちにその力を放出している。
人外に対して鍛錬を積んできたソーウンはさすがに易々と支配されるわけがないが、それでも一瞬の隙を見せ、《亢竜有悔》の走法が乱れた。
その隙に、ルナは容赦なく踏み込んだ。
「増幅!」
増幅とは、一瞬だけ身体能力を爆発的に引き上げる変化系魔術。
レーザから回収した魔道具、《電光石火のベルト》は一日一回、中級魔術までを無詠唱で発動できる。
魔術戦士にとって無詠唱魔術は大きなアドバンテージであるため、レンツィアはそれをルナに渡した。
ルナのすべてを乗せた《奔雷》は、ソーウンよりほんの少しだけ早く放たれた。
名前通り落雷のごとく振り下ろされた刀は、斬撃の軌道が長ければ長いほど強力、それがたとえ一センチでもだ。
つまり先に攻撃を放った方が、その分有利である。
先の勝機を掴み取ったルナは、いかなるモノも両断せんと刀を振り下ろす。
だが、それをさらに凌駕したのが、《亢竜有悔》。
《倚天流》には、得物を通じて戦技を発動する術がある。
その真髄とは、魔力親和性が高いミスリル合金で作られた得物に魔力を流して、運動エネルギーに転換することだ。勿論それは普通に考えれば至難な業で、《倚天流》の中でも一握りの剣士と長年付き添う得物にしか為せない技である。
《倚天流》の奥義《亢竜有悔》とは、まず魔力を鞘に流し、刀身を喰い止める。その反動によって居合の威力が増し、さらに抜刀する瞬間に両者を反発させ、砲弾のように刀身を射出する神速の居合。
加えて、大妖刀である《滅紅塵》の能力の一つは、戦技を増幅させること。
鋼の意志で妖刀を従がわせ、且つ《亢竜有悔》を習得している者であれば、それを利用してさらなる強力な居合を放てる。
それがソーウンの《亢竜有悔》。その威力、たとえヴァンパイアにも決して引けを取らない。
お互い必殺の一刀が、激しくぶつかり合い。
鼓膜を突き破るような鋼の叫びが廊下に響き渡る。
その直後、
キン。
あまりにも呆気ない音。
永遠にも思える刹那の間、半分の刀と細い腕が宙に舞う。
ルナの刀が両断され、左手が肘から切り飛ばされた。
ここから先は、全て瞬きの間の出来事である。
一番最初に、全てを把握したのはルナだ。
優れた反応速度と動体視力を持っている彼女は、ソーウンよりも早くこの状況を把握した。
刀が折れて左手も失ったが、ソーウンの刀も大きく弾かれ、外側に向かって遠ざかっていく。
刀を戻すには一秒、いや半秒か。どっちにしろこの場においてそれは恒久ともなる時間だ。
(今、なの!)
勝機、と見た瞬間。
ソーウンの刀が、
ソーウンの刀が、――どこだ?
一瞬前に、確実に外側へと弾かれた《滅紅塵》が、いつの間に鞘に戻っている。
大妖刀《滅紅塵》は、ツクモガミである。
フィレン達が遭遇したツクモガミは色々あるが、そのほとんど自分の意志で形を変え、伸びるのも曲げるのも、分裂さえできる。
中でも《滅紅塵》は特別で、刀と鞘が二つにして一つの妖刀であり、自分の意志で即座に鞘へ戻ることができる。
そして、一番最初に動いたのは、ソーウンだ。
全てを一刀に賭けたルナに対して、《亢竜有悔》の真髄はこの瞬間である。
(最初の一刀を凌いたか、だがッ!)
ソーウンの左手が、再び鞘に納まった《滅紅塵》の柄を握った。
神速の居合からの瞬時の納刀、そして左手で二回目の神速の居合を放つ、これこそ《亢竜有悔》の真なる姿。
《亢竜有悔》は居合術でありながら、居合術だけではない。
ゆったりとした袴で歩幅を隠す、
あえて一度居合からの二の太刀を見せ、固定観念を植え付ける、
変化自在の走法、
神速の抜刀と納刀、
左手で神速の抜刀、
すべてを合わせてこその《倚天流》の秘剣。
だが、一番最初に攻撃に移ったのは、ルナでもソーウンでもない。
スーチンだ。
(ルナちゃん、ごめんなさい)
ゴーストであり、《神降ろし》でルナと繋がって身体を乗っ取ろうとすれば可能な彼女だが、初めて自分の意志でルナの手を動かした。
右手を伸ばし、ソーウンの柄を抑えようと、フリをした。
常に「骨を切らせて肉を断つ」の姿勢で真っすぐ挑んできたルナが、この戦いで初めてのフェイント。
それがソーウンの判断を誤らせた。
ソーウンの敵は一人だけではないのだ。
ソーウンはルナの右手を避けるべく、左半身を退避させた。
敵の抜刀の抜き手を狙う攻撃を最小の動きで回避からの抜刀、《倚天流》の《烏有》。
だが右手の動きと関係なく、ルナの身体はタックルを仕掛けた。
《突進》を発動する余裕もなく、ただ全身でぶつかる。衝撃がソーウンの腰に襲った。
筋力的にルナに叶わないはずのソーウンだが、それでも冷静だ。
この距離では抜刀できないが、彼は素早く柄を離し、張り手でルナの鼓膜を破壊ついでに頭部を固定、逆側からの鬼拳(中指の第二関節を立てた拳)でコメカミに強打!
「――ッ!」
(止まらない……だと!?)
だがそれでも、ルナを止めることはできなかった。いくら強靭な身体をもってしても、衝撃は確実脳に届いたはずなのに。
ブライデン町にてフィレンが贈ったプレゼント、銀色の髪留め。
ラッケン姉妹の髪色に合わせた一対の髪留めは、実は微弱ながらも頭の上部を覆う力場を放出する効能がある。
あくまで気休めほどの効果でフィレンも特に言及してないからルナ自身も知らなかった、そしてルナが今まで頭部への攻撃を避けてきたため、ソーウンも知り得なかった。今の衝撃で力場が砕かれたが、そのお蔭でルナは辛うじて意識を保っていられた。
ルナはタックルでソーウンのバランスを崩し、その顎に掌底を撃ち込んだ!
フィレンは格闘士ではないだが、いざという時のために幾つかの技を会得している。このタックルからの掌底こそシンプルだが最も有効な近接格闘技、《卜辻》。本当は顔面を強打する技のはずだが、ルナの身長では顎にしか届けなかった。
けれどそれは問題にはならない。
この一撃はソーウンの意識を奪えるほどではなかったが、一瞬だけその身体を浮かせた。
「やあああああ!」
ルナは《突進》で、ソーウンを凄まじい勢いで押し出す。
これで足が踏ん張れば、ソーウンなら逆にルナを投げ飛ばせるが、空中ではそうはいかない。
しかし彼は慌てなかった。
このまま押し出されて、たとえ壁に押しつけられても自分は衝撃を逃がす体術を習得しているから大したダメージにはなれない。ルナはすでに刀を手放し左手も失った、近接格闘なら自分に分があると、ソーウンは自分の有利を信じて揺るがなかった。
しかし、ソーウンを待っていたのは壁との衝突ではなかった。
「ぬッ!」
押し出された先には、ビャクヤが待っていた。
ソーウンの敵は、一人だけではないのだ。
立つことすら叶わないビャクヤは、尻尾についた《黒棘》でソーウンの喉を引き裂き――の寸前、ソーウンの歯に喰い止めた。
ビャクヤが動く直前までルナの意図を認識していなかったにも関わらず、もはや予知にも等しい直感で後ろからの不意打ちを防いだ。
だが、後ろに気取られて強引に首を捻ったソーウンは、ルナの追撃を防ぐことは叶わなかった。
ルナは拳を強く握って、なんの技もなくただ鉄槌のようにソーウンの心臓目掛けて振り下ろす。
「《二の打ち要らず》!」
「がぁ……ッ!」
口から鮮血が溢れ出し、あまりにも強烈な衝撃を受け、ソーウンの心臓は一瞬停止して、歯を緩めた。
《黒棘》を一振り、ビャクヤはいとも簡単に彼の喉を引き裂いた。
「はぁ……はぁ……」
辛うじて立っていたルナがドサッと座り込んだ。
手首から血潮が零れ出し、衝撃がまだ脳殻の奥に響いている。
『師範代……』
喉が切り裂かれ、血の泡をぷくぷくと噴き出してるソーウンを、スーチンはただ見ていた。
「……ア、アァ……殿下、お守り、できぬ……申し訳……ガッ、これから、どうか……」
剣士は、最後まで皇家の守り手であろうと、息絶えた。
とある作品を意識してこの戦闘シーンを書いてみました。
長くなっていますが自分的には満足です。
皆さん的にはどうでしょうか?




